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「舟」に一緒に乗り込むこと。 ―ラジオと支援と高崎くんと [後編] 砕け散った瓦礫の中の一瞬の星座 -ケアと表現のメモランダム-|アサダワタル vol.07

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本連載は、ユニークな方法で他者と関わることを「アート」と捉え、音楽や言葉を手立てに、全国の市街地、福祉施設、学校、復興団地などで文化活動を手掛けてきた文化活動家・アサダワタルさんによるエッセイシリーズです。アサダさんがこれまでにケアの現場で経験してきた出来事、育まれてきた表現、人々との関係性を振り返り、揺れや戸惑いも含めて、率直に感じたこと・考えたことを綴っていただきます。(こここ編集部)

これまでの記事

前回のあらすじ

コミュニティラジオで番組を持ち、企画構成・パーソナリティを担当することになった高崎史嗣(ひとし)さん。同人音楽に詳しく、精神障害のある当事者でもあり、熱海ふれあい作業所に通っています。ラジオ番組は順調にスタート。……していたように思えましたが、番組制作の負荷の大きさから高崎さんは体調を崩してしまいます。想像が及んでいなかったと、反省する関係者たち。高崎さんとともに話し合い、高崎さんがおやすみの間、周囲のメンバーで番組を続ける覚悟を決めました。(前回はこちらから

「舟」に一緒に乗り込むこと。 ―ラジオと支援と高崎くんと [後編]

“みなさんこんばんは、ふれあいラジオ雨上がりの虹。パーソナリティを務めます熱海ふれあい作業所 荻沢洋子(おぎさわようこ)です。”

2018年5月、新たな「あめにじ」がスタートした。初の放送でパーソナリティを務めたのは、ふれあい作業所所長の荻沢洋子さんだ。冒頭の声からは、初めて大役を務める彼女の緊張がストレートに伝わってくる。

本来のパーソナリティである高崎史嗣(たかさきひとし)くんが体調を崩し降板した後、しばらくピンチヒッターを務めた僕は裏方にまわり、新パーソナリティに荻沢さん、台本制作や現場取材は高崎くんの支援担当スタッフであった秋庭好江(あきばよしえ)さんが担当することになった。外部の人間である僕が引き続きピンチヒッターをやるより、支援スタッフである彼女たちがやるほうが支援として本質的だと感じて来た。その理由は末尾に書く。

高崎くんは引き続きお休みだけど、彼の声はジングル(番組の節目に挿入される短い音源)として登場。このジングルは2016年夏、番組が始まったときにエフエム熱海・湯河原の金井周平さんと高崎くんがつくった大切なものだ。ジングルのほかにも、高崎くんが好む楽曲を高崎くん自身に遠隔でリクエストしてもらい、会話の中に度々登場するなど、その存在はラジオの中にしっかり息づいている。

ふれあい作業所所長の荻沢さんは番組の冒頭で、高崎くんの言葉を借りてこんなことを伝えた。

“パ―ソナリティー高崎史嗣は統合失調症という精神障害を持っていますが、精神障害当事者の思いだけに偏ることがないラジオ番組。誰が聞いても楽しい番組。関係ある人もない人も、ラジオ放送を耳にすることによって、肩肘はらずにいつの間にか障害を知ってもらうことで、言葉だけでは無い、本当の現代の形のソーシャルインクルージョン、社会的包容力、が自然発生するラジオ。そんな放送をお届けします。”

(2018年5月の放送より)

【画像】緊張しているおぎさわようこさんのイラスト

この時期から新しいコーナーがいくつか誕生した。

一つは「まじめに話そう福祉の現場」。広い意味での「福祉」の実現に寄与しているゲストに招いて、現在の障害福祉について日々実感していることを語ってもらうコーナー。ある時は、沼津市のデイサービス「すまいるほーむ」の管理者 六車由実さんをにお話を伺い、またある時は三島市のNPO 法人エシカファーム理事長 風間康寛さんに登場いただいた。六車さんは、民俗学を専門とする大学教員から介護職員となった稀有なキャリアの持ち主だ。すまいるほーむでは、ご高齢の利用者への聞き書きから作られた「人生すごろく」を体験。業務としての生活歴を記録した事務書類とは違って、すごろくには利用者さんの人生が散りばめられていることに驚き、支援する側が常識に囚われず新しい知恵を出していくことの大切さを感じた。

