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生きてきた証は電波に乗って ―ラジオと支援と高崎くんと [前編] 砕け散った瓦礫の中の一瞬の星座 -ケアと表現のメモランダム- vol.05

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本連載は、ユニークな方法で他者と関わることを「アート」と捉え、音楽や言葉を手立てに、全国の市街地、福祉施設、学校、復興団地などで文化活動を手掛けてきた文化活動家・アサダワタルさんによるエッセイシリーズです。アサダさんがこれまでにケアの現場で経験してきた出来事、育まれてきた表現、人々との関係性を振り返り、揺れや戸惑いも含めて、率直に感じたこと・考えたことを綴っていただきます。(こここ編集部)

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生きてきた証は電波に乗って ―ラジオと支援と高崎くんと [前編]

「静岡を離れることにしました。恋人と北海道で一緒に暮らします。」

横浜の駅ビルに入っている喫茶店で向かいあって座り、しっかりと僕の目を見てこう伝えてくれたのは、数年ぶりに再会した高崎史嗣(ひとし)くんだ。生活は大変そう。でも、元気そうだった。新しい人生に向かって覚悟を決めた人が放つ、不安だけど希望を胸に秘めた独特な清々しさがあった。

彼は静岡県伊東市出身。僕と出会った2016年当時は20代後半の青年だった。場所は熱海にある「熱海ふれあい作業所」(以下、ふれあい作業所)。そこは、知的障害や精神障害のある人たちが通所する働く場であり居場所だ。施設と同名のNPO法人が運営していて、グループホームもやっている。

高崎くんは一見無愛想だが、話すとものすごく礼儀正しいし、月並みな言い方だけど、笑顔が素敵だ。とても音楽が好きでいつもイヤフォンをして何かを聴いている。そしてジャグリングをこよなく愛す。週末はたまに都心のコミケに出かける。そこでかなりマニアックな音楽CDを手に入れ、広場でプロのジャグラーのパフォーマンスを観覧する。そんな様々な趣味や特技を持つ彼の特性のひとつに、統合失調症がある。通院と服薬を続けながら仕事と好きなことのバランスを取り、母親と二人で暮らす伊東の実家から送迎車に乗って毎日ここに通っていた。

ちなみに、ふれあい作業所の仕事は熱海市内から集まってきたビンの選別とリサイクルがメインだけど、彼はと言えば……あれ? それやってるところ、見たことないな。 サボっているのかな? いやいや、彼には彼の、彼にしかできない「仕事」があったのだ。それがなんと、「ラジオ番組のパーソナリティ」だった。

2015年秋、ふれあい作業所が主催する秋祭りで、イヤフォンで音楽を聴きながら佇んでいたところ、地元のコミュニティラジオ「FM熱海・湯河原」のディレクター金井周平さんが彼に声をかけた。さっきも書いたように高崎くんは一見人を寄せ付けない雰囲気があるので、金井さんも「なんとなく声をかけづらい感じで、ちょっと怖そうな人」と思ったらしい。でも、金井さんはそこを乗り越え、「音楽、好きなの?」と声をかけてみた。それと、彼がつけているイヤフォンが100円均一のものであると知り、少しでもいい音で音楽が聴けるように「スタジオに使っていないイヤフォンがあるから、今度持ってきてあげるよ」と伝えたそうだ。高崎くんは最初、半信半疑で社交辞令で言われていると思ったらしい。でも、金井さんは本気だった。後日、実際に新しいイヤフォンをふれあい作業所まで持ってきてくれたのだ。

信頼関係が芽生えたなか、金井さんは「今度はスタジオに遊びにおいで」とまた声をかけた。それで、一人で行くのが不安だった高崎くんは、でもやはり誘われたからには行こうと思い立ち、ふれあい作業所所長(当時)の荻沢洋子さんに相談。二人で熱海駅近くの雑居ビルの中にあるFM熱海・湯河原のスタジオに訪れた。録音方法を伝授されると、高崎くんはすぐさま器用に機材を使いこなした。普段から音楽が好きで音響機材にも興味があったため、独自の勘が働いたのだろうか。彼の才能を見抜いた金井さんは、「試しに番組を録音してみて、うまくいったら放送してみようよ」と声を掛ける。だいぶ踏み込んだ提案だろう。だって公共の電波に乗るわけだから、お世辞でそんなこと言うわけではない。金井さんは、本当に高崎くんのセンスに惚れ込んだのだ。

