デザインで、人の力を「ポジティブに見立てる」。“産官学福”から社会を変えるシブヤフォント デザインのまなざし|日本デザイン振興会 vol.03
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異なる領域を掛け合わせることで、新しい価値を生む。その手法の一つ「産官学」連携に、新たに「福祉」を加えた“産官学福”とも言える取り組みが、渋谷を中心に広がってきています。
プロジェクトの名前は『シブヤフォント』。障害のある人が描く「文字や絵柄」を、渋谷区にある〈桑沢デザイン研究所〉の学生が障害のある人と協働してフォントやパターンデータにデザインし、「区公認のパブリックデータ」として公開する渋谷区の事業です。
2016年のスタート以来、プロジェクトには区内累計12箇所の障害者支援事業所で約100人の障害のある人と、延べ50人以上の学生が参加しています。活用されたデザイン数はフォントとパターン合わせて約400種以上にのぼり、2019年度にはシブヤフォント採用商品の売上が2,000万円を突破。その年のグッドデザイン賞も受賞しています。
シブヤフォントはなぜ、このような広がりを生んでいるのでしょうか。これまでにない“産官学福”の試みとして、どのような可能性があるのでしょうか。
「福祉」と「デザイン」の交わるところをたずねる連載、『デザインのまなざし』。前回の「TSURUMIこどもホスピス」に続き、3回目となる今回は、このプロジェクトのプロデューサーである〈一般社団法人シブヤフォント〉共同代表の磯村歩さんにインタビューをしました。
誕生から5年。広がるシブヤフォント
―シブヤフォントは現在、どのような場所で使われているのでしょうか?
例えば、渋谷区役所の新庁舎や、LINE CUBE SHIBUYA(旧:渋谷公会堂)などの公共施設のサインなどに使用されています。渋谷区職員の名刺もこのフォントとパターンを使い、区内の障害者支援事業所で作成しています。加えて、区職員のPCには数種類のフォントがインストールされていて、パターンデータとともに使えるようになっていますね。
それから、約40社以上の民間企業での活用です。雑貨などを販売するマグスタイルは全国の約30店舗で、アパレルのワールドはオンラインショップでもシブヤフォントを使った商品を取り扱っていただきました。(現在はどちらも販売中止)
他にも、ユニクロ、アダストリア、キヤノン、ゴールドウイン、ビームス、東急、渋谷サービス公社などの会社がご契約くださっています。GoogleのWeb用フォントサービス「Google Fonts」にも採用が決まりました。
―ずいぶんと広範囲で活用されているのですね。契約はどのようになっているのでしょうか?
商品にした場合は、企業毎に使用許諾契約を結びます。他にも、大和ハウス工業の工事仮囲い、京王グループのホテルのキーチェーン、MIYASHITA PARKにある「adidas Brand Center」のディスプレイの一部にシブヤフォントを使っていただくようなケースもあり、各々利用料を頂いています。また、個人の方が利用する場合、フォントのデータは無料で、パターンのデータは一律500円です。
そうした売上から、私たち事務局の手数料を引いて各障害者支援事業所にお支払いをし、施設に通う障害のある人に工賃として還元される仕組みになっています。2019年度は、シブヤフォントを採用した商品の年間売上は2,018万円。その他にさまざまな業務委託を合わせ、障害者支援事業所に278万円を還元しました。
渋谷区には、多数の障害者支援事業所がありますが、最初は8箇所からスタートし、今では11施設に広がっています。区からの呼びかけに手を挙げる施設数は、年々増えていますね。
―広がってきた要因は、どこにあるとお考えですか?
