記事一覧

vol.172023.04.21“できる/できない”の社会を「ヨコへの発達」で問い直す。社会福祉の父・糸賀一雄を、垂髪あかりさんが研究する理由

vol.162023.02.08「やさしい日本語」ってなに? 言語学者・庵功雄さんに聞くコミュニケーションの本質

vol.152023.01.27人を見た目で判断することって全部「差別」になるの? 社会学者 西倉実季さんと、“ルッキズム”について考える
「それはルッキズムでは?」という批判をメディアやSNS上で目にするたび、はっと体が緊張する。批判されている対象について調べてみると、「それはたしかに差別だ」と怒りを覚えることもあれば、「言われてみればそうかもしれない」と自身を省みて不安になることもある。 人を外見で差別するのは不当だという思いはもちろんある。けれど、正直に言えば、自分が人の外見にとらわれていない、と言い切れる自信はない。私たちは日常生活のなかで、他者の視線にさらされ、人を外見の印象で判断したりされたりすることにあまりにも慣れすぎている。 なにがルッキズムにあたるか明確にはわかるとは言えないし、誰かを無意識のうちに外見で差別している可能性だってある、というのが自分自身の率直な思いだ。そして、同じような悩みと不安を抱えている人はほかにもいるのではないかと想像している。 けれど、重要なのはおそらく、個別の事例がルッキズムかどうかを闇雲にジャッジして考えるのをやめるのではなく、ルッキズムという概念について一から知り、外見に基づく差別の問題点やその解消の手立てを考えようとすることであるはずだ。 ルッキズムをめぐる現状についてあらためて学ぶため、『顔にあざのある女性たち―「問題経験の語り」の社会学』の著者であり、外見を理由にした差別についての研究者、社会学者の西倉実季さんにお話を伺った。

vol.142023.01.16自分の気持ちを話さない自由がある。NPO法人ぷるすあるはと一緒に考えた“きもち”との付き合い方
先日、3歳の娘にささいなことでイライラしてしまう場面があった。娘は「怒られた」と泣いてしまうし、さらに私自身イライラしてしまったことに落ち込むし……の悪循環。 いったい何をどうすればこの状況を防げたのだろう。そもそもイライラする、落ち込む、そうしたいわゆる「ネガティブ」と呼ばれる気持ちは抑えればいけないもの? 自分の気持ちとの向き合い方に悩んでいたときに、お話を聞くことができたのは、NPO法人ぷるすあるはの細尾ちあきさんと北野陽子さん。精神科の看護師・ちあきさんと医師・北野さんを中心としたプロジェクトチーム「プルスアルハ」として、親の精神障害や心の不調、発達の凸凹などをテーマにした絵本制作や情報サイトの運営、さらにセルフケアや心のメンテナンスのための様々なツールの開発などを行っている。 以前〈こここ〉でも、ぷるすあるはがソフトウェア開発会社と共同開発した、10代の悩みや不安に関する知恵を掲載したアプリ『おたすけことてん』を紹介した。 ぷるすあるはが繰り返し発信するメッセージのひとつが「どんなきもちもあって大丈夫」。お二人となら、私の「きもち」のことも一緒に考えられるに違いない、そんな思いで取材内容を伝えると、返ってきたメッセージには、「正直なところ、気持ちについて語るのは苦手意識があります」とあった。 どうして気持ちを語ることへ苦手意識があるのだろう。そこを出発点に、私たちの「きもち」を巡ってお二人と考えてみたい。