収録日を決めて、台本を書き、ナレーションを読み上げる練習、そして音楽をインサートする練習を重ねる。読み、語り、そして曲をかける。いくら台本やマニュアルがあったって、これらの行為を瞬時に重ねて実行するのは決して簡単ではない。でも彼はやりこなし、2016年7月に見事にオンエアにこぎつけたのだ。

“エフエム熱海湯河原からお送りしている、熱海ふれあい作業所のラジオ「ふれあいラジオ 雨上がりの虹」。みなさん初めましてパーソナリティの高崎史嗣です。このラジオは通称“就労B”の利用者である障害者がラジオの作成、放送を試みた番組です。今回、私は初めてラジオの収録・放送を行うことになりましたが、現在緊張感で溢れています。障害者がラジオの放送をするというのはあまり聞いたことがなかったので悩みましたが、なんとか頭の中で一つの形になりました。今日はそんな形となった「ふれあいラジオ 雨上がりの虹」をお送りしていきます。”

(2016年7月の放送より)

こうして始まったのが、「ふれあいラジオ 雨上がりの虹」だ。各月第三週土曜日に熱海・湯河原エリアで放送される約60分の番組。その企画構成・パーソナリティを高崎くんが担っている。まさに「デビュー」である。

この放送からしばらく経った2016年秋、僕は高崎くんと出会った。

「熱海で、障害当事者の方が中心になってラジオ番組を放送するっていうプロジェクトがあって、それにアドバイザーとして関わってくれない?」

きっかけは、友人で仕事仲間の鈴木一郎太くんからかかってきた、こんな一本の電話だった。彼は静岡県がやっている「アーツカウンシルしずおか」という文化団体で働いていて、福祉やまちづくり、教育など、様々なジャンルで行う県内の文化事業を対象とした公募プログラムの担当をしていた。彼が直接関わっているケースに、こういう名の事業があった。「雨上がりの虹を、まちに / ラジオにのせて、ふじのくに、ソーシャルインクルージョンへのひとしずく」。高崎史嗣くんという青年がやるラジオを、文化事業として静岡県が応援する。その背景には、障害福祉に横たわる課題があった。

読者の皆さんならお気づきかもしれないが、世の中では障害のある人と接する機会は本当に少ない。ましてや障害のある人と何かを一緒にやっていく機会なんてもっと少ない。福祉サービスという名のもとで、また福祉施設という囲いのなかで、障害者はどうしても地域から見えづらいという課題がある。地域の喫茶店や企業でかけっぱなしにしていることも多いお馴染みのコミュニティFMは、耳から福祉がすっーっと身近に入ってゆくのではないだろうか。ふれあい作業所・荻沢さんはこう話した。

「大きな声で直接支援を訴えかけるのとは違って、障害者はどこにでもいて、みんなと変わらないんだってことが耳ざわりよくラジオから入っていったらうれしいんです」

そんな思いを持って、事業を申請し、見事採択された。ちなみにアドバイザーとして僕に声がかかった理由は3つ。以前から福祉現場と関わりがあったこと。僕自身が実際にラジオ番組のパーソナリティ経験があること。そして音楽の話を通じて高崎くんと深くコミュニケーションできるであろうこと。「高崎青年とコンビを組んで、事業がスムーズに行くようバックアップしてほしい!」というわけだ。そんな特殊な経験値を持っているヘンテコな人材は、日本中探しても僕くらいしかいないだろう(多分)。こうして熱海行きを二つ返事で了承した。こういった過程を経て、高崎くんをセンターに添えたプロジェクト、通称「あめにじ」がスタートしたのだ。

【画像】ラジオの配信機材に囲まれながらヘッドホンをし、マイクの前で話す高崎さんのイラスト

改めて、高崎くんの魅力を伝えたい。彼の面白いところは、「彼じゃないと電波に乗せないだろう」という音楽を独自で仕入れ、選曲するところ。そのジャンルは「同人音楽」と言われるものだ。同人音楽とは、コミケ(コミックマーケット)などでインディーズのミュージシャンたちがブースを開いて直売りするなかで培われる、言わば流通スタイルのジャンルであり、同人誌の音楽版という理解がわかりやすいかと。彼は有明ビックサイトで行われるコミケなどに足繁く通い、ミュージシャンたちとの会話を楽しみ、試聴をして、CDを仕入れて来る。そして、スマホに大量に入った楽曲のなかから、選曲し、合間に自らの生活のこと、作業所でのことを台本に書き込みながら、ラジオを構成した。

ふれあい作業所からの帰り、高崎くんと一緒に送迎車のなかで、何度か好きな音楽の話をした。高崎くんが聴いている曲を片耳イヤホンで聴かせてもらい、次は僕が選んだ曲を聴いてもらう(まるで高校生の恋人同士ではないか)。

