福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】畑の中心で農作物に囲まれながら立っているたかはしさん

自然の循環に身を委ね、大地と共に生きる。「里・つむぎ八幡平」が実践する「半農・半介護」の暮らし “自分らしく生きる”を支えるしごと vol.07

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何歳になっても旬の野菜や果物を食べ、季節の変化を五感で味わいながら暮らしたい。

岩手山のふもと、八幡平市に、そんなシンプルで普遍的な“日常の楽しみ”を大切にしながら人々が共生する福祉の里がある。

「里・つむぎ八幡平」は小規模多機能型居宅介護(※注1)、デイサービスといった介護施設、そして就労継続支援B型作業所、障害者グループホームを有する場。お米やとうがらし、ニンニクなどを育てる「すばるファーム」が隣接し、四季の移り変わりや命の循環を感じられる自然体の生活が営まれている。

※注1:訪問、通い、泊まりなど、利用者それぞれの状態に合わせた介護サービスが受けられる施設。通称「小多機」。

ここでは「半農・半介護」を合言葉に、高齢者や障害のある人が、農業と共にある暮らしを送ることが大切にされている。農業と介護。この二つはどのように結ばれ、また利用者の暮らしにどのような彩りをもたらしているのだろう。

4.7haの広大な農地と共に

盛岡駅から車で40分ほど。東北自動車道を北にまっすぐ進むと、遠くに見えていた岩手山がだんだん近づいてくる。脇道に入り、田畑が広がるのどかな風景を進んだところに「里・つむぎ」はある。

車を降りると、思わず深呼吸をしたくなるような秋空が広がっていた。虫や鳥の鳴き声、風の音だけが聞こえ、穏やかな空気が流れている。

こんにちは、と出迎えてくれたのは「里・つむぎ」の理事を務める高橋和人さんだ。八幡平の農家の4代目として生まれ育ち、一度は地元を離れたものの、母親の介護をきっかけに40代でまた八幡平に戻ってきて、実家の田畑を活用しこの場所を立ち上げたという。

NPO法人「里・つむぎ」の理事を務める高橋和人さん

高橋さんはどのような思いで「里・つむぎ」を作り、そしてなぜ農業と介護をつなげたいと思うに至ったのだろうか。

お話を聞く前に、まずは施設をぐるっと案内してもらうことになった。

高橋さんが運営している施設は6つ。小規模多機能型居宅介護「くるまっこ」、デイサービスと宿泊利用ができる「里・つむぎ」、高齢者と障害者が入所するグループホーム「白山の里」、住宅型有料老人ホーム兼認知症対応グループホームの「ぱんたれい」、障害者グループホーム「野駄の家」、そして就労継続支援B型作業所「すばる」だ。

さらに、これらの施設からほど近い場所に約4.7haの広大な農地「すばるファーム」があるという。近くと言っても「農地には車で行きましょう」と高橋さん。どうやら敷地は想像以上に広いようだ。

【写真】すばるファームの広大な農地

連れて行ったもらった畑を見て驚く。「半農・半介護」という言葉から、ちょこっと農作業ができるようなこぢんまりとした農地を想像していたが、実際にはかなり広く本格的に作付けが行われていた。

すばるファームは、同じく高橋さんが代表を務める「一般社団法人すばる」が管理している。田んぼは2.2ha、畑は2.5haの広さがあり、お米、ニンニク、とうがらし、じゃがいも、とうもろこし、大豆など多様な植物を育てている。

【写真】赤いとうがらし

すばるファームでは、高橋さんら職員はもちろん、就労継続支援B型作業所の利用者も農作業に携わる。食物を育てるだけでなく、仕分けをしたり、外に販売するためパック詰めにしたりとさまざまな仕事がある。

この日はちょうどニンニクの仕分け作業を行っていた。施設内でこうして作業しているところに、小規模多機能ホームやデイサービスを利用するおじいちゃん、おばあちゃんが散歩に来ておしゃべりを楽しむといった光景は日常茶飯事だそうだ

すばるファームで採れた作物は、「里・つむぎ」の食事にももちろん使われている。素材の味を活かしたシンプルで素朴な食事は、利用者たちにも好評だという。

オーガニック栽培も本格的にやりたいですし、育てたい作物はたくさんあります。でもこれだけ広いと大変ですね……。なかなか手が回っていないというのが正直なところです。

作付けや田畑の管理は、高橋さんと、農業を統括する遠藤さんを含む3名を中心に行われている。6つの施設を運営しながら、田畑の手入れをする。それがどれほど大変なことなのかは想像に難くなく、いかに「農業」を取り入れることに強い思いが込められているかが伝わってくる。

農業の責任者、遠藤さん。この作業小屋兼休憩スペースは遠藤さんがDIYで作り上げたもの

農業のある暮らしを守ることは、これまでの日常を守ること

高橋さんは、大学中退後に塾講師や先物取引、シェフなど職を転々とし、結婚後にアンティークショップを盛岡で開業。10年以上続けた店をたたんだタイミングで地元の先輩から特別養護老人ホームの立ち上げに誘われ、福祉の世界に入ることになった。

