福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】窓越しに、小さなこどもとおばあちゃんが握手をしている【写真】窓越しに、小さなこどもとおばあちゃんが握手をしている

地域の歴史や文化とともに歩む福祉とは? ライフの学校「六郷キャンパス」をたずねて “自分らしく生きる”を支えるしごと vol.22

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毎年8月になると、宮城県仙台市の夜空には東日本大震災の鎮魂の花火が打ち上がる。

2024年の夏、仙台市のとある場所に数十名の住民が集まり、夜空にひらいては消えゆくいくつもの花火を眺めながら、震災の犠牲となった人々を偲んだ。

その場所とは、「社会福祉法人 ライフの学校」の新校舎「六郷キャンパス」。そう、地域の人びとが花火を見上げたのは、公園でも展望台でもなく、出来たばかりの福祉施設だったのだ。

【写真】ある福祉施設の屋上に、さまざまは人が集まって花火を眺めている
(提供写真)

ライフの学校は、仙台市を中心に複数の拠点を構え、特別養護老人ホームからショートステイ、看護小規模多機能型居宅介護から就労継続支援B型まで、施設ごとに異なるサービスを展開している社会福祉法人だ。

日々のケアの中にある「いのち」や「暮らし」、そして「生きる」ことについてのさまざまな学びを分かち合うために、福祉施設を地域にひらき、学びあいの拠点にすることを目指して、2020年に前身の社会福祉法人「ウエル千寿会」から「ライフの学校」へと改名した。

そして2024年4月、ライフの学校が建物の設計段階から初めて関わった、6つ目の拠点となる六郷キャンパスが開校した。

【写真】六郷キャンパスの外観
ライフの学校 六郷キャンパス

地域に新しくできた福祉施設が、地域で暮らす人たちと関係を築くのは一筋縄ではいかないはずだ。なぜなら福祉施設は「介護やケアを行う場所」であって、地域の人に「親しまれる場所」というイメージを持つ人はまだまだ少ないだろうから。少なくとも筆者はそのようなイメージを持てていない。

では、六郷キャンパスで見られた花火の日の光景が象徴するように、福祉施設が地域の人たちにひらかれ、地域とともに歩むためには何が必要なのだろう。

今回、六郷キャンパスを訪れ、施設の方たちと話をする中で見えてきたのは、地域の歴史や文化、そして地域で暮らす人たちの思いを大切に継いでいこうとするライフの学校の姿だった。

「福祉を地域にひらく」とは?

ライフの学校のコンセプトでもある「福祉を地域にひらく」とはどういうことなのだろうか。まずは六郷キャンパスが開校するまでに、ライフの学校で行われてきた取り組みをたどってみよう。

ライフの学校の理事長・田中伸弥さんが、ライフの学校の前身となる特別養護老人ホームの施設長に就任したのが2016年。「施設を利用する人々や、そのケアに関わる人々の人生が豊かであるためには、福祉施設を地域に“ひらいて”いく必要がある」とかねてから考えていた田中さんは、事業の新たな形として「いのち・暮らし・生きる = ライフ」を学びあう「ライフの学校」というコンセプトを決め、2020年の開校に向けて動き出した。

開校に際して地域住民を巻き込んだワークショップを開催し、具体的に施設をどのように変えていきたいか、「学校」としてどんなプログラムがあったら参加したいかという意見を集めていった。ワークショップには、地元の小中高生をはじめとする多くの人が集まった。

【写真】地域住民に参加いただいたワークショップの様子。テーブルやホワイトボードを囲い、意見を交わしている
(提供写真)

そのワークショップがきっかけで実現した代表的な例が「ライフの庭」プロジェクトだ。町をリサーチする中で、地域住民の高齢化などの影響で庭の植物が管理されなくなってきている現状を目の当たりにし、特別養護老人ホームと地域を隔てる生垣を取り払い、庭をひらくことにした。

地域住民が大切にしていた古道具や置物などを「ライフの庭」に引っ越しさせるというアイデアも生まれ、地域の子どもたちとともに施設の改修は着々と進んでいった。

【写真】ライフの庭にある井戸で水を汲んでいるこどもたち
(提供写真)

