福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

こちらに向かって座る枡谷さん。背景は黄色の壁こちらに向かって座る枡谷さん。背景は黄色の壁

「なんでやろ?」から、領域・世代をまたぐ事業を福祉でつくり続ける──〈み・らいず2〉枡谷礼路さん 福祉のしごとにん ― 働く人のまなざし・創造性をたずねて vol.04

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「福祉」と聞くと、私は障害者福祉や高齢者福祉を真っ先に思い浮かべる。でも、そもそも「福祉」は「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉だ。すべての人に幸福を追求できるだけの社会的援助を提供する、という理念を表しているはずなのに、どうして特定の分野や対象に偏った印象を自分は持ってしまっているのだろう。

大阪を拠点に活動する〈NPO法人み・らいず2〉理事の枡谷礼路(ますたに あやじ)さんにお話を伺っていると、そんな疑問が湧いてきた。

「社会的な機能は分けても、居場所は分けたくない」と枡谷さん。その言葉からは、“障害は社会がつくるもの”という考えのもと、知的障害や発達障害のある人たちへのサポート、不登校やひきこもりなどの状態にある子ども・若者たちの支援や居場所づくりなど、目の前の人に必要と思う事業をつくってきたきた〈み・らいず2〉の信念を感じた。多様な状況、多様な世代の利用者やスタッフと向き合う日々の中で、枡谷さんは何を見て、何を感じてきたのだろうか。

【写真】み・らいずのパンフレット。中央に、白い円と黄色い円が少し重なり、上下を2本の線でつないだロゴが配置されている

「おもしろそう」から始まった〈み・らいず2〉

〈み・らいず2〉は大阪を中心に活動するNPO法人。枡谷さんを含め4名が、2001年に立ち上げた法人だ(設立時は〈み・らいず〉、2018年に〈み・らいず2〉へ改称)。福祉に関わることになったのは、学生時代、友人に誘われた障害のある人たちが通う作業所のキャンプボランティアがきっかけ。

キャンプ前のプログラムにも参加していた友人が「おもしろかったで」と言っていたので、同じ大学の、他の友人たちと4人で行くことにしました。あまり深くは考えずに参加しましたね。

障害のある方と行動を共にするなかで、「車椅子でどうやって和式トイレを利用するの?」「お風呂ってどうするの?」と、それまで想像したことのないことを考えるようになった枡谷さんたち。新しい環境に身を置くおもしろさにも引き込まれ、他の大学の学生たちと活動を始める。

枡谷さんの世界に「障害のある人がいること」が次第に当たり前になっていった。

【写真】
〈NPO法人み・らいず2〉理事の枡谷礼路さん

1998年、後にNPOの代表を務める河内崇典さんを中心に、枡谷さんら学生10名ほどはサークル「さあ!来る家(くるけ)」を設立。月に数回、障害のある人々と水族館などの行楽地へ外出したり、フリーマーケットやスポーツ大会、料理教室に参加したり、入浴介助などの日常生活を支援するようになる。障害のある人と共につくる活動は楽しく、一人ひとりの置かれた状況もよりわかるようになっていった。

しかし、程なくして枡谷さんたちが大学を卒業するようになった。仕事や勉強を続けながら参加できるボランティアもいたが、次第に余暇活動の回数が減少。利用者が「今回は行く/行かない」を決められる選択肢は減り、日常生活支援も継続できなくなりそうだった。

私たちが介助にいけなくなったら、この人はお風呂に入れなくなるよな。せっかく好きな外出先を選べるようになったのに、また選べなくなってしまうな。

枡谷さんたちの頭をよぎったのは、メンバー一人ひとりの顔だった。そこで2001年、障害のある方のサポートを行うNPO法人〈み・らいず〉を設立。余暇支援のボランティアが発端だったこともあり、ガイドヘルパー(移動支援従事者)の派遣を中心事業に置いた。

ガイドヘルパー事業を根幹に、親亡き後に向き合う

障害のある人が、買い物・通院など日常生活における外出や、レジャー・旅行などの余暇に使える「移動支援」(ガイドヘルプ)は、いくつかの法改正を経て、現在は障害者総合支援法にもとづく地域生活支援事業サービスとして位置付けられている。だが、サービス費は他の福祉サービスと比較して低く、当初から運営は厳しかった。最近では、コロナ禍の影響で利用者や学生ヘルパーが思うように外出できなくなったこともあり、事業運営はさらに難しくなっている。

