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粘る。いても、いなくても。 ―ラジオと支援と高崎くんと [中編] 砕け散った瓦礫の中の一瞬の星座 -ケアと表現のメモランダム- vol.06

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本連載は、ユニークな方法で他者と関わることを「アート」と捉え、音楽や言葉を手立てに、全国の市街地、福祉施設、学校、復興団地などで文化活動を手掛けてきた文化活動家・アサダワタルさんによるエッセイシリーズです。アサダさんがこれまでにケアの現場で経験してきた出来事、育まれてきた表現、人々との関係性を振り返り、揺れや戸惑いも含めて、率直に感じたこと・考えたことを綴っていただきます。(こここ編集部)

これまでの記事

前編のあらすじ

コミュニティラジオで番組を持ち、企画構成・パーソナリティを担当することになった高崎史嗣(ひとし)さん。同人音楽に詳しく、精神障害のある当事者でもあり、熱海ふれあい作業所に通っています。そんな高崎さんのラジオ番組づくりに、アサダさんはアドバイザーとして関わることに。高崎さんは自身の率直な言葉をリスナーに届けていき、本人も少しずつ変化している様子。「こんな“支援”もあるのか」と周囲は驚きます。とても順調に思えたのですが……(前編はこちらから

粘る。いても、いなくても。 ―ラジオと支援と高崎くんと [中編]

「気を病みました。一週間ほどお休みさせてください。」

2017年12月、高崎史嗣(ひとし)くんが体調を崩した。理由は、いつも飲んでいた薬を突然自分の判断でやめてしまったから。話を聞くと、薬を飲んで眠くなるとラジオのキューシート(番組進行表)や台本が書けなくなってしまうとのことだった。

「洒落にならない量の被害妄想と、生活に必要なアクションの衰退。バイタル的には一日中の頭痛とふらつきがあります。認識障害も出ました。正直かなりやばいですね」

これらの会話は、熱海ふれあい作業所で高崎くんの支援を担当するスタッフ 秋庭好江さんのLINEに届いたものだ。これでは、とてもじゃないけどラジオは続けられない。いや、というよりラジオ番組を作り続けることが彼にとって生きがいであるとともに、大きなストレスにもなっていた、ということだろう。

高崎くんがパーソナリティを務めるFM熱海・湯河原でのラジオ番組「ふれあいラジオ 雨上がりの虹」。二ヶ月に一度、第三土曜日に放送される60分の番組。彼はこの番組作りのほぼすべてを一人でやってきた。

まずは60分の中で何分何をするかという構成を書いたキューシートを作成。そして、流したい音楽を選び、インディーズの楽曲なら制作者に使用許可を取る。高崎くん自身が度々話していたのは、台本を書くことの大変さだ。アドリブが苦手な高崎くんは、「アドリブっぽく聞こえるコメント」も含めてすべてきっちりと書いた台本を用意していたのだ。番組が始まった頃にラジオ局のディレクターである金井周平さんが「こんなにやってこなくても大丈夫だよ」と言ったほど、キューシートも台本もきっちりと作成。

収録では、パーソナリティとして話す、音楽を流す、音量の調整をする、録音後は編集をするところまで文字通り一人でやっていたのだった。

ふれあい作業所の所長 荻沢洋子さんやスタッフ秋庭さんからすると、その頃の高崎くんは、ラジオの制作に没頭しているように見えていた。「回を重ねるごとに慣れてきて、話す内容や言葉遣いには哲学的な雰囲気もあり、毎回感動しています。だんだんプロっぽくなってきた」と荻沢さんは感じていたのだ。

その時期、2017年の春〜夏にかけては、別の現場が忙しくてあまり熱海に訪れることができていなかった。高崎くんと直接会って話す機会が少なく、まさに番組のなかでの彼の声色だけで彼の調子を判断していたのだ。番組を聞いているぶんには回を増すごとにパーソナリティとしてのスキルが上がっていて、「高崎くんすごいな。ちゃんとビシッと番組つくってるなぁ」と率直に感動さえしていた。

でも、荻沢さんから「高崎くんの状況がかなりよくない。当面ラジオは無理そうだけど、どうしよう?」と相談の電話をいただいたときは、正直「しまった……」と大いに反省した。もっとフォローをするべきだったのだ。

僕自身のラジオ番組制作経験から言えば、台本をきちっと書いて曲を選ぶのは「作品制作」に近い世界だ。一人で全部をやるモノローグ的な方法だと、どんどん哲学的になるし、毎回大きな宿題を出されているのと同じ。追い詰められていくのも不思議ではない。

僕も2010年代半ばに京都のラジオ局でパーソナリティをやっていた経験がある。4年半にわたって毎週金曜に欠かさず25分番組を合計235本作って放送した経験から言えば、この作業、なかなかにプレッシャーなのだ。穴を開けるわけにいかないから。とはいえ、僕は喋るのや原稿を書くことを仕事にしているので、なんとか要領よくやってこれた。