そして2020年、満を持してライフの学校が開校。以来、地域の人たちにひらかれたさまざまな学びのプログラムを展開してきた。

たとえば、子どもたちが福祉の仕事を体験できる「ふくしの教室」や、施設内で暮らすパートナー(ライフの学校では利用者のことをそう呼ぶ)の人生を「聞き書き」を通して振り返る「ライフストーリー学」。パートナーが地域の伝統的な料理を子どもたちに教えたり、昭和の遊びをレクチャーするプログラムなどが日常的に行われるようになった。

【写真】パートナーの話に耳を傾けるこどもたち
高齢者の人生の物語に子どもたちは興味津々に耳を傾けている
【写真】表紙に「出発進行」と書かれた冊子
居室担当者がパートナーの人生を聞き書きの手法でまとめた「ライフストーリーブック」(提供写真)

さらに、地域住民や子どもたちが気軽に利用できる「ライフの図書館」や「駄菓子屋」も整備され、地域と福祉施設の垣根をこえて、地域の子どもと施設のパートナーとの交流が盛んに行われるようになった。

【写真】ベッドで過ごすパートナーのそばでこどもがおしゃべりをしている
(提供写真)

こうした数々の学びあいのプログラムとともに、福祉事業も展開を見せた。この数年間で拠点を増やし、2024年現在は仙台市を中心に役割の異なる6つの拠点を構えている。

【画像】各キャンパスの位置関係が示された地図
(提供画像)

特別養護老人ホーム、デイサービスセンター、相談支援センターからなる「萩の風キャンパス」。居宅介護支援センター、訪問ヘルパーステーションからなる「上飯田キャンパス」。障害や難病のある方の就労支援の場「沖野キャンパス」。就労継続支援B型とシェアハウスを兼ねた「霞目キャンパス」。グループホーム(認知症対応型共同生活介護)の機能を備えた「幸町キャンパス」。クリニック(内科と歯科)の機能を持つ「新田キャンパス」。さらに、就労支援の作業場所となる「みんなの畑」も整備されている。

そして、2024年の春、地域密着型特別養護老人ホーム、看護小規模多機能型居宅介護、事業所内保育(小規模保育A型)などが一つの施設の中に同居する、複合型の福祉施設「六郷キャンパス」が開校を迎えた。

「生きるを共にする」ために

ライフの学校が地域との関係を築き、「福祉をひらく」ことに取り組む背景には、田中さんの原体験がある。

田中さんが20代の後半を迎えた頃、母親が病に倒れて亡くなった。友人や家族に囲まれた環境で母を看取ることのできなかった無念が、福祉の道を歩み続ける強い動機となった。

しかし、当時の田中さんが福祉の現場で目の当たりにしたのは、老人ホームで暮らす期間が長ければ長いほど地域社会との接点が少なくなり、誰にも認知されることなくひっそりと息を引き取る多くの高齢者の姿だった。遺体はまるで「隠されるようにこっそりと」裏口から運び出されるようだったと田中さんは振り返る。

【写真】インタビューに応えるたなかさん
ライフの学校・理事長の田中伸弥さん

田中さんが目を向けたのは、「死」を忌むべきものとして生活から切り離し、「見えないもの」にしてしまう社会の姿だった。本来「死」というのは自然な現象として生命のサイクルに組み込まれているものであるはずなのに──。

そこで田中さんは、かつては当たり前にあった「看取る文化」を生活の中にふたたび取り戻すにはどうすればいいかという問いを抱くことになる。

“尊厳ある看取り”が行われる場所に、多様な人が集まるコミュニティがあることが大事だと思うんです。でも、世の中にそんな場所を取り戻せるかといったら正直むずかしいとも思います。だから、地域のコミュニティの機能を持つ私たちが、“死”を当たり前にひらくことで、子どもや若い世代に“生きること”や“いのち”について感じ、考えるきっかけをつくれたらと考えています。

