「やさしい日本語」ってなに? 言語学者・庵功雄さんに聞くコミュニケーションの本質 こここスタディ vol.16
次の2つの文章を読んでみてほしい。とある日に配信された、どちらもNHKのニュース記事だ。
<1>政府 きょうから節電要請 数値目標設けず無理のない協力求める
この冬の厳しい電力需給に対応するため、政府は全国の家庭や企業を対象に1日から節電要請を始めました。数値目標は設けず、室内では重ね着をするなど無理のない範囲での節電に協力を求めています。
<2>政府「12月1日から節電をお願いします」
政府は12月1日から来年3月31日まで、家庭や会社で使う電気を少なくして、節電してほしいとお願いしています。これからとても寒くなった場合は、電気が足りなくなる心配があるためです。(中略)使う電気をどのくらい少なくするかは決めていないため、無理をしないで節電してほしいと言っています。
同じ日に同じ内容を報じたものだが、表現がかなり異なっているのがわかる。後者の記事は、日本語を母語としない方にもわかりやすいように、シンプルな語彙や文法を用いた「やさしい日本語」で書かれたものだ。
以前にも増し、多様な国籍やルーツを持つ人が共に生きる時代になって、言語コミュニケーションのあり方を問われる機会が増えた。そもそも「言葉」の表現は、非常に多様で奥が深く、そして絶対的な“正解”がない。自分の話したことや書いた文章が、すべての人に等しく同じ内容として伝わるわけでもない。
そんな曖昧な「言葉」という存在を、この刻々と変わりゆく社会の中でどのように使っていけばよいのだろう。どう扱えば適切に、それぞれ異なる背景をもつ人に対して「わかりやすい」「やさしい」表現にできるのだろうか。
言葉によるコミュニケーションのあり方を改めて見直そうと、今回は「やさしい日本語」の普及に尽力している研究者、一橋大学の庵功雄(いおり・いさお)教授にお話を聞くことにした。
日本語って、実はそんなに難しくない? 「わかりにくい」表現の背景
日本で生まれ育った人でも、見聞きした日本語を「難しい」と感じた経験は、誰もがあるのではないだろうか。例えば、専門分野の論文や行政・法律関係の文書、あるいは表現に富んだ文学作品などに触れたとき、文章の意味に頭を悩ませることがあるのは、何も外国にルーツを持つ人々ばかりではない。
小さな子どもでも理解できるものから、専門領域の訓練を何年、何十年と積まなければ使いこなせない文章まで、その幅は実に広いといえる。無数とも思える表現が存在する「日本語」は、そもそも言語学的にみてどのような特徴をもっているのだろうか。
庵功雄さん(以下、庵) 言語としての「日本語」は、実は特別に難しいものではありません。5つの母音で成り立っていること、「SOV」(主語—目的語—動詞)の語順をしていることなど、世界的にみてもごく標準的な構造をした言語です。疑問文をわざわざ倒置させるような英語の方が、むしろ特殊な言語体系を持っています。
ただ日本語の場合は「漢字」が含まれるために、習得の難易度が上がります。構造的な難しさではなく、文字的な問題ですね。外国人で日本語を流暢に話していても、読み書きはしない方がいるのはそうした理由からです。
そうした前提のもと世界の言語を見わたしてみたとき、「わかりにくい表現」「難解な単語」も決して日本語だけにあるわけではない、と話す庵さん。どの言語であっても、状況に応じて難しい言い回しが使われることはあるという。たしかに言葉のバリエーションの広がりは、より豊かな表現を生み、新たな文化の起点にもなっていくはずだ。
とはいえ、行政の取り組みや医療情報など、多くの人たちに伝える必要がある領域でも、何度読んでも頭に疑問符が浮かんでしまい、内容を理解できないようなケースは多くみられる。なぜそうした現象が起きてしまうのだろうか。
庵 公的な情報では特に、受け手の「読み違え」や「誤解」を生まないようにする必要があるからです。例えば自治体からの給付金に関する文書で、受給資格を自由に解釈できる文章を記載してしまうと、想定以上の人数に対応しなければならなくなり、一番に届けるべき人に支援が行きわたらなくなる可能性が生じます。
