福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】犀の角の中の様子【写真】犀の角の中の様子

「何気ない自由」が尊重し合える社会をつくるには? 長野県上田市にある文化施設「犀の角」をたずねて アトリエにおじゃまします vol.10

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子どもが生まれてから、自分が好きなように使える時間が制限されるようになった。子どもが出かけている間、もしくは寝ている間にしか、仕事ができない。好きな時間に本を読んだり、映画を見たりがなかなかできない。そういう意味では自由がなくなった、とも言えるのだろう。

一方で子どもが生まれてからできるようになったこともある。畑や海や川、自然の中で過ごす時間が増えた。散歩を楽しめるようになった。就寝時間が早くなった。子どもや教育に関心が湧くようになった。

もし自由ということが「何かから解放された状態」を指すのだとしたら、子どもといることは確実に私の心の窓を開いてくれた。自分の選択肢が広がること、自分のこととして何が大切かを感じられるようになること。もしそれを自由と呼ぶのなら、例え自分のために使える時間が減ったとしても、私は決して不自由になったというわけではないと思う。

こうしたひとりひとりの「自由」を、お互いに大切にしながら共にいる場や社会をつくるために、私たちは何ができるのだろう。そんな問いを抱えながら今回たずねたのは、長野県上田市にある文化施設「犀の角」だ。

【写真】犀の角の外観、入り口の前の道にはベンチや椅子が置いてある

劇場設備とカフェ、そしてゲストハウスを併せ持ったこの施設は、演劇や音楽などを鑑賞しながら、地域の人とアーティストやバックパッカーが相互に交流することができる場として2016年にオープンした。

コンセプトは「変な人でも住みやすい街に」。様々な価値観や趣味、身体的特徴を持った人たちが居ることができる場所として存在し、そうした「変な人」が交流することで街が元気になることを願って活動している。

現在、劇場、カフェ、ゲストハウスの3つの柱に加えて、子どもや若者たちの部活動の拠点として活用されているほか、女性が困った時に泊まれる部屋としても開放されている。

【写真】犀の角の内観、座り心地の良さそうな椅子が二脚おいてある

そんな多層的な場作りを行う犀の角を今回訪れたのは、「何気ない自由や権利を尊重していける社会や人、関係づくりを行う」ことを掲げる、NPO法人リベルテをたずねたことがきっかけだった。リベルテが行っている「街歩き」に参加し、拠点であるアトリエを覗き、リベルテが大切にしている「何気ない自由や権利」とは何か、お互いの自由を尊重するためにどんなことを心がけているか、お話をうかがった。

その時に、リベルテにおいて自由を保障する上でひとつのポイントになっていたのが、外部の視点で関わる人の存在。「固定化しがちな関係性をずらす人」として、福祉事業の「支援員」ではない形のスタッフに積極的に関わってもらっていることが、リベルテの風通しの良さの秘訣なのかもしれないと感じた。そういったスタッフとして度々名前があがっていたのが、犀の角のスタッフ・伊藤茶色さんだ。

犀の角とリベルテを行き来する、という一風変わった働き方をしている伊藤さんは、どんなきっかけでリベルテに関わることになり、リベルテにどのように身をおいているのだろう。そして、不特定多数のさまざまな人が関わる場を開く犀の角は、スタッフやそこを訪れる人の「何気ない自由や権利」を尊重するために何を大切にしているのだろう。

価値観がひっくり返った、犀の角スタッフがリベルテに関わって感じたこと

犀の角のカフェスペースで出会った伊藤さんは、小さなお子さんと一緒だった。まだ人見知りをしないご機嫌なお子さんを膝に抱えながら、お話を聞かせてくれる。

2023年秋から産休中という伊藤さん

伊藤さんは上田市の出身。中学生の頃から劇場で働くことを志し、高校を卒業した後、東京の舞台照明の専門学校で学ぶ。そのまま東京で就職する、という選択肢もあったが、自分で場をつくりたいという思いから、上田に戻って先輩と一緒に劇団を立ち上げた。その後、犀の角代表の荒井洋文さんの声がけで、犀の角の立ち上げから劇場スタッフとして関わり始める。

犀の角で文化事業の企画や舞台技術に関わるスタッフとして勤め、演劇人として歩みを進めてきた伊藤さん。リベルテに関わり始めたのは、新型コロナの流行がきっかけだった。

伊藤茶色さん(以下、伊藤):コロナ禍で、犀の角の仕事がなくなってしまったんです。劇場も、飲食も、宿泊も自粛、となると、犀の角の事業全てを完全停止するみたいな状態になって。