ライフの学校が大切にしているのが、「いのちのバトンをつなぐ」という考え方だ。そのためには、人が生まれ、成長して、働いて、病を患い、老いて死ぬまでのライフサイクルが、自分自身の生活と地続きであるということを体験によって学ぶ必要がある。

まずは“死”を見つめることが出発点になると思うんです。その考えだけは、私が母を亡くしてから17年間ずっとぶれていません。他者のいのちにふれ、自分自身の生にも目を向けることは、今の学校や家庭ではできません。その役割を担うことが、私たちが地域に福祉をひらく意味なんです。

そんなライフの学校が目指すのは、さまざまな人がともにある共生型の社会。ただ、ライフの学校が考える「共生」は、「ともに生きる」というよりも「生きるをともにする」というニュアンスの方が近いのだと田中さんは言う。それは、「ともにあること」が最優先されるのではなく、まず一人ひとりの「その人らしさ」が発揮された上でともにあれる社会を目指すということだ。

自分とは異なる意見を“それもいいよね”とお互いが尊重できるのが良い関係なんだと思います。それぞれの“生きる”を“ともにする”という形の共生を、組織としても社会としても目指していきたいです。

自分とは異なる考えを尊重するためには、相手の言葉に耳を傾けたり、たとえ理解できなくとも受け止めようとする態度が必要だ。それは同じような考え方を持つ人だけで構成された閉じられたコミュニティでは決して身につかないものだろう。だからこそ、多様な価値観を持つ人たちと当たり前に接し、空間をともにする機会が重要になる。

では、「福祉を地域にひらく」というコンセプトは、六郷キャンパスにどのように生かされ、これからどのように展開していくのだろうか。「キャンパスが開校するまで」と「キャンパスが開校してから」の二つの視点から話を聞いた。

暮らしの声に耳を傾けて

六郷キャンパスの建設は、ライフの学校にとって宿願だった。

はじまりは2011年の東日本大震災。当時、六郷キャンパスの東に位置する「東六郷地区」にあった福祉施設が大きな被害を受け、沖野の施設でデイサービスの避難民を受け入れた。

避難していた人たちが帰るときに、“もう田中さんに会えないね”という言葉をいただいたんです。それがきっかけで沖野にデイサービスを開設することになりました。

開設したデイサービスのパートナーの多くは、六郷地区出身の人たちだったと田中さんは振り返る。

その頃から、六郷でも取り組みをしてほしいというお声をいただくようになりました。この周辺の地域には小さなコミュニティがいくつも残っていて、同じ仙台市でも住民の方たちは自分の生まれ育った地区への思い入れが強いんです。

そして2024年、ついに六郷地区にライフの学校のキャンパスが開校することになる。六郷キャンパスの建設は、六郷で暮らす人たちからの長年にわたる期待の上に実現したものなのだ。

【写真】六郷キャンパスからの眺め。周辺に背の高い建物はない
六郷キャンパスからの眺め。右手奥には「仙台東部道路」が南北に走っており、その先は太平洋沿いの荒浜海岸に続いている

六郷キャンパスの特徴の一つは、建物の中心を東西に走る長い廊下だ。これは六郷地区の特徴である「道」を模している。

六郷キャンパスの設計にあたって、まずは古地図で六郷の歴史をリサーチした。そこから見えてきたのは、東西に伸びた長い「道」と、道の脇に設けられた「カド(水洗い場)」の存在だった。この「カド」で六郷に住んでいる人たちの暮らしが交わっていたかつての光景を、建物の構造に取り入れた。

【写真】エントランは、白がベースとなっている
見通しの良いエントランス。東のいちばん奥にある保育所まで一本の道が通っている
【画像】六郷キャンパス周辺の地図
祭りの日には集落の住民が「道」を練り歩くなど、儀礼的な重要性も兼ね備えていた

キャンパスの中央を通る「道」をはさんで、「看護小規模多機能型居宅介護」のユニットと「特別養護老人ホーム」のユニットが向き合って配置されている。その先には事業内保育所が整備され、園庭では子どもたちが元気に駆け回る。

