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【画像】両手をふりながら踊るかえでさんのイラスト。周りには星や音符が飛んでいる【画像】両手をふりながら踊るかえでさんのイラスト。周りには星や音符が飛んでいる

どこにも向かわない「居場所」をどこまで続けられるか 砕け散った瓦礫の中の一瞬の星座 -ケアと表現のメモランダム-|アサダワタル vol.08

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本連載は、ユニークな方法で他者と関わることを「アート」と捉え、音楽や言葉を手立てに、全国の市街地、福祉施設、学校、復興団地などで文化活動を手掛けてきた文化活動家・アサダワタルさんによるエッセイシリーズです。アサダさんがこれまでにケアの現場で経験してきた出来事、育まれてきた表現、人々との関係性を振り返り、揺れや戸惑いも含めて、率直に感じたこと・考えたことを綴っていただきます。(こここ編集部)

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どこにも向かわない「居場所」をどこまで続けられるか

十数年前、大阪市内をぐるぐる走るJR環状線の車内で、とても不思議な光景を見た。

比較的空いている昼下がり、車両の一番端の席に初老の男性が座っていて、その傍には悠に十冊を超える分厚い書物が積み上がっていた。すべての書物に「大阪府立中之島図書館」のシールが貼ってある。男性はその本の山から吟味するように一冊を取り出し、ゆっくりページをめくりながら読書に耽っていたのだ。

極私的な空間が突如として公衆の面前に立ち上がるこの感じ。一言で言えば、場違いな行動。家がない人なのだろうか? でも身なりも整っていて、本を入れるトートバック以外に大きな荷物を持ち歩いている様子もない。たまたま向かいに座ってしまった僕も含めた周りの乗客に見向きもせず、まるで使いこなされた自分の書斎で過ごしているかのように異様なほどリラックスした空気を放つ男性。

ここは本当に車内なのか……? 時空が歪む。でも、車窓にはいつもと変わりない密集したオフィス街、川沿いの工場、交差する鉄橋が流れてゆく。

あまりにも気になって、しばらく彼の様子を観察することにした。これは環状線だ。一周。降りない。男性はどこの駅でも降車せず、二周目に突入する。徐に本の山から新しい本を取り出し、今まで読んでいた本を山に戻す。車窓には眩い緑越しの大阪城。扉が開く。アナウンスと共に、駅名にちなんだテーマBGMが流れ込んでくる。降りない。暇か! いや、それをじっと観察している僕の方が暇なのか……。さすがに、降参した。

三周目に入って、本来目指していた駅の到着アナウンスが流れ、僕はいよいよ腰を上げた。初めて、男性がこちらを向いた。特にこれといった表情を浮かべたわけではなかったけど、実はずっと観察されていたことを知っていたのかもしれない。少し気まずかったが、男性もまたすーっと本の世界に戻っていった。

どこにも向かわないその居場所であっても、少しずつ確実に陽は傾いてゆく。あの風景はそう、優雅だった。彼はその後、いつまで乗っていたのだろう。

さて、今日も品川(品川区立障害児者総合支援施設ぐるっぽ)へ行く。連載vol.01vol.02で取り上げた、僕のメインの現場だ。

今回の主役は、かえでさん(仮名)。20代後半の女性で、ずっと品川が地元。僕が関わってきたメンバーの中で、とりわけ深く接してきた一人だ。

かえでさんは、とても表情や身振りや豊かな人で、いつも挨拶を欠かさない。会うと必ず「あっ! アサダさーん!!!」とまるでものすごく久しぶりに会ったかのように驚いたリアクションをしてくれるので、こちらも思わず「ああ、かえでさん!!!」とそのノリに合わせてしまう。そして「いやいや、かえでさん、昨日も会ったじゃないですか〜!」とツッコむと、必ず「てへへ」と舌を出して笑う。昭和の少女漫画に出てくるヒロインのようなそのリアクションに、これまたみんなが笑顔になる。