それでも現在に至るまで、ガイドヘルパー事業は〈み・らいず2〉の根幹に置かれてきた。そこには、“支援”の捉え方についての悩みや葛藤がある。

障害のある方は、何かを「自分で選ぶ」機会がどうしても少ないんです。子どもの頃から、大人になっても、外出する場所や外出時の荷物の準備物、TPOに合わせた服選びを保護者がやっていることもあります。

例えば今は、障害のある子どもたちの多くが放課後等デイサービスを利用しますよね。子どものためにさまざまな療育をするデイもありますが、中にはただ集団で過ごすだけのデイもあります。毎日送り迎えがあって“預かって”くれるのは、働く保護者にとっては助かりますが、それだけで10年以上過ごした後、卒業する18歳になっていきなり自力で社会に出ようとしても難しいと考えています。

そう考えると、「保護者以外と外に出かける機会」をつくる移動支援って、すごく重要だと思うんです。コロナ禍でご依頼が減ることは私たちとしてもピンチですが、長い目で見ると、外出の機会を奪われた利用者さんへの影響の方が心配ですね。

【写真】前を向いて座る枡谷さん

数多くの障害のある人の生活をサポートするなかで、お金のこと、学校のこと、就職のこと……枡谷さんは当事者や家族が抱えるさまざまな障壁を見聞きしてきた。移動支援だけでなく、「親亡き後」にさまざまな制度を使いながら暮らす環境をつくれないか、との考えから、必要な事業に取り組んでいる。

今も多くの人が、いわゆる「障害福祉の制度」の枠の中でしか進路を選べないと感じています。行きたい学校に行けたり、働く場を自分で選べたりできない状況がある。そして、「親亡き後」への不安を抱えながら暮らしています。20年やってもこれを変えられないのはなんでなのか、考えないといけない。

本人に合ったステップがあれば、障害のある人ができることはたくさんあります。それをできなくさせているのは、やっぱり社会の側の問題だと思うんです。

一人で「外に出る力」を身につける「beみ・らいず」

課題に気づくたび、それに対して必要な事業を立ち上げてきた〈み・らいず2〉。実はこの日取材で訪れたのも、コロナ禍での経験の機会の減少に危機感を感じて、2021年12月に堺市で立ち上げた新しい放課後等デイサービス「beみ・らいず」だった。

「beみ・らいず」では、まさに子どもたちが「外に出る力」をつけて、就学・就労の選択肢を増やすことを目指したプログラムを提供している。一人で電車に乗ったり遊びに行ったりするために必要な準備、実際の移動、コミュニケーション、金銭管理などを、一人ひとりに合わせた方法と期間で身につけられるようサポートする。

【写真】テーブルの向こうに男性スタッフと、こちら側に制服を来た小学生くらいの女の子が座っている
堺市にある「beみ・らいず」の様子。この日は取材チームもご挨拶してからプログラムをスタートしてもらいました

訪問した日は、小学生が「一人でコンビニで買い物をすること」を目標に、売っている商品や値段、店員さんとのコミュニケーションの取り方を学んでいた。プログラムとして週2回の教室内でのワークと、2週に一度のスタッフとの外出を、目的地を変えて繰り返し行っているのだという。

【写真】男性スタッフが机の上の紙を指差し、女の子は何かを鉛筆で書いている。テーブルの上にはタブレットが立てかけられている
店員さんから聞かれることが多い、「レジ袋は必要ですか?」「ポイントカードは持っていますか?」の質問の受け答えを学んでいるところ
【写真】テーブルの上に商品カードが並ぶ。女の子は財布を手にしている
「買い物カルタ」を使ったシミュレーションでは、商品合計を電卓で計算しながら500円以内に収まるように購入。お釣りの計算もして、トレーに載せられた小銭に間違いがないかを確認していました

障害のある人は、障害があるからこそ制度による支援を受けられます。その一方で、制度に守られ過ぎてしまうと、できるかもしれないことを最初から「できない」とみなされている場合もあるのではないでしょうか。

就労している保護者は、子どもを預ける場として放課後等デイサービスを利用する方も多い。それならそのデイサービスでもっと、一人で外出できる力を身につけられるようにできたらいいと思うんです。

【写真】テーブルを挟んで、女の子と女性スタッフ、枡谷さんが座ってブロックで遊んでいる
プログラムが終わったあとは、子どもたちが「やりたいこと」を決めて保護者の迎えが来るまで一緒に遊びます

“目の前の課題”から広がり続ける事業

「beみ・らいず」のように、〈み・らいず2〉はこれまでも、さまざまな人の選択肢を増やそうと目の前の課題意識からつくってきた。今は、困難を抱える人が自分の将来を自分で考えて選択できるよう支援する「サポート事業」、発達障害や知的障害のある児童期の子どもたちに向けた「スクール事業」、若者が自分に合った仕事を見つけ、働き続ける支援をする「ワークス事業」の3つに分けて展開。その中で、「子ども・若者総合相談窓口」や「子どもの居場所」の運営など、自治体からの委託事業や民間の助成金による事業も行っている。

