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【写真】葡萄畑前にあるカフェで笑みを浮かべるおちさん【写真】葡萄畑前にあるカフェで笑みを浮かべるおちさん

働くってなんだろう? 社会福祉法人こころみる会 越知眞智子さんをたずねて 福祉のしごとにん ― 働く人のまなざし・創造性をたずねて vol.07

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働くことへの苦手意識がずっとある。これまでの経験から「働くこと」=「なにかを我慢すること」というイメージが自分の中に強くあるからだ。体調を崩して休職していたとき、働けない自分に「価値がない」と考えてしまったこともあった。誰もわたしを責めたりしなかったのに。自分の大切な人が同じ状況にいたら、いや大切な人じゃなくても、価値がないとは思わない。そもそもこんな風に感じさせる社会そのものにもっと疑問をもった方がいいのでは、と今は思う。

そもそも「働く」って、なんのために必要なのだろう。

「何かを成し遂げた達成感や喜びを味わう手段のひとつとして、『働くこと』を大切に」「『仕事』を通じて地域や社会と結びつき、『人々にとってなくてはならない存在』に」

こんな言葉を理念として掲げているところがある。栃木県足利市にある社会福祉法人こころみる会だ。重度の障害がある方の居住の場である「こころみ学園」を運営しており、法人のサービスを利用している方は約130名。10代から80代までさまざまな世代が過ごしているという。

こころみ学園のはじまりは、1950年代。中学の特別支援学級の教員だった川田昇さんが市内にある山を購入、川田さんとその生徒たちが中心となり2年かけてブドウ畑を開墾。1969年には、葡萄と椎茸の栽培を中心にした農作業をとおして園生の心身の成長を目指す「こころみ学園」が設立された。そこをきっかけに生まれたのが「有限会社ココ・ファーム・ワイナリー」。100%日本の葡萄を原料にした日本ワインを造っている。

訪問記事:ブドウ畑と醸造場があるところ「ココ・ファーム・ワイナリー」をたずねて

こころみ学園やココ・ファーム・ワイナリーでは、どのように「働く」を捉え、その環境をつくっているのか。社会福祉法人こころみる会 統括管理者 兼 有限会社ココ・ファーム・ワイナリー 取締役農場長 越知 眞智子(おち・まちこ)さんに話を伺った。

こころみる会とココ・ファーム・ワイナリーの連携

社会福祉法人こころみる会「こころみ学園」と有限会社ココ・ファーム・ワイナリーがどのように連携しているのか、その仕組みをまずは整理したい。

こころみる会が担うのは、ココ・ファーム・ワイナリーで使うワイン用の葡萄栽培、原木椎茸やクラフト製品等の納品、醸造作業・ラベル貼り・梱包などの作業の部分。それらの仕事に対しココ・ファーム・ワイナリーが代金を支払う形になっている。またココ・ファーム・ワイナリー設立当時、出資金を出し、株主になったのはこころみ学園の園生(こころみる会では、法人のサービスを利用している方をそう呼ぶ)の保護者たちだった。

現在まで、さまざまな仕事を園生たちが担い、上質なワイン造りを支えてきた。しかし順風満帆に今の形になったのではなく「ただやれることをやってきた」と越知さんは話す。

越知 眞智子さん(以下、越知):今のひとたちって、ボタンを押せばすぐ答えがわかる、欲しいものが手に入るみたいな感覚が強まっている気がするんですけど、ここでの取り組みはそうではないんです。

創始者の川田は園生たちについて「この子たちは、薄紙を剥ぐようによくなっていくんだ。パッとやって、すぐできるようになるわけではない。ほんとにこう、少しずつ、少しずつ、よくなっていくんだ」と語っていました。

【写真】インタビューに答えるおちまちこさん
社会福祉法人こころみる会 統括管理者 兼 有限会社ココ・ファーム・ワイナリー 取締役農場長 越知 眞智子(おち・まちこ)さん

誰しも役に立つことがある、と感じてもらう仕事

園生は約130名、10代から80代までさまざまな世代が過ごす。そんな環境で働く上で越知さんが大切にしていることはなにか、たずねてみた。

越知:園生たちには、それぞれ必ず役に立つことがあるはずです。それを本人に感じてもらうこと。そういう環境を用意するのが私たちの仕事だと思っています。

私の周りには、子どもの頃から知的な障害をもっている人たちがいて、みんな一生懸命与えられた作業をやっていたので、それがあたりまえでした。とくに障害をもっていることが特別なことだと思っていなかったのですが、改めて「障害がある」ことについて気づかされたことがありました。

ある園生が亡くなったときの話です。彼は親御さんの運転でドライブに行くのが好きでした。彼は大きな心臓発作で急死してしまったのですが、その彼のお葬式の挨拶でお父様が「生まれ変わったら自分で免許をとって好きなところに行けるね」とおっしゃったんです。

