福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】カウンター内でビールを注ぐいわたまいさん【写真】カウンター内でビールを注ぐいわたまいさん

誰かの小さな変化に気づくこと。「イワタヤスタンド 」岩田舞さんのまなざし 福祉のしごとにん ― 働く人のまなざし・創造性をたずねて vol.12

  1. トップ
  2. 福祉のしごとにん ― 働く人のまなざし・創造性をたずねて
  3. 誰かの小さな変化に気づくこと。「イワタヤスタンド 」岩田舞さんのまなざし

「髪型が変わったね」「なにかいいことあった?」

そんな風に声をかけてもらったとき、なんだかくすぐったいように感じながらも、嬉しいと思う。変化に気づいてもらえるということは、相手が自分を見ていてくれると感じるからだろうか。一方で、「顔色悪いね」などと言われたときは、思い当たる節がなくても妙に気になってソワソワしてしまうこともある。特にネガティブな変化を伝えられることは、前向きな変化に比べ、影響力が大きく感じるようだ。日々の生活のなかで、私のささやかな変化に気づいてくれる人は、一体どれぐらいいるのだろう。

東京都墨田区にある酒屋「岩田屋商店」と併設された角打ち「イワタヤスタンド」。「日本で一番安心できる酒屋さん」を掲げるこの場所をたずねたときに印象的だったことのひとつは、店を切り盛りする岩田謙一さんも舞さんもお客さんの変化によく気がつくと話していたことだった。

「過ごしている様子やコミュニケーションの中で自然と相手のことを知って、いつもと違うとどうしたんだろうと気にかかる」と二人は口を揃える。それはそうしようと意識しているのではなく、以前福祉の仕事をするなかで、自然と染み付いてしまったものなのだ、とも。だからといって二人は声をかけることへは慎重だ。お客さんを気にかけはするけれど、踏み込みはしない、そのあり方が安心できる場を育むことへとつながっているように感じた。

[安心できる場所はどう育まれる? 社会福祉士がいる角打ち「イワタヤスタンド」をたずねて]こちら

イワタヤスタンドの店主を務める舞さんは、酒屋の世界に飛び込む以前、福祉の仕事に15年間携わっていた。どんな仕事をし、どのように人と向き合ってきたのだろう。「誰かの変化に気づいてしまう」と話す舞さんのまなざしがどう育まれたのか知りたくて、お話を伺った。

誰かのしあわせのために働きたい

舞さんにとって、福祉は幼い頃からそばにあるものだった。それは、お父さんが特別支援学校の先生をしていたからだ。お父さんの仕事柄、障害のある人の存在を身近に感じていたという。

父は家では無口な人だったのですが、学校で撮った遠足の集合写真を見ると、すごくにこにこ笑っていて。こんなに笑うの!?と印象的だったのを覚えています。そんなお父さんの仕事ってなんだろうというところから興味が湧きました。

折しも、舞さんが通っていた小学校では、特別支援学校の子どもたちとの交流があった。特別支援学校でのボランティアの声がけがあると、積極的に手をあげて参加していたそう。

障害のある子どもたちが使う車椅子を押したり、みんなでダンスをしたりしていました。私がなにかすることで、一緒に過ごす子どもたちが笑ったり、反応したりしてくれるのがすごく嬉しくて、楽しかったんです。

【写真】インタビューに答えるまいさん
岩田舞さん

それから少しずつ、障害のある人や社会的に立場の弱い人たちに対しての支援に興味を持つようになった舞さんは、大学も自身の興味に従って社会福祉学科を選んだ。

自分って何が好きなんだろうと考えたときに、誰かのために何かをして、その人が喜んでくれたり、しあわせになったり、そういうことが直接的にできる仕事をしたいという思いがあることに気づきました。子どもも好きだったので、保育士になる夢を持っていたのですが、もう少し広い意味で福祉というものを見てみたいと思って、社会福祉学科を選びました。

高校生の時点で、「福祉」という言葉のイメージを捉えていたことに驚くが、舞さんにとっては自然なことだったようだ。「誰かのしあわせのために尽くす、人の助けになることが福祉の仕事で、自分の知識を深める場所が社会福祉学科だと感じた」と明解に答えてくれた。

価値観のベースになる恩師との出会い

そういった自身の実感から進学先を選び、明治学院大学の社会福祉学科に入学した舞さん。1、2年次は6時前に起床してに埼玉県の自宅から神奈川県の戸塚にあるキャンパスまで片道2時間の道のりを通っていた。

大学で学ぶうちに舞さんの関心は、当初の夢だった保育の仕事から、生活が困窮した状態にある人やホームレス状態にある人の支援へと移っていく。

きっかけは大学4年生のとき、公的扶助論を専門にする、新保美香先生のゼミで学びはじめたこと。「公的扶助」とは社会保障制度のひとつで、日々の生活を営むことが困難になったときに、国がその責任において生活を保障し、自立を助けようとする制度のことだ。

