福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】映画館の受付に立ち、微笑んでいるなおいめぐみさん【写真】映画館の受付に立ち、微笑んでいるなおいめぐみさん

「何気ない自由」が尊重し合える社会をつくるには?長野県上田市にある映画館「上田映劇」をたずねて アトリエにおじゃまします vol.11

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疲れて帰ってきた日の夕方、夕飯を作るのが億劫でたまらない。だけど作らずにもいられない。すでにクタクタの自分を奮い立たせて、米を炊飯器にセットし、包丁を握り、野菜や肉を切り、汁物とメインと、できればもうひとつふたつ、おかずを作りたいと思っている。

誰に頼まれてもいない。むしろ夫は無理に作らなくてもいい、と言ってくれている。だけど私は妻で、母で、台所を任されている。作りながら私はいつも「帰りたい」と思っている。自宅にいるのにおかしなことだ。私は誰にも何も強制されないところへ「帰りたい」。

現代、女性は自由になった、と言われる。たしかに私には、参政権があるし、結婚相手も自分で選ぶことができたし、結婚をしていても仕事をすることができる。しかし、この不自由さはなんだろう。これは私個人の問題なのだろうか。それとも……?

ひとりひとりの「自由」を大切にしながら共にいる場や社会をつくるために、私たちには何ができるだろう。扉を開く鍵のように「問い」を携えてたずねたのは、長野県上田市にある映画館、上田映劇だ。

【写真】うえだえいげきの外観

上田映劇は、1917年に創業した老舗の映画館。一度は閉館を余儀なくされたが、存続を願う町の人達の働きかけによって、2017年に再起動した。

地域に愛される町の映画館でありながら、学校に行きにくい・行かない子どもたちの居場所として映画館を活用する事業「うえだ子どもシネマクラブ」の取り組みを行っている。

「自由」という言葉を手がかりに上田映劇を訪れたきっかけは、同じ上田市にある、障害のある人とともに表現と居場所づくりを行う「NPO法人リベルテ」だった。

NPO法人リベルテには「何気ない自由」という言葉がある。ここでいう自由とは、好きなペンを手に取って描く、今日の服装を選ぶ、そうした日常に根ざした自己決定のことを指している。リベルテは障害のある人とのアート活動を通して、「何気ない自由」を尊重する場や関係づくりを行ってきた。

続いて訪れた劇場兼ゲストハウス「犀の角」では、犀の角で働きながら、リベルテでも働くスタッフに話を聞きながら、場作りを行いながら自分自身の自由や権利をどのように主張しているかを伺った。

今回たずねた上田映劇は、リベルテや犀の角と一緒に、コロナ禍に生まれた地域のネットワーク「のきした」を支える団体の一つだ。「軒下で雨風をしのぐように、人々のつながりで助け合える場をつくりたい」と始まった本プロジェクトからは、困りごとを抱えた人が犀の角に1泊500円で宿泊できる「やどかりハウス」や、寄付で集まった食料の配布や炊き出しを行う「おふるまい」、子どもや若者へ居場所を提供するクラブ活動「うえだイロイロ倶楽部」などが生まれた。

のきしたに関わるメンバーの声を届ける「のきしたジャーナル」には、運営メンバーの寄稿のほか、「やどかりハウス」を利用する人の声や、「うえだ子どもシネマクラブ」に通う若者の詩なども掲載。毎号「家出」「手紙」「物語」などの特集テーマに沿った言葉が綴られている。

のきしたに関わる人達の表現の場である「のきしたジャーナル」の編集・デザインをしているのが、上田映劇のスタッフで「うえだ子どもシネマクラブ」の発起人、直井恵さん。

直井さんは、自身の活動を通して、どのように「何気ない自由」を尊重する場をつくっているのだろう。上田映劇をたずねた。

人生が自分のものだ、と感じられる場を

【写真】エントランの扉に、うえだえいげきと文字が描かれている
上田映劇の入り口

2020年度に始まった映画館を子どもの居場所として活用する事業「うえだ子どもシネマクラブ」は、「学校に行きづらい日は映画館へ」をキャッチコピーに、毎週水曜日と金曜日の開館中に子どもたちを受け入れている。

また月に2回映画館の休館日に、子どもたちに向けた無料の映画上映会を実施。上映会開催日には館内にコミュニティカフェをオープンし、映画を観ない子どもたちも過ごすことができるよう場作りを行っている。

