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【イラスト】ハーモニーの日々新聞【イラスト】ハーモニーの日々新聞

初恋を巡るモノローグたち いたずらに人を評価しない/されない場所「ハーモニー」の日々新聞  vol.08

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ふしぎな声が聞こえたり、譲れない確信があったり、気持ちがふさぎ込んだり。様々な心の不調や日々の生活に苦労している人たちの集いの場。制度の上では就労継続支援B型事業所「ハーモニー」。

「ハーモニーの日々新聞」と題し、そこに関わる人の日常・出来事をよもやま記していただく連載です

今回のテーマは初恋。メンバーそれぞれにモノローグ形式で綴っていただきました。(編集部 垣花つや子)

ハーモニーの初恋話

ハーモニーの「日々新聞」も8回目。上町の街歩きから一転して、前回、前々回の「私のお墓の前で」ではメンバーそれぞれのモノローグとインタビューを中心に書いてみました。

障害のある人たちの就労支援施設で「死とお墓」をテーマに話をするところも珍しいかもしれません。しかし、平均年齢が60歳に近づいてきた私たちにとって、それも日常の一部であり、気にかけずにはいられない話題のひとつです。

これからも「面白さだけでなく、うまくいくこともつまずくことも溜息も含めたハーモニーの今をお伝え」していきたいと思います。

「ハーモニーの人たちは自分を語る自分の言葉を持っている」と言っていただくことが多いのですが、前回もまた、一人ひとりが人生の実感に根差した豊かな言葉を持っていることを再確認しました。

そこで今回は、その豊かな言葉が際立つように、モノローグの構成にしてみようと考えました。

「お墓」は多くの人たちが直面するテーマでしたが、次は何にしようか。編集の垣花さんやイラストの富樫さんと話しているうちに、ポロっと出てきたのが「初恋」でした。前回が人生の終末を考えるテーマだったので、今回は若い頃の出来事を扱うのもよいと思ったのです。

とはいっても、「あなたの初恋話、聞かせてください!」といきなりミーティングで聞くのもどうだろう。個人の心に関わる出来事です。聞き手と話し手の関係性や語られる場によってはハラスメントにもなってしまうでしょう。その話題が出ることで居場所を脅かされる人がいないようにするにはどうしたらいいのかなと考えてしまいました。

まずはメンバーたちの反応に任せてみようかと「初恋をテーマにしたら参加しますか。関心のある人は言ってください」と声をかけてみました。ハーモニーの他の活動と同様に自由参加です。

意外なことにさっそく18人から参加希望がありました。こんなに沢山のメンバーが乗り気になってくれたことはうれしいことでした。

今回は一人ずつ、座談会でなくて別々に話を聞かせてもらうことにしました。その後、原稿を見てチェックしてもらい公開としました。氏名や状況は必要により改変したことをご了承ください。

「今回は3次元だけですか? 2次元もあり?」とツッコミを入れてくるメンバーもいました。もちろん、なんでもありです。

最後に、注意書きを。

これからご覧いただくハーモニーのメンバーたちの初恋話の中には、それぞれの若き日の思い出が語られています。

その中には、好きになった彼、あるいは彼女の外見に触れた言葉もありますが、それは、外見によって人物の価値をはかったり優劣をつけることを意図したものではありません。誰かを好きになるという体験のなかで、相手の姿を美しく大事なことに感じたという表明です。とはいえ、身体的特徴に言及するのに抵抗がある方もいらっしゃると思い、あらかじめお伝えする次第です。それでは、ハーモニーの初恋話はじまりはじまり。

「あなたの初恋、教えてください」

<幼稚園・保育園篇>

こまねずみ

「保育園の頃の僕は昼寝の時間に寝ない子でした。そして走り回る子でした。ただ走り回っていました。

それでも本を与えると何時間も本を眺めている子でもありました。

5歳の時、ミユキという名の物静かな大人しい子がいました。気になったので、つきあいたいとお願いしたところ『女の子をいじわるしなければいいよ』と答えてくれました。うれしかったので頑張りましたが、1年後にちょっとだけ約束をやぶってしまい、きらわれてしまった。