福祉には、高齢福祉、児童福祉、障害福祉など、さまざまな分野があるのですが、公的扶助は全体に関わっている分野なんです。貧困状態にある人の中には、高齢者も、若者も、障害のある人もいる。幅広い分野に関わりながら学ぶことができるのが面白いなと思って、新保先生のゼミに入りました。

【写真】カウンターでお酒を注ぐまいさん、料理をつくるけんいちさん

ちなみに舞さんのパートナーである謙一さんも、同じゼミで学んだ仲間。新保先生の教えは、二人にとって価値観のベースになっていると話す。

新保先生は、人のできないことや課題ばかりではなく、能力や長所に目を向けて、そこを伸ばしていく支援の大切さを教えてくれました。違いはあれど、どんな人にも強みや良さはあって、みな平等に権利を持って暮らしているんだという考え方を学びました。そうした彼女のベースにある思想が、授業の中のあらゆる場面で出てくるんですよ。

老若男女あらゆる人に尊厳があって、人権があって、そこに何も違いはない、そういった先生の教えが、今の私たちの生きる価値観や福祉観のベースになっています。

更生施設で働いて感じた、人を信じること

大学4年生のときには、社会福祉士の資格を取るために、生活保護の更生施設で1ヶ月間実習へ行くことになった。更生施設とは、さまざまな事情で居所を失った人たちが一時的に入所し、生活の立て直しを行う施設だ。居所を失う原因の解決のために、医療や就労などの支援を受け、その人にあった自立の準備をする。

私が働きかけることで、相手が良い方へ変化していく姿を目の当たりにできる場所でした。実習期間中、利用者や支援者の人たちと対話したり、一緒になって何かをすることがとても楽しかったです。この仕事に魅力を感じて、このままここで働きたいなと思いました。

卒業後は、実習先だった法人に就職した舞さん。働く中できっと、シビアな状況にあったり、自身の経験とはかけ離れた背景を持ったりしている人とも出会ったはずだ。どのように折り合いをつけてきたのだろう。

本当にいろんな人がいて、立派な仕事をしてきた人、家族との関係がうまくいかずに居場所を失った人、犯罪をした人もいました。怖い思いをしたこともあります。

でもやっぱり、私たちが彼らを信じて支援することがとても大切だと感じました。彼らもどうにか状況を変えたいと思って施設に来ているので、そこは私たちも一緒に、彼らの思いに乗っかって、伴走したい。そういう思いを忘れずにいることで、お互い良い信頼関係のもとで、相手を信じて支援をすることができると思ってきました。

例えば罪を犯して刑務所に何年も入っていたという背景があったとしても、その人は過去の自分と向き合いながら反省を重ね、今は前を向いている。「その思いを理解してほしいから、この施設に来てるんだ」ということを忘れないようにしながら、仕事に向き合ってきたという。

「信じる」とは、言葉にすること以上に、それを振る舞いとして目の前にいる人にしていくことは、難しいこともあるだろう。そう投げかけると、舞さんはうなづいた。

「やります」と言ってるのにやらないとか、お金を持って逃げてしまったとか、信じて裏切られることもあります。なんでだろうと虚しくなったり、悲しくなったりすることももちろんありました。でも、なにかをした事実だけでその人を判断せず「なんでそういう行動をとってしまったのだろう」と考え、自分の土台にある価値観や気持ちは忘れずに、フラットな気持ちに戻すように努力していました。

気持ちをフラットに戻そうとするとき、社会人になってから受ける研修にも助けられたそう。特に大学時代から教えを受けていた新保先生の研修を受けると、初心に立ち返ることができたと話す。

私は指導員で相手は利用者という立場でいると、対等な関係性がいるはずのものが少しずつずれてきたり、こちら側が「支援」しているつもりが「指導」になってしまったり、私が持っている答えに相手を持っていこうとしてしまっているときがありました。そんなとき研修を受けると、大学を卒業して強い思いを持って仕事を始めた頃に戻れるような感覚がありました。

通常、更生施設の滞在は1〜2年程度。経済的に自立して、ひとりで暮らせるようになる人もいれば、他の施設で自分の居場所をみつけて出ていく場合もある。自立の場面に立ち会えることは、舞さんのやりがいにつながっていたそう。そうした大きな変化はもしかしたら、小さな変化の積み重ねなのかもしれない。

例えばわからなかった漢字が書けるようになったとか、同じ毎日の繰り返しの中で、小さな成果を積み上げていったことが最終的に自立につながっていく。そうした小さな変化も、仕事が決まったとか、初めてのお給料をもらったという大きな変化も、一緒に喜んできました。

福祉の仕事から酒屋の世界へ、そして保護司として

大学卒業後から15年間、舞さんは同じ福祉法人で働いてきた。最後の3年間は特別区に派遣され、都内に複数箇所ある更生施設の入所の受付や調整をしたり、家族や女性が入所する緊急の施設の入所を調整したり、急ぎの依頼にも対応しながら、忙しく働いていた。