自分の仕事をどうしていこうという時に、「リベルテで送迎のアルバイト募集してるよ」というのを聞いて、こっちに仕事がなくても向こうにあるじゃないか!って。「私にできることありますか」とメッセージを送って、送迎のバイトを始めることになりました。

これまでにも、リベルテと犀の角は、リベルテのメンバーが犀の角でカフェを営業する「リベルテの角」で協働するなど、つながりがあった。しかし面識がある程度で、伊藤さん自身も送迎のバイトをする中で、関わりが育まれていったという。

伊藤:メンバーさんを家へ送る前に、30分ぐらい施設の中で待っている時間があるんです。部屋の中をふらふらしながら、メンバーさんに「それ何作ってるんですか」って話しかけたり、「何それかわいい!」っておしゃべりしたりしていました。みんななんとなく、「犀の角の茶色さん」「演劇の人」ということは知っていて。スタッフではないんだけど、外部の人として関係性が生まれていったんですよね。

自然体でメンバーとの関係を育む伊藤さんの振る舞いを見ていたリベルテ代表の武捨さんは、送迎だけではなく、アトリエ活動に携わるスタッフとして入ってほしいと犀の角代表の荒井さんへ直談判する。

伊藤:荒井さんから「こんな話、来てるよ」と言われて。「福祉やケアのこと何も知らないですけど、いていいんですか」と武捨さんに聞いたら「それがいいんです」と言ってもらいました。

リベルテに行って、メンバーさんとおしゃべりしてご飯を食べたり、お茶を注いだり。私は舞台のスタッフだから、ケアのスタッフにはなりきれていないと思うのですが、そのままでいます。

それから週に合計8時間ほど、産休に入るまで伊藤さんは犀の角からの「派遣」という形でリベルテに関わっていた。リベルテで過ごす時間が増える中で、外から見ていたときと印象は変わったのだろうか。

伊藤:変わらない部分としては、メンバーとスタッフの違いがよくわからないということですね。例えば送迎のバイトをしているときに、ガソリンの精算用のレシートを誰に渡せばいいのかわからないんですよ。この人はスタッフ?と思っていたら、あ、メンバーさんだった、ということが起きるので。ケアする・されるという関係性がよくわからなくて、みんなリベルテに出入りしている人だね、って感覚なんです。

「メンバーとスタッフの垣根がない」これは、取材チームもリベルテで1日過ごしてみて感じたことだった。最初から最後まで誰がメンバーで誰がスタッフか曖昧なまま、一人ひとりに出会ったという印象が強く残っている。そのことを伊藤さんにお伝えすると、「長い間いても、それはずっとそんな感じです」とリベルテの方々とのエピソードを振り返った。

伊藤:最越あるとさんとはいつも、仏教の空の話や、リベルテをどう言語化するのかという話ばかりしていましたね。

Yさんは、お昼休みにオラクルカードをしてくれるんです。カードを引くと、そのカードに出た言葉が載っている冊子のページを渡してくれるんですけど。そのたびに、今の働き方してたらだめだなとか、ちょっとやり方を変えていこう、とか何度も何度も勇気づけられましたね。

あとはMarikoさんが、子どもが生まれてくることを「すごく楽しみにしているよ」って私のお腹をさすってくれて。上に物を上げられない、というときには、原山さんがすっと手を差し伸べてくれましたね。

ジョニーさんが歌を歌ってくれることもすごく嬉しいし。このダジャレ今日僕考えてきたんですよ、って解説してくれる宮本夏輝さんがいて。そういうことにひとつひとつ潤いを感じていました。

バラバラなようで、なんとなくみんなが誰かのことを気にかけていたり、助けてくれたりする。私はそこにいて、全然ケアらしくないケアを、というよりケアになっているのかもわからない。むしろケアされてるような感覚でいました。

伊藤さんは産休直前の自分の状態を「リベルテに半分めり込んでいる」と表現する。「片足めり込んでいる」の状態から、だんだん重心が移っていったのだとか。リベルテは伊藤さんにとってどんな場ですか、と問いかけると、「すごく大事なんですよね、キーになっているというか」と言葉を噛みしめる。

伊藤:実は私の母親も統合失調症で、私はヤングケアラーのような形で家族と関わってきたんです。母親の特性がかなり強くて、家の中が荒れていくことがずっと許せなかったんです。でもリベルテに関わって、全部ひっくり返ったんですよ。

ある時送迎をしていて、助手席に座ったメンバーさんのとある一面を「好きだな」と思ったそう。でもそれは、お母さんにも似たような一面があることに気づいたという。

伊藤:そのときに、母はあのままでよかったんだなって思えたんです。取り繕うことや、無理やり味付けることをしなくても、そのままいて表現になる。そんなメンバーさんたちとの出会いを通して、自分は自分のままでいいし、母はあのままでよかったんだなということに、気づかせてもらいました。

