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「私はどう生きたらいい?」を、一人で抱えない社会へ。医師・西智弘さんに聞く、地域活動と“ケア“の文化づくり こここスタディ vol.06

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病気やケガが元に戻らなくても、人が幸せに生きる方法はあると思うんです。

そう話すのは、『社会的処方──孤立という病を地域のつながりで治す方法』の著者で、緩和ケア内科医の西智弘さん。〈川崎市立井田病院〉で腫瘍内科の部長を務める西さんは、日々がんなどの患者に向き合いながら、〈一般社団法人プラスケア〉代表理事として地域活動にも力を注いでいる。

「医療」と「地域活動」を言葉で並べると、どこか遠い印象を受けるかもしれない。しかし、この二つが暮らしの中で近づくことが、私たちのよりよい人生につながり、近年問題となっている“社会的孤立”をも解消していくと西さんは説明する。

地域における人同士の関わりに、なぜ医療の専門家が注目しているのか。地域資源が豊かであることは、私たちの“健康”や“生き方”への向き合いにどんなポジティブな可能性をもたらすのか。詳しい話を伺った。

西智弘さん。医師。家庭医を志した後、2012年から川崎にて、腫瘍内科─緩和ケア─在宅ケアをトータルで診療。武蔵小杉にて「暮らしの保健室」や「社会的処方研究所」を運営する〈一般社団法人プラスケア〉を設立、「病気になっても安心して暮らせるまち」をつくるために活動している(撮影:幡野広志さん)

医療者による「暮らしの保健室」と、地域をつなぐリンクワーカー

自分や家族の健康や病気、暮らしの困りごとについて、まち中で気軽に相談できる「暮らしの保健室」が、全国に少しずつ広まっている。発起人は訪問看護師の秋山正子さんで、2011年に東京都新宿区でスタート。相談したい内容によって受付窓口が変わる病院や役所とは異なり、学校の保健室のように「なんでも聞くよ」の精神で、訪れる人を誰でも受け入れている。

ここには、特定の医療機関のみに所属せず、市民の暮らしに近い場所で活動する「コミュニティナース」などが駐在していることが多い。あるときは医療者の視点で、あるときは生活者の視点で、市民が抱える悩みに寄り添う。

今回お話を伺った西さんが、この「暮らしの保健室」を神奈川県川崎市に立ち上げたのは2017年4月。「困っている人が気軽に医療者に相談できる場所をつくれたら」という思いで始め、これまで多くの市民と対話を重ねてきた。

【写真】座って相談をする人と、横に座って話を聞く人。テーブルの上にはコーヒーカップ
〈プラスケア〉は川崎市内4つの場所で、定期・不定期に「暮らしの保健室」を開いている(提供写真)

多様な困りごとに向き合うなかで、医師や看護師が病院の外に出る重要性を感じる一方、近年は新たな課題も見えてきた。まちなかに出ていったとしても、「医療者が患者を支える」という構図のままでは結局「支援者/被支援者」に二分され、市民が自分の心身の問題を他者にすべて委ねてしまうことになりかねない。

もちろん「専門家の支援」というフェーズが必要なケースもある。けれど、心身にまつわる悩みや困りごとを共有しながらも、その人が持っている力や役割を大切にしていく活動は、本来医療者だけで完結しえないものだと西さんは考える。

そうした課題を解決する方法の一つとして、目をつけたのが「社会的処方」の考え方だった。社会的処方とは、薬を処方することで患者の問題を解決するのではなく、「地域とのつながり」を処方することで問題を解決するというもの。

2020年2月に学芸出版社から上梓された、西智弘さん編著『社会的処方』。海外から国内まで、社会的処方と捉えることのできる事例を収めている(編集部撮影)

〈プラスケア〉の中に「社会的処方研究所」を設立した西さんは、社会的処方を広めるうえで重要な「リンクワーカー」になりうる地域住民と出会ったり、ともに新たな地域活動を見つけ出したりしている。リンクワーカーの役割は、読んで字のごとく「人と人をつなげること」。

例えば、高齢で家に引きこもり、睡眠障害を訴えているAさんの相談事例を見てみよう。通常なら、医師が睡眠薬を処方して診察を終えるかもしれない。だがよくよく事情を探ると、不眠の原因は日中の運動不足などにあった。

そこで、根本的な解決のためにリンクワーカーは、Aさんが現役時代に花屋を営んでいたことから、地域の花壇ボランティアを紹介。Aさんは好きな花に触れるうちに、睡眠障害を克服していった──。