中学になって再会したんですが、ミユキさんは昔のことを忘れた様子で『私のこと、憶えてる?』って聞いてきたんです。なんだか変な気がしましたよ。

もうひとつは2次元の話です。おそらく6歳の頃です。父の職場のレクリエーションで鎌倉に旅行したのですが、偶然目にしたテレビアニメ『The♥かぼちゃワイン(※注1)』に驚きました。学園もののラブコメディなんですが、主人公のエルの姿が恥ずかしくて真っ赤になってテレビから目を反らして、いっしょにいた父の職場の人に笑われてしまいました」

※注1:「The♥かぼちゃワイン」三浦みつる原作によるテレビアニメ。1982-84年にテレビ朝日系列で放映。

<小学校篇>

フミ姫

「わたしの初恋はね、小学1年から6年の頃。ダイスケくんっていって背が高くて野球が上手な子だった。

私は運動が得意だったけれど、他にもピアノとか習字とか習っていました。ピンク色の服が好きで目立つ方だったけれど、実は恥ずかしがり屋で好きだといえなくてモジモジしてたよ。その後、中学になって、等々力駅で見かけたときはカッコよくなっていたよ」

クミコ

「5歳から5年生の1学期まで社宅に住んでいました。当時の私は1年中、半袖半パンで過ごしているような子で、お母さんに『せっかくスカート縫ったのに、クミコはちっとも穿かないんだから』といわれていました。そうそう、ハワイに住んでいる親戚が来た時に、わたしのことをtomboy(=おてんば娘)って呼んでいたのを覚えています。

私の家は2階ですが、3階に越してきた家族には3人子どもがいて、真ん中の男の子が私より3つ4つ年上でメチャメチャかっこよかったんです。ミスターハンサムって呼んでいました。一番下は女の子でその子は時々、うちに遊びに来たりしていました。

私のうちもそうですが、3階の家族も外国から帰ってきたのでした。それで日本にはないものをいろいろ持っていました。社宅の前の広場でミスターハンサムがアメリカ製の自転車の後ろに妹を乗せてグルグルと走り回っているだけで、うっとりと見入っていました。自転車の後ろの座席に背もたれがついているのなんて見たことなかった。

バレンタインにもチョコレートをあげましたよ。そういう時には2階は便利なんです。3階の住民は必ず、ウチの前の階段を通りますからね。階段に潜んでいて、彼が上ってくるの待って『はい』って渡せばいい。きっと何かお返しをもらった気がします。

私が5年生になったときには、社宅は取り壊されることになり、引っ越すしかありませんでした。ミスターハンサム、どうしているかな」

「出会ったのは小学1年生か2年生。彼は臨海学園に通う中学3年生で、サッカー部のキャプテンをやっていた。髪が長くて足も長くてカッコよかったです。

サッカーではフォワードでゴールを決めたりするとうれしかった。毎週、金曜にだけ会っていたけれど、私は遠くで見ているだけで、言葉を交わしたことはなかったよ。

少し彼は変わっていて、中学3年生でなぜか大きなバイクに乗っていたりする。補導されないのかなあと心配したよ。それから、お父さんが石に変えられたり、お母さんがムー帝国の王女だったりするのもユニークでしょ。

彼の名前は『ひびき洸』。『勇者ライディーン』(※注2)の主人公でライディーンを操るパイロットです。いつ見ても15歳のままだというのも、いいわね」

※注2:勇者ライディーン、1975~76年にNET系(現・テレビ朝日)で金曜日夜7時から放映されたロボットアニメ。

<中学篇>

小川

「横浜に住んでいたころなんです。僕は5人家族。お父さんはいなくて、おじいちゃんのやっている文房具屋で我が家は生計を立てていました。

初恋は小学校5、6年生の時のクラスメイトのはるみさんって子でした。話しているとおもしろいんですよ。当時『アンコ椿は恋の花』で大人気だった都はるみさんに似てました。ホントですよ。ダジャレじゃなくて。

僕は私立の男子中学に入学したので、文化祭に来てほしいと声をかけたんです。そうしたら、友達と来てくれたんです。うれしかったです。でも、校庭を案内していた時のこと、僕の後頭部に何かが勢いよくぶつかったんです。気絶しました。誰かが『神聖なグラウンド』に女子を入れたけしからん奴だって、僕に野球のボールをぶつけたんですよ。保健室で意識が戻ったら、はるみさんもはるみさんの友達も消えていました。