舞台の照明スタッフでもある伊藤さんは、光を使って、場面を劇的に演出したり、見せ場を作ったりすることも多い。でもリベルテに関わる中で、特別な味付けをしないことの大切さを知った。「余計なことをしないことが大事、それが回り回ってケアになってるのかもしれないですね」。

何もしなくてもOKな子どもたちの部活動「うえだイロイロ倶楽部」

伊藤さんがリベルテに関わり始めたのはコロナ禍がきっかけだったが、それは折しも「のきした」が立ち上がるタイミングでもあった。

「のきした」は、コロナ禍による社会状況の変化をきっかけに、「社会に吹き荒れる雨風をしのげる場を街中につくろう」と、犀の角、リベルテ、上田映劇、NPO法人場作りネットらが一緒になって立ち上げたプロジェクトだ。

困りごとを抱えた女性や母子が1泊500円で犀の角に宿泊できる「やどかりハウス」や、誰でも温かいご飯を食べて一緒に居られる「おふるまい」などもそうした活動から生まれた。犀の角を拠点にした子どもたちの居場所事業「うえだイロイロ倶楽部」も、そのひとつ。

事業が始まる2021年4月の2ヶ月ほど前に「犀の角」にやってきたのが、スタッフの村上梓さんだ。東京で舞台に携わる仕事をしていたが、あるときから次第に、都市部ではない場所で舞台に携わる仕事がしたい、と思うようになった村上さん。長野県内を見て回っているうちに、犀の角に出会った。現在は犀の角の劇場スタッフとして働きながら、「うえだイロイロ倶楽部」の事務局も務めている。

村上梓さん(以下、村上さん):「うえだイロイロ倶楽部」は子どもや若者たちが地域の大人たちと出会いながら、やりたいことを自分で発見して、文化芸術活動に取り組める場を作る活動です。これまで月に2回程度、犀の角を拠点に開催してきました。地域に暮らす6〜18歳が参加することができます。

村上梓さん。「山が好きで、山のそばに住みたい」という理由から、登山で訪れたことがあった長野県で仕事を探したそう

この活動のポイントは、自身の「やってみたい」という意思に基づいて部活を作り出すこと。地域の大人がボランティアに入るが、先生はおらず、活動は対話を通して行われる。毎年30〜40人ほどが参加し、これまでに「ダンボール部」や「街中探検部」などのユニークな活動が生まれてきた。

伊藤:障害の有無も国籍も全く垣根なく募集しているので、本当に様々な特性を持つ子たちが来てくれています。でも私たちは特に特性については聞かないですね。最初に「何か気になることがあったら書いてください」と保護者にアンケートを渡していて、学校の先生や病院の先生から言われたことをたくさん書いてくれる方もいるんですが、さらっと目を通すくらいにしています。

ただ活動の中で「〇〇さんはこういうめちゃいいところがあったんですよ」みたいな話を保護者の方にすることはありますね。「準備ができない」ということを書かれている子がいたんですけど、「自分のやりたいことについては一生懸命準備してましたよ」とか。

うえだイロイロ倶楽部では、子どもたちの自発性を大切にしているとあるが、例えばワークショップなどの場で、「自発性を大切に」と謳いながらも、実際には何かをやらされてしまう場面に遭遇することも少なくない。また一方で、「やりたいことをやっていい」と言われてもそわそわしてしまう子どももいるだろう。どうやって子どもたちの自発性を軸に活動を作っていくのだろう。

伊藤:全然関係ないことをやってみて、やりたいことが見えてくる子もいるし、誰かのやりたいことに乗っかるという子もいる。または、やりたいことがないから「お手伝い部」で私のDMの封入作業を手伝ってもらうこともあります。その中で話しているうちに、こういうことに興味がある、じゃあこういうことやってみようかみたいなことが見えてくることもありますね。

みんながみんな主張して何かやらなきゃいけないわけじゃなくて、何もしたくなかったら何もしないまんま。何もしたくないってことがやりたいことなんだからいいじゃん、そのまんまいれば、っていう感じですね。

「何もしない」が許容されているということに、ホッとする。自分でやるかやらないかを決める「何気ない自由や権利」が尊重されていると感じた。

もちろん、最初からやりたい部活があって参加している子どももいる。しかし、30〜40人という学校の一クラスの定員いっぱいの人数。集まると当然相性の善し悪しもあるに違いない。