一方で、高崎くんはあの徹底的に生真面目なやり方である。彼の性格が全面的に現れているし、どこかで「高崎くんはあの方法でやりたいんだろうなぁ」と僕はお気楽に思っていたけど、見方を変えると、「あのやり方しか知らなかっただけ」だと気付かされたのだ。そりゃ、しんどかっただろう。

【画像】高崎さんが作成しているラジオの詳細な進行表と手を描いたイラスト

今後の進め方についての話し合いには、高崎くん自身も参加し、2018年1月と3月の放送は僕がピンチヒッターとしてパーソナリティを務めることになった。

その時期から高崎くんと個別にLINEでやりとりをはじめ、まずは彼のいまの調子を確認しながら、今後のラジオのことを少しずつ話し始めた。高崎くんの支援を担当している相談支援員や現場スタッフの秋庭さんからは「普通に考えれば入院すべきだ」という意見が出たが、高崎くんにとっては経済的な理由もあり入院はしたくない。なので、ふれあい作業所は当面休み、伊東にある自宅で過ごす日々を送っていた。

電話が苦手な彼の連絡手段はLINEのみ。しかし、当時の僕はLINEをほとんど使っておらずどうも苦手だった。またそもそもズボラな性格なのでなかなか即レスする習慣がつかず、彼の言葉の行間も読み切れず、彼を不安にさせてしまうことも多々あった。秋庭さんからも「アサダさん、高崎くんからLINEがきたらできるだけ早く返してあげて。予定がたたないことがとっても苦手だから」と助言をいただくこともあった。

彼は調子が悪いと言っても、「精神障害のある人の、調子悪いときって、幻聴とか妄想とかあるのかな……!?」みたいなイメージとは違い、彼女に会いに遠方まで泊まりがけで出かけたりしている。その様子を知ると、「なんだ、わりといろいろやれているじゃないか」とか思うのだけど、だからと言って「じゃあラジオできそう?」っていうと、これはまた責任のある立場で番組を一本つくるのってなかなか大変で、それはいまの彼の心身にとってはかなり負担なのは目にみえていた。

そう、このあたりの塩梅はとても難しかった。ひとえに僕の経験不足も大きかった。だからまずは「好きなことをやる」なかで、また彼が回復したらパーソナリティとして戻ってくれるかな、と思いながらひとまず番組構成を仮組みしようと試みたのだ。

そこで最初に考えたのは、「彼の好きな世界観をもっと知りたい」ということ。具体的には、彼が毎年必ず行っている年末三日間、有明ビックサイトで開催されるコミケ(コミックマーケット)に連れていってもらうことだ。これを実現させ、同時に、これ自体を「パーソナリティ高崎史嗣と行く!コミックマーケット2017冬!」というコンテンツにもできるだろう。さしあたってこれを次回の放送分にしよう!

小型レコーダーを持った僕は、ド年末の朝7時に大井町駅で高崎くんと待ち合わせをした。そしてりんかい線に乗っていざ有明へ。二人で超行列のなかでいろんな話をする。コミケの独特の文化や慣習について、ブースの種類について、コスプレイヤーの傾向について、最近聞いている音楽について、毎日家でどんな風に過ごしているかについて、彼女さんについて。この日、高崎くんは終始楽しそうだった。彼が行きつけの同人音楽のブースではミュージシャンも紹介してくれた。彼のもうひとつの趣味であるジャグリングのパフォーマンスも一緒に観に行った。そして日が暮れてきた17時ごろに、東京テレポート駅で現地解散した。

帰り際、彼に「次回僕がピンチヒッターをやっている間に流す曲やけど、何曲か高崎くんの好きな曲、見繕ってくれない?」と相談し、「いいですよ」とその場で年の瀬の別れを告げたが、これがまた彼に負担をかけることに。

2018年の年始。新潟の妻の実家で過ごしていたとき、所長の荻沢さんから電話をうけ「高崎くん、正月にかなり病状悪化したとのこと。楽曲が選びきれないと」。しまった……。またやってしまった。

「僕は彼のこと、やっぱりなんにもわかってないんだな」と深く反省しながら、LINEで彼に直接、負担をかけたことを詫びた。選曲は僕が引き取り、以前二人で一緒に聞いて“これいいね”ってなった曲を中心に選んだ。そしてミュージシャンたちにも僕から提供許可をもらう段取りをした。その後は、高崎くんにとっても荷が降りたようで、LINEでのやりとりもスムーズになった。そして、年始早々にエフエム熱海・湯河原のスタジオで、ピンチヒッターのアサダが荻沢所長立会いのもと収録。高崎くんに「無事に収録できたよ!」と報告したのだった。

