美術館からどう社会をほぐす? アート・コミュニケータ「とびラー」が生み出す“対話”の場 こここレポート vol.06
家庭、会社、学校など、私たちは時と場所、そして他者との関係性に応じて、さまざまな役割のなかでコミュニケーションをとっている。
「家族として」「社員として」「クラスメイトとして」……私たちを力づけることも、縛ることもあるその立場からちょっと抜け出し、新しいコミュニティへ所属することができたら。歳や肩書きに関係なく自由に意見を交わし、認め合いながら新たな役割を見つけることができたら。そこで得た価値観や気づきは、日常にまた違った新鮮さを生み、私たちをより豊かにしてくれるのではないのだろうか。
いま、そうした新しいコミュニティになりうる場として、「美術館」に注目が集まっている。その先駆け的な存在が〈東京都美術館〉を拠点に活動する、「とびラー」と呼ばれるアート・コミュニケータたちだ。彼らは、学芸員やアーティストではなく公募で集った一般市民。興味関心や経歴なども異なる多種多様な人々が、美術館という場で文化財を介して、ワークショップや鑑賞プログラムなどの企画・実践を行っている。
2021年からは、〈東京都美術館〉でシニア向け事業〈Creative Ageing ずっとび〉がはじまり、活躍の機会をさらに増すとびラー。2023年11月23日に行われたオープン・レクチャーでは「認知症」をテーマに、あらためてその活動報告が行われ、彼らアート・コミュニケータの可能性や、活動の根底にある“対話”の重要性が明らかになってきた。
アートで対話の場をデザインし、人を結びつける「とびラー」
とびラーが活動する〈とびらプロジェクト〉は、上野にある〈東京都美術館〉と〈東京藝術大学〉、市民の三者によるソーシャル・デザイン・プロジェクトだ。とびラーが能動的なプレイヤーとなり、学芸員や大学教員、専門家とともに、アートを介して「人と人」「人と作品」「人と場所」をつなげる活動に2012年から取り組んでいる。
美術館で絵画などの作品と向き合うとき、静かな空間でひとり鑑賞するイメージが先行する人も多いだろう。しかし〈とびらプロジェクト〉では、とびラーがアートを介した場づくりを行うことで、複数人で作品を囲みながら感想を伝えあう、対話の機会をつくろうとしている。それぞれの意見を味わってコミュニケーションを重ねるなかで、鑑賞者の内側に、自分ひとりでは得られない発見や気づきが巻き起こっていく。
プロジェクトマネジャーの小牟田悠介さん(東京藝術大学芸術未来研究場 ケア&コミュニケーション領域特任助教)は、今回のオープン・レクチャーの冒頭、人々の「心のゆたかさの拠り所」を目指す〈東京都美術館〉のミッションに触れながら、次のように語る。
小牟田 〈とびらプロジェクト〉の特徴は、“対話”の場をデザインし、さまざまな価値観を持つ多様な人々を結び付ける仕組みにあります。来館者だけでなく、アート・コミュニケータ同士や、関わるスタッフ、プログラムで連携する団体など、多様な人の「アートを糸口にしたコミュニケーション」によって、創造的な場が生まれることを目指しています。
〈とびらプロジェクト〉の具体的な活動として、前述のようなとびラーを中心とした、鑑賞プログラムやワークショップの企画・実践がある。
また、連動するプロジェクトでは、鑑賞者の伴走役をとびラーが担うことも多い。上野に集まる9つの文化施設が連携して、子どもとその保護者を対象にミュージアムデビューを応援するラーニングプロジェクト〈Museum Start あいうえの〉では、子どもたちと一緒に文化施設の館内をめぐったり、グループ鑑賞のファシリテーター役になったりするなど、年々その活躍の幅は広がっている。
現在、とびらプロジェクトで活動するアート・コミュニケータ「とびラー」は132名(2023年12月時点)。任期は3年で、18歳から70代までの会社員やフリーランスや主婦、学生やアクティブシニアなどさまざまな市民が所属している。
学びと実践を行き来しながら活動をすすめていくとびラーたち。多様なそのプログラムのなかで、アート・コミュニケータとして最も大切にしていることが、“対話”だという。
小牟田 とびラーは会社員のように、何らかの成果を求められる役割ではありません。活動に正解やゴールが用意されているわけでもありません。
とびラー同士で新しい企画を考えるときも、プログラム参加者と接するときも、いつもゼロから対話をスタートさせます。相手に関心をよせて、話したいことの奥にある、その人のありのままの状態を受けとめようとするきき方を、とびラーはその3年間のなかで会得していきます。
生きる糧としてのアートと出会う場所〈東京都美術館〉
