認知症を“体験”する「VR認知症」。イシヅカユウさんと体験して気づいたこと “自分らしく生きる”を支えるしごと vol.14
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ゴーグルをはずしたあと、しばらく呆然としてしまった。
目の前には、「VR認知症」の取材のために訪れた、都内某所にあるスタジオの風景が広がっていた。
「認知症の症状を一人称(本人視点)で体験し、理解を深める体験学習型プログラム」。そう事前に聞いていて、不安半分、たのしみ半分で来たのだけれど……正直、「一人称体験」のことを、甘くみていた。
不安になり、怒りがわき、ほっとする。VRコンテンツを通じ「一人称の体験」をしたことで、おおげさにいえば、世界の見え方がすこし変わった気がした。「一人称の体験」は、他者と共に生きる世界への入り口だったのだ。
VRで認知症を体験し、対話する
テーブルの上に、黒いゴーグルとヘッドホンが置かれていた。
そのテーブルを囲んで、3人が座っている。僕と、イシヅカユウさんと、株式会社シルバーウッドの黒田麻衣子さんだ。
イシヅカユウさんは、ファッションショー、スチール、ムービーなどで活躍しているファッションモデル。2021年にはトランスジェンダーの女性が主人公の映画『片袖の魚』で、当事者として主演を務めるなど、俳優としても活動の幅を広げている。
イシヅカさんは、背筋をすっとのばし、「よろしくお願いします!」とすこし頭をさげた。そのふるまいから、誠実で気さくな人柄が伝わってくる。でも、表情はすこし不安そうで、「僕だけじゃないんだ」とほっとした。なにしろ、これからなにが起こるのか、想像できないのだ。
その不安を察したかのように、黒田さんがにこやかな表情で話しはじめた。
「VR認知症(VR Angle Shift)」は、認知症を「学ぶ」のではなくて、VRを活用した「一人称体験」を通じて理解を深めるコンテンツです。これから、いろいろな認知症の症状を本人視点で体験していただきます。そのあと、感想を共有したり、どうしたら認知症のある方を取り巻く環境をよくできるのか、対話をしたりしてみましょう。
黒田さんによれば、「VR認知症」は株式会社シルバーウッドが運営するサービス付き高齢者向け住宅「銀木犀」に入居している、認知症のある方との暮らしからヒントを得て生まれたという。
介護職や福祉職であっても、認知症のある方のことを想像することは難しい。そのため、うまく関わることができなかったり、認知症のある方に対して「もう何もわからなくなってしまった人」 といったネガティブな感情が生まれてしまうことがある。
そこで、VRを活用して、認知症を一人称、つまり「わたし」の視点から疑似体験することができるコンテンツとして、2016年に「VR認知症」を開発したそうだ。
今では認知症だけでなく、「ダイバーシティー&インクルージョン」や「高齢者の住まいでの看取り」、「発達障害」などを体験できるコンテンツも生まれており、企業の研修や一般向けの体験会など、これまでに延べ13万人の方が体験しているという。(くわしくはこちらの記事で)
「じゃあ、さっそく体験してみましょうか」と、黒田さんにうながされ、僕とイシヅカさんはゴーグルとヘッドホンをつけた。
大切なのは、どんな気持ちが湧いてくるのか。目線を動かしながら、自分がどういう状況にあって、周りの人から何を言われているのか、そしてどんな気持ちが湧くのか感じてみてください。
ゴーグルを覗いた視界には、屋外の風景が広がった。これは……ビルの屋上?
ちょっと怒りを覚えた | 体験①「私をどうするのですか?」
コンテンツのあらすじ:ビルの屋上の縁に立たされている。下を見下ろすと、道路が見え、車が行き交っている。もう一歩踏み出せば、下に落ちてしまう。けれど、左側の女性、右側の男性が、笑顔で語りかけてくる。「大丈夫ですよ!」「さぁ、右足からいきましょう!」……
ゴーグルをはずした。胸はどきどきと波打ち、手には汗が滲んでいた。
体験して、どんな気持ちになったか聞かせていただけますか?