vol.132022.12.14“障害”ってそもそも何だろう? 困難の原因を「社会モデル」から考える——バリアフリー研究者・星加良司さん
「“障害”って、一見バラバラな事象をひとまとめにしている、実はとても不思議な言葉なんですよ」 インタビューの冒頭、思わぬ言葉を投げかけられてハッとした。 私自身、ダウン症の親戚、人工透析が必要で車椅子生活を送っていた叔父、精神障害のある友人がいる。個別でみると、起こる症状も困難も全く異なるのに、社会から見れば3人とも“障害者”と位置付けられている。その事実に向き合わされた。 話をお聞きした星加良司さん(東大・バリアフリー教育開発研究センター 教授)によると、これまで一般的に使われてきた“障害”の考え方は、近代化に伴って生まれたものだという。福祉国家を目指すなかで、障害を「人の心身機能に制約があるから生まれるもの」と捉える立場(『個人モデル』または『医学モデル』)から、過去さまざまな支援が行われてきた。 対して、星加さんの専門である障害学では『社会モデル』を提唱する。『社会モデル』とは、「心身機能に制約がある人々にとって、環境に適合しづらい状況を社会の側が生み出していること」を障害と考える概念だ。 話を聞いていくうちに、私はこれまで『個人モデル』の見方で、障害という言葉を日常的に使っていたのだと知る。今回、星加さんに“障害”がたどってきた歴史と、なぜ今『社会モデル』が必要なのかを伺った。

vol.122022.11.29「ちゃんとしなきゃ」の呪いをとくには?福祉社会学者 竹端寛さん× 僧侶 松本紹圭さん
「まわりの人が見てるでしょ、ちゃんとしなさい!」。街なかで、地面に寝転んで泣く子どもを前に、そんな言葉をかける人を見たことがある。子どもはそう言われても泣き続けるばかり。親御さんらしきその人は起き上がろうとしない我が子を見て、焦っている様子だった。 自分がその子どもだったら、「人が見ているから」ちゃんとしなさい、と言われても、どうして? と感じるのではないかと思った。けれどそれ以上に、多くの通行人の視線を受けて、「『ちゃんと』子どもの教育をしていない親だ」と一方的に判断される恐怖にかられ、形だけでもそう言わずにはいられないその人の気持ちも痛いほどわかったから、苦しかった。 「『ちゃんとした』人なら、ここで子どもを叱るはずだ」「常識的にふるまって、『ちゃんとした』人だと思われなきゃ」。 他者のニーズや評価に応え続けようとすることを「ちゃんとする」と定義するならば、私たちは常に「ちゃんとしなきゃ」の呪いにかけられ続けてきたような気がする。「ちゃんとしなきゃ」の手綱をゆるめ、より息苦しくない社会や場の中で生活していくためには、なにが必要なのだろうか? 「ちゃんとする」の価値観をめぐって、『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』などの著書がある福祉社会学者の竹端寛さん、そして、浄土真宗本願寺派の僧侶で、僧侶・宗教者のためのお寺マネジメントスクール「未来の住職塾」の運営も務める松本紹圭さんのおふたりに、たっぷりとお話をしていただいた。

vol.112022.10.27“ありのままの自分”を大切にするって、どういうことだろう? しょうぶ学園施設長 福森伸さんをたずねて
「利用者さんのなかには、ひと月にひと針しか縫わない人もいます」。 鹿児島県にある福祉施設 「しょうぶ学園」の布の工房を見学していたとき、私たちを案内してくださっていた職員の壽浦(じゅうら)直子さんがそう言った。 裂き織り・刺繍を中心とした作品がつくられている工房のなかでは、黙々と刺繍を進める人もいれば、作業に飽きてラジオに耳を傾けていたり、私たちに話しかけてイラストを配ってくださったりと、制度上「利用者」と呼ばれる人がさまざまな過ごし方をしていた。 ひと月にひと針、という言葉に驚くと、壽浦さんも「すごいですよね。私にはできない」と言う。たしかに自分にもできないだろうと思った。仮に布と刺繍糸を渡されたら、なんのノルマや目的を伝えられていなくても、できるだけたくさんの作品をつくろうと躍起になってしまいそうなのは簡単に想像できた。 布の工房に限らず、しょうぶ学園のなかを歩いていると、さまざまな場所でのびのびと、自由な過ごし方をしている方々に出会った。施設長の福森伸さんは、そんな彼らのあり方を、“ありのまま”と呼ぶ。 “ありのままの自分”という言葉は至るところで耳にするけれど、実際のところ、“ありのまま”とはどんな状態だろう。そして、“ありのままの自分”を受け入れ、そんな自分自身を大切にするとは、どういうことなのだろう。 しょうぶ学園の“ありのまま”が、どのような意識や環境づくりのもとで実現してきたかを伺うことは、“ありのままの自分”について考えるためのヒントになりそうだ。訪問記に続き、施設長の福森伸さんにお話を伺った。 しょうぶ学園とは 社会福祉法人太陽会が運営する福祉施設。自立支援事業(ささえあう)、文化創造事業(つくりだす)、地域交流事業(つながりあう)という3つの事業を柱とした、知的障害や精神障害がある方が集まる複合型の施設です。しょうぶ学園の開設は1973年。1985年からは、利用者による創作を「工房しょうぶ」と位置づけ、それぞれの個性や特性を活かした“ものづくり”を活動の中心としています。木工やテキスタイルなどをはじめとした「工房しょうぶ」のプロダクトにはファンが多く、これまでにも国内外で多数の展覧会が開催されてきました。 過去記事:[劇場と4つの工房を持つ福祉施設 しょうぶ学園をたずねて] 過去記事:[手彫り角盆&角膳〈しょうぶ学園〉]