こうした〈東京都美術館〉の挑戦の背景には、近年、世界的な博物館・美術館のあり方について大きな転機が訪れていることがある。世界最大の博物館にまつわる非政府組織〈ICOM(International Council of Museum)〉が3年に一度開催している国際会議では、2022年にミュージアムのあり方を大幅改訂した定義案が採決された。
「博物館は、有形及び無形の遺産を研究、収集、保存、解釈、展示する、社会のための非営利の常設機関である。博物館は一般に公開され、誰もが利用でき、包摂的であって、多様性と持続可能性を育む。倫理的かつ専門性をもってコミュニケーションを図り、コミュニティの参加とともに博物館は活動し、教育、愉しみ、省察と知識共有のための様々な経験を提供する。」
(ICOM 日本委員会 ウェブサイトより引用)これについて小牟田さんは、
小牟田 これまでの役割からさらに一歩進み、社会包摂やSDGsの潮流も踏まえた「ミュージアムが果たすべき社会的責任」についての議論がされました。作品鑑賞やワークショップ参加を通じて、いつでも、誰でもアートを介して社会参加の機会を得られる場所として再定義されたのです。
と解説。そのような世界的潮流に先駆けて、すでに各国の博物館・美術館でも社会課題、とりわけ高齢化を受けた取り組みが見受けられているとし、英国のナショナル・ミュージアムズ・リバプール「House of Memories」の事例に触れた。
ミュージアムを舞台とする、こうした認知症のある人とその介護者を対象にしたプログラムは、米国のニューヨーク近代美術館の「Meet Me at MoMA」や、台湾の国立台湾博物館の「博物館処方箋」などもある。後者は台北市立連合病院と連携し、病院を受診した認知症患者へ博物館に足を運ぶことやプログラムへの参加を促す、いわば“社会的処方”の手法を用いた事例であり、〈東京都美術館〉でも実践をまとめたガイドブックの日本語版を公開している。
藤岡 〈東京都美術館〉は国内初の公立美術館として開館し、もうすぐ100歳を迎えます。すべての人に開かれた「アートへの入口」になることをめざし、様々な市民の暮らしに寄り添う、インクルーシブな美術館活動を行ってきました。それが2021年から始めた、シニア向けプログラム〈Creative Ageing ずっとび〉にもつながっています。
みなさん、これからどんなふうに歳を重ねていきたいでしょうか。そのとき、どんな暮らしや社会があるといいでしょうか。そのなかで「自分が通ってみたい」と思える美術館とは、どんな場所でしょうか。
そんなことを皆さんと考えながら、美術館の文化資源と実践を生かしつつ、医療や福祉関係者の方と連携していけたらと思っています。
そう語る藤岡勇人さんは〈東京都美術館〉の学芸員で、〈Creative Ageing ずっとび〉を担当している。〈東京都美術館〉はリニューアルオープンした2012年より、幅広い年齢層の人々に向けて、美術館に関わってもらう機会をつくる「アート・コミュニケーション事業」に取り組んでおり、本プログラムもそのひとつだ。
藤岡 〈Creative Ageing ずっとび〉というプログラム名には、ずっと歳を重ねても〈東京都美術館〉が身近にある社会となるよう願いをこめて、「ずっと」と「とび(都美)」という言葉を組み合わせました。また「歳を重ねること」はネガティブに見られがちですが、人生をクリエイティブにつくりあげていくことだとも捉えられると思い、欧米の文化事業でよくスローガンにされる「Creative Ageing」という表現を使っています。
アート作品をつくることも、鑑賞することも、そして自分が歳を重ねることも、常に新しい出会いや発見にひらかれているはず。そうした不確実性のなかに、美術館だからこそ生み出せる価値があるのではないかと私は考えています。
高齢になり、体の衰えや認知症などの変化に見舞われると、美術館や文化施設を遠く感じやすくなる。すると本来、誰もがアクセスする権利のあった場に、抑圧や格差が生まれてしまうかもしれない。
そうした背景から〈ずっとび〉では、アクティブシニア向けと、認知症のある方とその介助者向けの2つを軸に、参加型の鑑賞プログラムをとびラーとともに企画。およそ2年半に渡り、さまざまな高齢者と、アートを通じた対話の場を設けてきた。
とびラーが“対話”を重ねていくなかで、ほぐれていくもの
今回のオープン・レクチャーでは、〈ずっとび〉と関係の深い「認知症」をテーマに、その啓発や、医療現場で認知症のある方々をサポートしている専門家をゲストを招き、アート・コミュニケーションの可能性を多角的に探った。
さまざまな事例でやはり浮き上がってきたのは、“対話”を生み出す環境、特に他者とのフラットな関係性の大切さだった。