別館トラゥム・ライゼの外観
【写真】受付にはポスターが多く貼ってある
トラゥム・ライゼの受付に立つ直井恵さん。上田映劇のスタッフであり「うえだ子どもシネマクラブ」の発起人

上田映劇から徒歩1分。別館「トラゥム・ライゼ」の受付の奥にある、事務スペースは、週に2日子どもたちが過ごす拠点だ。入口右手の壁には「お願いボード」がある。「うえだ子どもシネマクラブ」で子どもたちは、映画を見たり、お茶を飲んだり、思い思いに過ごすことができるが、ときにスタッフが声を掛けて、作業をお願いすることもある。

【写真】事務スペースにあるボード

直井恵さん(以下、直井):このボードは劇場のスタッフが考えてくれたんです。私もお願いしたいことはあるけれど、もしかしたらやってきた子どもはそういう気分じゃないかもしれない。どうお願いしたらいいだろうと思案していたときに、「ボードを作って、みんなが選べるようにしたらいいんじゃないか」と提案してくれました。

「お願いしたいこと」と書かれた文字の横にはマグネットが貼られ、ひとつひとつに「チラシを折る」「ポスターの張り替え」「トイレ掃除」などの仕事内容が書かれている。

直井:何をするかはその子に任せる、という仕組みだから、お願いしても断られることもあります。ポスターの張り替えをしてもらえるかな、と思って待っていても、やってきた子に「今日はちょっと疲れてるんで休みます」って言われたりね(笑)。

【写真】なおいさんが談笑している
事務スペース

笑いながら「でもね、そういうことも普段はできないじゃないですか」と直井さんは続ける。

直井:学校や担当の先生によってはトイレも好きなタイミングでは行けないと聞きます。子どもの頃は自由に遊んでいたのに、歳を重ねるごとに規制されることが増えて、自分の人生が自分のものではない、という感覚が根強くなってしまうように感じるんです。だからここでは、自分を取り戻す場を用意しておきたいと思っています。

またやってくるのは、学校に行きにくい・行かない子どもたちだけではない。仕事になかなか就けない、または仕事が長続きしなくて困っている20代の若者も就労支援の一環として訪れているそうだ。

直井:派遣切りにあって仕事を失い、住む場所を追われて「やどかりハウス」につながった若者も、常連で来ています。彼女たちの中には、夜の仕事をしている人もいて、個人的には構造的な搾取に対しては思うことはあります。でもここで共に過ごす時間は、映画を真ん中に、みんなで一緒に考えるのを大切にしたくて。

映画が良いのは、あらゆる話題があることなんですよね。映画を見ながら「これ、あなたの状況と似ているかもね」とふと誰かが言うこともありながら、ただただ話をしています。世代も置かれている状況も違うけれど、挨拶したり、声をかけあったり、中高生たちが出勤を見送ったりすることもあるんですよ。

作品を選ぶスタッフも、通っている子どもや若者のことをイメージしながら作品を選んでいるそう。作品を真ん中に置きながら、映画館で共に過ごす時間のことを直井さんは、「自分がどうしたら一歩進めるか、じっくり考える時間」と表現する。

直井:働きだしたり、学校に行き始めたり、そういう時がいつ来るかを、みんなでここで待っているような感じですね。待ちながらも、その時が来なくてもそれはそれでいいね、みたいな。

もちろん学校に行かないってことをずっと貫いている子もいます。子どもたちや若者を見ていると、親や先生に言われて、ではなく、「自分で選ぶ」ということができた時に、本当に自由になれるようです。

「ケアする人」ではなく「映画館の人」として

映画作品を真ん中に置きながらも、時に直井さんたちスタッフと通う子どもや若者たちは、家庭環境にまつわることなど、踏み込んだ話をすることもあると言う。気安さからか、親や先生にも言っていなかったようなことを打ち明けられることもあるそうだ。直井さんはどのように受け止めているのだろう。

直井:どこまで受け止めるかを悩むことはありますね。でも私は「映画館の人」という立場を自覚しつつ、私が個人として大切にしたいふるまいをすることでバランスが取れています。作品を映画館にかける、そして映画を観てもらうということをベースに、そこでできることをするようにしています。

直井さんたちは支援者ではなく、あくまでも映画館のスタッフだ。そこで働くひとりとして、子どもや若者と関わっている。それを象徴するような、こんなエピソードがある。

直井:やどかりハウスを通じて映画や音楽が大好きな若者とつながったんです。彼女は、よく映劇にきて、気の合うスタッフとサブカルにまつわるおしゃべりをしていました。

その彼女は、自身が落ち込んだり引きこもったりする話もしていくのですが、ある時ひどく落ち込み「死にたい」という話をそのスタッフにも延々しはじめたことがあり。でもそのスタッフは「僕はそんな話は聞きたくない」とはっきり伝えたそうで。