その後、20代後半になって僕は保険会社に勤めていて、はるみさんちにセールスに行ったんですよ。ひょっとしたら彼女に会えるかもしれないってね。そうしたら、彼女は子どもがいる素敵なお母さんになっていました。頭にボールが当たらなかったら、どうなっていたかなあ。もう60年近く昔の話です」

ミチコ

「中1の頃、同じクラスのバスケ部のタカシくんに告白されました。

『ミチコさんが好き』と言われました。私は音楽部でバイオリンを習っていました。当時の子どもはまだゲームがなかったので、楽しみと言えばテレビのマンガでした。私は『アタックNo.1(※注3)』などを好きで見ていました。タカシくんとはテレビの話をしたんじゃないかなあ。

ところが、夏になって我が家が郊外に引っ越すことになり、タカシくんとは会えなくなりました。先生がミチコさんが引っ越すことになりましたと教室で言ったら、タカシくんが『えー!ミチコさん、引っ越しちゃうの?!』と大きな声を出したのを覚えています。

私もお別れするのがつらくて、それぞれの通学用のカバンにつけていた鈴を交換して忘れないでと言いました。しばらくは、その鈴をチリチリン♪と鳴らしていました。

転校した先では野球部のツネオくんとお付き合いしました。私はバスケ部。彼は背が高くてモテました。立川の高島屋でブラブラしたのがいい思い出です」

※注3:アタックNo,1 。1969年~71年にフジテレビ系列で放映された女子バレーボールを題材としたアニメ

E

「中学の頃の私は手芸部に入るようなおとなしいタイプで、ピアノを習ったりしていました。あこがれていたのは小学校から一緒だったオボッチャマタイプのYくん。同じクラスで勉強がよくできた。昼休みにボール遊びをしているYくんを見ていたりしてました。誰かがお節介でYくんに私のことを言っちゃったらしいの。それでちょっと引かれちゃったみたい。
同じ高校を受験したみたいだったので、いっしょになれるかなと思っていたんだけど、彼がまさかの不合格でそれっきりになってしまいました。

10年ほど前かな。同窓会で再会して、彼が私のことを気に入ってくれたことがわかり嬉しかったです。仕事の上では成功したようですが、何かに悩んでいるようでもあり、ちょっと気になっています」

トム

「宮崎の小学校に行ってたんですが、おとなしい男子でした。おまえは優しすぎるからと母に言われて空手をやったほどでした。学級委員をやったりしました。小3の時、転校したのですが、カオリちゃんとユミちゃんという2人の女の子が可愛いなあと思っていました。女の子たちが集まって、トムが素敵だと噂していました。ちょっと、うれしかった。

でも、本当に好きになったのは中学の数学の先生でした。新卒の先生で眩しいくらい明るい人でした。先生は近くに住んでいたので、数学のことを教えてほしいって訪ねていきました。夕方だったと思いますが、明日ねと言われてジュースを貰ったか、飲んだかして帰されたのを覚えています」

マッサン

「伊東の小学校の5年生かな。カズコちゃんがいいなあと思っていましたよ。でも、僕はその頃から『複数の女性に心を寄せる男』だった。

中2の時のヨウコさんが思い出深いなあ。ヨウコさんは転校生でした。番長だったイソくんとなぜだかつきあっていました。とても美形でみんなの憧れだった。僕はちょっと大胆なところがあって、番長の彼女だったにもかかわらず、ようこさんにラブレターを書いてしまったんですよ。ところが、高校に入学して引っ越したこともあるけれど、たちはだかる最大の壁が父だったんです。父は男女交際なんか許さない封建的な人だったんで、僕もようこさんが近くにいても素通りするしかなかったんですよ。彼女も『きっと残念だなあ』と思っていたでしょうね」

<高校とそれ以降篇>

金ちゃん

「小3の時から一緒だった女の子。ミッション系の小学校に通っていた。制服がおしゃれでジャケットにネクタイに半ズボン。僕はいたずらっこで、葉っぱをちぎって人に投げたり、非常階段から小便したりして怒られた。