エシカファームの風間さんは、三島で障害のある人のための施設を複数運営。その中の一つ、「カフェアルテ」では明るく居心地のよい空間で地域の野菜を使った料理を提供し、障害当事者の絵が活かされたグッズも販売していた。障害福祉に関する制度が整ってゆくにつれ、その制度に則った手続きやサービスを提供すれば「給付費」という形でお金は入ってくる。しかし、それは「福祉“業”」をやっているだけではないか。ふれあい作業所が「ラジオを高崎くんの仕事にしたい」と考えたことは「福祉」の本質であって、「福祉“業”」ではないと言ってくれた。こういった取材を通じた視野の広がりとつながりの獲得は、秋庭さんたちふれあい作業所スタッフの「支援」の向き合い方にじわじわと影響を及ぼしていった。

「覆面座談会」という新コーナーも誕生した。ここでは福祉現場で実際に働いている人が覆面(身元を明かさずに)で登場する。2018年の7 月と 9 月の放送では、沼津や伊東でピア(サポート)スタッフをしている竹内晃さんが出演した。「覆面で!」と言っているのに、堂々と所属も名前出して登場したところが笑えるポイントだけど、この竹内さんとの出会いもとても大きかった。「ピアサポート」とは、当事者による当事者支援のことを差し、精神保健福祉分野ではとりわけ注目されている。竹内さんはこう話す。

「当事者というのは、“事に当たる人”って書くでしょ。その“事”を精神障害とすると、それに“当たっている人”というのは本人だけじゃなくて、医者も看護師も親も子供も、それぞれみんながその“事”に当たっているんです」

彼が定期的に開いているミーティングの場「ぽれぽれ」は、障害の有無を問わず誰でも参加できる。ここでは、精神障害を否定的に捉えず、むしろ「豊かなこと」だと捉える熟練された思考がある。世間では、障害や病気を否定的に捉える人が多いだろう。しかし、その経験の中にこそ、自分の生き方や人生の意味があると捉えるのが、竹内さんの考えだ。彼自身、もともとは無口で対人恐怖症もあった。今でも統合失調症の当事者であり、調子が悪くなるときもある。それでも彼は自身の障害があってこそ、むしろ様々な人との出会いを獲得し、確実に世界が広がったと語る。ポイントは「自分を生きる」ということだ。

「病気か病気じゃないに関わらず、自分を生きてないなと思う人が多いじゃないですか。“本当に自分を生きているの?” 僕もそうで、自分にも問いかけるんだけど、自分を生きようとするのが一番ですよね」

これは、前述した「当事者」という言葉の意味を、他者へと広げたのちに、ブーメランのように深く自己に切り返すセリフだ。誰もが全員、何かしらの「当事者」である。「障害」は本人だけの問題でなく、それを取り巻くみんなの問題。しかし、世間で言われる狭義の「当事者」はマイノリティとして時に社会から孤立し、取りこぼされる。

その上で、その孤立の経験を再度引き受けたときに、「自分を自分として生き切る」という意味においての「当事者性」はネガからポジに反転し、障害の有無を問わずこう問いかけるのだ。「では、あなたは本当に“あなた”なのか?」と。こう書くと好戦的、挑発的に聞こえるかもしれないがそうではない。竹内さんが真に目指しているのは「自分の人生」という誰にとっても平等な問いの地平に立つことの提案なのだ。「地平の共有」。そう、そこから始めないと私たちが日頃語る「多様性」も「共生社会」も空虚だ。果てしない地平を前に誰もが一粒になる。その一粒になるイメージをぐっと想像してみる。