黒田さんの呼びかけで、それぞれが感じたことの共有がはじまった。
「な、なにを言われてるのか、わからなかった……」
「ほんとうに。」
「『大丈夫ですよ、右足から行きましょう』って笑顔で声をかけられて、どうでした?」
「……ちょっと、怒りを覚えました。そんなのできるわけないじゃん!みたいな。」
「ありがとうございます。この映像は、私たちの高齢者住宅で実際にあった場面をもとに作ったものです。ある認知症のある方が車から降りるのを、『大丈夫ですよ』って案内してただけなんですね。
だけど、その人は『怖い!ビルから落ちる!!』って。実際にその人がどのような景色を見ていたのかはわかリません。本当は車から降りるだけなんですが、その方が『怖い思いをした』のはたしかです。
あとでお医者さんに聞いたら、その方には認知症の中の、距離感がうまくつかめなくなる『視空間失認』という症状があったそうです。」
「ああ、なるほど……」
「声をかける側からしたら、悪気はないんですけど、それが認知症のある方にとっては怒りや戸惑いにつながることがあるんです。
次に、どうしてほしかったかを話していただきたいんですけど、どうですか?」
「僕は、話を聞いてほしかったです。『どうしたんですか?』『なにが怖いんですか?』とか。」
「たしかに。」
「そしたら、『ビルから落ちそうになってる』って伝えられたかなと。」
「実はですね、まさに『聞く』っていうポイントが大事で。私が出会った認知症のある方の多くは、『認知症になった途端に、みんな自分の話を聞いてくれなくなっちゃった』っていうんです。『怖い』って言っても、『なに言ってるの、大丈夫だよ!』って、取り合ってもらえないって。」
「まさに、動画に出てきた方は、そんなかんじでした。聞く耳をもってくれていないような。」
「そうですよね。なので、ちゃんと話を聞いた上で、その人の状況を想像して、関わり方を考えていくことの大事さを、この体験では伝えたいと思っているんです。」
「なんか、認知症って、その症状があること自体がわるいことなんだって思い込んでいました。けれど、実際はその人を取り巻く環境によるし、周囲の人が不安にさせてることもあるのかなって。」
「まさに! それも大事なポイントです。
認知症の症状は、『中核症状』と『行動・心理症状』のふたつにわけられると言われてます。
『中核症状』は、もの忘れがあるとか、今いる場所や時間がわからなくなるといったように、何らかの原因で脳機能に障害が生じて起こる症状。
一方『行動・心理症状』は、中核症状を持った方を取り巻く環境や周りの人との関わり方のミスマッチによって引き起こされる二次的な症状のことをさします。たとえば、怒りっぽくなるとか、不安になる、介護を拒否する、暴言や暴力などですね。」
「はい、はい。」
「たとえば認知症のある方が、距離感がうまく掴めない中で怖さを感じている(中核症状)のに、一方的に介護者に手を引っ張られて『やめて!』と怒る(行動・心理症状)と、『問題行動がある』って言われてしまう。
でも実は、その行動・心理症状は周りの関わり方がもたらしている場合があるんです。自分がその立場だとして、無理矢理手を引っ張られたらイヤじゃないですか?」
「イヤですね。今回の体験でも、すごく不安になりましたけど、それは周りの人がこちらの状況も考えずに『一歩踏み出して!』って言ってきたからだったのかもしれない。」
属性は、その人の中の一部でしかないのに | 体験②「レビー小体病幻視編」
あらすじ:音楽サークルの仲間に招かれ、友人の家に。玄関を開けると、直立した不審な人が!……と思ったら、それは帽子かけだった。そのあとも、充電ケーブルが蛇にみえたり、ギターケースが体育座りしている男性に見えたり……そんな不思議な光景がひろがるが、友人たちは何事もなく会話を続ける……
「(ゴーグルをはずし、呆然とする二人をみて)すみません、大丈夫ですか(笑)?」
「……なんか、黒沢清の映画の世界に迷い込んだみたい。」
「……うん。なんか言い方がよくないかもしれないですけど、お化け屋敷にいる感覚でした。」
「なにが怖かったですか?」
「あの、人がいて、しかもすごい鮮明に見えてたんですけど、消えちゃったりとか。あとは蛇があらわれたり、大きいハエがとんだり……。なにかまた違うものが急に出てくるんじゃないかって、不安になりました。」
「ありがとうございます。今回は、レビー小体型認知症の特徴である『幻視』を体験していただきました。
このコンテンツは、レビー小体型認知症の当事者である樋口直美さんと一緒に作ったんです。せっかくなので、樋口さんのインタビューも見てください。」