「あっ、この感じが好きなら、こんなのどう?」
「おぉ、いいっすねぇ。さっきのアーティストの別ユニットもあるので、これはどうですか?」
「なるほど。さっきのより聴きやすいかも。このテイストだったら……高崎くんの好みに合うかも?」

とても楽しい時間が流れる。やっぱり音楽はいい。こうして、高崎くんとだんだん音楽を介して「友達」になってゆく。

高崎くんは、ラジオの中で自分の障害についても積極的に紹介している。少し長いけど、皆さんにとても読んで欲しいので引用させてください。

“私は精神面の障害者なんです。一言で統合失調症と言っても人それぞれ、幻覚・幻聴・被害妄想・認識障害などいろいろあります。私の場合は思考障害。主に物体やものごとがうまく認識できない症状がよく現れます。文字が読めない。音読はできるけど意味が分からない。色彩や形状が理解できない。白を見てもそれが白と認識できなかったり、サッカーボールのような球状のものを見てもそれが丸いものだと分からなかったり、なかなか不便な思いをたくさんしています。

正直この状態になって良かったことなんて何もありません。それでもこうやってラジオ番組を作らせてもらったり、新しい趣味を見つけたり日々生きてきています。私は今まで“生きていた”のではなく“生きてきた”つもりです。少なくともこれまでに失敗はたくさんあったけど後悔はしていません。 

障害者になって驚いたのは劇的な日常の変化。当たり前が失われていく喪失感。徐々に増していく焦り。とにかく希望が持てない状態になりました。その状態になったことで普段の生活では出会えなかったであろう人たちと出会うことができました。失った日常もありますが、新しい日常が目の前に広がりました。

私にしか見えない視点。それは福祉と音楽による出会いでした。福祉施設に通所して以来、私は様々な出会いがありました。同人音楽に携わりながら福祉施設に通所している人、音楽活動の手伝いに来ていた訪問看護師、私のような統合失調症を患っている人が身内にいる人、元言語聴覚士など。福祉は身近なものなんだと痛感しました。 

障害者って結局のところ当たり前の中に存在しているんだと思いました。ボーダーラインなんてないのかもしれません。”

(2017年7月の放送より)

統合失調症を患っている状況は不便なことも多い。でも、今は前向きにやれる可能性があると感じていると語る高崎くんの言葉には切実さゆえの重みがある。

「“生きていた”のではなく“生きてきた”」。この言葉からは、自分の生に対して誰のせいにもせず他ならぬ自分として生き切るといった、静かだけど明確な意志を感じる。そして、彼は障害当事者としてのありのままの自分自身が「メディア」として振る舞うことに、他の誰よりも自覚的であるということだ。

しかもそれは、「障害がある“のに”(頑張っている!)」でもなく、「障害がある”から”(特殊な才能があるのね!)」でもない、「ただそこに”高崎史嗣”という人物がいるのだ」という事実から始めないと伝わらない、「“障害者”も含めて誰もが個別固有の存在であり、またそうでしかありえない」というメッセージだ。

子供の頃から他人とは考え方が合わないと感じ、中学から学校へ行けなくなり、卒業後は10年ほど自宅に引きこもってきた高崎くん。彼にとっては、エフエム熱海湯河原の金井さんや僕なんかは、このプロジェクトに参加したからこそ出会えた「これまであまり見たことのないタイプのちょっと変わった大人たち」だったと思う。所長の荻沢さんはそんな型にはまらない自由な大人たちとの出会いが多くなっていった高崎くんに対して「目に見えて角が取れてきた」と言っていた。それだけでない。僕が送迎車で彼とのやりとりを楽しんだように、ふれあい作業所の他のメンバーとのコミュニケーションも確実に増えたのだ。とある、ももクロ好きのメンバーさんは、ラジオをやっている彼にとても憧れを抱いており、他のメンバーも彼の才能をとても応援している様子が何度か見られた。

また端的に、より広い社会とのつながりも増えた。具体的には、コミケで会うミュージシャンたちとの交流などだ。高崎くんはラジオで使用する楽曲を、自ら選び、インディーズの音楽については制作者への使用許可も自分でちゃんと取っている。僕も彼にくっついてコミケに行ったことがあるが、はっきり言って人が大勢いるところが苦手でまぁまぁ人見知りする僕なんかよりよっぽどコミュ力があり、またとても丁寧にミュージシャンとやりとりする様子からは、明らかに彼が「音楽に携わっている人」を心から尊敬していることが窺える。ミュージシャンたちは彼のその誠実さに共感し、ラジオでの楽曲提供を快く承諾する。こうして彼は多方面につながりを広げてゆく。