あいてはエミちゃんっていってお金持ちのお嬢様。クリスマスイベントで『受胎告知』の天使役で歌を歌うような子でした。

中1で文通を申し込み、中1から高3まで文通しました。でも、その間は一緒に出掛けたりしませんでしたよ。なぜだろう。まじめだったのかな。

高3の時、思い切って誘ったら、北区の飛鳥山公園でデートすることになりました。公園のそばの喫茶店でお茶しました。

ちょっと失敗したのは、公園のエレベーターに乗った時、最後に彼女が乗ったのですが、重量オーバーのブザーが鳴ってしまったんです。僕も一緒に下りればよかったんだけど、どうしていいかわからないうちにスーっとエレベーターのドアが閉まってしまい、彼女を置き去りに僕だけ上がっていっちゃったんです。慌てて下りてきたけど、その後、あまり会話がなかったなあ。

高校を出て6、7年後、同窓会で会ったら、俳優の中井貴恵さんのような上品な女性になっていました。握手だけして別れました。あの時のエレベーターが失敗だったかなあ……」

サイヤ人

「高校2年の頃です。僕はちょっとヤンチャな所があって地元の仲間と4〜5人のグループで遊んでいました。それで女の子のグループ4〜5人とカラオケで遊んだりしていたのです。当時はミスチルとかイエモンとか歌ってたな。

その女の子グループの一人に、『みさっち』と呼ばれていた可愛い女の子がいました。といっても恋愛感情があったわけでもなかったのです。でもお互いの友達同士が、好きだって言ってたよと煽ったもんだから、その気になってデートして、つきあうようになりました。

お金貯めてディズニーランドや八景島シーパラダイスに行きました。デートは渋谷です。3年くらい続いたかな。お互い20才過ぎて、僕は予備校やめたりアルバイトも長続きしなかったりと冴えない生活を送っていて、それもあったのか自然解消しました」

トコちゃん

「中学からテニスやってたのね。学校の部活には馴染めなくて一般のテニスクラブに入ったわけ。高校の頃の話です。そのクラブにいた2歳上の先輩。Nさん。かっこよくてテニスが上手で、もう胸がドキドキだったわよ。ネット越しに自分の気持ちが伝わるように必死にボールを打って心を伝えたのよ。彼は大学生でした。

彼はケンメリ(※注4)に乗っていて鎌倉の海を眺めにいった。ただ、車を走らせて海を見るだけ。でも楽しかった。BGMはオフコースとかチューリップね。幸せだったんだけど、ある日彼は、僕はイギリス行くからお別れだって消えちゃったの」

※注4:ケンメリ:ニッサンの4代目スカイラインの愛称。1972-79年に販売された。

kagesan

「小学校、中学校は男友達と遊ぶ方が楽しかったよ。マンションの上から爆竹や水風船、落としたりね。ところが入った高校が商業高校で、全校生徒の80%ほどが女性。一緒に遊べる男友達が少ないなあって最初はがっかりした。そうはいっても高1のクラスに気になる女の子がいて、なまえはマサミさん。当時は『写ルンです』の時代だけど、僕の写真を撮ってくれたりしました。

マサミさんはケンカの強い男性が好きみたいで、僕のことをケンカが強いと思っていたらしい。本当は弱いんだけどね。それでも彼女に会いたくて、彼女の家を探してバイクで出かけた。そこは団地で、中年の女性の周りをグルグルとバイクで回っていたら、なんとその女の人が彼女のお母さんだったんだよ!それで彼女になんとか会えてうれしかったなあ。お母さんはしばらく僕のことを不良だと思っていたけどね。

彼女と一緒に勉強したよ。商業高校でしょ。そろばんとか簿記があるんだよ。そろばんはなんとか合格したんだけど、簿記を落としちゃって、上の学年に上がっても卒業できないかもと言われて、母と一緒に退学届けを出しに行った。それで新しい高校に入りなおして、バイトを頑張りながら通ったんだよ。今度の高校は男子も多かったから念願の男友達もできたよ。それで、マサミさんには、告白したんだけど『好きな人がいる』ってフラれた。