直後に彼女は「落ち込んだ」と言って私のところへやってきてその一部始終を話していきました。いわゆる「支援する/される」ではなく、人間同士の関係性だから、この人には少し頼りすぎてしまうとか、言い過ぎてしまったってときもありますよね。私は個人としての正直なやり取りが成立する、その関係性がいいなと思って見ていました。ちなみに、その彼女とスタッフはその後も普通にサブカル話も、日常の話もしあう仲として続いています。

自分でボーダーをひいて、困っている時には「困っている」と相手に伝える。自分自身を一方的にケアする人にしてしまわないこの在り方は、「犀の角」のインタビューで伺った、自分自身の「何気ない自由」を尊重する態度とも通じているように感じた。また、「気の合うスタッフ」とすれ違ってしまっても、直井さんや他のスタッフ、または「犀の角」へ話に行くなど、複数の人との関係性が育みやすい環境であることも、映劇という空間や街が安心な場であるためにきっと大切なことだ。

肩書きに関係なく、ひとりひとりの中には、現実を変えるパワーがある

「通う人がやることを自分で選べるようにする」「道を正すようなことはせず、映画を間に置いて話をする」。そうした直井さん自身の言葉の端々から、ひとりひとりの自由や権利を尊重する在り方が感じられる。直井さん自身はどのようなまなざしを持った「映画館の人」なのだろう。

直井:キャリアのスタートは、NGOのスタッフでした。子どもの頃にテレビの報道で目にした世界の貧困や格差の現状に衝撃を受けて、大学で国際開発と国際関係学を専攻したんです。

在学中からボランティアやインターンとしてNGOに関わり、卒業後は、フィリピンで活動する国際協力NGOで働いていた直井さん。NGOというのは「Non-governmental Organization」つまり「非政府組織」の略だが、政府ではない人たちが、なぜわざわざ外国に行って活動するのか、ということを常に自分に問うてきたと言う。

直井:問いに向き合う中で感じたのは、この状況を変えるのに、民間の団体だからこそできることがあるということです。大きな政府にだけ力があるのではなく、市民ひとりひとりに力がある、ということを真剣に考えてきました。

NGOで働いていた時代には、学校から総合学習の授業を委託され、国際理解教育のプログラムを教育委員会や学校の先生と作り上げたこともある。教科の授業ではない学びの可能性を感じてきたことも、現在「学校に行きづらい日は映画館へ」と呼びかける直井さんを支えている。

直井:授業に関わる中で、学びって多様だし、自分が学びの主体になることからしか学び得ないということを感じました。

国際理解教育のプログラムでは、「貧困をなくすには」というような大きなテーマを掲げながらも、個人だからできること、私が私だからできることがある、ということを、子どもたちと関わる中でずっと考えてきましたね。

ここで言う「個人だからできることがある」というのは、個人が抱えている課題を、全てその人の責任である、としてしまう自己責任論ではない。直井さんは社会にはびこる構造の暴力に目を向けながらも、「肩書きに関係なく、ひとりひとりの中には、現実を変えるパワーがある」と言葉に力を込める。

直井:シネマクラブに来る子たちも、最初から力がないとは思っていなくて、むしろパワーがある子どもたちだと信じています。

その中で、自分と社会の関係性や、自分は今どういう立ち位置にいるからこういう状況になっている、ということを把握できたときに、一歩前へ進めるんじゃないかなと思っています。自分が本当にやりたいことや本来の力を引き出せるような環境を作りたいんです。

見えていない手枷足枷を見るには

個人の持っている力が発揮できる環境をつくりたい、そんな思いから直井さんは、フェミニズムについて考えるZINE「re-seitou」の発行にも取り組んでいる。直井さんが感じていた、女性であることのままならなさやフェミニズムへの思いに共感した仲間と立ち上げたこのZINEは、1911年に平塚らいてうが発刊した文芸誌『青鞜(せいとう)』の現代版として2023年1月1日に発刊。創刊号には、ジェンダーや自身の経験にまつわる文章を、6人の書き手が綴った。