vol.102022.09.27「福祉の現場」と「芸術」の根っこには通ずるものがある? 福祉環境設計士 藤岡聡子さんをたずね、「ケアの文化拠点」ほっちのロッヂへ
一人ひとりの違いに向き合うこと、社会構造によって生まれている差別に抵抗し、なくそうと行動すること、暮らしのなかにある違和感に立ち止まること、これらを1人だけではなく、誰かと共に考えていくこと。 「文化芸術」と呼ばれるもの、そこに携わるアーティストが活動を進める手つきには、上記で挙げたことを大切にするヒント、創造的な工夫と実践が多くあるように思います。 またそれらは「医療」や「福祉」と呼ばれているもの、現場で働く人やその環境を支える人の実践にも既にたくさんあると思うのです。 そんな思いを抱き、調べ物をしている中で出会ったのが福祉環境設計士を名乗る藤岡聡子(ふじおか・さとこ)さんでした。「人の流れの再構築を」をミッションに掲げる株式会社ReDo代取締役を務める藤岡さん。これまでに介護や子育て、まちづくりにまつわる事業に多く携わってきました。そのひとつが東京都豊島区椎名町の商店街にあった「長崎二丁目家庭科室」です。そこは「習い事スペースとセルフカフェから成る、福祉・多世代間の、出会いが生まれる場所」であり、「それぞれの知恵や得意を持ち寄り、集まれる場所」でした。 2020年4月には、長野県軽井沢町の森の中にある「ケアの文化拠点」ほっちのロッヂを、医療法人社団オレンジ理事長・ほっちのロッヂ共同代表・医師の紅谷浩之さんと立ち上げています。 「文化芸術と福祉の現場が出会うことで育めるものとは」。 大きすぎる問いとはわかりつつも、2021年9月都内某所にて、藤岡さんに話を伺いました。またほっちのロッヂという場所やそこにあるものを目撃したいと考え、同年12月ほっちのロッヂをたずね、働き手のみなさんにも話を伺いました。 ※ほっちのロッヂとは: 長野県軽井沢町の森の中にある「ケアの文化拠点」。「症状や状態、年齢じゃなくって、好きなことをする仲間として出会おう」という合言葉を掲げる、「大きな台所があるところ」。診療所であり、在宅医療の拠点であり、病児保育室や共生型通所介護、訪問看護ステーションなどの事業を担う場所。 ほっちのロッヂについては、こちらの記事もぜひご覧ください。 ・“健康”ってなんだろう?ケアの文化拠点「ほっちのロッヂ」紅谷浩之さんをたずねて (こここ編集部)