そうならないよう、文書を作成する人は「言語的な解釈の余白」を徹底して避けようとする。リスクを排除した結果として、本来はそうではいけないのに、難解な表現に陥りやすくなります。
一方で庵さんは、難しい言葉や表現が選ばれる理由について別の側面も指摘する。情報を発信する側だけではなく、求める側の心理状態も大きく作用しているというのだ。
庵 「偉い人や専門家が使う言葉はそういうものだ」「易しすぎると役所の文書だと思えない」とする感覚が、人々の中にある気がします。権威に対する“お上意識”のようなものが、江戸時代・明治時代から今も受け継がれているのかもしれません。
私たちが、シンプルな語彙や文法を使った「やさしい日本語」の普及活動に取り組むなかでも、周囲から「そんな言葉を使っていたら、日本人が馬鹿になるじゃないか」といった批判が一定数寄せられます。「やさしい日本語」が誰のため、何のために作られたのか十分に伝わっていないことも原因ですが、これから先の時代に向けた、受け手側の意識改革も必要だと感じています。
“Plain”と“Easy”、「やさしい日本語」の二つの側面
「やさしい日本語」に十数年間携わり、その普及を目指す庵さんだが、実は日本の教育現場では戦後から一貫して、「わかりやすい日本語を使用すること」が学習指導要項で定められている。ただ現実にはそれが十分に運用されているとはいい切れない部分もあり、改善すべき課題となっていた。
庵 教育を受けるなかで、個人の意見や感想を書くことはあっても、「どんな言葉なら相手に伝わるか」「実際にどう動いてもらえるか」までを問われる機会はまだまだ少ないでしょう。そうした点において日本では、日本語を母語とする人に対しても言語コミュニケーションの訓練が十分ではない、と感じることがあります。
庵さんたちはこうした状況を克服する手段の一つとして、「やさしい日本語」の活用を進めている。日本語の「母語話者(ネイティブ)ではない」人たちが、日本で生きていくのに必要な情報を得たり、自分の意図を周囲に伝えたりする言葉で、より多くの人が生きやすい社会をつくるためのものだ。
そもそも日本語・日本語教育の研究領域に「やさしい日本語」が加わったのは、1995年に発生した阪神・淡路大震災がきっかけだった。国内に住んでいる外国人への情報伝達を適切に行うには、英語や中国語などによる発信を強化する以上に、シンプルな語彙と文法の日本語を使う必要があると判明したためだ。以来、緊急時の減災に役立てる目的で研究が進められ、特に外国人居住者が多い自治体などで活用されるようになった。
しかし、庵さんたちが注目するのはそれだけではない。日本語ネイティブである人たちにとっても、「やさしい日本語」の考え方に触れることは、自分たちが日常的に使う言葉やコミュニケーションの方法を見直すトレーニングになり得る。
そうした異なる対象と目的を踏まえ、庵さんは「やさしい日本語」を大きく二つに分類できると考えている。それが“Plain Japanese”と“Easy Japanese”だ。
庵 例えば法律や医療などの専門領域に関する情報、行政文書など、日本語の母語話者が読んでも理解しにくい文章がありますよね。それを、その領域に詳しくない人でも理解できるように落とし込んだ言語を、私たちは“Plain Japanese”と呼んでいます。
ただ、それだけでは非ネイティブの外国人や、何らかの障害のある人などに伝わりにくいケースがある。その方々にも伝わるよう、さらにわかりやすくしたものが“Easy Japanese”という位置付けになります。
中間言語とも言える“Plain Japanese”は、海外の公式文書などでスタンダードとなりつつある“Plain Language”の考え方を踏襲している。必要な情報が論理的にわかりやすく整理された状態を目指すもので、行政用語や医学用語を専門家が一般の人に向けて噛み砕くなど、まさに今さまざまな分野で試行錯誤が始まっているという。
一方の“Easy Japanese”の活用は、自治体による住民サービスや、外国人労働者の就労支援、冒頭で示したようなメディアの発信などで進められている。例えば神奈川県横浜市では公式サイトに、日本語の母語話者以外を対象としたページを設置している。外国人居住者の増加、多様なルーツを持つ人たちとの共生が進むにつれて、こうした取り組みの広がりがより重要になってきている。