開業のための事務作業を中心に働いていたが、ほどなくして施設長に就任。利用者の身体的なケアから夜勤対応、マネジメントまで、介護の仕事を一通り経験した。

自身の法人を立ち上げたきっかけは、母親が認知症になったことだった。

仕事柄いろんな施設を見ましたが、どうしても母親を施設に預けたいと思えなかったんです。「基準」や「監査」が何よりも優先されて、利用者自身を見てくれていないと感じたというか……。介護の仕事を何年か経験したあとだったので、自分にもできるかもと安直に思っちゃったんですよね。

【写真】インタビューに応えるたかはしさん

そうして、自宅を改装して今の「里・つむぎ」の原型となるデイサービスを開所した高橋さん。看取りをするようになってからは、人生の締めくくりをどう過ごすのが良いのかをより深く考えるようになったという。

そして自然にたどり着いたのが「半農・半介護」という考え方だった。

原点のひとつは「人生の終末期にもっと体にいいものを食べさせてあげたい」という気持ち。そしてもうひとつは、八幡平に住む人たちの生活に農業は欠かせない、という実感だった。

この辺りに住む高齢者の8〜9割は、ずっと農業をやってきた方々です。毎日朝早くから農作業をしてきたような方が、膝や腰の不調や認知症など、身体的な限界がきて農作業ができなくなると、本当に「何もできない」と思ってしまうんですよね。

農業と共に生きてきた人たちだからこそ、体の自由が効かなくなっても農業はそばにあるべきだと考えた高橋さん。とはいっても、広い畑の草刈りや作付けは重労働で、高齢の利用者が作業を手伝うことは難しい。そのため、建物ごとに小さな畑を設け、そこで土に触れたり簡単な農作業ができるようにした。

【写真】畑の前でしゃがみ土を触っているたかはしさん

自分で農作業をしなくてもいいんです。僕たちが作業しているのを見ているだけでもいい。そこで何かアドバイスするだけでも、役割を感じられますから。「ここに来れば何かができる」という環境を作りたかったんですよね。

「農業と共にある暮らし」を守ることは、八幡平という場所ではつまり「これまで通りの日常」を守ることを意味する。介護が必要になったからといって何から何までお世話をするのではなく、生活の中でできること、これまでやってきたことを一部でも続けながら変わりなく過ごせる環境をつくる、というのが高橋さんの方針だ。その思いは、施設の施工の工夫にも表れている。

「里・つむぎ」の建物は、すべて岩手山を臨む大きな窓をつけています。利用者のみなさんは、子どもの頃から岩手山を見て育ってきた方が多いので、なるべく慣れ親しんだ風景の中で過ごしていただけたらなと思うんです。

外を見つめる利用者

「ごちゃまぜ」が暮らしを豊かにする

変わらない日常を過ごすためのもうひとつの特徴が「まるごとケアの家」という概念だ。里つむぎでは、法律上どうしても区分が細かくなりがちな介護施設や障害者施設を、枠組みにとらわれずに複合的に組み合わせている。

福祉事業って、よくも悪くも制度がしっかりしすぎているんですよね。そうすると、自分が学んだ知識と経験の枠から絶対にはみ出ようとしない働き手が出てきてしまう。僕はそれにすごく違和感があった。介護保険や障害者福祉それぞれの制度の枠に収まらないケースはどうしてもあるので、目の前の人に合わせて柔軟に対応していくしかないんです。

もともと「里・つむぎ」は、宅老所(デイサービス+宿泊)として独立・開所したが、宅老所という形式が制度では認められていないため、宿泊部分をのちに住宅型有料老人ホームとして届け出を出したのだ。

また、共生型グループホーム「白山の里」は、障害者と高齢者が共に入所できる施設だ。介護保険と障害者福祉それぞれの制度の区分では「認知症対応型共同生活介護」「共同生活援助」という別のサービスだが、「里・つむぎ」ではそれらを「白山の里」というひとつの場所にまとめ、障害者と高齢者が生活を共にしている。

法律の区分で分けようとすると、対応できないケースが必ず生まれてしまう。制度が整うのを待つのではなく、人の実態に制度を合わせていくことで、それが新しい制度の誕生につながると高橋さんは語る。

さっきの話のように「デイサービスと宿泊を一緒にやっちゃった」という規格外のやり方が全国に広がって、やがてそれが「小規模多機能」という法制度で認められるようになりました。目の前の人に合わせていくことで制度がついてくる。そういうことだと思うんです。

「まるごとケア」の考え方は、敷地内のムードにも現れている。月に一度オープンスペースでマルシェを行い、近所の人々が訪れる。スタッフの子どもや放課後等デイサービスに通う地域の子どもたちが遊びに来て、利用者と交流する。天気のいい日は外を散歩し、別の施設の利用者や近所の人と世間話をする。ひらかれた場所で人と人が自然に出会えるような雰囲気がここにはある。