4名の学生サークルから始まった団体は、今や総勢50名(有期契約を含むと100名以上)のスタッフを抱える法人に育った。

しかし、「事業を拡大しようとか、法人を大きくしようとか思ったことはない」と枡谷さんは話す。既存の制度や領域に捉われず、利用者との関わりから必要だと思うことをやっているうちに、気づけば今のような状態になっていた。

【写真】たくさんのパンフレットが広げられている

なんで障害のある人は、みんな作業所に行くのかな。なんで保護者だけに負担がいくのかな。学生の時から、そうやって「なんでやろ」を考えてきたら、次はこんな支援が必要なんじゃないかって、とめどなく広がっていきました。だから〈み・らいず2〉のことを聞かれても、説明が難しいんです。

課題に対応できる制度が見当たらなくても、すぐに諦めることをしない〈み・らいず2〉。自治体と話し合うなかで、新しい形の支援が始まることもあった。例えば、さまざまな支援を通じて出会った、生活困窮世帯の子どもたちのための「居場所づくり」事業。

家庭の中に多様かつ複雑な課題がある子どもたちが、どんな力をつけていけばいいのか、どんな環境があれば安心して暮らせるのか。ただ経済的に、あるいは物理的に支援をするだけでは不十分だと感じました。そこで各自治体と話し合い、いくつかの制度や民間の助成金も活用しながら、子どもたちが必要としている「居場所」をつくっていくことにしたんです。

【写真】L字型カウンターのある厨房の中にたくさんの人がいる。カウンターの上には食材などが並ぶ
生活に困難を抱える家庭の子どもたちが無料で利用できる「食堂」や、「勉強も息抜きもできる場」を〈み・らいず2〉は関西の複数エリアで運営している(提供画像)

食事や学習を入り口にしていますが、大事なのは、子どもが本当に来やすい理由をつくること。来てくれれば、スタッフや学生が話を聞くこともできますし、遊びや文化的な体験の機会も提供できます。

なので、「学習支援」の場に来る子どもたちが勉強をしたいかどうかは、実はどっちでもよくて。学習という言葉を使うことで、保護者も「行っておいで」と言いやすいし、子どもも「勉強しに行ってくるわ」と言って外出しやすい。そこから、日常生活の支えとなる「自分が大切にされる時間」を確保してもらえたらと考えました。

「どう思ってるん?」を問い続ける、20年選手の役割

困り事を抱える人を前に、一つずつ事業を立ち上げてきた〈み・らいず2〉。今年で22年目を迎え、理事としての枡谷さんの役割も変わりつつある。

一番大事にしているのは、「今、どう思ってるん?」とスタッフや利用者に一つひとつ聞いていくこと。そこから自分の関わり方を変えたり、必要な事業を考えたりしています。

だから、私の役割が何かと言うと、実は職員に対しても利用者に対しても一緒なんです。“うるさいおばちゃん”かなって(笑)。

【写真】こちらを向いて笑う枡谷さん

笑顔で答える枡谷さんだが、「本人がどう思うか」は、この取材中何度も彼女の口から出たフレーズだ。外出をするのかしないのか、サポートを受けるにしてもどの制度を利用するのか。利用者ができるだけ自ら決めて、進んでいくことをどの事業でも大切にしてきた。

人となりを知らずして、本人に合った支援はできません。同時に、私たちが考えていることを、本人がきちんと理解していることも大事。お互いの気持ちを大切にすることが、日常の関わりの中で当たり前になるといいですよね。

障害があるとかないとか、「利用者」と「支援者」という立場の違いなどを考えると、簡単に「対等」とは言えません。でも、できるだけ対話をして、自分自身が望む方向に一緒に進んでいく仕事ができたらいいなと思っています。

こうした枡谷さんの姿勢は、スタッフに対しても基本的に変わらない。例えば、目の前のことに精一杯の新入職員は、利用者やその家族の要望が応えられるものかどうか、今までのやり方が今も合っているのかなどを考える余裕のないことが多い。そんな時、枡谷さんは本人が立ち止まって考えられる場を設けて、話をじっくり聞く。