vol.092022.09.07“健康”ってなんだろう?ケアの文化拠点「ほっちのロッヂ」紅谷浩之さんをたずねて
健康ってなんだろう? 病気がないこと、好きな食べ物を気兼ねなく食べられること、あるいは頭痛や腰痛など身体に痛みがないこと、となんとなく答えることはできる。 1948年に世界保健機関(WHO)が定義した「健康」の定義は、「単に疾患がないとか虚弱でない状態ではなく、身体的・精神的・社会的に完全に良好であること」とされている。 「身体的・精神的・社会的に完全に良好であること」ってなんだろう。誰が、どの立場から「完全に良好」と判断するのだろうか。 そんな疑問を持つなかで、長野県軽井沢町の森の中にある「ほっちのロッヂ」という場所を知った。 「症状や状態、年齢じゃなくって、好きなことをする仲間として出会おう」という合言葉を掲げ、「ケアの文化拠点」を育む「大きな台所があるところ」。診療所であり、在宅医療の拠点であり、病児保育室や共生型通所介護、訪問看護ステーションの事業を担う場所。 それが「ほっちのロッヂ」だ。医療サービスを提供する場所ではあるのだけれど、それだけではないのが、公式ウェブサイトの言葉選びから感じられる。 訪問看護ステーションを「家に訪問したり、町全体の健康を考える活動のこと」と説明していたり、診療所を「内科、小児科、緩和ケア、在宅医療。自分の好きな暮らしを医療とともに考えるところ」、病児保育室を「親も子も、自分の回復力を信じて過ごせる場所のこと」、共生型通所介護・児童発達支援・放課後等デイサービスを「大きな台所、本棚、アトリエなどがある、町の人の居場所のこと」と表現している。 ほっちのロッヂでは「健康とはなにか」という問いを考えるヒントがあるのではないか。そんな期待を持ちながら、2021年、本格的な寒さがやってくる前のある日、ほっちのロッヂを訪れ、医療法人社団オレンジ理事長・ほっちのロッヂ共同代表・医師の紅谷浩之さんに話を伺った。 (こここ編集部)

vol.082022.08.12弱さは個人の問題ではなく、構造上の問題だ。公認心理師・臨床心理士 信田さよ子さんと考える“弱さ”のこと
弱さはできるだけ人に見せず、自分の中で克服すべきだ。社会人として働くようになってから、そんな価値観を当然のものとして受け入れ続けてきた人は少なくないのではないだろうか。私自身にも、自分の弱みにばかり目を向け、それをどうにか矯正しようともがいていた時期がある。 けれど、時間を経て、弱さは必ずしも否定し、矯正すべきものではないと思えるようになってきた。自分の弱いところや苦手なことを隠さず、周囲に助けを求めたり、それをコミュニケーションのきっかけにしたりできる人たちをたくさん目にしてきたからだ。そのことで肩の荷が下り、だいぶ楽になった。 近年では、「自分の弱さを認め、それを怖れずに見せていこう」というメッセージが公の場で説かれることもすこしずつ増えてきた。「弱さは克服しよう」とばかり言われていたときと比べると、一見とても好ましい状況のように感じる。けれど、「弱さの開示・共有」がキーワードのように、さまざまな場面で使われるようになってきたいま、“弱さ”というものの定義について、あらためて考える必要があるのではないかと思った。 公認心理師・臨床心理士の信田さよ子さんは、依存症や摂食障害、DVなどに悩む人たちと長きに渡って向き合い、“弱さ”や“責任”について考え続けてきた人だ。そんな信田さんになら、「弱さとは何か」という問いをストレートに投げかけられると思った。上記のような背景や疑問をお伝えし、取材の前に頂いた信田さんからのメールには、こんな言葉があった。