エントランスから特別養護老人ホームと看護小規模多機能型居宅介護、そして保育所までの空間がゆるやかにつながっているため、園児と高齢者の交流が自然と生まれる環境になっている。園庭に接した部屋からは、パートナーのおばあちゃんたちがほほえましそうに園児たちを眺めていた。

六郷キャンパスの建設に際して、隣接してる住民たちからはさまざまな要望があがったという。そうした地域の人たちの声をできるかぎり反映しながら建設は進められた。

六郷キャンパスで施設長を務める岡本雄輔さんは、建設当時のことをこう振り返る。

岡本雄輔さん(以下、岡本):マスやクイを全部打った後でしたが、民家が隣接している北側に15mほど距離を空けて民家に陽があたるようにしたり、南側の高さもギリギリまで下げるという判断をしました。地域からの声を一つ一つ形にするために、計画を大幅に変更したんです。

【写真】キャンパス内を案内してくれるおかもとさん
ライフの学校 六郷キャンパスの施設長・岡本雄輔さん。約5年前にライフの学校に入社して以来、幸町のグループホームと六郷キャンパスの開設などに携わってきた

計画の変更に伴って工期は延長することになった。しかし、時に立ち止まり、計画を見直してでも住民の声をできるかぎり取り入れ、それが目に見える形として出来上がっていくプロセスは、ライフの学校が目指す地域との関係をそのまま表しているように思えた。

【写真】ユニットの入り口に「種次」という名前が書かれている
ユニット名は津波で被災した東六郷の四つの部落の名前にちなんでいる。各ユニットは地図上の位置関係に即して配置されているそうだ

園庭のすぐ上にはテラスが設置されている。広い空と田んぼを遠くまで一望することができる気持ちの良い場所だ。

このテラスは、設計の初期段階では現在の半分の大きさを想定していた。しかし東日本大震災の教訓を活かし、「避難場所」としての機能を担うために拡張したと岡本さんは話す。

岡本:もしも当時と同規模の津波が来た場合、この一帯は浸水区域になっています。建物の垂直避難先となるようにテラスを広く設けました。保育園の園児たちもまずはすぐ上に逃げることを想定しています。

岡本さんは田んぼの奥を指差しながら、幹線道路を越えた先には東日本大震災で甚大な被害を受けた東六郷地区と荒浜海岸があると話を続けた。

岡本:毎年、夏に鎮魂の花火が上がるんです。でも六郷キャンパスができると見えなくなってしまうというお声が住民の方からありました。本当はもう少し高い建物として計画していたのですが、周辺の町並みと変わらないぐらいまでギュッと高さを下げることにしました。

こうして、住民の声を反映しながら、地域で営まれてきた暮らしに調和する形で完成した六郷キャンパス。プレオープンには実に300名を超える地域の人たちが来場したそうだ。

そして六郷キャンパスの完成後、初めて東日本大震災の鎮魂の花火が上がる日。出来たばかりの福祉施設に数十名の地域の人たちが集まり、パートナーたちとともに夜空を眺めたのだ。

岡本:はじめは近隣の2,3軒のお宅に声をかけただけだったんです。でも当日になったら誘い合って足を運んでくださり、パートナーのおじいちゃんおばあちゃんと一緒にみんなで花火を眺めました。

六郷地区で生まれ育ち、六郷キャンパスのプロジェクトに初期から携わってきた岡本さんが、嬉しそうに話す姿が印象的だった。

【写真】屋上にテーブルと椅子を出し、花火を眺めている人たち
(提供写真)

地域に足りない役割を福祉施設が担う

六郷キャンパスが開校してからの半年間、まずは特別養護老人ホームを軌道に乗せることに注力してきた。そしてここから、地域との関係を築いていくフェーズに入る。どのような構想があるのだろうか。

ライフの学校はその名前が象徴しているように、これまでフリースクールをはじめ「学校」の機能を重視してきた。そこには、地域の小中学校が担いきれない役割をライフの学校が担う意図があると田中さんは話す。