2018年11月、ふれあい作業所では毎年恒例の秋祭り「ふれあいの集い」が開催され、その中で公開収録イベントを行った。もちろん高崎くん不在の収録だ。

朝からふれあい作業所のメンバーが総出で、作業現場に置いてあるドラム缶やビールケースを組み合わせて特設ブースを演出した。僕と一緒にパーソナリティを務めた20代最年少メンバーの白井くん(仮名)は、ラジオが大好きだった。昼休みにはいつも海の見渡せる窓側に張り付いて、視点をあちこちに動かしながらも一人ラジオをじっと聴いていた。所長の荻沢さんが試しに白井くんと台本を読む練習をやり始める。その様子はとても面白く、彼特有の語り方で同じセリフを何度も繰り返す様子からは、「舞台に立ちたい」というはっきりとした気持ちが伝わってきた。それでコンビを組むことにした。僕と彼とでパーソナリティをしようと提案したのだ。イベント当日は使命感に燃え、何度も腕時計を見る白井くんは、独特のテンポと人懐っこいキャラクターが語りに上手く反映され、その声は電波に乗って遠くに放たれた。

僕は、白井くんが単にラジオ好きなだけでなく、高崎くんの番組を聴いていた経験が、パーソナリティ欲を駆り立てた大きな理由だったのではないかと思っている。もちろん本人に確認をしていないから憶測でしかない。でも、同じ職場で働いて来た仲間であり、兄貴的存在の高崎くんが華々しくラジオをやっている姿は、「自分もやりたい!」という動機につながったのではないか。「高崎史嗣不在」ゆえに、その穴を意識的に埋めようとする仲間が生まれた。これは荻沢さんがパーソナリティをし、秋庭さんたちが現地取材に出かけるといった支援スタッフだけの話でなく、障害のあるメンバーにまで及ぼした変化だと思っている。

メインパーソナリティ 高崎史嗣不在のなかで再スタートをした番組は、このようにして様々な仲間を招き入れ、ふれあい作業所の現場に「支援の幅」をもたらしていった。「支援する/される」の関係性を改めて問いなおす。高崎くんといった「当事者」だけでない、いや、支援スタッフもラジオ局も僕のような外部の人間も、なんならラジオを聞いてくれているリスナーも含めてみんなが「当事者」としてつながるための地平を実感できる時間。そんな大切な時間をじわじわと紡いでいったと思う。

✳︎

「普通」の生活を送ることも結構大変そうに見える人が、自分の好きなことを精一杯やり続けている。ある人はその様子を見て、「他にやることあるでしょ?」とか「もっと“ちゃんと”したら?」って言うかもしれない。でも、同じ状況を見ても別のある人は「それでもやり続けられるってすごい!」、「なんだか勇気をもらえた」って思うかもしれない。

支援の現場は往々にして、前者の反応になりがち。つまり“ちゃんと”できるように訓練したり、「普通」の生活を送れるように環境を整えようとする。もちろんこれはこれでとても大切なことだし、本人の命にかかわるような事態もあるから、専門性を持った支援は必要だとは思う。でも、できれば僕は後者の感覚を、つまり何かその人にしかわからない(ひょっとしたら本人でさえ気づいていない)とっても個人的だけど大切なこと、つまりその人が徹底的に「私」であることをリスペクトする態度をこそ、大切にしたい。

困っている人が困っている人として“だけ”扱われることは、その人の尊厳としてどうなんだろう。もし自分だったら、大変勝手だけど「俺、困っているから助けて欲しいけど、助けて欲しいと思っている俺だけが俺じゃなくて、俺は俺の世界ってのがちゃんとあるからそこんところよろしく」と、相手に一定のジャブをかますと思う。それは支援者にとっては、かわいくないだろう。まぁ、ややこしいんですよ。でも、人って本来はややこしくて複雑。だからこそ、ややこしい奴と思われないように周囲に配慮しまくった結果、自分が本来持っている自分なりの世界を語る言葉すら失い、しかもその事態に自覚すらなくなってしまうのかもしれない。それってすっごく恐ろしいことだと思いませんか?