やはり、何か目に見えるカタチにしたことが大きなきっかけでした。実際に障害者支援事業所と協働でシブヤフォントの採用商品をつくり、それを渋谷ヒカリエで販売したことで、さまざまな商談が生まれました。
当初、「フォントやパターンを売る」という事業は、関係する方々にとって実感に乏しい面があったはずです。具体的な商品が出来上がり、店舗に売られ、それを手に取れる状態になったことで、障害者支援事業所においても支援員や親御さんに具体物として説明できるようになり、理解が広がっていったように思います。
そして、「渋谷」というブランドも大きな後押しになっていたと思います。採用する企業にとっては、社会貢献に加え、区との連携は大きなアピールにつながると評価いただいています。
2021年には、シブヤフォントをつかった商品が都内62区市町村の特産品「TOKYO GIFTS 62」に選ばれ、渋谷区を代表するお土産にもなりました。
「お土産」づくりから始まったフォント開発
―改めて、シブヤフォントが生まれた経緯についてお聞かせ下さい。
最初は『渋谷みやげ開発プロジェクト』として2016年にスタートしました。区長に就任した長谷部健さんの「渋谷のお土産をつくろう」との声がけを発端に、同区の障がい者福祉課が、「障害者支援事業所と学生との協働で企画できないか」と起案されました。
私は渋谷区内の専門学校〈桑沢デザイン研究所〉で非常勤教員をしており、加えて福祉施設の商品開発支援もやっていたので、コーディネート役を引き受けました。手を挙げてくれた学生、私がピンポイントで声をかけた学生たち9人と、2017年2月にアイディアを発表することになったのです。
障害者支援事業所の商品と言うと、多くの事業所が製造販売している「焼き菓子の詰め合わせ」が思い浮かびますが、お土産として、渋谷区内の店舗に安定供給するのは難しいと思っていました。逆に、大量受注した際には施設側に負担をかけることにもなります。それは支援活動として適切かどうかということも考えていました。
そこで、製造における過度な負担がない方法も加味しながら方向性を定め、学生には取り組んでもらうことにしました。福祉施設で製造する裂き織りや紙漉き商品の改良アイデア、障害のある人によるアートを採用したアイデア、3Dプリンターなどデジタルファブリケーションを活用したアイデアなどを挙げていくなか、そのうちの一人が「障害のある方が描いた文字がユニークで味わいがあるので、フォントデータにしたい」と提案してくれ、これが選考会で採択されたのです。
―どなたか、フォント開発の経験があったのでしょうか?
いえ、私もありませんでしたし、その学生が授業でフォント開発を学んだわけでもありませんでした。ですが学生と対話をするなかで、フォントであれば、より多く、より広い人に使ってもらえ、社会に広がる可能性があると気付いたのです。また、「文字だけでなく柄・文様をデジタルプリントしよう」といったアイデアも出ました。
また、最初に取り組んだ区内の8つの施設との議論においても、文字や絵を書くことならば、複数の施設で同じように取り組めることや、データであれば、在庫を抱える必要もないなど施設側の負担も少ないことがわかりました。これなら、一人ひとりの利用者に寄り添いながら活動を支援できるのではないかと考えたのです。
さらに、フォントなどのデジタルデータならば、渋谷区内に多くある企業とも連携しやすい。デジタルと掛け合わせたユニークなお土産ができそうなことも、8つの施設メンバーと期待しました。
福祉を開く“産官学福”の新たな組み合わせ
―シブヤフォントとして、ユニークな文字やパターンがたくさん生まれ続けています。このプロジェクトならではの特色や独自性を挙げるとすれば、何でしょうか?
まずは、渋谷区の基本構想「ダイバーシティ&インクルージョン」と連動し、それを体現するシンボリックなプロジェクトであることでしょう。自治体が公認していることもあり、さまざまなプロジェクトにお使いいただき、渋谷という巨大な商業の街で観光客向けのお土産を売ろうとする場合なども、優先的に声がかかるケースが出てきました。
データ自体の使い勝手の良さもポイントですね。ご当地キャラクターなどとは異なり、フォントは運用マニュアルを用意する必要がありません。そして、パターンデータなどは商品に採用しやすいデータ形式にしています。加えて、私たちの方でロイヤリティ契約や権利関係の手続きの窓口を一本化していますので、採用企業はワンストップで400種以上のデータをご利用いただけます。
また、さまざまなつながりを生んでいることも、このプロジェクトの大きな特徴だと考えています。普段、障害のある人と接点のない学生や採用企業の方が、区内の障害者支援事業所に訪れることになりますし、そもそも学生にとって社会人との共創はアクティブラーニングの最たる機会です。商品化の実績は、学生自身のポートフォリオに掲載できるなど就職活動のアピールにもなります。
―福祉施設と学生との協働は実施例も少ないなか、“産官学福”といえる枠組みができたのはなぜでしょうか?
シブヤフォントのような企業と行政と学校、さらに障害者支援事業所も加わったコラボレーションは私も初めてでした。やはり長谷部さんが区長になったことが大きなきっかけかもしれません。
区長はもともと区議でしたが、その前は大手広告代理店にいて、クリエイティブの重要性を肌感覚で知っている方です。特に「何かと何かを組み合わせれば、新しい切り口が生まれる」という感覚ですね。
また『超福祉』という取り組みにも区議の頃から関わられていて、越境的な発想が福祉領域に新たな可能性をもたらすとも考えていたはずです。その長谷部区長だからこそ、“産官学福”が実現できたのだと思います。
一つ幸運だったのは、参加している障害者支援事業所のスタッフの中に、〈桑沢デザイン研究所〉など美術系学校の出身者がいたことです。クリエイティブ領域にも理解を示してくれていたので、「文字やデータをデジタル化すること」という活動に対して、ご協力いただきやすかった面はあると思います。
―このプロジェクトに関与した学生と、施設や障害のある方に変化はあったのでしょうか?