樋口さん:今までは幻視が、とても異常視されてきまして。「そこに人がいる」と言ったりすると、 「いるわけないでしょ!」と怒鳴られたり、病院に連れて行かれて薬を飲まされたりしました。でも、本当に見えていますから、そういう風に頭から否定されることは、とてもつらくて、とても悲しいことです。 そういうストレスで、この病気は悪化してしまいます。
(中略)
幻視は、怖いものばかりではなくて、とてもかわいいもの、たとえばかわいい子猫とか、かわいい子どもとか、美しいものもあります。 ですから、あたたかい気持ち、敬意と知的な好奇心を持って、「何が見えるの?」と聞いてみてください。聞いてもらえることはとても嬉しいです。
そして、幻視を一緒に楽しんでください。一緒に笑ってください。 異常視さえしなければ、幻視とはうまく付き合っていくことができます。
「……樋口さんがよく、『この体験の参加者が怖いっていうのが、ちょっとショック。怖いだけで終わらないでほしい』っておっしゃっているんです。すごく綺麗なものや、おもしろいものを見ることもあるんだと。」
「たしかに、今回の体験でもかわいいわんちゃんが出てきました!」
「そうですよね。以前、幻視が見えるおばあちゃんが『電子レンジを開けたら、天童よしみが踊ってた』って言ってたこともありました(笑)。」
「ええー!それは見てみたい(笑)。」
「ですよね(笑)。そんなふうに、他の人も楽しんでくれたら、『今日こんなの見えたんだけど』って言いやすくなるって、樋口さんはよくおっしゃってます。」
「『一緒に楽しんでください』って聞いて、そういう関わり方もできるんだ! って、あたらしい視点をもらった気がします。
……今の話で思ったんですけど、幻視だけじゃなく、いろんな属性にたいして、当事者じゃないほどシリアスにとらえてしまうところがあると思うんです。」
「当事者じゃないほど、シリアスに?」
「はい。もちろん、シリアスにとらえることも大事なんですよ。私もトランスジェンダーの当事者として、今まで真剣に考えてこられずに、嫌な思いをしたことはたくさんあるし。
でも、シリアスにとらえられすぎてつらい思いをすることも、やっぱりあるんです。ある属性だけでは、その人は語れない。人生の中の、一部でしかないのに。」
「シリアスにとらえられすぎるというのは、たとえばはれものに触るように扱われる、とかですか?」
「そうですね。でも、その人の人生に対して、他の人たちがシリアスなまなざし“だけ”を向けていいわけじゃない。持っている属性をどう扱うかって、当事者が決めるべきだと思うんです。」
「あぁ、なるほど……」
「これは私の反省でもあるんですけど、認知症というものに対して、これまでは『シリアスにとらえなくちゃ』って考えてた気がします。
でも、樋口さんの『一緒に楽しんでください』って言葉を聞いて、それはもしかしたら違うのかな……って、今思ってます。」
病気や属性を開示しないと助けてもらえない世の中って、どうなのだろう? | 体験③「ここはどこですか?」
あらすじ:電車のなかで座っている。「うっかり居眠りをしていたら、どこ走ってるのか、わからなくなっちゃった。のりすごしたかもしれない……」。周りにはスマホをいじる人、イヤホンをつけた人、居眠りをする人など、大勢の乗客。ある駅でたくさんの人が降りたため、思い切って降り、駅員さんに「ここはどこですか?」とたずねる。すると、「はぁ?」と、いぶかしげな表情をされて……
「いかがですか?」
「なんか、誰かに助けを求めたいんですけど、求めることができない感じがしました。『なんだこいつ?』みたいな反応されるんじゃないかと思ってしまって……」
「たしかに。」
「ありがとうございます。これは『見当識障害』のなかの症状のひとつ、ここがどこなのだかわからなくなる状況を体験するものです。
助けを求めたいんだけど、誰も聞けそうな人がいなくて、不安が増幅してしまう。それでもやっとの思いで駅員さんに助けを求めたのに、馬鹿にされたような反応をされたら、がっかりしますよね。」
「駅員さんに『はぁ?』と言われて、悲しい気持ちになりました。」
「ひどいなぁって思いますよね。一方で、 私たちも悪気なく、ああいう反応をしてしまってるかもしれないって思うんです。」
「たしかに……電車でいきなり知らない人に『ここはどこですか?』って聞かれたら、戸惑った反応をしてしまうかもしれない。」
「あの、ちょっとちがう観点なんですけど、今回の体験で感じたのは、普段わたしが感じる感覚とも近いなと思いました。」
「なにか、自分も感じてるな、という感覚がありましたか?」
「はい。電車に乗っていて、スマホの充電が切れてしまって、目的地までの行き方を調べられないけど、 でも行かなきゃいけないときの、『どうしよう……』っていう感覚。あれとちょっと近いのかなって。」
「あぁ、それは近いかもしれないですね!