「ぱんげあ」という名前で実施される自由創作ワークショップでは、毎回5〜6人のメンバーが思い思いに好きな絵を描いたり、丸シールやマスキングテープを八つ切り画用紙に縦横無尽に張り巡らせている。

あるメンバーは、紙粘土を何度もベったんべったんと机に打ちつけ、時折大きな声を出したかと思えば、徐々に変化する粘土の硬さを確かめるようにじーっと拳を眺めてはまたぎゅーっと力をこめ、ふと穏やかな表情を浮かべる。また別のメンバーは「できた!貼る!」と早々に絵を壁に貼り、でも四隅にテープを付けないでガチャっと貼っては「描く!ペン!」と間髪入れず次の創作に向かうので、展示された作品はものの数秒で粘着力を失い、ダラーんと壁から垂れ下がってしまう。さらに別のメンバーは、旧東海道に続く街路を大きなガラス扉越しに見つめているのかと思えば、そこにかすかに写っている自分の鏡像を獲物を狙うかのように静かに見つめ、突然片足でぴょんぴょん垂直に飛び跳ねながらもその位置からは決して動くことのない不思議な舞を繰り広げている。

とにかく、この時間に制限・制約はない。どう佇んでもらっても、楽しんでもらってもいい時間。それが「ぱんげあ」だ。

ぱんげあでは、たくさんの図鑑や図版、絵本などを用意している。お寿司が好きなメンバーはいつもお寿司図鑑を眺めては、独特のイクラを描き出す。お城が好きなメンバーは松山城の写真に見惚れている。特に人気が高いのは電車だ。あるメンバーは電車図鑑を数冊手元に置き、真正面から見たフォルムで京急や東急の車両、そして関西国際空港行きの特急ラピートを描き出す。

「蓼食う虫も好き好き」を絵に描いたようなこの創作タイムだが、さぁ、かえでさんはと言うと……あっ、いた! ものすごく静かに何かボソボソとひとりごちながら創作に取り組んでいるではないか。

傍に広げている絵本は一体何だろう? 覗きこんでみる。それは「リネアシリーズ」だった。植物をこよなく愛する少女リネアの成長物語であり、スウェーデン出身の二人、クリスティーナ・ビョルクによる文とレーナ・アンデションによる絵で構成された『リネアの小さな庭』と『リネアーモネの庭で』の二冊の絵本。

かえでさんはこの絵本を大層気に入ったらしい。ぱんげあの時間になると、必ずこの二冊の絵本を選び、そして、絵ではなく主に文を書き写すのだ。

「ブ ルー ムさ んとわたしは つい にパリにやってき ました!」
「ホテ ルは パリを貫 くセー ヌ川の近く に ありま す。」

一字一字はっきりと時間をかけて書き込み、それゆえに一見ギクシャクしたテキストに見えるが、それは意味を伝達する「テキスト」とだけ捉えるからそう感じるのかもしれない。かえでさんはおそらく「書いている」というよりは「描いている」のではないか。これを毎回やって、次回は続きからまた描き足していく。「リネア」は、かえでさんにとって大切な創作の友だ。

彼女にとってもうひとつ、いやこちらの方がもっと明確に好きなのだろうと思わせる表現がある。ダンスだ。

みんなでドラムセットを叩く「たいこクラブ」という時間では、一人ひとり好きなポップスやアニソンをリクエストしてもらい、それをYouTtubeで流しながらドラムを叩く。彼女は、ある時までドラムを叩いていたが、ある日から突如踊り出した! そう、この時間も必ずしもドラムに限定しない。もっと言えば別に演奏すらしなくたっていい。やりたい表現があればそれを必ず優先する。

あるメンバーは、ドラマ「ナースのお仕事」の主題歌である『VACATION』を流し、「ヴイ! エー! シー! エー! ティアイオーエヌ!」と腕と腰を交互にノリノリで動かしながらぴょんぴょん踊りまくっている。別のメンバーは、パッヘルベルの『カノン』を聴きながら、片脚で上下に飛び続け、時折両手を天に仰ぐような仕草を見せながら、スポットライトに照らされている。彼のその表情、それはもう笑顔に満ち溢れているのだ。