学生は、障害者支援事業所、障害のあるアーティストの方々、ディレクターのライラ・カセムさん(〈一般社団法人シブヤフォント〉アートディレクター)、さらに区役所や企業といった多数の関係者と協働して推進する、実社会に近いデザインワークが体験できます。学内だけで閉じない、デザイナーの卵たちにとって貴重な学びの経験が得られるのです。障害のある方と接する、社会人として大切な機会にもなります。
一方で障害者支援事業所にとっては、普段は関わりの少ない学生が施設に訪れることで、場そのものが生き生きとしてきます。さらに、携わったものが商品になり評価されることは、施設利用者や親御さんの自己肯定感にもつながります。
加えて、これまでだと例えば細かな作業が難しかった方も、アートならばあえて細かな描写に固執することなく、大胆に表現することを選択すれば良い。つまり、その人の特性に応じて評価軸を柔軟に変え、それにより新たな可能性を生み出すことができます。
これらの変化が重なって、施設が、そして福祉が「社会に開かれていく」。この点もプロジェクトの重要な側面になっています。
「今何をしたい?」からの起業、〈シブヤフォント〉設立まで
―磯村さんはもともと金沢美術工芸大学でプロダクトデザインを学んだあと、富士フイルムでプロダクトデザイナーとして活躍されていましたよね。どうして福祉に関わることになったのですか?
富士フイルムでは、コンシューマ商品から業務用機器までほぼ全ての領域のプロダクトを担当しました。キャリア後半では、インターフェースやユーザビリティエンジニアリングなども担当し、マネージャーになったときはデザイン部門のユーザービリティやユニバーサルデザインを統括する立場になりました。
その時に、目の見えない人の中には、オートフォーカス式の一般的なカメラではなく、レンズ付きフィルムの『写ルンです』を使っていることを知りました。「ギーギー、ガシャ」という音と触覚で操作がわかり、近景から遠景までピントが合うパンフォーカスなので、目が見えなくても撮影ができる商品だったからです。障害のある人の不便さを調査していたのに、逆に障害のある人から新しいプロダクトの可能性を教えられたような気がして、眼から鱗でした。そこから障害のある人や福祉に関心を持つようになりました。
障害者支援事業所をたずねるようになったのは、デザイナーとして障害のある方との接点を持つことで、私自身がさまざまなヒントをもらえると思ったのです。何かを「支えてあげる」ではなく、「互いに支え合う」という関係性ですね。それによって自分も楽しくなるし、社会的にみても理想的なユニバーサルデザインに向けた大きな一歩になるかもしれないと思ったのです。
―その後、独立され、デンマークに留学されたと伺いました。
社会人生活を40年だとしたら、ちょうど20年経っていたので、後半の20年は新しいことにチャレンジしたいと思いました。葛藤はとてもあったのですが、手掛ける領域としては、ユニバーサルデザイン、福祉関連だと考えていました。それで退社し、「世界一幸せな国」と言われていた福祉先進国のデンマークに留学しました。
留学先には、今後の人生を見つめ直すための教育機関「フォルケホイスコーレ」を選びました。私が入学したのは寄宿制で24時間ともに暮らし学ぶ学校で、160人のうち約60人に障害がありました。日々、障害のある学生から様々な気づきが得られる貴重な体験をしました。
そこである日、先生から「あなたは今をどう生きるかではなく、すべて未来のために今を生きているよね」と言われたのです。会社員としての人生が染み付いていたのでしょうか、「目標を達成するために行動する」という左脳で考えるような生き方になっていたことに気づかされました。
―「今の自分の気持ちに向き合いなさい」という意味でしょうか。
そうです。自身の気持ちに、自分が寄り添っていなかったのです。一方で、デンマークはあくまで「自分が何をしたいか」を大事にします。自己決定権、対話、連帯という3つの理念が息づいていて、平均6回ほど転職する国なんです。自分の気持ちに正直になり、生き方を柔軟に変えていく勇気と姿勢を学びましたね。
そのあと、別のフォルケホイスコーレに行きました。そこはパレスチナ、イスラエル、アフリカ、エジプト、ポーランド、アメリカなど多様な国の人が集まり、国際紛争などについて対話する学校でした。ダイバーシティを肌で体験する過程で、「どうやったら多様な人たちと一緒につながりながら暮らし、働けるか」を自分のテーマとして考えるようになってきたのです。
帰国後はデザイン会社を立ち上げ、当初はデンマーク時代に興味を持ったパーソナルモビリティと共生居住の事業、さらに世田谷区の福祉作業所と連携した焼き菓子ギフト「futacolab(フタコラボ)」の3つを軸にやっていました。ただパーソナルモビリティと共生居住は、一個人事業主の仕事にするには規模的に大変で、まずは福祉作業所との焼き菓子ギフトに絞ることにしたのです。
もっと大きな社会インパクトをもたらすためには、仲間が必要だと感じて、東京工芸大学教授の福島治さんと、元就労移行支援事業所で働いていた髙橋圭さんと共に新たな事業体制を整え、2018年に〈フクフクプラス〉に商号を変更しました。福祉支援事業に特化し、現在は自主事業として障害者アートのレンタル業、企業研修、ノベルティの開発を、受託事業としてアート活動やイベントの支援、クリエイティブの制作などを行っています。
―シブヤフォントの事業も、最初の5年間は渋谷区から〈フクフクプラス〉で受託されたのですよね。その後に〈一般社団法人シブヤフォント〉を設立したのはなぜですか?