ここがどこかわからなくなるのが、どんな気持ちか。 そんなときに、どういう関わり方をされたいかって、認知症のあるなしに関係ないんです。『認知症のある方とどう関わっていいかがわからない』って、よく言われることがあるんですけど、『あ、自分と変わらないのね』って感じていただけたら嬉しいです。
このコンテンツを、一緒に作った丹野智文さんのインタビューがあるので、お見せしますね。丹野さんは、39 歳で若年性認知症と診断されたそうです。」
丹野さん:私はスーツ姿で会社に行ってて、本当に、 電車の中で、ふとここがどこだかわかんなくなるんですよ。自分が降りる駅名も忘れるし、すべてがわからなくなってしまうんですよね。
「わ、どうしよう」って思った時に、ある男の人に「すみません、会社の場所を忘れたので教えてくれませんか」って言ったら、「 なんだこいつ」っていう顔をされたんです。それ以降、定期入れに「私は若年性認知症本人です」って書いて、 見せるようにしてからは、本当に(他の人が)きちっと教えてくれるようになりました。
やっぱり隠すことは苦しいだけだし、隠せば隠すほど不安が増してきて、さらに失敗を起こすんじゃないかなと思っていて。だからこそ、やっぱり病気を隠す必要はないのかなと思いました。
「ヘルプマークみたいに、助けを必要としてるっていうことがわかるモノがあると、周囲の助けを得られやすいっていうことですね。」
「……でも、ちょっといいですか。」
「はい。」
「ちゃんと助けてもらえるっていうのは、すごく素敵なことだとは思うんだけど……自分の病気や属性を開示しないと助けてもらえない世の中って、どうなのかなって。」
「あぁ、そうか。」
「当事者が開示しなくても、お互い助け合えるといいなって。でもそれは理想論なのかな……なんか難しいですね……。」
「うーん……」
「たしかに、いまはみんなで助け合える世の中だと思えない出来事も多いですね。どうしたらそうなるんだろう……
……でも、すくなくとも、当事者に出会うとか、出会うことが難しかったとしても、こうやって体験をすることができたら、困っている誰かと遭遇したときに助けるきっかけになるんじゃないかなぁ。」
「たしかに、この体験をした今なら、困った状況にある人を見かけたとき、以前より『どうしたんだろう?』と想像できる気がします。」
「それはよかったです! そう感じてくださる方がいると信じて、VR認知症を広める活動をしているんです。」
テキストで学ぶこと、経験を自分の中に持てることの違い
3つの体験を終えたあと、すこし休憩を挟み、さらに体験を振り返った。イシヅカさんが、言葉をゆっくりと選びながら、感想を話しはじめる。
「きっと、教科書的なものに書いてある認知症の症状って、文章にしたら一文じゃないですか。」
「はい。」
「でも、VR認知症の体験をしてみて、なんていうか……『経験を自分の中に持てること』って、テキストで学ぶこととはだいぶ違うことなんじゃないかな、って思ったんです。」
ほんとうにそうだな、と思った。認知症の症状のこと、たとえば「中核症状と行動・心理症状があって、行動・心理症状には不安や怒りなどがあって……」ということは、本を読んだり、検索したりすれば学べる。
でも、調べて学ぶことと、不安や怒りを身体で感じ、汗をかき、ドキドキする……つまり、一人称の「わたし」として体験をすることのあいだには、大きな差がある気がした。
ふと思い出したのは、「他者の靴を履く」という言葉だ。
作家のブレイディみかこさんは、自分に近い感覚を持つ相手に、自然と同情したり共鳴したりする「シンパシー(共感)」に対し、他者の立場に立って、その人の考えや感情を想像してみる能力のことを「エンパシー」と紹介している。イギリスに「他者の靴を履く」ということわざがあるそうだが、エンパシーとはまさに「他者の靴を履く」ことだと。