話は戻って、かえでさん! ついに踊り出した! あるときは、大黒摩季『あなただけ見つめている』、またある時は長山洋子『ヴィーナス』、そしてABBA『ダンシング・クイーン』……などなど。明らかにお母さん世代の選曲であることに疑いようはない。まぁそれはさておき、このかえでさんの動きが、リネアの文字写しの静けさとは打って変わり、実にキレ味と独特なグルーヴを伴った舞なのだ。

重心はしっかりと保ちつつ、腰から腹、腕から肩、首から頭にかけて上半身の各部に波の如く動きが伝播し、またその緩急も自在。パーフェクトに即興でありながら、ちょいちょい歌手本人の振り付けも軽やかに差し込む様子を見るに、ライブ動画を地道に研究しているようだ。また本人は劇団四季(品川区には四季劇場がある!)の『キャッツ』を何度も観ていることもあり、猫のように爪を立てながら両手を顔に近づけ「二ャッ!」とする仕草も、曲の文脈とまったく無関係に挟まれるので、大まかに構成要素を整理すれば「かえでオリジナルの動き×歌手本物の振り付け×キャッツの二ャッ!」ということになろう。

華があって、ユーモアに溢れているこの「かえでダンス」は、たいこクラブのみならず、その他様々なワークショップでも降臨する。また時折、一般のお客さんも出入りするレストランスペースでも華麗に舞う。そう、かえでさんは、周囲をあっという間に虜にし、堂々たるスターとなった。

【画像】海の上を虹に向かってすすむ船のイラスト。さまざまな同志が乗組員として乗り込んでいる。

かえでさんのこれまでをざっと振り返る。ダウン症の当事者であるかえでさんは、品川区内の特別支援学校を卒業して以来、就労支援サービスを利用しずっと地元で働いてきた。彼女がぐるっぽに通い始めたのは2020年頭。当時はまだ他の事業所で働きながら、週2回程度ここに来てアトリエやダンス、写真や園芸、工作や音楽などに欠かさず参加。とにかく自由に表現する時間を存分に楽しんできた。

別の事業所での仕事も順調だった……らしい。彼女はそこのオープニングメンバーであり、人数が少ないなかで支援スタッフと密に関わりながら仕事をこなせていたのだろう。でも、最初は少ないメンバー数でも毎年事業を継続していると徐々に増えてゆくもの。するとその変化によって、元々いたメンバーがペースを崩すことが起きる。一人のスタッフが多くのメンバーを担当するようになれば、以前ほど一人のメンバーに関わる時間が減ってしまう。そのことでメンバー間の人間関係がギクシャクし、不満や不安な感情が抑えられなくなり、時には他のメンバーについ手を出してしまうことも。

かえでさんはまさにそのようにして通えなくなってしまった。そして、そんな事態にコロナが追い討ちをかけた。在宅作業を余儀なくされるなか、かえでさんはそのまま職場からフェードアウトしたのだ。そして、ぐるっぽだけが彼女にとって継続的に通える唯一の場所となった。

ぐるっぽでも通所当初は荒れることがあった。知らないメンバーが増えたときやスケジュールの都合でどうしても活動内容を変更せざるをえない時など。かえでさんに限らず、「いつもと違うシチュエーション」に対して強い反応を見せるメンバーはそれなりに多い。