不当な差別を避けるためにこそ、共通言語の体系化が必要
ネイティブにとっての“Plain Japanese”/非ネイティブにとっての“Easy Japanese”、という整理で話を聞くと、「やさしい日本語」の普及を進める必要性が改めて理解される。一方で、一抹の不安も頭をもたげてくる。こうして言語を新たにカテゴライズすることが、それを使う人々を「自分とは違う存在」と分けて見る態度につながってしまうことはないのだろうか。
庵 「やさしい日本語」の使用に対して、「“Easy Japanese”を推し進めることは、外国人に対する逆差別ではないか」という声が寄せられることがたしかにあります。しかし、それは大きな誤解だといえます。
私たちは決して「非ネイティブの人たちは“Easy Japanese”だけを使えばいい」といっているわけではありません。生きていくためにまず必要となる共通言語を、理解したり習得したりしやすく体系化しているだけです。むしろそれらがしっかり整備されていないことの方が、よほど人の権利を阻害していることになると考えます。
特に庵さんが懸念するのが、外国にルーツを持ちながら日本で暮らしている人の中に、親に連れて来られた未成年者など、自分の意志で生きる場所を選択することができない人もいることだ。そうした人たちが日本で問題なく生きていける環境を整える意味で、共通言語を学びやすくする「やさしい日本語」の意義はとても大きいといえる。
庵 非ネイティブの人が不当な差別を受けることなく、日本社会でも生きていきやすくするためには、まず基本的な言語を理解し、自分の言葉で言いたいことを言えるようになる必要があります。そのためには最初にクリアすべき最小限の「型」を用意し、その訓練ができる環境をつくることが重要です。
そうした役割を担うのが“Easy Japanese”なので、基本を身に付けた後どのレベルまで日本語を深めていくのかは、また別の話になります。“Easy Japanese”で十分と考える人もいれば、難解な単語や、文学的な表現を必要とする人もいるでしょう。それはその人自身の目的に合わせ、個別に選択してもらうことであって、そもそも他の人が口を出す話ではないはずです。
もちろん、言語をわかりやすく言い換えたり書き換えたりしていく過程で、すべての内容を元の表現同様に伝えることはできない。人によっては重要なニュアンスが削ぎ落とされたり、説明不足となり誤解を生んだりすることも想定される。しかし、「コミュニケーションとは本来、そういう性質のものなんです」と庵さんは語る。
庵 言語によるコミュニケーションは、発信する側、受け取る側それぞれの知識や文化などの違いによる変数が多すぎて、一般化するのは実は非常に難しい。“Easy Japanese”で記述すれば必ず伝わるわけでも、「絶対にこれが正しい」といえる表現があるわけでもありません。その都度、個別の事例に合わせた最適な表現を選択し、その場で課題を解消していくものなんです。
認識のズレを埋めるためには、目的を意識し、目の前の相手と誠心誠意向き合うしかありません。必要なことを辛抱強く何度も繰り返し伝えたり、言い方を変えたりしながらコミュニケーションを続けることこそが、私は重要だと考えています。
この「やさしい日本語」を用いた具体的なコミュニケーションのあり方に話が及んだとき、庵さんはこうも話してくれた。具体的にどの言葉なら「やさしい」といえるのか、どの言い方だと「やさしくない」のか——個々の表現を客観的にジャッジすること自体、現実的には意味がないのだ、と。
庵 「やさしい日本語」とは何か。私たちは最近、その定義を明確にすることを意図して避けています。もちろん、研究をするうえで用語の定義は重要です。ただ日常で使用する言語に対し、「この言葉を、この順で使ってください」と細かく掲げる意味はないと考えています。
大切なのは自分が何かを「相手に伝えたい」と思うことであり、伝わるまで諦めず、対話を続けていく態度そのものなのですから。
「やさしい社会」をつくるために、自分の発する言葉とどう向き合えばよいのか