それでも20歳の頃、再会した。遊びに行ったりしたよ。土手を二人で手を繋いで歩いていたんだけど、目の前に見たこともないくらいの数の毛虫だか芋虫だかが落ちてきたんだよね。二人ともひどく驚いて、キャーキャー騒いだのを憶えてるよ」

「23歳の頃、彼女に電話したら『私、結婚するんだ』と言われて、それっきりだよ。うーん。彼女はタレントで言うと工藤静香さんに似ていたな」

このんちゃん

「思い出すのは高校の文化祭かな。何人かの気になる人が来てくれて、『この人とはこんな風に過ごしたいなあ』と思っていたんだけど、思うようにならなくて困ってしまった思い出がある。私が好きなタイプは全員、スポーツマンタイプだったかな。その中には今も交流のある人がいるけど、歳をとると顔も変わる。それだけじゃなくて、若い頃の自分の写真をみると他人事のように感じるから不思議だな」

シナクソロウ

「中学1年の頃でしょうか。英語が得意でスウェーデン出身の人がやっている英語塾にいっていました。僕が気になったのは、同じクラスののりこちゃんという勢いのいい子で、『クールな顔して笑わないでよ』と背中を叩かれたのを覚えています。年賀状をやり取りしたりしました。その後、高校に上がった頃、お店でアルバイトしている姿も見ましたが、それっきり会っていません。

20歳の頃、オーストラリアに短期の語学留学と旅行にいきました。現地で知り合ったスーザンという女の子と仲良くなりました。スーザンはアジア系で長期留学をしている人で彼女のアパートに呼ばれて遊びに行きました。といっても『スターウォーズ』をいっしょにみたりするだけですが。英語も通じました。『ハリソン・フォードとメル・ギブソンのどっちが好き?』など楽しく話ができました。1週間ほどのお付き合いだったけれど、若い頃の楽しい思い出です」

田中

「19歳の話です。通っていた料理の専門学校もあと少しで卒業という頃になって病気になってしまい、埼玉の病院にはじめて入院しました。僕はひょろ長くて痩せてました。同じ病棟に入院していた髪の長いアイドル風の高校生がトモミちゃんでした。非常階段の踊り場でいつも話しをしました。パステルカラーの上下のスウェット姿の彼女を今でも鮮やかに思い出します。看護師が帰ったのを見はからって男子の病棟で密かに出回っていたタバコを彼女と半分ずつ吸うんです。彼女が半分吸ったのを僕が吸ったりして、間接キスだなんてね。

外出許可をもらって、僕は郵政省の食堂のバイトに行き、彼女は高校に登校していました。同じバスに乗って話しながら出掛けました。

退院後にも連絡をとりました。今のようにスマホもないので、公衆電話から電話するしかありません。渋谷の街の公衆電話から彼女のお母さんが出ませんようにと祈りながらダイヤルを回したのがいい思い出です。そのうち疎遠になってしまいました。

そうそう。世田谷に帰ってきて気がついたのですが、トモミちゃんの苗字が世田谷にある歴史のある巨大な精神科病院と同じだったんです。この繋がりには何かあるぞと思っています。こういう時に『闇の組織』の力を感じるんですよ(笑)」

【イラスト】赤い色の公衆電話から電話するたなかさん
ぷすけちゃん

「高校は美人ばかりだったね。私は理科と数学が得意で大学は理系を目指していた。学ランを着ていたね。他の生徒は私服が多くて、帰りにディスコに行く女の子も多かったね。モテすぎて学年中の女子が私の彼女になりたがっていたけれど、彼女作ると勉強できないからやめておいた。塾でも学業に専念するように言われていたしね。

そんなわけで社会人になって今の家内にあったのが、初恋かな。まあ、女性たちはみんな私とつきあいたいと思っていたようだけど。家内はオリジン弁当の店員だったんだよ。弁当屋の隣の洋菓子屋でパティシエもやっていたんだけどね。弁当を買いに行ったら『あなたのこと、気にいっちゃったわよ。わかったわ。お弁当、3割引きでいいわ』と彼女の方からアプローチされたんだ。まあ、ご飯につられたところもあるかな。でも、今はご飯作ってくれないんだよね。その後、40歳で家内は東大医学部の教授になったので、忙しくなっちゃったわけなんだ」