普段は落ち着いた表情で周りを気にかけ困っているメンバーがいたら「だいじょうぶよー」とか「〇〇なんだねーそうねー」(〇〇の部分は聞き取れないことがある)と自分から声をかけるかえでさん。しかし時折、急に険しい表情を見せ、ゲンコツを握りしめて近くにいる他のメンバーに手をあげ、そのまま泣き崩れることもあった。そんなときは部屋を変えてじっくり落ち着くのを待つ。スタッフと対話し、また活動に戻って、手をあげてしまった相手に対して「ごめんなさい」と謝る。しかし、そういった激しい感情の揺れも、通所を継続するなかで少なくなっていった。むしろ、生来のお人好しで優しいかえでさんの性格が、新しいメンバーや状況に対して良いかたちで現れることが増えた。ダンスのワークショップでは、進んで楽器や小道具を他のメンバーに回したり、手を引いて舞台の中央に連れて行ったり。スタッフがやる役割を、メンバーである彼女自身が自覚的に引き受け、「先輩」としての風格まで備わっていった。

話は変わるが、生活介護や就労支援といった基本毎日通所(もちろん毎日でない人もいる)するサービスでは、送迎サービスもセットで付いていることが多い。彼女が元々働いていた事業所でも送迎があった。この「送迎あり/なし問題」は、メンバーやその家族にとって死活問題で、バスや電車を使って自力で通所できるメンバーならいいが、そうでなければ親が毎日送迎、あるいは、ガイドヘルパーの手配、肢体に障害がある人の場合は介護タクシーを手配しないといけない。とりわけ品川区のような都心では供給不足により手配が難しいケースが多々ある。僕が運営を担当する地域活動支援センター(これまで紹介してきたような、表現活動などをプログラムとして展開しているサービス)は、水木の週2回と、隔週で土曜に実施するペース。このペースであれば、ご家族がメンバーさんを連れて活動が終わるとまた迎えに来ることはまだ可能だ。しかし、これが毎日となると難しいだろう。

かえでさんも、同じくお母さんが送り迎えをしていた。しかし、通い始めてから3ヶ月程経ったある日のこと。かえでさんが突然、ひとりでレストランスペースに現れた。担当スタッフから内線が入った。

「かえでさんが、今日はひとりで来ているみたいで……。でも注文するにもお財布をもってないようで。ちょっとこっち来てもらえますか?」

ちょうどそのタイミングで、お母さんから電話が!

「すみません……。ちょっとかえでに留守番頼んでいる間に、いなくなっちゃって……。そっち行ってませんか!?」

そう。かえでさんは、ある日突然バスに乗って一人でここまでやってきたのだ。それはかえでさんにとっては、とてもとても珍しい出来事だった。確か、前のその前の職場か、あるいは特別支援学校のときか、交通機関に乗って一人で通えた時代があったらしい。でもそれも徐々にできなくなり、最近は平日はお母さん、土曜はガイドヘルパーさんと出かけるという日々だった。それがたった一人でここまでやってきて、レストランで(いつも頼んでいる)アイスカフェラテをオーダーするなんて!(お金はなかったけど!) お母さんはこう話した。

「かえでは、本当にここに来るのを楽しみにしているんだと思います。身体が勝手に動いて、どうしても早く行きたくて、それで自分でここまで来れてしまったんじゃないかと。」

これを機にお母さんにかえでさんの自主通所を勧めてみた。確かにバスに乗り間違えることもあるかもしれない。車通りも多く安全とは言えない。でも、彼女がひとりでここに来たい気持ちはもう誰にも止められない。むしろ、その気持ちや意思をどう尊重するかが大切だと、スタッフ、お母さん、かえでさんとで確認し合う。こうして彼女は、お昼前に向かいにあるコンビニでうどんやスバゲティを買い、レストランスペース(食べ物持ち込み自由!)でアイスカフェラテを注文し、1時間半ほどゆっくりとご飯を食べ終えたら、活動に参加し、そして夕方また一人で帰ってゆくというスタイルが固まった。それ以来、かえでさんは変わることなくこの場に通い続けている。

かえでさんと共に過ごす中で、「居場所」についてずっと考えてきた。自分が他ならぬ自分として、ありのままに居続けることができる場所――居場所をそんな風に捉えるならば、果たしてこの社会にそのような場所がどのくらい存在するだろう?