発刊にあたって、seitou編集室はこのように言葉を寄せる。

人や社会は不安と恐怖を煽られて、より攻撃性をますばかり。それならば、まずは自分自身の心を解放して、満たすことから始めたい。自分自身のために心を解き放てば、きっと見えない手枷足枷の正体が見えてくる。そうすれば、きっと私たちはもっと簡単に自由を手にすることができる(はず)。

解放されたい権威や制度にして、言葉にして表現し、自身を満たすことから始めようと呼びかける。

直井:平塚らいてうや伊藤野枝ら女性解放運動家の活動を知るうちに、現代にも通じる話だなと感じたんです。女性の解放をテーマにしながらも、女性に限らず、個人の解放が本当に大事だなと思っています。

【写真】違国日記をはじめ、さまざまな書籍が置いてある
上田映劇館内の本棚には、「フェミニズムにまつわる本」の選書も並ぶ

上田映劇では、seitou編集室とコラボレーションして、フェミニズム映画特集の上映やトークイベントを実施。犀の角でも演劇とのコラボレーション企画が行われた。直井さんは、ここでも映画を間に置きながら、伝えたいことを伝えることを試みていると言う。

直井:女性解放運動家はアナキストと称されることがありますが、アナキズムの理屈には「他者を否定するわけでもないし、他者の理屈を曲げたいわけではない。違うということを認めて、共存するかということを実験している」というようなことが書かれていて、とても共感しています。

私も対話を盛り上げたいという気持ちがあって、シネマクラブという看板を掲げながら、「自分は他者にはなりえない、その中でどうやって生きるか」ということをテーマに話ができたらいいなと思っています。

街の中に複数のセーフティーネットがあること

取材に訪れたこの日も、上田映劇は開館日だった。映画の上映時間の合間に、訪れる子どもたちや若者と会話をしている直井さん。会話をした後は一層明るい笑顔で「映画って本当に良いんですよね」と語る姿が印象的だった。

ちょうどこの日、高校生のときに「うえだ子どもシネマクラブ」に通っていた若者が上田映劇を訪れていた。高校を卒業して東京へ進学してからも、まとまった休みになると第二の故郷のように上田映劇を訪れているのだそう。

直井:映劇で手話通訳士という仕事に出会って、今は東京でアルバイトをしながら手話通訳士を目指しているんですよ。彼女は苦労をしてきたけれど、今自分でやりたいことを見つけて、人のつながりを生かしながら、自分の夢に向かって邁進しているんです。

【写真】事務スペースの扉が開けっぱなしになっている
子どもたちがやってくる受付へとつながる事務室の扉は、いつでも開かれている

5年目を迎えた「うえだ子どもシネマクラブ」が夢を見つける場になり、故郷のように訪れることができている。それは継続的に場を開いてきたからこそだろう。

直井:映画館や劇場の何がいいって、地域の場としてずっと開いていることなんですよね。スマホを充電したいとか、ご飯がない、お金がないとか、とりあえずここに来たらなんとかなる。ここにはお菓子なども置いてあるしね。困って駆け込める場所として、機能する。

街の文化拠点は、いざという時のセーフティーネットにもなっている。

直井:リベルテや犀の角など拠点が街にいくつかある中で、利用者もスタッフもそれぞれが行き来しているから、みんなで情報共有をしています。今日こんなことがあってちょっと大変そうでした、ということを伝えたり、相談ごとがあったら、ソーシャルワーカーのいるNPO法人場作りネットにつなげたり。それぞれ組織的には全然違う色があるんですが、そこに集う人たちは自由に行き来をしていますね。

リベルテ、犀の角、そして上田映劇。街中の各場所で信念を持ってそれぞれが異なる活動をしながら、つながりあう。その様子を直井さんは「お互いに片足で立ちながら手をつなぎ合っている」と表現する。絶妙なバランスで成り立つ各団体は、「何気ない自由」を大切にする在り方など、同じ価値観を共有しながら、個々に特色のある活動をしている。上田の街のその様子は、直井さんの言葉を借りると、「ひとりひとりには力がある」と思えているからこそ、生まれてきている状況のように感じた。

【写真】リベルテのグッズたち
上田映劇の館内では、リベルテのグッズやクッキーなども販売している

何かから自由を奪われてしまうように感じるとき、私たちを覆っているのは、無力感だろう。「シネマクラブに来る子どもたちには力があると信じている」と直井さんは言っていた。自分や相手の「何気ない自由」を尊重できる場や社会をつくるために必要なのは、自分の中にも相手の中に力があると信じることではないか。そして力があると信じるためには、自分自身を解放して満たすことから始めればいいのかもしれない。


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