こういった変化は、いわゆる「福祉的な方法による支援」の中では見たことがないほど大きなものだったと荻沢さんたちスタッフは話す。この連載で書いてきたように、僕も近年は福祉施設のスタッフとして働いてきたので、この「福祉的な方法による支援」については理解しているつもりだ。つまり、障害者の支援は法律に基づいた「福祉サービス」という名の下で行われ、そこでは障害の特性や重さによって支援対象が区分され、ある人は社会参加と経済的な自立を促すために「就労」し、ある人はまずできることを増やしながら生活基盤を整えるために「生活介護」の対象となり、またある人は地域での余暇や社会参加を求めて「地域活動支援センター」に通い、将来の家族からの自立に備えて「短期入所」を利用し、それらのサービスをどのように計画立てて使ってゆくかを決めるために「計画相談」を活用するといったように。

その個々のサービスの中で、例えば「就労メニュー」とか、「日中活動プログラム」などの中身にはかなりの自由度があるはずだが、多くの事業所がその中身に悩み、しかし熟考する間もないほど目の前のメンバーの種々様々な行動に対する支援はまったなし! そう、多くの福祉現場は立ち止まって考える時間がほとんど取れないほど忙しいのだ。だから、高崎くんのように「ラジオ」をやるなんてのはまさに「自己実現」の範囲であって、「そんな夢について考えるのは生活が安定した後ですよね……」というのがリアル。確かに、「あめにじ」はどの福祉現場においても日常的にできる「支援」ではないだろう。偶然の出会いが左右することも大いにある。

でも、高崎くんの変化を見た荻沢さんは「こんな支援もありなんだな。違う方向から攻めると変わっていくんだ」と強く感じたのだ。高崎くんをよく知る相談支援専門員(障害のある人が自立した日常生活を営むことができるよう、障害福祉サービスなどの利用計画の作成などを行う職種)のある方も、「こんな支援モデルが有り得るのかと目から鱗だ」と、その変化に驚いたらしい。

経済的な自立を優先するだけが「支援」ではない。引きこもっていた人が社会に関わりたいと思えるような、ひきこもってようがなんであろうが高崎くんがまさにラジオで発言した「“生きてきた”」という意志を、より社会とのつながりづくりへと具体的に発展させてゆく創意工夫が必要なのではないか。また、高崎くんがやっていることは、見方によってはラジオを通じた「ぴあサポート」にもなり得る。ぴあサポートとは、とりわけ精神保健福祉分野で注目されている、当事者による当事者支援のことを指す。家族や支援者から言われるより、先輩にあたる当事者からの声を直接聞けるというのは、何も障害当事者の悩みへのアプローチだけでなく、「それを経験したあの人がそう言うなら……」という感覚は、多くの人が経験したことがあるだろう。だから、かつての高崎くんのようにこの地域で引きこもっている若者が、たまたまラジオ通じて高崎くんの声を聞き、社会参加の一歩につながることもあるかもしれないのだ。

さて、番組が始まって一年程経過した頃、高崎くんは思いも寄らない恋慕の気持ちを電波に乗せた。

“思い人がいます。付き合い始めてまだ間もないのですが、連絡ができる時間があるときは嬉しくて楽しくて、そんな日は1日楽しいです。いままで異性に憧れをいだいたことはあったけど、本気になったことはありませんでした。そんな私が今恋をしています。なんだか不思議だなと思っています。”

(2017年9月の放送より)

かつて「恋愛なんて興味ないし一人で生きていきます」と話していた高崎くんになんと恋人ができてしまった!

ラジオは別に関係がないかもしれない。でも、ひょっとしたらこうして色々な人との出会いが広がり、もともと彼に備わっていた「出会う力」がより開花したなかで起きた恋心だったとしたら……? まぁその因果関係は置いといたとしても、とてもめでたいことだ。この日の放送で、高崎くんは人を好きになることの苦しさや、自分なんかでは迷惑ではないかという不安、それでも好きだという気持ちが入り乱れる経験を、とても率直に伝えていた。明らかに彼は変化していた。

こんな風にとても順調に見えた高崎くんを軸としたプロジェクト「あめにじ」だが、その後、状況を大きく変える出来事が起こったのだ。

づづきは次回に。


*今回の原稿は、以下の参考資料:熱海ふれあい作業所ホームページ内レポート「雨上がりの虹を、町に。——『ふれあいラジオ 雨上がりの虹」がつないだもの』」の記録を元に、筆者独自に大幅な加筆修正を行い執筆しています。


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