ヒロちゃん

「1981年頃です。僕は大学生で新宿の伊勢丹デパートの社員食堂で調理補助のバイトをしていました。そこでクニオという名前の長野から来たクールス(※注4)好きの18歳の友達ができました。

クニオは正社員でその繋がりで2人の女の子とも仲良くなりました。その一人の女の子がアッコでした。アッコは秋田から上京して食堂に勤めていた大柄でいつもニコニコしているショートヘアの女性でした。控え目だけど話しをしていてホッとするというか。

4人で新宿で遊んだり吉祥寺のロジャースで買物したりしました。そのなかで段々とアッコが気になってきていました。

夏のことです。僕は大学の児童劇団に入っていて中野サンプラザの横の公園で夜遅くまで練習をしていました。実はちょっと前から風邪をひいていて、体調はあまりよくなかったんです。

練習を終わって気がつくと、アッコがそこにいました。風邪薬とマスクとお弁当を持ってきてくれたんです。ものすごくうれしかった。いい感じでしょ。それなのに、その後の展開がまずかった。

実は、僕はクニオを近くのファーストフードで待たせていたんです。今ならば、スマホからクニオに連絡して『アッコといい感じなので、先に帰ってね』と言えるのだけど当時は、連絡しようがないものだから、結局3人で合流して、その後は僕はクニオと電車で帰りました。ああ、なんということだ。一緒に帰る相手が違う。

その後、クニオも吉祥寺の店舗に移動になったり、僕もウェイターをやることになったりしたので、4人グループは次第に疎遠になってしまい、消滅してしまいました。

数年後、街で偶然出会ったクニオはモデルみたいな女性を連れていました。そしてアッコからは『今は調布のパン屋に勤めている』とハガキが届きました。

その時も、アッコは僕のことを気に留めていてくれたんですね、きっと。そんなふうに今では振り返ることが出来るのですが、残念なことに当時は鬱を発症していて、返事を書いたり電話をすることが出来ませんでした。なんだか、切ないなあ」

※注4:クールス(COOLS)は、日本のロックバンド。1975年結成

編集後記

【イラスト】「恋愛」「結婚」「家族」「友情」と書かれている。さまざまな人間関係があることを示しているイラスト

ハーモニーのメンバーは30代から70代まで(平均年齢は57-58歳)。半数は東京で生まれた方たちですが、中には進学や家の事情で上京してきた人もいます。

小川さんの小学校の頃のアイドルは都はるみさんだったし、トコちゃんがドライブで聞いたのはオフコースでした。サイヤ人さんはミスチルやイエモンをカラオケで歌いました。携帯電話のない頃は、気持ちを伝えるのは郵便であり、公衆電話から彼女のおとうさんが出ないことを祈りながら電話しました。

ままならない自分とままならない世界の中で一人ひとりが確かに生きてきて、人と出会いました。私には恋愛も「自分の枠から出て、他者と出会う一つの形」であり、「他者を通じて自分と出会うこと」だと感じられました。

メンバーたちの話を聞かせてもらえて、とても楽しかったです。育った時代によって初恋の背景は様々で、日常的に顔を合わせている人たちの、日頃の姿からは想像できなかった過去を教えてもらうという楽しさもありました。

それがことさら眩しく感じるのは、彼らの苦しかった日々のことも沢山、聞かせてもらってきたからかもしれません。

一人ひとりが何光年も離れた星のように孤立して生きてきたからこそ、お互いの思い出話の中に驚きや共感を見つけた瞬間がかけがえのないものに感じられます。

一方、私たちの中には、少し前までは自明とされていた人同士の関係の結び方、「友情」「恋愛」「結婚」「家族」などに怖れや疑問を感じたり、その枠に自分を合わせることに苦痛を感じる人たちもいます。多様な人との関係の結び方があり、それを語ることを望まない、語れないあるいは語らない人たちがいます。

「語りたい人/聞きたい人」と「語らない人/聞くことから遠ざかっていたい人」が共に脅かされずにいられること。

それが私が実現したいと思っている「居場所」の特性のひとつです。

新型コロナの時代にあっても、みんなに豊かな出会いがありますように。


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連載:いたずらに人を評価しない/されない場所「ハーモニー」の日々新聞