【画像】コミックマーケットにきている高崎さんとアサダさんのイラスト

その後、ラジオ番組「ふれあいラジオ 雨上がりの虹」を軸にしたプロジェクト「あめにじ」の関係者が集まって、今後の方針について抜本的に話し合うことになった。議題はもちろん「高崎くんが今後もラジオを続けられるのか」だ。大きく状況が変わった中で、どのように番組を作っていくのか、そもそもパーソナリティ不在のままプロジェクトを続ける「大義」はどこにあるのか。さらには、目前に迫ってきた次の1年をどのように取り組んでいくのかも含めて、率直な意見交換をした。

まず「大義」はある、と僕は考えていた。ラジオを制作するだけでなく、障害福祉事業所から発信する文化事業として改めて考えれば、高崎くん自身がエンパワメントされるということのみに焦点をあてる、つまり高崎くんに対する「ケア」や「支援」だけを取り上げる必要はない。これだけを目的にするなら、やり方を間違えれば「感動ポルノ」(障害者だってやればできるんだ!的な)にだってなり得てしまうだろう。

ポイントは「高崎史嗣“を”」ではなく、「高崎史嗣“から”」なのだ。彼と話していくなかで実感したのは、高崎くん自身が「そのこと」を一番よく理解しているということ。前編に書いたが、彼は障害当事者として自分自身が「メディア」になることに自覚的だった。高崎くんは、自分が「役者」であるとわかっているのだ。そのことが如実に伝わる彼の番組での発言を取り上げたい。

“利用者に限らず、障害者や健常者、社会や地域が支え合うような世界がつくれるように何か考え、そして行動していくのが我々当事者の役割かなというふうに私も思いました。自分の障害が、相手の障害や心の傷を理解できるような一つの個性としてみてもらえれば、それは相手とのつながりを強く結ぶきっかけとなるでしょうし、地域でそれができれば 、やがてそれは社会に差別のない思想が浸透していくひとつの足がかりになると思います。”

(2016年11月の放送より)

また彼は「障害」というのを一括りする世間の態度を指摘し、障害の種類によって「見えやすい特性」と「見えにくい特性」があることに率直に切り込む。そのうえで、「障害者に必要なのはスポットライトを当てて見てもらうことではなく、社会に踏み出す具体的なきっかけを与えること」と、当事者ならではの冷静な発言をしている。

“障害者って身体障害者が多いと思ったことがありませんか? 体の一部が動かないことに注目し、障害者だって頑張っているんだという報道などが多い。例えば自閉症など知的障害に着目し感性を褒めて伸ばす試みも多い。私のような精神障害者はどのように見えているのか。体が動かないわけでもなく、他人とのコミュニケーションができないわけでもない。そんな障害者が認められるのか。(中略)この差は当事者にとってつらい。目立ちたいわけではないけれど、私たちも認めてもらえる機会を望んでいます。私はラジオでみなさんとお会いしているけれど、多くの当事者は足がかりさえ見えてこない。障害者に必要なのはスポットライトを当てて見てもらうことではなく、踏み出すきっかけを与えることではないでしょうか。きっかけがあれば自分で勇気をはかることもできますし、勇気があれば自信につながることもあります。”

(2017年9月の放送より)

「私」をさらけだす。「私」が愛でる音楽を、文化を、「障害当事者」でもある立場を強く自覚しながらその悩みも絡めながら発信していくこと自体が、世間の「障害」のイメージを崩す。「障害があるけどがんばっている」でもなく「障害者だからなのね」でもなく、シンプルに「俺、こういうの好き。で、なんかチャンスもらったし自分を表現してみましたが、どうですか?」という姿勢。

彼はある意味で「選ばれた」わけだし、自分が「選ばれた」ことを理解しながら、やはり過剰な気負いもあり、そして体調を崩し、番組そのものを続けられなくなってしまった。さて、これらの一連のプロセスを周りの関係者はどう考えればいいのか。ある意味ではわかっていたことではないかと。こうなることもありえただろうと。だからとりあえず「ちょっと粘ろう」と。こうして、結論は次の会議に持ち越された。

2018年2月から高崎くんは、ふれあい作業所をやめ、伊東市内にある別の作業所に通いだした。

ふれあい作業所はいわゆる「就労継続支援B型」だが、新たに通いだした作業所は「A型」だ。A型では、雇用関係を結び、最低賃金もしくはそれ以上の賃金を受け取れる。その分、就労時間など規則もよりシビアだ。ある意味、前向きだし、気分転換にも良いかもしれない。でも、つい最近まで調子を崩していただけに、はっきり言ってだいぶ心配だった。やっていけるのかと。