また、代表理事の河内さんに直球で意見を返すのも、枡谷さんの仕事。「代表が今何を考えているか」を知って、スタッフや外部に伝えていく。さらにそうしたコミュニケーションの機会として、毎年のスタッフ合宿も大事にしてきた。一晩語り合うことで相互理解を深める機会になっている他、日々さまざまな要望が届く現場から離れて、そもそも〈み・らいず2〉はどこを目指しているのか、誰をどんな状態にするために事業をしているのかに立ち返り、チューニングする場にもなっているようだ。

【写真】屋外で、たくさんの人が調理台を囲んでいる
キャンプ場で開催した2022年の合宿。理念の共有や事業計画の発表、意見交換のほか、カレーづくり対決など、「コロナ禍以来、久しぶりに〈み・らいず2〉らしい企画ができた」と枡谷さん(提供画像)

スタート時から、〈み・らいず2〉は毎年のようにスタッフを採用している。これまで活動した学生ボランティアは「おそらく2000人を超える」とのこと。常に若い世代の感覚に触れながら福祉を見てきた枡谷さんの目に、今の社会はどのように映っているのだろう。

最近の学生の話を聞いていると、私が学生だった頃に比べて、友達同士で自分を開示する内容が変わってきているなと感じます。「俺、発達障害やねん」「トランスジェンダーなんだよね」なんて会話を聞くこともある。自分とは違う人が隣にいる、ということが、ちょっとずつ受け止められやすくはなっているんだと思います。それがもっと進んで、「いろんな人がいる状態が普通だ」という感覚が当たり前の社会にしていきたいですよね。

【写真】棚の中にランドセルや教材、ボードゲームなどが並んでいる

100点の仕事はないけれど、世の中を測る“ものさし”は増やしたい

インタビューの終盤、枡谷さんは1人の重度障害のある女の子の話をしてくれた。

身体障害と知的障害がありましたが、支援学校ではなく、地域の小学校に通っていました。クラスでは、他の子どもたちがいろいろと手伝ってくれていたそうです。

その学校である日、担任の先生が何か子どもに対して注意をすることがあり、その子に対しても本気で怒ったことがあったそうです。クラスの友達は「障害があっても先生に怒られるんだ」と驚いて、子どもたち同士の見方も変わって。「先生すごいな、と思った。おかげで楽しく学校行ってたわ」とお母さんが何度も話してくださいました。

【写真】前を向いて話す枡谷さん

障害のある人もない人も、誰もがこの社会で生きている。それぞれの人の特性に合わせ、特定の支援を提供できるところも生まれてきた。だが、「いろんな人が一緒に暮らす」ことができる社会は、それだけでは実現しないんじゃないかと枡谷さんは話す。

社会が発展するに従って、機能性が求められるものは、より便利なように変わればいいなと思います。でも、効率的だからといって「障害のある人・ない人」で全部の居場所を分けられると、やっぱり違和感しかない。

分けることで支援に辿り着ける人もいるけれど、分けることで失われてしまうものもあります。だから、どっちもあるといいですよね。

【写真】机に座る女の子と男性スタッフを、少し離れた場所から捉えている

社会的な機能は分けても、暮らす場所は分けたくない。その言葉からは、枡谷さんが〈み・らいず2〉を利用する人を、障害者としてではなく、同じ一人の「人」として接してきたことがよく伝わってくる。だからこそ、20年余りに渡り一時も歩みを止めることなく、〈み・らいず2〉は目の前の人に寄り添いながら事業をつくってきたのだろう。

ヘルパーが不足していて、支援をし続けられなかった方もいます。運営が困難になり、継続できなくなった事業もあります。そんな状況で、私たちが別の事業を立ち上げたら、支援できなかったご家庭は「こっちを続けてほしかった」と思われたでしょう。そう思われることに、何も言うことはできません。

それでも「諦めているわけではないんです」と枡谷さんは続ける。その時さまざまな事情でできなかったことも、いつかできるんじゃないかと思ってやるしかない。そう考え、目の前の課題に取り組み続けている。

全部が100点満点で、後ろめたさもなくできているとか、誰もが満足できる仕事とかはないなって。反省もするし、落ち込むし、無力感もあります。

それでも、世の中の“ものさし”は何か変えたい。「良い」「悪い」を測る基準が凝り固まっていたり、一方的だったりすることで苦しんでいる方と、今までたくさん出会ってきましたから。

私たちが事業を続けることで、今よりももうちょっと「人間」というものが幅広く理解されて、異なる立場の人もお互いを受け入れながら暮らせる可能性は広がりますよね。そうやってみんなが、いくつものものさしで考えられるようになると、社会も変わっていくと私は思うんです。

【写真】黄色い壁を背にして立ち、前を向く枡谷さん

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連載:福祉のしごとにん ― 働く人のまなざし・創造性をたずねて