こうした「つながり」を処方するリンクワーカーは、何も医療や福祉の専門家である必要はない。地域活動を楽しいと思えて、“お節介”が好きであればなお歓迎だ。ただし、そのお節介を「一人で焼かない」のがポイント。ネットワークでまちの多様な専門家とつながり、地域コミュニティのなかで適切なお節介を焼いていく。

「医療」と「暮らし」の分断が招いた、“生き方”の問題

そもそもなぜ、医師である西さんが地域活動に取り組むこととなったのだろう。

「経緯を説明する際、僕は『医療の民主化』の話をするんです」。そう言って、西さんは静かに話し始めた。

もともと日本にはさまざまな民間療法があり、体調が悪くても自ら病を治していく文化がありました。医者を家に呼べるのは身分の高い一部の層に限られているなか、庶民は年長者の知恵を頼りに、病気やケガに向き合っていたんです。

身近な人と支え合って身体の問題を解決しようとする発想と、それができる横のつながりがかつての地域には存在していました。治療は、人々の生活に密着した行為だったんです。

そこから20世紀に入ると、医療技術や制度の発展によって、誰もが「高度な治療機関としての病院」を利用できるようになった。患者は医師や看護師という専門家に治療や治癒を任せられるようになり、実際に多くのいのちが救われた。

一方で、患者さんは知識と技術を持つ医師を”お医者様”として接するようになり、「専門家に任せておけば大丈夫」といった風潮も生まれていきました。

暮らしと医療がいつの間にか遠い存在となり、結果として病院は、病気やケガを扱える「唯一無二の場所」と思われるようになっていったんです。

【イラスト】患者が診察室で医師の話を聞いている様子

そうした社会の変化が、現代にもたらした新たな問題とは何なのか。

「心身の健康や生き方について自分で考えるよりも、はじめから医療者に依存してしまう方が増えたように感じています」と西さん。処方された薬を飲んですぐ完治する病ばかりであれば、それもいいのかもしれない。だが、そこで「がんの終末期」のように厳しい選択を迫られる病を抱えると、そのまま自分の人生を見失ってしまう可能性がある。

死を意識した患者が誰にも相談できず、「私はどう生きればいいのでしょうか」と診察室で途方に暮れる。そんな姿を、西さんは何度も目にしてきたと話す。

がんと診断されると、その人は“がん患者”として振る舞うようになり、それまで築いてきた社会的な役割を自ら手放してしまうことがよくあります。一度手放してしまった人生を立て直す作業は、本当に孤独です。

しかし、本来医師の役目は患者さんの命を守ることであって、生き方を指南する立場にはありません。立場上、1日でも長く生きられる治療方針を提案はしますが、伴う副作用の影響も含めて「じゃあ自分はどう生きたいのか」は患者さんご本人にしかわからないことなんです。

例えば、残された日々を「短くとも穏やかに過ごしたい」と願う人もいれば、「強い副作用を引き受けてでも長く生きたい」と望む人もいて、その生き方の表現こそが治療方法を左右する。

だからこそ「本当は、医者に対して『私はこういう生き方をしたい』という提案をしてほしいんです」と西さんは語る。

医療は専門家が行う行為ではあるものの、それを「選ぶ」ためには、患者さん自身も主体性を持って関わる必要がある。そのためには、みんなが医療を自分の手に取り戻して、自らの意志で扱えるようになる「民主化」が重要だと僕は考えています。

なぜなら、どんな病気であれ、患者さんは「治療」そのものを目的に生きるわけではないからです。そこを支える仕組みが今の医療にないのであれば、病院の外につくる必要があります。コーヒーでも飲みながら「あなたは一人じゃないんだよ」「じっくり話を聞くよ」と寄り添うことのできる、医療者が患者さんの身近な存在となれる場所があったら……そんな思いで、「暮らしの保健室」を立ち上げました。

同時に、生き方の選択肢を提案できる仕組みが必要だと感じるなかで、「社会的処方」の考え方に出会いました。リンクワーカーのような存在が今後求められると考え、この概念を広めていくことにしたんです。

