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【イラスト】ハーモニーの日々新聞【イラスト】ハーモニーの日々新聞

ハーモニーの思い出のメロディ 前編 いたずらに人を評価しない/されない場所「ハーモニー」の日々新聞  vol.11

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ふしぎな声が聞こえたり、譲れない確信があったり、気持ちがふさぎ込んだり。様々な心の不調や日々の生活に苦労している人たちの集いの場。制度の上では就労継続支援B型事業所「ハーモニー」。

「ハーモニーの日々新聞」と題し、そこに関わる人の日常・出来事をよもやま記していただく連載です。

(こここ編集部 垣花つや子)

思い出のメロディたち

お久しぶりです。

酷暑の夏も終わり、やっと一息つける季節がやってきました。ハーモニーの日々新聞も再開です。今回のテーマは音楽です。思い出の1曲を紹介してもらいました。ハーモニーに来ている人たちは年代も様々。

ひとりひとりの好きな曲を並べていくだけでも昭和から平成に連なる歴史を見ているような気さえします。それでは、いくつかのグループにわけて紹介します。

◎学生時代編◎

袋小路犬太郎

「吉田拓郎の『落陽』です。大学に入って鬱っぽかった頃の話です。『これ弾いてみたら』と先輩に言われて、ギターを練習して弾けるようになったのが落陽でした」

ふみ姫

「浜崎あゆみの『SEASONS』です。

高校時代はあゆと安室奈美恵が好きでした。バイトしたお金で渋谷で洋服買ったり、口紅買ったりして楽しかったです。ルーズソックスの時代ね」

サイヤ人

「THE YELLOW MONKEYの『LOVE LOVE SHOW』です。

“「愛とはあなたのためだ」とか言ったら、疑われるけれどがんばっちゃうもんね” のところが有名。1996年か7年。高校生の頃かな」

「マイケル・ジャクソンの『スリラー』です。博多にいたころ。高校生で学校帰りにお好み焼き屋によった時に、しつこいほどモニターから流れていたのが、この曲のPVでした」

新澤

「袋小路さんは、ギターを先輩から勧められたのですね」

袋小路犬太郎

「僕がギターで弾ける唯一の曲です。大学の裏手にある汚いアパートの部屋がサークルのメンバーのたまり場になっていました。先輩や同じ学年の学生が部屋をシェアしていて、隙間風の入るような部屋で冬はガラス窓の内側が凍るような寒さでした。僕らはあまりに寒いのでシャツの下に新聞紙を入れて暖をとっていました。そんな時代です。ギターを弾けばと言った先輩は、卒業後連絡してみたら、亡くなっていました。お世話になった先輩の思い出の曲でもあります」

新澤

「ふみ姫は高校の頃の話ですね。当時はどんなバイトをしていたのですか」

ふみ姫

「表参道の美容院にスカウトされて、カットモデルのバイトやってました。それで将来はモデルになりたいなあと思ってた。ポケベルとか携帯持って、友達とやり取りしてたなあ」

新澤

「ポケベル!覚えています。携帯が普及していつでも友達と話ができることに大喜びしたのを覚えています。続いては、サイヤ人さん。高校生の頃はどんな感じだったんですか」

サイヤ人

「どっちかっていうとヤンチャなほうでした。いい感じになった彼女とカラオケでこの『LOVE LOVE SHOW』を歌ったりしましたよ。彼女は安室とかglobeとか小室ファミリー的な歌を歌っていましたね。洋楽も聞きましたよ。エアロスミスとかボンジョヴィとか」

新澤

「エアロスミスとボンジョビ! ふたつとも息の長いバンドですよね」

サイヤ人

「エアロスミスは『ウォーク・ディスウェイ』が有名ですね。カラオケで歌えるかな」

新澤

「洋楽と言えば、われわれの世代で圧倒的に流行したのはマイケル・ジャクソンでしょうか。スリラー、すごく流行ってましたよね、姫さん」

「おい、いいかげんにしてよってくらい聞かされました。その頃の私はスカート丈長めでセーラー服の丈を絞っているような少女でしたよ。ふふふ。本当のことを言えば、マイケル・ジャクソンよりデビッド・ボウイがいいわね」

新澤

「わはは。」

◎こんな出会いでした編◎

kagesan

「Blankey Jet Cityの『CAMARO』です。

1989年頃、21歳でした。友達はポンティアックに乗っていて、僕はカマロが欲しかった。そんな時、この曲を聞いたんです」

さちこ

「ザ・タイガースの『君だけに愛を』です。1968年くらいですね、最初に買ったシングルがタイガースでした」

E

「『勝手にしやがれ』沢田研二です。ジュリーは全てが完璧でした。歌もルックスもね」

Acetone

「ビートルズの『抱きしめたい』です。

Acetoneって、僕が初めて買ってもらった国産のエレキギターメイカーの名前なんです」

田中

「クラフトワークの『コンピューターワールド』です。81年の5月に出たコンピュータミュージックです。僕はこのアルバムでテクノっぽい音楽に目覚めたんです」

まっさん

「three degreesの『when will I see you again 天使のささやき』です。

リリースされたのは1974年くらいの曲なんだけど、はじめて聞いたのは2、3年前です。中古CDを買い漁っていた頃があったんです」

新澤

「kagesan、車好きなんですね! ブランキーのカマロという曲に出会った時には、車を運転していたんですか」

kagesan

「その時は白とグレーのツートンのファミリアに乗ってました。改造して車高の低いのね。カマロは燃費が高くてリッター4〜5kmだったかな。水色のカマロに乗りたかったんです。ブランキーは昔から好きでした。最近、ますます曲の良さがわかってきましたよ」

