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「ケア」を感じたマンガを教えてください。組織開発コンサルタント、俳優、福祉施設所長、介護福祉士の選ぶ4作品 “自分らしく生きる”を支えるしごと vol.17

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私たちの身の回りで、幅広く使われている「ケア」という言葉。そこに込められた意味は多様でありながら、異なる人と人とが同じ社会で生きていくためのヒントがたくさんつまっているように思います。

「これは『ケア』かもしれない、と感じたマンガを教えてください」。そんなお願いを、編集部では今年も4名の方々にしてみました。

・勅使川原真衣さん/組織開発コンサルタント
・村瀬孝生さん/福祉施設 所長
・竹中香子さん/俳優
・竹内孝予さん/介護福祉士

人が“その人らしく生きていく”ために、どんなケアの形があるでしょうか。ぜひみなさんもマンガ作品を手に取りながら、考えてみてください。

『愛すべき娘たち』

【書影】
著/よしながふみ(白泉社)

【推薦】勅使川原真衣さん(組織開発コンサルタント)

“自分らしく生きる”の実態を描くのが『愛すべき娘たち』である。いや、もっと言うと「“自分らしく生きる“なんて歯の浮くようなことを言いなさんな」というメッセージが私には響く。 

登場人物は皆、なんらかの「ままならなさ」を抱えながら、順風満帆とはおそらく形容しない人生を送っている。 

その「ままならなさ」の根っこは、男性中心主義だったり、困難な家庭の再生産や親ガチャが生じてしまう構造だったり、ルッキズムをはじめパートナーシップのあり方すら選抜的である社会に、あまねく息づく能力主義だったりする。そんな不条理な社会に、登場人物なりのしかたで抗い、いなし、飼いならしながら生きている。ひとりで決断しているように見えて、多様な人に愚痴り、倒れこみ、ときに悪態をつきながらも、依存先を複数保ちながら生き合うリアルが描かれる。特に繰り返し登場する食事(団らん)のシーンが印象的だ。誰かが食卓で吐露する弱さを、一旦は受け止めた上で、周りは笑い飛ばしたり、冷静なツッコミを入れたりといった具合に。

さてこれをケアと呼ばずしてなんと呼ぼうか、私はそう思う。『愛すべき娘たち』はケアの一冊だ。矛盾の連続、一貫なんかしない、しなくたって明日はまた来る。右往左往の人生。ひとりで生き抜くのではなく、他者とともに生き合う人々。 

ちなみにこれを人文書で書くのが私の仕事だが、どうも鼻息荒く、専門家面(ヅラ)をしがちなことを自認している。対して『愛すべき娘たち』は、すべからく不完全な私たちを生々しく描くも、それはそれは美しくてたまらなく好きだ。

『風の谷のナウシカ』

【書影】
著/宮崎駿(徳間書店 アニメージュコミックス)

【推薦】村瀨孝生さん/福祉施設 所長

猛毒を吐く腐海と呼ばれる森。それをまき散らす蟲の群れ。人は滅びゆく種になりつつある。人間は巨神兵(人類が作り出した生物兵器)を巡って争う。王国、対立する諸侯国連合、それらに居場所を追われた種族たちは、血みどろの戦いを繰り広げていた。『風の谷のナウシカ』は、そんな不条理に翻弄される少女、ナウシカを描いている。

人間の生存を脅かす、腐海の生き物に寄りそうナウシカ。毒を吐く植物は人間が汚した土を浄化しており、蟲はそれを守っていることを知る。ナウシカは存在から学び、自らを変えていくのだった。その姿勢にハッとする。往々にして私たちのような支援者は、スキルを駆使して被支援者が「変わる」ことを目指し管理してしまう。

だからこそ引き込まれてしまうのが、人間に対するナウシカの態度だ。滅びを目前にしても、なお、おのれの主義や方法論に固執する。留まることを知らない争い。容赦なく蔓延る差別。その「度し難さ」を、ナウシカは否定も肯定もしない。ただすべての「いのち」を分け隔てすることなく、共に生き抜こうとする。その営みに生じる喜びと怒り、悲しみや楽しみを、ささやかに分かち合う。繰り返される愚かさも審判しない。

圧巻は、人為的なコントロールによって「安寧」を造り出そうとする目論見に抗うシーンだ。それを可能にする技術を納める「墓所」をナウシカは破壊する。いのちをも目的達成の手段にして得られる「未来」よりも、「いま、ここ」を生きるいのちを選ぶ。