田中伸弥さん(以下、田中):例えば、授業のスピードについていけない子に先生が補講しようとすると、いまの時代では他の子の親御さんから“平等じゃない”と言われることがあるんです。そうなると切り捨てられる子が出てくるわけですよね。だけど学校では何もできないし、その子は塾にも通えないとする。だったらライフの学校で学習支援教室をやって、そういったはみ出た子どもたちの受け皿になろうと思っています。

もちろん、従来の学校は必要だ。しかし、校舎やグラウンドを使いたい時に使えるわけではないし、授業が終わったら帰らなければならず、地域に子どもの居場所が圧倒的に足りない。その足りない部分をライフの学校が担うということだ。

田中:子どもが放課後に“六郷キャンパス行ってくるね!”と親御さんに言えるような場所にしていきたいです。先日、沖野キャンパスの図書館に近隣の親御さんから“参考書も置いてほしい”という要望があったんです。放課後に子どもが行っても安心な場所だという認識が親御さんにも広がっていることを実感しました。六郷キャンパスでも、地域のご家族とそうした関係が築けるといいなと思っています。

【写真】パートナーとおしゃべりを楽しむたなかさん
岡本さんいわく、田中さんは六郷キャンパスを訪れた際に必ず一人ひとりのパートナーと言葉を交わすそうだ

また、六郷キャンパス独自の機能として検討しているのが、近くの六郷小学校と六郷中学校の購買部の機能をキャンパス内で展開すること。その背景には、近隣の個人商店が徐々に数を減らしている現状がある。

田中:学校指定のジャージや制服を買うためには、仙台の街中まで親御さんが車で行かなくてはいけない状況なんです。だから利益を出す目的ではない形で、学校の購買部の機能を六郷キャンパスで担えたらと考えています。

【写真】白がベースになったフリースペース。大きな窓のそばに椅子と机が複数置いてある
エントランスの吹き抜けの上にはフリースペースが設けられている。現在はミーティングスペースやスタッフの休憩場所として使われており、今後は町の子どもたちが勉強をしたり本を読める居場所としてひらいていく予定だ

さらにライフの学校では、認知症のある高齢者や障害のある方と子どもたちが交流できる場づくりも行っている。一部の親御さんからは「何が起きるか分からないから怖い」という意見が出ることもあるが、ほんとうに「共生」する社会を目指して、今後は六郷キャンパスでも展開する予定だと田中さんは話す。

田中:2020年にライフの学校を設立してから、障害者の居場所や働ける場所がもっと必要だということが分かりました。六郷キャンパスの厨房を、営業許可を取得して自営にしたのもそのためです。私たちの持っている機能や資源をもう一度再定義して、そこに生産性も持たせていきたいと思っています。

【写真】エプロンをつけキッチンで働く人
キッチンは、自営として営業許可を受け、さまざまな人が働ける仕様となっている。将来は六郷キャンパスで調理した食事を他の拠点へ配送したり、地域の人たちに販売することも視野に入れているのだそう
【写真】キッチンの外観
ここで働く方と子どもの交流が自然と生まれることは想像に難くない

そして、「多様性は作るものではなく、もともとあるもの」だと田中さんは続ける。

田中:そもそも町は多様性にあふれているはずなんです。“多様性のある社会をつくる”というスローガンをよく見かけますが、私たちがやろうとしているのは、社会構造によって見えなくされているものを見えるようにしよう、その上でどのように生きていくか一緒に学び、考えようということなんです。

2025年の春に向けて、地域との連携を進めるプロジェクトチームが立ち上がった。リサーチを重ね、地域と一から関係を築いていくためだ。

ただし、六郷地区に何が足りていて何が足りていないのかは、これから活動を続けていく中で見えてくるものだと田中さんは言う。まずは目の前のケアをしっかり行うことで地域との関係を築いていける。それはこれまでの取り組みから得た知見だ。

田中:一人ひとりのパートナーさんに真剣に向き合っていると、芋づる式に必要なものが見えてくるんです。だから“地域で開かれた取り組みやろう!”と躍起になるというよりも、目の前の相手にちゃんとケアをしていくことが地域にとっても必要なことが分かってきたんです。それは事前に計画してできるものではありません。