その親御さんにとって「障害がある」ことは、「生まれ変わらないとできないことがある」ことなんだと気づかされ、身の引き締まる思いでした。

「役に立つ」という言葉を人に使うとき、一方的に相手を利用したり、「役に立たない人」と判断してしまったりする危うさがあると思う。しかし、越知さんが言っているのはそういうことではない。

越知:その人が本来もっている力をちゃんと活かせる。それが、「役に立つ」ことだと思うんです。

一方的に人の世話になり続けている状況は、選択肢が限られていてもったいないような気がします。人が生きている限り、できることは何かしらある。むしろ、それを発揮できる・いかせることでほかの人を豊かにすることができると思うのです。

他者からの評価を基準にするのではなく、自分自身がいきいきとしているか、本来の力を発揮できているかどうかで捉えること。その視点にハッとする。

越知:園生たちは、自分たちの働きや担っている仕事に自信をもっています。実習にくる学生さんたちの多くは、はじめは「障害のある人を支援しよう、うまく関わろう」「自分たちの方ができるから」と思っていますが、実際はそんなことはないことに気づいてくれます。

続けて越知さんは、園生たちから「さまざまなことを教わっている」と話す。

越知:夏場のカラス追いの仕事が終わると、ある園生は「終わったよ」と私の前に手を差し出します。私はお礼にお小遣いを渡すんですけど、いつも彼は受け取ったお金をもってすぐ自販機へ向かって、そこで自分がもちきれないくらいの缶コーヒーを買うんです。ガシャンガシャン音を立てながら。

自販機よりも、町のスーパーで箱買いした方が安いから、そのことも伝えるんだけれど、やはり自販機で買う。彼にとって、自分がやった仕事の価値は、持ちきれないほどのコーヒーを得られること、なのかもしれない。そういう形で自分の仕事の価値を感じられるって素敵じゃないですか。

「これをやるのは気持ちがいい」と自分で感じること

こころみ学園では、働く環境をどう作っているのだろう。「入り口はつくるけれど、強制はしない」と越知さんは言う。

たとえば、園生が担う仕事のひとつに原木椎茸の栽培がある。山から切り出した楢(なら)や椚(くぬぎ)に、椎茸のもととなる種駒を植える「駒打ち」をしたり、駒打ちされた原木「ホダ木」を椎茸が発生しやすい湿度・温度の場所に運んだりする作業だ。

【写真】斜面に原木が置いてある
駒打ちされた原木たち

適度に傾斜のある斜面でホダ木を運ぶ作業は、こころみ学園の園生にとっては、基本的な作業だという。

越知:原木運びは、自分のペースで、自分が好きな量だけ運べます。足の裏に伝わってくる斜面の状態に神経を集中させながら、木漏れ日がさし、虫や鳥の鳴き声が聴こえる環境で、身体を動かしてお腹を減らす。自分の体調を整えることにもつながっている気がします。

越知:ただ、私たち職員が無理やりさせようとしてもその日の気分で何もやらなかったり逃げてしまったりします。そんな時は「これをやるのは気持ちがいい」と自分で感じられるまで、根気よく働きかけることが大事だと思うんです。

斜面の作業や外の作業が苦手な人、斜面での作業が難しくなった人にも、選択肢が多くあるという。前述した通り、ココ・ファーム・ワイナリーに納品しているクラフト製品作りや洗濯、指先の訓練にもなる紙漉き用の紙ちぎりなどの作業だ。

葡萄の枝を切って、ワイナリーのカフェでつかう箸置きをつくっている

越知:年齢を重ねて、これまでできた作業が難しくなる園生もいます。そうなったときには無理になにかしなくてもいいと思っていました。ただ、やることがなくなった園生たちは喧嘩ばかりするようになったんです。

その中のひとりが、ある時私にポツリとこうつぶやきました。「なんで私はこんなになっちゃったんだろ」。これまではいろんなことができたのに、何もできなくなってしまった自分自身に腹を立てていたことに気づかされましたました。そんな彼女にどう答えればいいか悩みましたが「これまで一生懸命やってきて、いまは少しくたびれちゃっただけだから、ゆっくりやれることをやればいいんだよ」と伝えました。彼女は次第に自分が置かれている状況がわかっていったように思います。

「何もしなくていいよ」は、一見やさしい声かけのように見えるけれど

「何もしなくていいよ」と伝えることは、一見やさしい声かけのように見える。しかし、その声かけによって、本人が選択する機会までも奪っていないか。それに気づかせてくれたのは、ココ・ファーム・ワイナリーのワインづくりに参画していた醸造家ブルース・ガットラヴさんと園生のやりとりがある。ワイナリーの作業を担っていたある園生が、微熱でお休みすることになったときのことだ。