「私」が「私」でなくなるのだから。それだったら素直にややこしいほうがよっぽどいい、と僕は思うのだけど。 そう。高崎史嗣くんの印象は「素直にややこしい人」だった。

改めて、ラジオ番組「ふれあいラジオ 雨上がりの虹」は、 高崎史嗣というひとりの「私」の希望と苦悩が綯い交ぜになった「表現」を乗せて「社会」という名の大海原に漕ぎ出す小さな「舟」だったと思う。

2019年の春までラジオを放送した約2年半、「舟」が沈みそうになることは何度もあった。まず、一人船長の高崎くんがしんどくなったから。荻沢さんや秋庭さんたち支援スタッフも始めは「舟」には乗っていなかったと思う。あくまで「港」にいて、食料やガソリンを補給するのが役割。そしてかく言う僕も漏れなくそうだった。

確かに「支援者」ではあるかもしれない。でも、僕は徐々にわかった。高崎くんが「私」をぎりぎりのところまで開いて「社会」に向けて「表現」しようとする際に必要なのは、「支援者」ではなくて「仲間」、もっと言えば「同志」だったのではないか。だから、僕らは「港」にいるのみに止まらず、彼が編んだこの小さな「舟」に直接乗り込まないといけなかったのだ。

2017 年 11 月の放送を最後に、高崎くんは一旦「舟」を降り、「港」に控えることとなった。荻沢さんは何度もラジオをやめよう逡巡したし、静岡県に補助金を申請する際も「もう出すのを辞める!」という連絡を電話でうけたのち、翌日には「やはり出そうと思うんだけど……」とまた電話をうけることもあった。

僕は一貫してやるべきだと伝えたけど、荻沢さんは熱海ふれあい作業所という法人の理事長であり経営者だ。もし続けるならスタッフ体制はどうする? メンバーに対する日常的な支援の手さえ決して十分じゃないなかで、スタッフが現場を抜けてスタジオや他の事業所に取材に出かけるのだから、「なんでそこまでして続けるの?」って議論になるのはもっともだ。また、そもそも高崎くん自身が体調不良を契機にふれあい作業所まで退所してしまった中、彼自身をどういう立場で支援するの?福祉現場にとっては、「支援」と言うには説明が難しすぎる、ツッコミどころ満載のこのラジオプロジェクト「あめにじ」。連日何度も何度も議論は続いた。

2018 年 5 月に初めてパーソナリティとして登場した荻沢さんの緊張した声の表情をよく覚えている。そりゃそうだ。ラジオなんてやったことなくて当然。でも定期的にスタジオでリスナーに向けて語り続け、直接様々な福祉のキーパーソンとつながっていくなかで、彼女もこれをわざわざやることが福祉の未来にとってどういう意味をもたらすのかという気づきを徐々に実感してくれた、と僕は受け取っている。そういった深い逡巡の結果、2年半という短い期間ではあったけどなんとか放送を継続してきた。高崎くんには時折、「港」から近況の声や音楽を届けてもらいながら。

静岡県内のユニークな福祉の実践者たちとの出会い。そして白井くんのパーソナリティデビュー。これは、良し悪しを超えて、高崎くんだけが乗り込んでいた以前の「舟」では、けっして出会うことのできない風景だったと思う。高崎くんの思いは確かに乗せているが、そのうえで、スタッフやメンバーたちがそれぞれの思いを乗せていくことで、「寄港先」は多様に展開し、高崎くんの思いがつまった「種」がラジオという「舟」に乗って国境を超え、各分野に蒔かれてゆく。これは「福祉“業”」の話ではない。「福祉」がそもそも「福(しあわせ)」と「祉(しあわせ)」を意味する文字からできていることを踏まえても、「福祉」は 間違いなく誰にとっても切実な、みんなの問題なのだ。