より線引を明確にする必要性が出てきたからです。一つは、株式会社の単独事業だと誤解される傾向があったこと。グッドデザイン賞を受賞した際も、周囲から「フクフクプラスさん、おめでとう!」とのお祝いの言葉をいただきましたが、そもそも渋谷区、〈桑沢デザイン研究所〉、障害者支援事業所と協働でやっているわけなので、もっと皆で受賞を喜びあえるようにしたいと思っていました。そのためには、皆がフラットに関われる枠組みが必要だったのです。
そして、経理の透明性も担保したかったこと。〈一般社団法人シブヤフォント〉の収支は公開する予定ですが、そうすることで、皆が応援したくなる組織になると考えてました。また、〈桑沢デザイン研究所〉の学生はボランティアで無報酬なのですが、委託を受けたのが株式会社であればフィーを払うべきとの考え方もあります。完全非営利の組織運営で、透明性のある経理であれば、ボランティアによる成果が適切に活用されていることを内外に共有できます。
もう一つの理由としては、自主運営していくための体制づくりです。やはり未来永劫、継続的に事業運営していくためには自主財源を確保すべきです。これらの理由で、障害者支援事業所や区と協議して法人化を進めました。
―2021年の4月から、新しい法人が受託する体制になっています。どのようなメリットを感じていますか?
まず、さまざまな面でガバナンスが効くようになりました。もともとシブヤフォントの商標権は渋谷区が保有していて、私たちは一定の事業評価の元、使わせていただいています。そこに加えて今回、完全非営利化と共に、役員には障害者支援事業所と渋谷区の方々になってもらいました。〈一般社団法人シブヤフォント〉の事業における大きな決定事項は、理事会での決議をもって履行するようにしています。こうすることで新法人が皆で担ぐ神輿のような存在となり、皆さんが自分事としてプロジェクトに携わっていただける形になってきたように思います。
また、非営利だからこその資金調達もできるようになりました。例えば現在、複数の事業で、助成金や支援金を得ることが決まっています。立ち上げから5年経ち、ようやく本格的なスタートが切れるタイミングを迎えています。
同時に、〈桑沢デザイン研究所〉でシブヤフォントが正式な授業になることが決まりました。学校にとっても、授業として学びの機会提供と地域貢献を両立させる取り組みとして内外に強くアピールできます。ゆくゆくは「シブヤフォントをやりたいから桑沢に入学する!」という学生が生まれるといいですね。
デザイナーの“見立て力”が社会を変える
―デザインに関わる人が、福祉領域と出会うことでどんな可能性があるとお考えですか?