地域活動は「草の根運動」。楽しくないと続かない

自らも地域に出るなか、“生き方”を考えるときの助けとなる人や活動、「社会資源(ソーシャルキャピタル)」が、実は身近にいくつもあると西さんは気づいていく。

例えば、フットサルやダンス、盆栽などのサークル。有志で運営する子ども食堂。毎朝ラジオ体操をする公園。近所の子どもに世話を焼く、まちのおじさん・おばさん。もちろん保健所や地域包括支援センターなどの相談機関も、大切な社会資源となりうる。

そうした資源は実際にまちに出て、人と触れ合う過程でしか出会えない。だからこそ、すでにある資源を見える化し、悩みや困りごとを抱える人につないでいくリンクワーカーの育成が鍵を握る。西さんが設立した「社会的処方研究所」も、川崎市において、フィールドワークによる社会資源の発見(Research)や新しい資源づくり(Factory)を行い、それをストックしてリンクワーカーが参照できること(Store)を目指したものだ。

【イラスト】Store、医師、まちの人々が関連しあって処方や相談をしていく図。Research、Factoryからは社会的資源が供給される
当初考えていた「社会的処方研究所」の仕組み。左端の「人」は悩みごとを抱える当事者の場合もあれば、周りのリンクワーカーの場合もある(提供画像)

ただし、2020年からはコロナ禍の影響でフィールドワークを行うことが困難になった。現在は月に一度のミーティングなど、リンクワーカーをはじめとするボランティアメンバーと意見交換を行なっているという西さん。

今後、一層力を入れていく活動が2点ある。1点目は、まちの人が何に困っているのか聞き取りを行うこと。2点目は、まちにある社会資源をきちんとデータベース化し、誰でもアクセスできるようにすることだ。

地道に情報をストックし、地域の方々との出会いを重ねていくことが重要だと考えています。それによって人のネットワークも広がっていき、「あそこに行くと活動を支えてくれる人たちがいるよ」と口コミも浸透していくはず。時間はかかりますが、一番確実な方法だと考えています。

草の根運動は地道だからこそ、楽しくないと続かない。

例えば、家庭で十分に食事ができていない様子の子どもに、近所の人が「一人分作るのも三人分作るのも一緒だから、うちでたこ焼きパーティーをしよう」と食事を振る舞ったことが、簡易的な「子ども食堂」に発展したケース。ここで大事なのは、その人が楽しいと思える範疇での活動にしておくこと。活動が義務になり、窮屈なルールが敷かれていくと、参加すること自体がストレスになってしまうからだ。

楽しさは、世代を超えて伝播する

西さんが活動拠点としている川崎市武蔵小杉エリアには、そうした義務感にとらわれることなく続いてきた「楽しい」地域活動の事例がいくつもあるという。

「こすぎナイトキャンパス」は、月一で読書会をしたり、『ロミオとジュリエット』などの戯曲を朗読する交流会だ。時には本の著者をゲストに招いたり、ソムリエ経験のある人にワインを出してもらいながらワインに関する本を読んだり、といった企画をすることもある。

「どうすればみんなが楽しく豊かに暮らせるのか」を大人たちが真剣に考えて、イベントを企画する。みんなでわいわいやるのが楽しいから、地域活動が盛り上がる。そんな文化が、武蔵小杉には根付いているんです。

【画像】テーブルに座った人々が、本を手に楽しく談笑している
2012年から続く「こすぎナイトキャンパス」。形式ばったところがなく、年間200〜400名が参加する交流会に発展している

こうした楽しさは、世代を超えて伝播する。楽しみながらまちづくりに奮闘する大人をみて育った子どももまた、地域活動にポジティブになる姿を西さんは見てきた。

例えば、「ゴミ拾い活動のリーダーになります」と手を挙げた高校生。幼い頃にいじめを経験したことで地元が嫌いになり、東京の高校に通った。地元はただ帰って寝るだけの場所と化していたが、ある時にゴミ拾い活動「グリーンバード 武蔵小杉」を立ち上げまちの人と触れ合うなかで、いつしか川崎が大好きになっていたという。

彼女は現在、若い世代の投票率を上げる活動をしたり、「川崎若者会議」というコミュニティを立ち上げたりと、今も地域活動に取り組んでいます。こうした若者が育ってくるのも、上の世代の大人たちが社会活動を純粋に楽しんできたから。それが文化のように、まちに根付いてきたからだと思っています。