僕は、高崎くんから「種」を引き継いだ2018 年の一年間こそが真に充実した「航海」だったと思っている。普通に考えれば「一人の障害当事者が始めたラジオ番組を進めるプロジェクトなのに、本人の病状が悪化してやめてしまったのなら、それって失敗じゃね?」って捉えられるだろう。でも、ここははっきり「そうではない」と断言したい。

なぜなら、彼がラジオを通じて発する言葉を受け取ることよりも、彼がその言葉を発しようとした(あるいは時にできなかった)「態度」に自分たちを「重ね合わせる」ことの方がよっぽど大切だから。 繰り返しになるけど、重要なのは「支援者」を増やすことではなく、ひとりでも多くの「同志」 を生み出すこと。だからこそ、このラジオは情報の受発信である以上に、もっと身体性を伴う体験だと思うのだ。

この体験をまともに食らったのは、秋庭さんら現場の支援スタッフたちだった。彼女たちは、僕の目の前ではっきりと「支援者」から「同志」へと変わっていった。彼女たちはそのあと、新たな福祉現場を求めてふれあい作業所を離れることとなる。もちろん僕の立場では知るよしもない職場としての様々な理由もあったのだろう。でも、「あめじに」が彼女たちを新たな世界へチャレンジする一つのきっかけになったことは間違いないと思う。

これまでいろいろな福祉現場に関わりながら文化活動をやってきた。現場では、最初は「なんでこんなことやるの? なんか意味あんの?」って思っていた支援者たちが、意味を超えて「体感」していくなかで、これまでどこかでモヤモヤとくすぶっていたけど蓋をしていた感覚に気づいてしまうということが度々起こる。そして気づいてしまったら、もう元には戻れない。とどのつまり「私」が「私」として生ききることに正直になるしかなくなる。ピアスタッフの竹内さんの言葉を借りれば「本当に自分を生きてるの?」という問いから逃れられなくなるわけだ。

「ほんとうに大切な“支援”ってなんだろう?」

こんなことは到底すぐ答えがでるものでもないし、手に余りまくる大命題だけど、どれほど日々の支援が忙しくとも、走りながらも常に考えることを止めてはならない問いだと思う。

✳︎

2019年3月に「あめにじ」の放送が終了し、僕は長らく高崎くんと連絡が取れなかった。LINEで連絡しても、既読にはなれどレスはない。ふれあい作業所を離れた秋庭さんからは「調子あまり良くないかも」と聞いては、心配していた。でも、何もできなかった。正直に言えば、「ひょっとしてラジオを続けたのは余計なことだったのではないか?」と思ったこともあった。秋庭さんには、「アサダが会いたがっていると伝えておいて」とだけ言っておいた。それから二年少し経ったある日、突然彼からLINEが入った。「会いたいです」と。そして[前編]の冒頭のこの言葉を本人から直接聞く。

「静岡を離れることにしました。恋人と北海道で一緒に暮らします。」

今後の人生相談に乗った。大したことは何も言えなかったし、むしろ僕の方が彼の門出に触発された。そして、高崎くんが以前会議で話していたこの言葉を思い出した。

“「障害者」という立場で、何かを発信するときに、「がんばってるね」とかは思ってもらえたとしても、本当に伝えたい何かを骨身にしみさせるには、2ヶ月に1回の放送でも間に合わず、そこはいつもジレンマだった。”

「同志」として認めてもらえるならば、そのジレンマはラジオのみならず、今こうやって「書く」ことも通じて自分なりの引き受け方をしようと思った。この原稿も、彼の「種」を乗せた「航海」の途上にある。

【画像】海の上を虹に向かってすすむ船のイラスト。さまざまな同志が乗組員として乗り込んでいる。

*今回の原稿は、以下の参考資料:熱海ふれあい作業所ホームページ内レポート「雨上がりの虹を、町に。——『ふれあいラジオ 雨上がりの虹」がつないだもの』」の記録を元に、筆者独自に大幅な加筆修正を行い執筆しています。


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連載:砕け散った瓦礫の中の一瞬の星座 -ケアと表現のメモランダム-|アサダワタル