vol.072022.07.28“違う“の不安をどう乗り越えればいい? グレーではない「色」で表現する発達の特性——星山麻木さん
私たちはもともと、一人ひとりが生まれながらに異なる存在だ。年齢や性、国籍、あるいは障害……そうした「ダイバーシティ(多様性)」については、知られる機会も増えてきている。 ただ、それぞれの“違い”のありかを知っていたとして、いざ「本当にみんなが一緒に生きてられている?」と問われたら、急に不確かで、脆い社会が目についてしまうのはなぜだろうか。 今回主に取り上げる「発達障害」も、近年の言葉の広がりとともに、当事者たちの存在が認知されるようになってきた。自身や身の回りで起きていた問題の本質を知って、救われた人も増えているだろう。一方で、言葉が一人歩きして新たなラベルになり、苦しむ当事者の声が聞こえることもある。身近に生じる障害を受け止めきれず、「どうすればいいの?」と戸惑う人もいる。 インクルーシブな(包摂された)社会を実現するためには、知識の広がりだけでは不十分なのだ。多様な“個”のあり方を認識した上で、その先の社会は私たちが協力してつくっていかなくてはいけない。では具体的にどうすれば、私たちはお互いの特性を尊重し合いながら、“個と個”のまま一緒に生きることができるのだろう。 発達障害について議論の多い「子育て」や「教育」の現場をよく知り、多様な子どもたちの支え方について研究・実践する星山麻木さん(明星大学教授)に、考えるヒントを尋ねた。

vol.062022.04.12「私はどう生きたらいい?」を、一人で抱えない社会へ。医師・西智弘さんに聞く、地域活動と“ケア“の文化づくり

vol.052022.03.22偏見がない人はいない。川内有緒さん×木ノ戸昌幸さん『わたしの偏見とどう向き合っていく?』イベントレポート
いま、「あなたの中には差別意識や偏見がありますか?」と聞かれたら、あなたはどんなふうに答えるだろうか。即座に「たぶんない」と答える人もいるかもしれないし、すこし考えてから、「ないように努力している」と言う人もいるかもしれない。 ではそれが、「よく知らない人と話してみて、自分が抱いていた偏見に気づいたことはありますか?」という質問や、「軽い気持ちで口に出したことが、差別的な発言だったとあとから知ったことはありますか?」という質問だった場合はどうだろう。おそらく、「ない」と言い切れる人はほとんどいないのではないだろうか。 そんな、自分自身の内側にある「偏見」や「差別意識」との向き合い方について考えるトークイベント、「わたしの偏見とどう向き合っていく?」(SPBS TOYOSU主催)が2021年10月23日に開催された。 出演者は、昨年、著書『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』を上梓したノンフィクション作家の川内有緒さんと、京都にあるNPO法人「スウィング」理事長の木ノ戸昌幸さん。「偏見」や「差別意識」をめぐる対話を通じて、身近な人、そして自分自身の中にある偏見との向き合い方のヒントが提示された。オンラインで実施されたイベントの様子をレポートする。

vol.042022.02.04居場所・つながり・役割・生産性。「望まない孤独」をめぐる対談でみえたものとは?吉藤オリィさん×奥田知志さん
自分は誰かに必要とされているんだろうか。いずれひとりぼっちになるのではないだろうか。ふとしたときにそんな不安が頭をよぎり、苦しめられた経験がある人はきっと少なくない。あるいはもっと切実に、いままさにその「孤独」の渦中にいる、と感じている人もいるかもしれない。 たとえパートナーや家族がいても、社会的地位が確保されていたとしても、私たちはそれらを突然失うことがある。絶対にひとりにならない、とは誰も言い切れないし、自助や自己責任を強く求められるいまの社会には、孤独と常に隣り合わせであるかのような緊張感がある。 どこにも居場所がなかった、という自身の学生時代の経験から分身ロボットの開発者になったロボットコミュニケーターの吉藤オリィさん。吉藤さんは、「孤独」を「自分が誰からも必要とされていないと感じ、辛さや苦しさに苛まれる状況」だと定義する。 そして、東八幡キリスト教会の牧師であり、30年以上に渡ってホームレス支援を続けているNPO法人抱樸の理事長・奥田知志さん。奥田さんは、「家族や友人、いざとなったときに頼れる人がおらず、社会という人的なネットワークからこぼれ落ちて、孤立してしまっている状態」を「社会的孤立」と呼ぶ。 「孤独」や「社会的孤立」の実態と向き合い続け、ロボット開発や生活困窮者支援といった活動を通じてその解消法を思索している吉藤さんと奥田さん。 おふたりに「孤独」や「社会的孤立」が生まれづらい社会の実現のためにはなにが必要か、というテーマで対談いただいた。