越知:当時は私もワイナリーを手伝っていて、「〇〇さんは微熱があるからお休みです」とブルースさんに伝えました。すると「それは大変なことなのか? 仕事を休むくらいのことなのか? 彼がいないと、この仕事が進まなくて困るんだ」と言われて。結局、ブルースさんが直接、休んでいた彼のもとに行って「大丈夫か?」と声をかけたんです。そしたら「大丈夫」と。じゃあ「瓶詰に来られるか?」とブルースさんが言うと「うん、行くよ」と言って仕事をして、夕方には微熱も下がっていて。

私としては微熱のある人を働かせてはいけないというきもちがあって、そこに何の疑いもなかった。でもブルースさんは、彼を本気であてにしていた。本当に必要としていた。私も園生たちが必要だと思っていたけれど、「あなたは微熱で仕事を休むのか?」そうブルースさんに聞かれ「自分は休まない」と思わず答えた私の必要は、半端だったと思い知らされました。誰かから本気であてにされることで、いきいきすること、伸びることもあるはずなのに、どこか「ここまででいいだろう」と思っている部分があったんです。そんな風に私たちが園生たちを「障害者」にしてしまっているかもしれないと思いました。

【写真】ふたりで協力して瓶詰めの作業をしている園生
ワインの瓶詰め作業をしている園生

さいきん誰かを本気であてにしたこと、あるいはされたことってあるだろうか。相手が断りにくい状況で頼んだり、無理に何かをやるのは避けたいけれど、そのまなざしを他者から感じることで自分がいきいきと働ける場合もあるのだ。

暮らしの場は、生じることが多くある

働く選択肢が多いこころみ学園。しかし越知さんは「事前に計画を立てて用意できてきた訳ではない」と語る。

越知:こころみ学園は、園生たちにとって働く場でもありますが、暮らしの場でもあります。暮らしていくには洗濯が必要だし、葡萄を栽培するには葡萄畑の草刈りが必要だし、ワインにすればそこに新たな作業が発生する。地場産業として椎茸栽培が行われていたので学園でも始めたり、職員のパートナーが内職仕事をしていたから、それも試しにやってみたり。ここが暮らしの場であることで、さらに生じてくる作業が多くある。その中から自分が役に立つこと、役割を見つけていけると思っています。

というかね、園生たちは仕事をちゃんと選んでいますよ。それって実はすごいことですよね。

越知さんの話を聞き、敷地内を案内してもらいながら、自分が捉えていた「働く」の範囲が狭かったことに気づく。暮らしていく上で、生じることが多くある。それらをやることも大切な「働く」であり、自分がいきいきとできるかもしれない選択肢たち。これまで通り過ぎてしまっていた。

複数の選択肢があったとして、その中のものはやりたくない、相性が悪いという場合もあるだろう。こころみ学園でもそういうことはないのだろうか。

越知:作業があまり好きではない人もいます。ひたすら水をまくのが好きな人がいたり、生年月日を伝えると正確に教えてくれる人がいたり。そういった特徴を知って、紐付きそうな作業を提案してみても、興味を持たないこともあります。

でも、その人がやっていて楽しいと思えるものは何か、それを追っかけ続けるのも私たちの仕事です。「自分がこれをやる」を園生が見つけられるといいなと思っています。

ああ、そうか。もし現状自分が見つけられている「働く」選択肢の中で、しっくり来るものがなかったとしても、自分に「価値がない」と結びつけるものではないんだ、と感じた。「働けない自分はだめだ」と思い込んでいた過去のわたしにはゆっくり休む時間が必要だったし、「これをやる」をまだ見つけられていなかっただけ。それは自分が置かれた/置かれてしまっている状況や環境の話でもある。

そして冒頭の問いに戻る。そもそも「働く」って、なんのために必要なのだろう。越知さんのお話を聴いて思ったのは、必要か必要じゃないかではなく、誰しも働く権利や選択肢をもっているはずだということだ。

「何かを成し遂げた達成感や喜びを味わう手段のひとつとして、『働くこと』を大切に」
「『仕事』を通じて地域や社会と結びつき、『人々にとってなくてはならない存在』に」

こころみ学園は、園生たちが働く機会を通して得られるものを尊重し続けてきた場所と言えるのかもしれない。誰かから本気であてにされて応えること、役割を持ちいきいきと過ごすこと、自分にとっての気持ちよさを見つけること、それらを得る手段のひとつとして「働く」は「役に立つ」。そのように用いられたときに「働く」が本来の力を発揮できていると言えるのだろう。

【写真】敷地にあるお墓。「ここでくらし働いた人のたちの墓」と彫ってある
先代の川田昇さんをはじめ、60名の園生たちがお墓に入っている

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