僕らは、自分の価値観・考え方・世界の捉え方といった「自分の靴」を履いている。その靴を履いたままで、他者に「かわいそう……」と同情したり、「ありえない!」と反感を抱いたりする。これが「シンパシー」だ。
「自分の靴」は、自分と異なる価値観・考え方・世界の捉え方を持つ他者を理解し、共に生きることを妨げることがある。体験のなかで、ビルの上にいる僕に「大丈夫ですよ、右足から」と声をかけた人や、駅で戸惑っていた僕に「はぁ?」と言った駅員さんは、「自分の靴」を履いたままだったんだろう。
「自分の靴」をいったん脱いで、他者の価値観・考え方・世界の捉え方を想像する。
VR認知症は、「他者の靴を履く」、いや、「他者の眼鏡をかける」体験だったような気がする。
ある人が、どんなふうに世界を見ていて、なにに不安を感じ、なにが嬉しいのか。一人称視点で、認知症のある方が置かれているかもしれない状況に立ち、考えや感情を想像する種が、じぶんのなかに撒かれた。そんな体験だった。
VRの体験は、あくまで一つの事例
「他者の眼鏡をかける」と、これまでまったく自分とはちがうと思っていた他者と、意外な接点が見つかることもある。イシヅカさんが、こう感じたみたいに。
イシヅカ:ちょっとネガティブな言い方かもしれないですけど、認知症のある方に対して、「違うところに行ってしまった人」みたいなイメージを持っていたんです。だから素人である私たちは、 ヘタに手を出しちゃいけないんだろうなって。
でも実際に体験すると、自分と地続きだなって。どこにいるのかわからなくなってしまうっていうことって、私にもあることだし。だからこそ、私もできることがあるなって思ったんです。ちゃんと話を聞くことができるし、ちゃんと話すこともできる。
黒田さんが、「そう、そこが大事なんです」と続ける。
黒田:私たちがVR認知症を通じてお伝えしたいことは、まさに、「対話をサボらない」っていうことです。この体験が、認知症のある方の代表じゃないんですね。あくまでも、ひとつの事例。何に困っているかや、何を求めているかは人それぞれです。
だから、この体験をしてわかったつもりになっちゃいけない。ちゃんと対話をしていくことが大事なんです。
あ、あぶなかった……。なまじこの体験を経験すると、その印象が大きいからこそ、「認知症のある方はこうなんでしょ」と、わかった気になってしまいそうになる。
でも、それは実は「自分がかけたい眼鏡」だ。たとえば「VR埼玉出身者」というものがあったとして、それを体験した人に「埼玉の人ってネギ好きなんでしょ」と言われたら、ちょっと腹が立つ。
当然、認知症の当事者でも、その人が生きる経験は100人100通り。わかった気になってはいけないのだ。
イシヅカ:そうですよね。同じ当事者だったとしても、どんなふうに感じてるかとか、どんな風に聞いてほしいか、どんなことを考えてるかって、ぜんぜん違う。その人にとって何がいいかって、その人がいちばんよくわかってることだから、「ちゃんと聞く」って大事だなって、今、あらためてすごく感じてます。
もちろん、聞くことの暴力性もある。たとえばセクシュアリティや、病いの経験についても、無邪気に踏み込まれたくない部分はひとそれぞれあるはず。無知ゆえに悪気なく傷つけてしまうことは、かんたんに起こりうる。だから、その人が置かれている状況や社会構造、背景などの知識を学ぶことも大切だ。
ほんとうに「他者の眼鏡をかける」ためには、知識を知った上で、わかった気にならず、目の前の人との対話をサボらないこと。これが大事なのだろう。
世界を一緒によろこべる人をふやすこと
帰りの電車。見慣れているはずの車内の光景が、なんだか違って見えた。
周りを見渡してみる。スマホをいじるスーツ姿の人、マスク姿で本を読む人、優先席でうとうとしてる人……
もしこのなかの誰かが、とつぜん「ここはどこですか?」とたずねてきたら、僕はちゃんと応えることができるだろうか?もしかしたら、優先席に座る、一見健康そうにみえる若者も、なにかとくべつな事情があるのかもしれない……。いろんな「もし」が、あたまのなかに去来する。