vol.032021.10.26大切なものを失った悲しみや痛みと共に生きていくには? グリーフサポートが当たり前にある社会を目指す 尾角光美さんをたずねて
身近な人や自分にとって大切な人、あるいは最愛のペットを亡くした経験を、誰しも一度は持っているのではないだろうか。けれど私たちは、そんな「喪失体験」にどう向き合うかをこれまで誰にも教えてもらってこなかった、という気がする。 「こんなに会社を休んだら迷惑だろうか」とか、「あれから何年も経つのにまだ悲しいなんて変だろうか」なんてつい考えてしまって、喪失を起点に生まれてくる自分の感情をありのままに認めることは、どうしても難しい。 ときには、喪失の苦しみを忘れていったり、そもそもなにも感じられない自分に対して、罪悪感を覚えてしまうこともあるかもしれない。 <一般社団法人リヴオン>の尾角光美(おかく・てるみ)さんは、19歳のときに母を自殺で失ったことをきっかけに「いつ、どこで、どのような形で大切な人をなくしても、その人が必要とするサポートを確実に得られる社会の実現」を目指して団体を立ち上げ、さまざまな形でグリーフサポートを広める活動をおこなってきた人だ。 私たちは、自分が抱えるグリーフにどう向き合えばいいのか。そして周囲の人たちは、グリーフを抱える人をどんなふうに支えることができるのか。そのヒントを、尾角さんに伺った。

vol.022021.06.24差別や人権の問題を「個人の心の持ち方」に負わせすぎなのかもしれない。 「マジョリティの特権を可視化する」イベントレポート
職場やSNSで見聞きする、さまざまな差別やハラスメント。 「なんでこんなことが起こるのだろう」「もっと平等な社会になったらいいのに」「人としての権利が当たり前に守られるべき」と、当事者の叫びに胸を痛める人は少なくないはずだ。 「私は“中立”。差別なんてしないのにな」と思うことだって、正直あるだろう。 けれど実際には、“中立”で何もしなければ差別にはあたらないという意識そのものが、差別的な社会構造に加担してしまう危険性をはらんでいる。 こう指摘したうえで、問題を個人の態度に由来するものではなく、「マジョリティの特権」から捉えようとするのが、上智大学外国語学部教授の出口真紀子さんだ。 差別や人権の問題は、これまで差別されるマイノリティ側、社会的に弱い立場の人に焦点を当てて論じられてきた。しかし、マイノリティ側が被る不利益の裏側にあるマジョリティの特権について考えなくては問題は解決しない。 そう考える出口さんの視点を学びたいと、こここ編集部は2021年5月9日、彼女が登壇するオンライン講演「マジョリティの特権を可視化する」(対話と共生推進ネットワーク主催)を取材した。

vol.012021.04.15さまざまな側面をもつ「わたし」と「あなた」をそのまま大切にするには? 美学者 伊藤亜紗さんを訪ねて
会社では営業担当だけど、プライベートでは当然違う。実家にいるときは子どもだけど、行きつけのバーでは全然違う名前で呼ばれてる。社会に生きるわたしたちは、いろいろな「わたし」を生きています。 誰もが、無限に広くて、底なしに深い。だから、雑にカテゴリ分けされたり、レッテルを貼ってこようとする人に出会うと無性に居心地が悪くなる。わたしもあなたもそのまま、“無限”なまま、個と個で出会えたらきっともっと楽しいだろうに。 東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院准教授の伊藤亜紗さんは、さまざまな身体をもつ人とともにその身体について研究を続けています。