伊藤:あえて対立を避けて住み分けるようなことはしていないです。自分の得意な人と得意じゃない人というのは、肌感で感じてみたらいいと思うんです。ぶつかったことで気づくこともあるので、できるだけギリギリまで見守ります。「ケンカもオッケーにしています」ということは、最初の保護者への説明会で伝えています。

リベルテを訪れたときにも、「メンバーが誰かとぶつかり合うことや悲しい思いをすることを、無理になかったことにしないようにしている」という言葉があったことを思い出す。その人の経験を奪わないことが、「何気ない自由」を尊重することにつながるのだと、リベルテで感じたことが、犀の角でも大切にされているようだ。

障害のある人もそうだが、車がなければ移動できない土地柄、親の動きによって子どもの動きが制限されてしまい、子どもが閉塞感を感じている場合もあると伊藤さんは続ける。

伊藤:私が子どもの頃は友達と山の中に秘密基地を作って遊んでいました。でも今は子どもたちの声がうるさいからと言って遊び場が奪われてしまうような状況がある。だから私たちとしては、この場をどう開いていくかということは大事にしていますね。

寄り添いすぎずに、自分自身の自由や権利を主張する

「でもこの場を開放しすぎると崩壊してしまうのでバランスが大事です」。伊藤さんはそう付け加えた。開放しすぎない、というところにも自由を尊重するための、大切なポイントが含まれているように感じる。

伊藤:「のきした」をやりながら気づいたことなんですよね。「やどかりハウス」や「おふるまい」などで、いろんな悩み事を抱える人たちが訪れるようになった。でも寄り添いすぎると、本来の犀の角の役割が見えなくなってしまうから、常日頃からバランスを考えていますね。

村上:「やどかりハウス」のメンバーが犀の角に滞在していて、その人たちと話す時間ももちろんあるのですが、自分に余裕がなくてちょっと今無理っていうときには、「今ちょっと話聞けないから、また今度ね」と伝えることもあります。傷つけてしまうこともあるかもしれませんが、その人の全てをここだけで受け入れられるわけではない、とわかってもらえる場合もあるかなと思っています。

犀の角は「やどかりハウス」として宿泊施設の一部を困りごとを抱えた人へ開放している。しかし、犀の角のスタッフは、ケアを専門とするスタッフではない。村上さんは、彼女たちがどのような問題を抱えているかも知らないという。

村上:私たちと彼女たちは、一対一の人間でしかない。ケアする・されるの関係ではないんです。もしかしたらただ休みに来ているだけかもしれないし、色々と問題を抱えているのかもしれない。でも私は余計なフィルターをかけたくないので、必要ではない情報は入れないようにしています。

「ここ(犀の角)のスタッフだからどんなときでも必ず話を聞いてください」となると今度は私がここに居られなくなる。だから線を引いています。

寄り添いすぎない、私は私としている。こうした伊藤さんや村上さんの態度は、相手のことだけではなく、自分自身の「何気ない自由や権利」を尊重しているのだと感じた。

東京以外の地域で舞台を仕事として続けたい、と犀の角にやってきた村上さんだが、のきしたが立ち上がるタイミングと重なり、文化事業と並行して、いつの間にかやどかりハウスやうえだイロイロ倶楽部など、福祉周りのことにも携わっている。犀の角にいて見える景色をこんな風に教えてくれた。

村上:犀の角の裏が歓楽街なんですけど、そこで勤めているお姉さんが「ちょっと休んでいいですか、充電器貸してください」ってやって来たりして。お金をもらわなくても、そこにいていいよ、としているんですよね。最初はこんなところが日本にあるんだ!しかもそれが劇場なんだ!って驚きがありました。他では見ることができない景色を見ることができていますね。今ではこういう場所が全国津々浦々にあったらいいなと思っています。

犀の角のお二人のインタビューを通して、誰かの「何気ない自由や権利を尊重する」その手前に、自分自身の「何気ない自由や権利」を自分で尊重することの大切さを感じた。困り事を抱えている人がいても、自分自身が無理なときは、「今は話を聞けない」と線を引く。それが自分自身を、ひいては相手も大切にすることにつながるはずだ。

また伊藤さんが、リベルテでメンバーさんと過ごした時間を振り返りながら、自らがケアされているようだった、と語っていたのも印象的だった。そこにはケアする・されるの一方通行な関係がない。

自発性から活動を作っていく「うえだイロイロ倶楽部」も、子どもたちを対象としながら、先生がいない、フラットな現場だ。お互いに耳を傾ける、双方向でフラットな場所にこそ、「何気ない自由や権利」が尊重される場を作るための土台があるのかもしれない。

(取材チームは次に、犀の角やリベルテと共に「のきした」を運営する「上田映劇」をたずねた。次回は「上田映劇」のインタビューをお届けする。/近日公開予定)


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