「やさしい」という言葉には、「易しい」と「優しい」、二つの意味が含まれている。両者が共存した社会をつくるため、私たちは「やさしい日本語」の考え方をどう取り入れ、どんなことを意識して日々の言語コミュニケーションを行っていけばいいのだろうか。
庵 今後、日本人の人口は減り続けることが明らかになっています。おそらく、これまで以上に外国の方々を多く受け入れ、一緒に生きていくことになるでしょう。その人たちが日本で暮らし、日本語の母語話者と同じような社会活動ができるようになるために、重要になるのが日本語教育です。
それは「日本手話」を母語にするろう者・難聴者や、言語に関して何らかの障害のある人に対しても同様です。これからの社会をどう維持するか真剣に考えなくてはいけない日本では、多くの人たちにとっての「言葉のバリアフリー」を実現させていくことが、よりいっそう必要だと考えます。
ただ私たちが常に注意しなければならないのは、そうした環境をつくったからといって、必ずしも全員に働くことを求めたり、納税などの義務を課したりしなければならないわけではない、ということです。働いて納税できる人は必要ですが、とはいえそれができない人のための社会的なセーフティーネットを整備することも重要です。この両側面から進めていかなければならない話ですので、慎重に議論していかなければなりません。
「言葉のバリアフリー」を実現するためにできることとして、庵さんは具体的な行動を二つ紹介してくれた。一つは、日常的に使う言葉を見直すこと。自分が発する単語の意味をしっかり説明できるかどうか。実はよくわかっていない言葉を、なんとなく使っていないか。意識さえすれば、すぐに個人でもはじめられることだろう。
もう一つは、言語教育でよく行われる「ロールプレイ」の機会を、地域の中でも増やしていくこと。店員とお客さんになって「やさしい日本語」を使ってみたり、町の自治会で交わされるやりとりを再現してみたり——普段の自分とは違う役割、設定のもとでのコミュニケーション体験によって、自分と違う立場やアイデンティティをもつ人の視点に気がつくことができる。
庵 言語学には「有標」と「無標」という考え方があります。簡単にいうと「無標」は一般的なもので、「有標」は特別なもの。言葉は多くの場合、後者に対してだけ個別の呼称が与えられます。
例えばジェンダーにまつわる表現で、「女社長」や「女医」という単語はあっても「男社長」「男医」とはいいませんよね。それはこれまでの社会で「女社長」「女医」が特別なケース、つまり有標だったからです。逆に無標のものには「社長」「医者」といった総称が使われることが多く、そこに潜む構造的な課題自体も意識する機会はほとんどありません。
だからこそ、そのときの社会の中で有標とされるものや、マイノリティとされている方々の存在が重要になる。無標とされる側がそこに接触していくことによって、違いを認識する機会が生まれるからです。私たちが目の前の相手とどうコミュニケーションを取り、折り合いをつけるかも、まずはお互いの差異に気づくことからはじまるのではないでしょうか。
庵さんのお話を伺いながら、ものごころついたときから自分が当たり前のように使ってきた“言葉”というものは、「人同士がお互いの思いを伝え、一緒に生きていくことを目的として生まれたものなんだ」と再認識していた。一見当たり前のことのように感じるが、今の時代にそれを自覚している人はどれくらいいるのだろう、とも。
限られた範囲の人たちに通じる言葉が交わせれば、一定の社会生活が可能だった状況が変わり、より多くの人、自分とは異なるバックグラウンドや文化をもった人たちとコミュニケーションを取る機会が生まれた。無自覚に使ってきた手元の道具を、はじめて自覚的に捉え直す。そんな行為の大切さを、私たちは「やさしい日本語」に学べるのではないだろうか。
Information
「やさしい日本語」研究グループ
多文化共生と言語的マイノリティへの情報提供を考える研究グループ。庵功雄さんが代表を務める。
Profile
- ライター:大島悠
-
ライター。普段は企業の情報資産を言語化・利活用する仕事をしている。「言葉」というものの深淵をのぞきこみつつ、おそるおそる対峙する日々。
この記事の連載Series
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