例えば、〈ずっとび〉が実施してきたプログラムのうち、認知症のある方とその介助者を対象にした最初のプログラムに「アート・コミュニケータと一緒に楽しむ おうちでゴッホ展」(2021年11月23日)がある。認知症のある人やその家族とZOOMでつなぎ、自宅にいながらゴッホの名作を眺める企画だ。
鑑賞の輪に加わって、絵画を見て感じたことや蘇ってくる思い出などを広く引き出し、耳を傾けるとびラーの様子から、藤岡さんは「聞いてくれる他者がいること」の重要性を改めて感じたという。
藤岡 認知症のある方は、自分の価値観や、行動の理由を否定されることが少なくありません。でもこの場では、自分の見たことや感じたことをそのまま伝えて、受け止めてくれる存在がいます。普段は介護を「される」側、あるいは介護を「する」側として、関係性がどうしても固定されがちな両者の間にとびラーが介在することは、日常とはまた違う時間を生み出してくれると感じました。
同じく〈東京都美術館〉のアート・コミュニケーション係長で〈とびらプロジェクト〉プロジェクトマネジャーである熊谷香寿美さんも、鑑賞者の「心理的な安心感」を担保する存在として、第三者的に関わるとびラーがプログラムに大きく貢献していたと振り返った。
熊谷 美術館には、共通の話題となる作品があり、さらに展示室などの普段と異なる空間に身を置くこともできます。そして、それぞれが従来の関係性、症状や暮らしのことから離れ、作品について話してみることから、その人が透けて見えるようなコミュニケーションが始まる。
そうした対話こそがこの事業の特徴的な部分であり、それを可能にしている存在として、市民であるとびラーの意義は大きいと思います。
とびラーはプログラム中、鑑賞者とのコミュニケーションに専念する。そのため、車いすや杖を使う鑑賞者も多い〈ずっとび〉の場合、安心・安全にプログラムを楽しめるよう、介護や医療の専門家との協働が必要となってくる。
そこで〈ずっとび〉では、地域に隣接する社会福祉協議会や医療機関などと連携を図り、定期的な連絡会議や、鑑賞会を共催するなど、協働のかたちを模索している。2022年11月には、台東区の認知症カフェ「喫茶Y・O・U」を〈東京都美術館〉内で実施し、当時開催していた「展覧会 岡本太郎」の各作品をグループでじっくりと鑑賞した。
〈台東区立台東病院〉で作業療法士として認知症のある方々を日頃サポートし、「喫茶Y・O・U」の担当も務める秋山友里恵さんは、協働する〈ずっとび〉の活動を、認知症のある方々との関わりかたのひとつ「パーソン・センタード・ケア」に照らしあわせ、次のように語る。
秋山 「パーソン・センタード・ケア」では、認知症が進行しても、最後まで一人の人として認め、尊重することに重点を置いて、その人の視点や立場に立とうとしながらケアを行うことが重要とされています。私たち作業療法士は日々の対話から、対象者のこれまでの生活、過去から現在での習慣、価値観などを知って、一人ひとりにあった体と心のケアのかたちを探しているんです。
その視点で〈ずっとび〉の鑑賞会を見ると、とびラーも鑑賞者とまさに対話しながら、「いま・ここで」絵を見て感じたこと、思い出したことを拾い上げて、人と人、人と作品をつなげていく流れがありました。発言を待つ、寄り添う、尊重して受け止める。そうすることで美術館という空間に、その人が「その人らしく」いられる居場所が生み出されていたように感じました。
認知症のある方々は、認知機能の低下を自覚し、劣等感から心を閉ざしてしまう人も多いという。しかし〈ずっとび〉の作品鑑賞中では、参加者には平等に発言の機会があり、普段の様子を知るソーシャルワーカーが驚くほどはつらつと楽しむ参加者の姿や、「絵画を通じて人と対話している母の姿を見ることができてよかった」といった家族からの意見があった。とびラーが彼らの感情を引き出す、貴重な存在となっていたことがわかる。
秋山 認知症のある方々がよりよく暮らすために、医療現場の限られた時間や人手では、どうしても限界があります。とびラーの対話を大切にした関わりが、日常的に必要とされるケースは、これからさらに増えていくでしょう。そうした場面が丁寧に積み重ねられていくことで、地域の共生社会の実現へつながっていくのではないでしょうか。
一人ひとりが、自分の人生を表現できる社会へ
筧 認知症とともに生きていくには、この社会にはまだ誤解や偏見が多く存在します。
現役とびラーも多く参加したこの日の会場で、オープン・レクチャーの登壇者の一人、デザイナーの筧裕介さんが語った言葉だ。
書籍『認知症世界の歩き方』の著者でもある筧さんは、認知症のある方々がよりよく生きられる社会を実現するために、「対話(Dialogue)」「想像力(Imagination)」「デザイン(Design)」の3つが鍵になるはずだと、具体例を交えて話す。