新澤

「さちこさんはタイガースですね。レコードを買ったのですね」

さちこ

「はい。我が家の祖母が大好きで、テレビで『この人かっこいいわね』と言っていて、私もファンになりました。おばあちゃんは体が弱くて、家で寝ていることも多かったのですが、ジュリーが登場すると目を輝かしていました」

新澤

「おばあちゃん、ジュリーが大好きだったのですね」

さちこ

「たまたま、お墓参りの途中で新宿のアシベ(ACB HALL)の前に差しかかったら、ものすごい数の女の子たちが道に溢れていて、なんだろうと思ったらタイガースの公演でした。得した気分でした!」

新澤

「ジュリーといえば、もう御一人。Eさんです」

E

「グループサウンズ! 好きでしたよ。高校時代はタイガースです。周りもみんなキャーキャー言ってましたよ。ソロになってからのジュリーも最高です。

ついでに言っておきますが、短大時代はヴィレッジシンガーズに夢中でした。当時は洋楽は聞いてなかったのですが、30代になってビートルズも聞くようになりました。すこし遅れた反抗期ですね」

新澤

「ビートルズと言えば忘れてはいけないのがAcetoneさんです」

Acetone

「最初に聞いたビートルズがこの曲です。中学の頃、学校にトランジスタラジオを持ってきた友達がいて、ほら!ってちょうど流れていたこの曲を聞かせてくれました。なにしろカッコよかったし、すでに女の子たちは夢中でしたよ。情報源は小さな新聞記事くらいしかなかったけれど、メンバーの似顔絵を描いたりしましたね」

新澤

「いいなあ。トランジスタラジオから流れるビートルズ。鮮烈な出会いですね。Acetoneさんは楽器を演奏しました?」

Acetone

「中学になって安いギターを手に入れて雑誌の付録のコード本見ながら、ビートルズの練習しました。友達と二人でギターを持って、蛍光灯のスイッチの紐をマイクに見立てて『She Loves You』を歌いました。 う~っていうところのコーラスのところがピッタリ決まったりしたら、わぁーって思いましたよ」

【イラスト】友達と共にギターを持ち歌を歌うAcetoneさん
新澤

「田中さんはクラフトワークできましたね。新しい音楽でしたね。田中さんはこのアルバムでテクノに出会ったんですね」

田中

「バイトして近所の『ミュージックワールド』というレコード屋で買いました。来日した時には渋谷公会堂にも行きました。YMOの三人も見に来ていましたよ」

新澤

「YMO大好きですもんね」

田中

「YMOは東急東横店の屋上でサイン会ならぬスタンプ会をやったりしてたなあ。父に懇願してパソコンを買ってもらいましたよ。windowsが出る前の話です。ひとりでオカルト的な文章を入力していました」

新澤

「まっさんのthree degrees。中学時代の一曲かと思いきや最近出会ったんですね」

まっさん

「はい。中古CDを探して歩いているときに見つけたのです。ディスクユニオンとか、今はなくなったRECOfan渋谷とかを回っていましたよ」

新澤

「この曲の好きなところはどういうところですか」

まっさん

「何よりこのメロディーとコーラスが好きです。他にはソウルミュージックを聞くことはないんですが、これは特別。最近、音楽はネットの音楽配信サービスを使うことが多いから、CDを買うこと自体が少なくなりました。CDを買うっていうのがまず、なつかしい気持ちになります」

新澤

「ほんと、そうですね。配信で聞いちゃいますよね。時代は変わりました」

後編に続く

学生時代どんな曲を聴いていただろうか。私は、当時好意を寄せていた人が軽音部に入っていて、いきものががかりのコピーバンドをしていたので、会話のきっかけを得るためによく聴いていました。その人はギターを担当していました。『SAKURA』を聴くと、その人のことを思い出して感傷に浸ってしまいます。

ふと出会った曲としては19の『あの紙ヒコーキ くもり空わって』です。文化祭という行事が苦手で早く終わってほしいと思いながら校舎の隅っこで、後夜祭の様子を眺めていました。締めくくりにその曲が流れてきて、積極的に参加しているクラスメイトたちが大合唱しているのを目の当たりにして、うらやましいような、悔しいような、寂しいようななんとも言えない気持ちになったのです。

この記事を読んで、ついつい語りたくなってしまいました。ふふふ。次回もハーモニー新聞部のみなさんが思い出のメロディについて語ってくれるようです。よければ読んでくださったあなたの思い出のメロディーを教えてください。もしかすると、曲という形じゃないものもあるんじゃないかと思ったりしています。

(編集部 垣花つや子)


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