本を寄付したり、自由に持ち出しができる本棚「ふれあい文庫」。散歩やコミュニケーションのきっかけになる

「生きがい」は、日常の中のちょっとした一瞬でいい

ここでの「まるごと」は、人間に限った話ではない。敷地内で飼われているヤギのユキとペーター、犬のヤマト。動物たちも自然に輪に溶け込み、利用者と同じようにのんびりと過ごしている。庭に住み着いた野良猫の世話を皆ですることもあるという。

里・つむぎで飼われているペットのヤギたち。ユキちゃん(左)はおとなしく、ペーター(右)はやんちゃな性格。どちらも利用者からかわいがられている
盲導犬の訓練を受けていたというヤマトは聡明で人懐っこく、利用者からも愛されている

人も動物も“ごちゃまぜ”に集い、大きな窓越しに見える庭の木々や花の様子からは季節の移ろいを感じられる。そんな場所だからこそ、「里・つむぎ」は命の気配に満ちている。

野良猫を看取ったり、冬に葉が落ちて春にまた芽吹いて……という季節の流れを感じたりすることで、生と死がより身近になる。それは僕が一番重視していることです。命の循環を間近に感じることが生きる力にもつながりますし、死を自然なものとしてとらえる準備にもなると思うんです。

庭で育てている作物の変化を見るだけでも、命の循環を感じ、自分の人生に思いを馳せることができる。ここにも農業と介護の接点がある。

都市部の特養や老人ホームに行くと、ホテルみたいにきれいなところがありますよね。「すごいな、きれいだな」と思いますし、もちろんそれを良しとする方もいると思うんですけど、僕はあの豪華さはいらないと思っているんです。豪華な食事と手厚いケアに囲まれていても、食事の時間以外にやることは窓に向かってぼーっと座っているだけだったりする。命の気配や生きがいを感じられずに日々が過ぎていくのは、つらいんじゃないかなと思ってしまいます。

手厚くケアされ守られることは、必ずしも「生きがい」にはつながらない。では、高橋さんの考える「生きがい」とはどんなことなのだろう。

大層なものでなくても、日常の一瞬でいいんですよ。利用者さん同士でお皿洗いの速さを競い合うとか、僕がやっている農作業にちょっと口を挟むとか。これまで過ごしてきた日常の延長のような生活を送りながら、日々に少しでも「楽しいな」「自分には役割があるんだな」と感じられる瞬間があること。その一瞬があるだけでいいんです。

「日常の延長」という言葉を繰り返し口にする高橋さん。自分が慣れ親しんだ風景や、生活のちょっとしたこだわり、習慣。そうして積み重ねてきた「日常」の蓄積が、「自分らしさ」と呼ばれるものなのかもしれない。

その人にとっての日常がどういうものであるのかを知るために、高橋さんは4、5年ほど前から「聞き書き」に取り組んでいるという。ノンフィクション作家の柳田邦男さんが主催する「日本聞き書き学校」に参加し、人の話を聞いて書き留める手法を学んでいる。そこで培った「とにかく利用者とコミュニケーションをとり、どんな小さなことでも聞いた話を書き留める」という方法を実践し、職員にもシェアしている。

たとえば認知症のある方が以前どんなお仕事をしていたのかとか、どこで生まれていつ結婚したのかとか、そういった表面的な情報は家族から聞いたりしてわかるんですけど、それはあくまでも表面でしかない。会話を続け、その内容を書き留めていくと「いつもこの話をしているな」「ここにこだわりがあるのかもしれないな」とわかる瞬間があります。それを繰り返して、その人の核の部分を少しでも知る努力をしたいんです。

おいしいお米と新鮮な野菜があればいい

取材後、ちょうどランチの時間だったので、「里・つむぎ」が運営する「古民家食堂なつかしの家」に高橋さんが案内してくれた。

その名の通り古民家を改装した食堂で、月並みな言葉だがおばあちゃんの家に遊びに来たような安心感があり、ゆったりとリラックスしてしまう。

すばるファームで採れた野菜はここでもふんだんに使われている。健康的で食欲をそそるメニューに目移りする。店内は近所で働く人や地域の人がひっきりなしに訪れ賑わっていて、すばるファームがこの地域を支えるとても大切な場所なのだと実感した。

「古民家食堂なつかしの家」でいただいた野菜カレー

野菜がたっぷり入ったカレーは、なんだか懐かしい味がする。みずみずしく素朴な料理を味わいながら、高橋さんの言葉を思い出す。

高齢者の方の多くは、豪華なごはんを食べたいとは思っていないんじゃないかな。おいしいお米と焼き魚、それから野菜にちょっと醤油をかけるとかでいい。そういうのがいいって言う人のほうが多いと思うんです。

身の回りで育てたお米や野菜をシンプルに食べる。慣れ親しんだ味に「これこれ!」とうれしくなる。「今日も生きているなあ」と実感するのは、案外そんなささやかな瞬間なのかもしれない。そしてそれが、高橋さんの言う「生きがい」なのではないだろうか。


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