ぜんぜん、イヤな感じではなかった。なんだか、見知らぬ人にいつもより親しみを持てるような、不思議な感覚が、身体の奥にのこっていた。
エンパシーを持つことは、異なる人生を生きる僕やあなたが、お互いに異なりを持ったまま、共に生きていくための作法だ。
そう言葉にしてみるけれど、それだけではVR認知症を体験したあとのこの感覚は説明できない気がした。この、世界が自分に対してひらかれているような感覚は、いったいなんだろう……。
あぁ、と思い当たった。この感覚は、この世界を一緒に楽しめる人がふえることに対する、よろこびでもあるのかもしれないな、と。
黒田さんは、「認知症の症状(行動・心理症状)は、周りの関わり方が大きく影響する」と教えてくれた。そもそも認知症の症状の有無にかかわらず、僕らは他者との関わりを通じて、不安になったり怒ったりすることがある。
そうであるなら、関わりを通じて、笑ったり、喜んだりすることだってできるはずだ。
「幻視を一緒に楽しんでください。一緒に笑ってください」(樋口さん)
「いろんなエピソードがありますけど、でも本当にね、嬉しいことばっかりで」(丹野さん)
「他者の眼鏡をかけること」は、自分との関わりの中で不安になったり、怒りを持ったりする人をへらすこと。そして、共に笑ったり、よろこんだりできる人をふやすことでもあるのだな。
機会があるなら、もっといろんな他者の眼鏡をかけてみたい。そのたびに、世界はすこしやさしくて、おもしろくなるんだろう。
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Information
・anan webにて「介護の現場でかなえる、私らしい働き方」記事を公開中!リンクはこちら
・POPEYE webにて「福祉の現場を知りたくて。」記事を公開中!リンクはこちら
・「VR Angle Shift まずは体験してみる~オンライン事前体験会開催」(研修開催またはVRのレンタルをご検討いただいている方を対象)詳細はこちら
Profile
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-
株式会社シルバーウッド
高齢者だからとか、認知症だからとか関係なく、人として自由な生活を送れる住まい環境を目指して、千葉・東京・神奈川に「銀木犀」というサービス付き高齢者向け住宅10棟とグループホーム2棟を運営。2017年からVRで認知症の症状を本人視点で体験する事を通して認知症に対する正しい理解に繋げる「VR認知症体験」を開始。今ではVRの体験テーマをLGBT、発達障害、ワーキングマザーファザー、ハラスメント、異文化コミュニケーション等に広げ、多様性の理解に繋げるプログラムを展開している。高齢者だからとか、認知症だからとか関係なく、人として自由な生活を送れる住まい環境を目指して、千葉・東京・神奈川に「銀木犀」というサービス付き高齢者向け住宅10棟とグループホーム2棟を運営。2017年からVRで認知症の症状を本人視点で体験する事を通して認知症に対する正しい理解に繋げる「VR認知症体験」を開始。今ではVRの体験テーマをLGBT、発達障害、ワーキングマザーファザー、ハラスメント、異文化コミュニケーション等に広げ、多様性の理解に繋げるプログラムを展開している。
- ライター:山中散歩
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生き方編集者。文筆、編集、場づくり、撮影、音声配信などを通して、生き方の物語をともにつくる活動に取り組む。「ほしい家族をつくる(greenz.jp)」「キャリアブレイク(東洋経済オンライン)」を連載中。ときどき友人と「ほめるBar」を開催。
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