その職場に入る直前に再度、ふれあい作業所で会議が設けられた。メンバーは高崎くん、担当スタッフの秋庭さん、アサダ、そして熱海でまちづくりに取り組む美術家の戸井田雄さんにもオブザーバーとして入ってもらった。「高崎くんがいま感じていること」についてざっくばらんに話し合うことを一番の目的に置いた場だった。高崎くんの雰囲気をみれば、以前よりも鋭さはなくなり、だからと言って元気がある感じでもないが、少しは落ち着いているようだ。服薬はちゃんと続けている。高崎くんの気持ちは、以下のようなニュアンスだった。

「ラジオを続けたい気持ちはある。でも実際、精神的にも体力的にも続けられない。だからどうしたらいいかわからない。」

そのことを受け、話し合った。戸井田さんの言葉が高崎くんに響いたようだ。そのままではないが、ニュアンスを共有する。

「あれもやりたい、けどできない。ならやれる方法をなんとか考えて、わがままにやってやる。僕らアーティストはわがままのプロ。そういう欲を堂々と持ったっていい。だからみんなを頼ったらいいじゃないか」

まったく同感だ。僕だってそうやってこれまで生き伸びてきた。またこの意見は、高崎くんだけでなく、続けていいのかどうか迷う荻沢所長や秋庭さんたちの心も少し軽くするものだった。

具体的には、引き続き、僕がピンチヒッターになり、定期的に高崎くんとデート(海がそばにある熱海にいるとついそんな言葉を使いたくなる)を重ね、そこで彼の現状のレポートをレコーディングする。曲は一緒に聴きながら「これいいね、あれいいね」と選んでゆく。そして当日は、僕がスタジオに入り、彼に報告し、彼がそれをネットにあげる作業を担当する。これならなんとかやれそうだ。

冗談みたいな話だけど、なんとか、「高崎史嗣」が番組にとって「シンボル」になって、実際には出演していないのだけど、彼の意向や表現は組み込まれていて、みんな高崎くんの話をしている。「高崎史嗣の番組」から「高崎史嗣を取り囲む番組」へと変化したということだ。読者のみなさんはこの取り組みをどう思われるだろうか。

高崎くんは会議の場でこんなことを言った。

「“障害者”という立場で、何かを発信するときに、“がんばってるね”とかは思ってもらえたとしても、本当に伝えたい何かを骨身にしみさせるには、2ヶ月に1回の放送でも間に合わず、そこはいつもジレンマだった」

この発言を受け取った僕の感想は、彼が「当事者」としてもさることながら「表現者」としてもかなり自覚的である、ということだ。1年半ほどのラジオ制作のなかで、彼をここまで思わせるに至ったことを、あまり好きな言葉ではないけど「成長」と言わずしてなんて言うのだろう。

今後の展開として、この番組をきっかけに、熱海のアートシーンやまちづくりのキーパーソン、それに伊東や三島や沼津など静岡県東部でユニークな実践に取り組む障害福祉現場とのつながりをより強化するために、番組づくりに取り込むことにした。つまり、高崎くんがお休みをしている間こそ、より「まち」に出てつながっていこう。そのことを周りの「あめにじ」メンバーが担っていこうということになった。

改めて、この取り組みはなんて形容すればいいのか? 「支援」なのか、「文化事業」なのか、そのどれでもない大切な「何か」をやろうとしている、そんな実感はなんとなくメンバー間でも芽生えつつあった。僕はこの会議のあとに「あめにじ」メンバーのみんなにこんなメールを送った。

“高崎くんという「個人」をきっかけに、その個人の「表現」(この場合、音楽に対する思いや彼の言葉)がラジオを通じて社会化されていく。そのことを「支える」ことは障害福祉分野における「就労移行」や「地域移行」を包摂するような、広い「支援」になるかもしれない。一方で、そのメッセージの受け手は、いわゆる福祉関係者や当事者だけでなく、この「まち」(それは一旦、広くまだ曖昧かもしれないが「熱海や伊東」として)で豊かにのびのびと楽しくつながりながら暮らしていきたいと思っている多様な市民にとっても必要になるのではないか。

そして、さらに具体的にはこの「まち」を面白くしたいと願って活動しているまちづくり実践者たちとつながることで、高崎くんの「個人」から始まった「表現」が領域を超えてより「公共性」をもちえるだろう。このプロジェクトは「私」が持ち得る「公共」を、「障害」や「表現」を手がかり足がかりに、実践していくためにある。”

こうして、「高崎史嗣不在」の新たな「あめにじ」を継続することにした。

後編へ続く。


*今回の原稿は、以下の参考資料:熱海ふれあい作業所ホームページ内レポート「雨上がりの虹を、町に。——『ふれあいラジオ 雨上がりの虹」がつないだもの』」の記録を元に、筆者独自に大幅な加筆修正を行い執筆しています。


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