そう、生身の体は過去でも未来でもなく、常に「いま、ここ」を求める。老人介護とはその求めに応じることだった。いま、食べたい。いま、おしっこが出る。いま、眠りたい。そうした営みにこそがいのちの基本でかり、ケアの本質もそこにあるように思える。

『避妊男子』

【書影】
作/ギヨーム・ドーダン、作/ステファン・ジョルダン、絵/キャロライン・リー、訳/中條千晴(花伝社)

【推薦】竹中香子さん/俳優

パーキンソン病だった父に連れ添った我が家の訪問介護チームは「想像」の天才だった。彼女たちの他者を想像しケアする能力には、何度なく驚かされてきたが、極め付きは父の死の数日前であった。もう水さえ飲むことができなくなった父に、彼が愛飲していたブレンディカフェオレをいれ、匂いを嗅がせたのだ。(石のようだった父の表情が一瞬ほどける。)彼女たちはきっといい俳優にもなれるに違いない。介護職も俳優も、他者を想像することを生業としているのだから。でもそういえば、なぜ我が家には女性介護職しかいなかったのだろうか。

『避妊男子』の作者、ギヨームとステファンは、通信社と大手メディアという、一見ケアとは程遠い場所で働きながら、パートナーの「避妊負担」を想像し行動した男性だ。フランスで2021年に出版されて以降、カップル間のクリスマスプレゼントとして大人気となった漫画である。

在仏13年になる私の性に関する衝撃は、セックスが生活の中心の一つにあり、セックスレスは離別の理由になること。そして、女性ピル服用率の高さである。フランスでは、アフターピルが薬局で簡単に入手できたり、妊娠9週目までは薬で中絶することができたりと、女性が主体的に自らの身体をケアできる環境があるが、裏を返せば、「避妊負担」はほぼ女性が担っている。フランスといえど家父長制社会は未だ根強く、男性用ピルをはじめ、男性が「生殖能力」を失うような選択肢は増えていない。それは、「男らしさ」を失うことと等しいからだ。

葛藤を抱えながらも、避妊負担平等のため奮闘する『避妊男子』の2人を私は頼もしく感じる一方で、異性間の(性)関係において、女性である自分が我慢したり奉仕する側でいる方が楽に感じてしまうのはなぜだろう。社会の中で、自分以外をケアする(想像する)ことに慣れ過ぎているのだろうか。私たち自身もケアされる側であることを、彼らは教えてくれた。そんな他者からの想像をもっと受け入れる勇気を持つことで、変わる社会があるのではないか。

『眠れぬ夜はケーキを焼いて』

【書影】
著/午後(KADOKAWA)

【推薦】竹内孝予さん/介護福祉士

夜になるとなぜか考え事がはかどります。そして、考えれば考えるほど頭が冴えてくるので、眠れない夜になることがあります。

そういう時は、だいたい自分のことを考えて、自分自身と向き合う時間にしています。

医療福祉の現場で働いていて、ケアと呼ばれるものを仕事にしていると、自分以外の誰かのことを考える機会が多くなります。人の生活や人生に関わっているので、決めること・考えることがたくさん出てきます。最後に決めるのはご本人で、あくまでこちらは伴走する立場ではあるのですが、相手にとってのこれから先のことを考えていく時に、ふと「これは誰の気持ちで、誰の意見なのだろう?」と思うことがあります。接している時間が長いほど、相手のことを分かっているような感覚になってきます。相手がどう思っているか、何を感じているのかを考えていたはずなのに、いつの間にか自分の抱えている不安を誰かにぶつけているだけになっている時があります。

そんな時こそ必要なのが、自分自身のことを考える時間だと思います。

『眠れぬ夜はケーキを焼いて』という作品には、ひたすら自分と向き合って考えながら、自分のために食べたいと思うケーキを焼いている描写が出てきます。辛くてどうしようもなくなった時に、何か一つ自分のために行動できると、気持ちが楽になることがあるのだと教えてくれます。

作品の中に「当たり前ですが人間の意識は一個体につきひとつです/したがって認識できる物事には限りがあります/目の前に見えているもの以外は見えないのです」という言葉が出てきます。相手が存在していることが分かっていても、その気持ちも自分の気持ちも目で見ることはできません。けれど、表情や雰囲気、声色などを自分なりに感じることはできる。そして、相手のことを考えることができる。それを忘れないように、目の前の人と向き合っていきたいと思います。

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連載:“自分らしく生きる”を支えるしごと