【写真】窓ごしに取材チームに手を振ってくれるひとりのおばあちゃんとスタッフ
2階のユニットから手を振ってくれたおばあちゃんは、入居すぐの頃はなかなか環境に馴染めなかったそう。しかしスタッフや子どもと時間をともにするうちにすっかり馴染んだのだという

ただし、地域と関係を築くことは一朝一夕ではなしえない。信頼関係が構築されるまでに、「少なくとも10年」が必要だと田中さんは話す。

田中:同じ場所で10年間続けて、ようやく見えてくるものがあると思います。それは、地域の人たちとの関係だけでなく、同じ地域で活動する他の組織との関係を築いていくことでもあります。だから六郷キャンパスは本当にここからです。

見えないものへの想像力を育む

「一人ひとりのパートナーと向きあい、地域との関係を築いていく」。そうした六郷キャンパスの「これから」を支えていくのは、一人ひとりの職員に他ならない。

地域との関係を築くプロジェクトを推進する「運営企画室」のメンバーに加わったのが、2024年度にライフの学校へ入社した新卒一年目の山﨑優美さんだ。

【写真】インタビューに応える山﨑
新潟の大学を卒業後、2024年4月にライフの学校へ入社した山﨑優美さん。学生時代は社会福祉の分野を専攻していた

現在は六郷キャンパスに所属しながらケアの仕事を行う山﨑さん。先輩からケアの技術や知識を学ぶ一方で、パートナーとの関係作りは全員が一からスタートなのだと話す。

【写真】インタビューに応える山﨑さん
「人が好き」だと話す山﨑さん。介護は学生時代に学んだ分野とは異なるが、パートナーと接する日々に楽しさを感じているという

そんな山﨑さんが日々の仕事で大切にしているのは、パートナーがこれまで歩んできた人生に寄り添うことだ。

山﨑優美さん:その人の今までの人生を途切れさせないケアや取り組みをしていきたいです。パートナーさんと話していると、好きなものや昔の思い出などが見えてくるんですよね。そのひとつひとつを記録に残して職員の間で共有しています。日常生活を支えるケアはもちろん、その人が大切にしてきたものを大切にし続けることで、最期まで自分らしく過ごしてもらえたらいいなと思っています。

【写真】笑みを浮かべながらインタビューに応える山﨑さん
パートナーと一緒に町を歩いたり会話をする中で、少しずつ六郷のことを学んでいる最中だ
【写真】山﨑さんと田中さんが談笑している
田中さんは、山﨑さんに「鍵を握るヨソモノ」と期待を寄せる

「人が自分らしく生きるためには、その人がこれまで大切にしてきたものを大切にする必要がある」という山﨑さんの言葉にハタと立ち止まる。

「自分らしさ」というのは、「自分らしく生きよう!」と思って発揮されるような自律的なものではないのかもしれない。むしろ、他者といかに交わり、いかに関係するかによって、発揮されることも阻害されることもあるような依存的なものなのではないか。山﨑さんの話を聴きながら、そんな考えが膨らんできた。

六郷キャンパスの設計に際して、まずは六郷地区の歴史をリサーチしたことは記事の中で触れた通りだが、「歴史」というのは教科書の年表に記載された大きな出来事だけではなく、町の片隅にも、暮らしのかたわらにも、そして一人ひとりの人間の内側にも、一見そうとは見えない形で息づいているものだ。一人の人に向き合うことは、そうした見えづらい小さな「歴史」に思いを寄せることでもあるのだと思う。

「見えないものを見る目」は、知識を学ぶだけではなく、多様な人と交わり、その物語に耳を傾けることによって身に付くものだ。そのことをひとたび体験することができたなら、何でもない街角に過去の面影を見つけたり、偶然居合わせた人の物語に想いを馳せる回路が生まれることだろう。

そうした「見えないもの」への想像力が、いくつもの「あなたとわたし」の間で飛び交う先にこそ、ライフの学校が目指す「生きるを共にする」社会は実現するにちがいない。


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