かえでさんの個別支援計画を立てるうえで、何度かショートステイ(短期入所)の利用や、レストランでの就労(就労継続支援B型)を勧めたことがある。実際に体験もしてもらった。でも、かえでさんは上手く乗れなかった。そのとき僕は「ここに泊まれたら一人で暮らすきっかけになるだろうに」とか「かえでさんだったら、もっと働けるだろうに」なんて思っていた。支援スタッフとしては、昨日よりも今日、今日よりも明日、メンバーが「できること」を増やすという考えになりやすい。でもそれは本当に紛れもない正しさを纏った考え方なのだろうか。

生活介護から就労継続支援(福祉事業所が設ける職場での就労)へ、そのなかでもB型(雇用契約関係にはなく、工賃という金銭が支払われる)からA型(雇用契約を結び、最低賃金以上で働く)へ、さらには就労移行支援を活用して一般就労(いわゆる企業での就職)へ。この流れはより「ふつうの働き方」へと「成長」していくという支援モデルだ。このことを否定はしないし、働くことそのものの大切さや、生きていくうえで金銭を得ることの重要性も理解しているつもりだ。でも、結局これは、どのような状況でも例外なしに「生産性」を求める社会の縮図そのものではないか。

「ふつうの社会」が奏でる、テンポが速く大きくクリアーで威勢の良いメロディには、どうにも乗ることができない人たちがこの世には様々に存在する。一方で、「障害」とは個々人に在るのではなく社会にこそ在るという「障害の社会モデル」が当たり前のように議論されている。

しかし、さらに一方ではそれでもなお「ふつうの社会」が奏でるそのリズムに、そのボリュームに、そのメロディに乗せてゆこうとする極めて強い引力が存在していて、もはや私たちはその引力の存在に気づけないほど、思考のOSとしてプリインストールされている。だからこそ、まずこの事実に極めて自覚的になる必要があり、そしてその態度を日々継続することがとても大切に思えるのだ。なぜって、その引力の存在に疑うことなく身を委ねている限りにおいては、人が人の価値をその人の生産性において値踏みするという構造から根本的に抜け出せなくなるから。

これって、制度としての福祉以前に、思想としての福祉から完全に後退しないだろうか。綺麗事を言っているかもしれない。そんなことを言っていたら「親亡き後」に生きていけない? 弱者が弱者のままで生きていけるほど財政的に余裕もないし、そもそも世間はそんなに甘くない? そうかもしれない。でも私たちはそもそも障害のあるなしに関係なく、一人ひとりが固有のリズムを、ボリュームを、メロディを持っている。ある状況では上手く大きなグルーヴに乗れても、ある状況ではまったく乗れないこともある。問題はそのグルーヴに身体を飼い慣らしてきた自分を忘れてしまわないこと。逆に言えば、まだ慣らせていない身体がどこかに宿っていることを認めること。そして、このどこまで行っても残り続ける身体の余白を、さらなる他者―社会的弱者と名指される存在―に対する想像力の土台とすること。そうやって、なんとか、かんとか、それぞれが少しでも「近づいて」いけないものだろうか?

かえでさんのリネアの文字絵が、ダンスのグルーヴが生まれる場所は、「どこにも向かわない居場所」かもしれない。そこに流れているのは、成長を前提としない「留まる時間」かもしれない。でも、本人がまず何よりもその場を愛おしく思うこと。そして僕にとってより大切なのはその愛しさが「表現」されて、僕も含めた他者にも伝播したことだと思う。

そう、思い出すのだ。あの永遠に周り続けるがごとく、静かに佇みながら車窓に流れる風景を味方に読書に耽ける男性の放つ圧倒的な優雅さを。かえでさんの放つ表現はその優雅さと地続きだ。でも、電車はいずれ混み始め、彼も席を譲るときが来るかもしれない。そして、いずれにせよ終電は来る。この「居場所」を、私たちはどこまで続けることができるのだろうか。


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