筧 例えば、ある人がトイレを思いがけず失敗してしまったとします。この状況に至るまでに、さまざまな「壁」が隠されています。トイレの場所がわからなくなったり、便器の判別がつかなくなってしまったりしたのかもしれないですし、尿意を感じづらくなってしまったのかもしれない。
目の前の事象が一体何に起因するのか把握するには、本人との対話がとても大切です。その次に、その人の身に一体どんなことが起きているか、想像力を働かせていくんです。自分の行動や過去の経験、知識、言語を思い出せない認知症の現象には、いくつかの類型がある。そのなかで、目の前の人はどのような環境で失敗しているのか、そしてそれに対してどんな声をあげているのか……「壁」を推理して見つけ出し、デザインで環境を整えます。そうすれば、解決できる課題は少なくないのではないかと思います。
つい、自分のなかにある感覚で「そんなふうに見えない」「そんなわけがない」と判断してしまいそうなところを、「その人にはそう見えるようだ」と捉える。この日、筧さんが示した認知症のある方々へのまなざしは、鑑賞者の声を否定せず、伴走者として寄り添うとびラーの姿勢全般にも、通じるものがある。アート・福祉・医療・デザイン……今回のオープン・レクチャーで語られたそれぞれの視点を結ぶと、その中心にあった対話の重要性が改めて浮き上がってくるはずだ。
藤岡 アート・コミュニケーションを通じて、自分の感じ方や記憶、経験を他者に伝えることは、大袈裟な言い方かもしれませんが、自分の人生を表現することでもあるのではないでしょうか。
〈東京都美術館〉の藤岡さんが発したこの言葉は、もちろんプログラム参加者だけでなく、とびラー自身にも言えることだろう。あるとびラーの声には、その喜びがにじんでいる。
美術館や展覧会を、これほど様々な角度から見つめ・楽しめる人達はとびラー以外いないと感じる毎日です。1人の時間であった美術館が、共に活動する場となり、私の視野も広がりました。日々の生活ではいない仲間と新しいアートの楽しみ方に出会える場所です。
(とびラー・吉川さん)いま、「とびラー」のようなアート・コミュニケータとともにアートを介したコミュニティを育むアイデアは、全国の文化施設で起こりつつある。
美術館がアートを介して、地域の人々を新しい回路でつなぐ。その新たなコミュニティや居場所から巻き起こっていく“対話”の主人公は、影響力のあるアーティストや専門家ではなく、ひとりの市民からはじまっていくのだ。
「生きる糧としてのアートと出会う場所」と「心のゆたかさの拠り所」となることを目指してはじまった〈とびらプロジェクト〉は、次期とびラー40名の募集を2024年1月4日(木)より開始している。
受付期間は1月31日(水)まで。応募用紙 (公式サイトよりダウンロード)に必要事項を記入のうえ、選考課題を同封して郵送すれば応募できる。詳しい応募条件や活動条件、選考スケジュールなども公式サイトにて。
美術館やアートに興味がある方はもちろん、新しいコミュニティのなかで主体的に、自分らしく活動してみたい方、多様な人々との出会いから学びを深めたい方にとっても、有意義な時間になるかもしれない。そんな方はぜひ、アート・コミュニケータの一人になることを検討してみてはいかがだろうか。
Information
とびらプロジェクト 13期とびラー募集
・募集人数:40名
・応募受付期間:2024年1月4日(木)~ 1月31日(水)消印有効
・ウェブサイト:とびらプロジェクト
・問い合わせ先:東京都美術館 アート・コミュニケーション係
Tel:03-3823-6921(東京都美術館 代表)
メール:q-tobira@tobira-project.info
Information
とびらプロジェクトフォーラム 「ミュージアムと偶察力(セレンディピティ)共創を生み出すまなざし」
・日程:2024年1月21日(日)
・参加費:無料
・ウェブサイト:「とびらプロジェクト」フォーラム2024
・主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、東京藝術大学
・企画・運営:東京都美術館×東京藝術大学「とびらプロジェクト」
※定員に達したため、当日参加の受付は終了。後日、
Profile
- ライター:遠藤ジョバンニ
-
1991年生まれ、ライター・エッセイスト。大学卒業後、社会福祉法人で支援員として勤務。その後、編集プロダクションのライター・業界新聞記者(農業)・企業広報職を経てフリーランスへ。好きな言葉は「いい塩梅」、最近気になっているテーマは「農福連携」。埼玉県在住。知的障害のある弟とともに育った「きょうだい児」でもある。
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