シブヤフォントでやってることを少し広く捉えると、「見方を変えれば、どんな人にも可能性が生まれる」ことだと思っています。障害のあるなしに限らず、誰にでも得意・不得意があります。ただ、得意なところに目を向ければ、その人の評価は変わるはずです。
不得意な面、できないことに目を向けるのではなく、その人の力をポジティブに見立てて、別のシーンで生かす。それができれば、社会全体が変わるきっかけになるのではないでしょうか。
今後、就労人口が減る中で、企業において多様な方の雇用が進んでいくはずです。シニアである自分も含めて、社会から何かしらの属性で“線引き”されることもあるでしょう。その時に、「どうポジティブにその人の力を見立てていくか」という思考方法は、障害に限らず絶対必要だと思うのです。
―そうした思考が当たり前になれば、企業の新しい力になりそうです。
はい。インクルーシブな組織が増えれば、結果的にダイバーシティのある社会になることも期待できます。シビックプライド醸成にもつながり、渋谷区が基本構想に掲げたような「ちがいを ちからに 変える街」となるでしょう。
そしてそこには、クリエイティブの力が絶対に必要です。デザイナーは、物事の本質を見定めて、それを可視化する力も持っているからです。その核心にある“見立て力”と“価値を変換しあぶり出す力”を福祉の領域で発揮できれば、社会は変わると私は信じています。
―最後に、今後の磯村さんの「妄想」のようなものがあれば、ぜひお聞かせてください。
まずは障害のある人が「働くなら、暮らすなら、やっぱり渋谷だね」と思えるような地域社会の実現です。そのためにも、〈シブヤフォント〉は地域に根差した活動を重視していくべきだと思っています。そして、シブヤフォント事業によって渋谷区が障害者就労の先進地域になることを夢見ています。
また、シブヤフォントの“産官学福”の取り組みを、世界中に発信していきたい。障害のある人によるアートが日本で『アール・ブリュット』と認知されたように、福祉との共創アート活動のことは『シブヤフォント』と世界中の人が呼ぶようになればうれしいですね。
〈フクフクプラス〉に関しても、全国に障害のある人によるアート活動を広げる人材を育てていきたいと思っています。各地の企業に対して、オフィスのアート化、アート鑑賞研修を提案し、さらにはシブヤフォントのような“産官学福”の活動を各地でコーディネートするような存在です。
日本中の障害のある人が働き、暮らしやすくなる。加えて、障害のあるなしに関わらず、誰にとっても働き、暮らしやすい「ダイバーシティ&インクルージョン」がしっかりと社会に根付いていくことを妄想しています。
―今回お話を伺いながら、モノづくりに始まり、福祉領域へと活動を広げていった磯村さんという一人のデザイナーの人生の軌跡が、実は“日本のデザインそのものの変遷”と符合するのではと感じていました。同時に、デザイナーに限らず多くの人が今後、社会と向き合う際に持つべき視座に関するお話にもなったと思います。本当にありがとうございました。これからもアクティブな展開に期待しています。
Information
シブヤフォント
シブヤフォントの最新情報、ダウンロードは公式ウェブサイトにて。各種お問い合わせを受け付けています。
Information
『デザインのまなざし』のこぼれ話
グッドデザイン賞事務局の公式noteで、今回の『デザインのまなざし』vol.3のこぼれ話を公開しています。
Profile
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磯村歩
一般社団法人シブヤフォント 共同代表
株式会社フクフクプラス 共同代表、専門学校桑沢デザイン研究所 非常勤教員/外部評価委員。1989年に金沢美術工芸大学卒業、富士フイルムに入社しデザインに従事。先進研究所におけるイノベーションプログラムの運営、ユーザビリティ評価技術導入などHCDプロセス構築などを歴任。2006年より同社ユーザビリティデザイングループ長に就任し、デザイン部門の重要戦略を推進。退職後デンマークに留学しソーシャルインクルージョンの先駆的な取り組みを学ぶ。帰国後、株式会社フクフクプラスを設立。2021年4月に一般社団法人シブヤフォント共同代表就任。受賞歴にソーシャルプロダクツアワード2021大賞、IAUD国際デザイン賞金賞、内閣府オープンイノベーション大賞選考委員会特別賞、グッドデザイン賞、桑沢学園賞、日刊工業新聞社 機械工業デザイン賞受賞、世田谷区産業表彰 産業連携・マッチング受賞、Good Job! Award入賞ほか。著書に『「感じるプレゼン」イソムラ式ユニバーサルプレゼンテーション』(UDジャパン)。
Profile
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矢島進二
公益財団法人日本デザイン振興会 常務理事
1991年に現職の財団に転職後、グッドデザイン賞をはじめ、東京ミッドタウン・デザインハブ、東京ビジネスデザインアワード、地域デザイン支援など多数のデザインプロモーション業務を担当。武蔵野美術大学、東京都立大学大学院、九州大学大学院、東海大学で非常勤講師。毎日デザイン賞調査委員。NewsPicksプロピッカー。マガジンハウス『コロカル』で「準公共」を、月刊誌『事業構想』で地域デザインやビジネスデザインを、月刊誌『先端教育』で教育をテーマに連載を執筆。『自遊人』ではソーシャルデザインについて46,000字を寄稿。「経営とデザイン」「地域とデザイン」などのテーマで講演やセミナーを各地で行う。2023年4月に大阪中之島美術館で開催した展覧会「デザインに恋したアート♡アートに嫉妬したデザイン」の原案・共同企画。
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