大切なのは「自ら動く」こと、「一人で抱えない」こと

ただし、これらはあくまで川崎での事例。「地域の活動は地域で完結するもので、単純に横展開できるものではありません」と西さんは注意を促す。

なぜなら、社会資源のあり方は地域によって異なるからです。「うちの地域だと、何から手をつけたら『社会的処方』が広がりますか?」といった相談をよくお受けするんですが、地域活動の一歩を踏み出すには、そういった言葉に縛られるよりも、まずはまちにどんどん出ていってほしいと考えています。

どんな人が住んでいるのか、どんな文化があるのか、誰がどのようにまちのネットワークの中でつながっているのか。そうした情報を一人ひとりが把握しないことに地域活動はうまくいきませんし、リンクワーカーとなって、人同士をつなぐこともできません。

一方で、「リンクワーカーの一人ひとりが、すべての社会資源の情報を把握しておく必要はない」とも西さんは語る。「私ではサポートが難しい」と感じたとき、次の人にバトンタッチする潔さは、むしろトラブルを避けるためにも重要だ。

仮に、子どもにバスケットボールを教えられるリンクワーカーが、教え子の一人に家庭での虐待の傾向を感じたとする。その時必要なのは「この子を自分が何とかしてあげよう」と考え込むのではなく、「別の詳しい人に相談してみよう」などとバトンタッチすること。そして、その人もまた子どもの虐待問題や法律に詳しい専門家と通じているリンクワーカーである、と知っていることだ。

【イラスト】食堂で、子どもを思う来客と、専門家をイメージしている店員とが話をしている様子

人にはそれぞれ自分の得意とする領域、よく知らない領域がある。だからこそ、リンクワーカーが「いつでも専門家を頼れる」かどうかが、地域全体の柔軟性につながる。もちろん、医療者もそのネットワークの一つとなる。

問題は、こうしたリンクワーカーを支える仕組みが現状ほとんどないことだ。そこで西さんは、「悩んだら、まずは暮らしの保健室を頼ってほしい」と語る。

暮らしの保健室なら、コミュニティナースや医師がプロの視点で判断して「ここからは私たちが」と引き取れるからです。地域での活動は「楽しい」と思えることが大事だと言いましたが、僕たちプロは「苦しい」と感じる状況に対しても、職業として取り組むことができる。そこに専門家の、専門家たる所以があります。

生き方の選択まで預ける必要はないけれど、安全を担保できない領域については専門家に任せてもらう。暮らしの保健室は、そうやって「支える人を支える」場所でありたいと考えています。

その人の“生き方”を、みんなで支え合う文化に

同時に西さんは、「問題を解決することが、必ずしもゴールではないことも知っておいてほしい」とも話す。心身が完全に良好な状態でなくても、人が笑顔で暮らせる方法はあるからだ。「キュア(CURE)」と「ケア(CARE)」という概念の違いから、西さんはその意図を紐解いていく。

例えば、事故で腕を失ったピアニストがいるとする。「キュア」の概念では、精巧な義手を装着するなどして、なるべく元の状態に近づける方法を考える。

対して「ケア」の概念は、腕を失ったという事実を前提に、できる方法を見つけたり、ピアノ演奏に代わる生きがいや職業などを一緒に探したりしていくもの。「これまで通りにピアノが弾けなくても、あなたの人生は続いていく」ということに目を向けられるよう、寄り添う営みだという。

人生の問題には、解決できるならしたほうがいいものもありますが、一方で「どうやっても解決できないこと」もたくさんあります。そんな問題に直面して悩みを抱える方がいたとき、傍にいて「一緒に向き合うよ」と寄り添う。これが僕はケアの本質だと考えていますし、そうした考え方を持つ人が周りにたくさん増えると、社会がもっと豊かになると思っています。

【イラスト】たくさんの窓一つひとつから人が顔を出して、会話したり、物を贈りあったり、静かに過ごしたりしている姿が見える

地域で人と人がつながることで、「どう生きればいいのか」という悩みが和らいでいく。そんな未来は、確かに描ける気がする。ただ、医療の専門家ではない市民がどこまで「ケア」の考え方を持ち、身近な人に寄り添えるか。今の社会を眺めると、「医療の民主化」も支え合いの文化づくりも、容易ではないとも思える。

それでも西さんの話を伺いながら感じたのは、急いでゴールを目指さなくてもいいということだ。

「僕らがそばにいるよ」
「地域のみんなで考えよう」

何度も対話を重ねながら、自分の“生き方”を取り戻していけばいい。そんな風に思い合える存在が、未来の私たちの救いになるのだろう。

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社会的処方研究所

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