岩田屋商店をパートナーの謙一さんとともに継ぐことにした2022年は、派遣先から元の法人へ戻るタイミングだった。やりがいを感じていた福祉の仕事を離れて、酒屋で働くことにしたのはなぜだろうか。

簡単に言えば、夫ひとりのチカラだけでは仕事がいっぱいいっぱいになってしまったからです。営業しながら店の建替え計画などで夫は体調を崩してうつ病になってしまいました。福祉の仕事も大好きで続けたい気持ちもありましたが、今目の前にある岩田屋という店を、夫と一緒に守っていこうと決めました。

派遣先で得た経験や知見をお世話になった元の法人に還元したいと思いながらも、目の前の家族が直面している課題は大きく、仕事を辞めてでも私が支えなければと思ったと話す舞さん。それから夫婦二人三脚で建て替えと開店の準備を進めた。

現在の岩田屋の盛り上がりは、訪問記にも記したとおりだ。大人も子どもも、お酒が飲める人も飲めない人も、さまざまな人にとって安心できる場所として、地域に愛されている。

【写真】テーブルにお好み焼きとグラスが置いてある
舞さんがつくる温かい手料理を食べられるのも人気の秘訣。イワタ焼き(500円)とイワタヤボウル(300円)

また岩田屋の仕事の傍ら、舞さんは保護司としても活動を始めた。当初は民生委員と児童委員をやっている謙一さんのところに委嘱の相談がきたというが、ちょうど福祉の現場を離れて寂しさを感じていた舞さんにとっては渡りに船。喜んで引き受けたそう。

保護司の仕事は、犯罪や非行をした人が再び犯罪をすることなく安心して暮らしていくために、地域の中でフォローしていく民間のボランティアです。出所後の住環境の調整をしたり、保護観察中の方に対しては、生活状況の確認として定期的に面接をしています。さまざまな課題があるからこそ犯罪に至ってしまったという背景があって、今なお課題があるならばその課題の解決をお手伝いしています。

私にとっては以前の福祉の仕事とリンクする部分も多くて、経験が活かせるのが楽しいですし、更生施設での支援のように、良い方向へ変わっていく場面に立ち会えるのが嬉しく、やりがいのある活動ですね。

「変化を見ることができるのが嬉しい」と舞さんは度々口にする。イワタヤスタンドに立っていても、お客さんの変化に気づくと話していた舞さん。それは、これまでたくさんの人たちの変化に立ち会い、小さな変化にも気づこうと向き合ってきたからなのだろう。

人の変化に立ち会う中で、自分自身も感情を揺さぶられてしまうことはあるのだろうか。それとも、そこは切り分けているのだろうか。

私はあくまでフラットというか、そこは切り離すようにしています。もちろん、一緒に喜ぶときは喜ぶし、怒るときは怒る。だけど、変化していくのはあくまで相手で、私たちはそれを手助けしている、というスタンスです。福祉の仕事って、良い意味でも悪い意味でも心が動かされる仕事なので、自分のメンタルの管理も大事なんですよね。だからあまり振り回されたり、自分の考えがブレないようにするのが、福祉の専門職の基本的なスタンスなんです。

二人の価値観のベースになっていると話す大学時代の恩師、新保先生は、今でも月に1、2回、イワタヤスタンドに飲みに訪れるそうだ。先生がつながりのある福祉の関係者を連れてきてくれることもあるのだとか。二人が酒屋と角打ちを営みながら、福祉の感覚を手放さないでいるのは、そんなご縁もあるからかもしれない。

福祉の現場から離れても、価値観や考え方は忘れたくないですし、いつまでも福祉を好きでいたいから、先生が来てくれて、色んな人とのつながりをつくってくれるのはすごく嬉しいんです。学校や職場で学んだ知識は忘れてしまうこともあるけれど、いちばん大事な価値観や考え方は常に磨いていけたらいいなと思っています。

誰かの変化を見られることが嬉しいと話す舞さん。変化を喜びながらも、自分と相手との間に境界があることを忘れないでいるように感じた。

境界をひくということは、決して冷たい行為ではない。自分の気持ちと相手の気持ちを混同せずに切り分けて考えることは、自分も相手も尊重することにつながっているはずだ。同じ権利を持つひとりとして、その人の持つ可能性や力を信じているからこそ、境界をひくことができているのではないだろうか。

イワタヤスタンドをたずねたとき、「誰にでも開かれた場」として運営されている酒屋が、酒屋でありながら一つの公共の場のように感じた。

しかもその場所は、お客さんが主体的に関わることを大切にしている。福祉の現場で育まれたまなざしや他者との関わり方があるからこそ、お店に関わる人たち一人ひとりの可能性を信じながら、一緒にしあわせをつくる場を開くことができているのかもしれない。

訪問記:安心できる場所はどう育まれる? 社会福祉士がいる角打ち「イワタヤスタンド」をたずねてはこちら


Series

連載:福祉のしごとにん ― 働く人のまなざし・創造性をたずねて