
大切なものを失った悲しみや痛みと共に生きていくには? グリーフサポートが当たり前にある社会を目指す 尾角光美さんをたずねて こここスタディ vol.03
身近な人や自分にとって大切な人、あるいは最愛のペットを亡くした経験を、誰しも一度は持っているのではないだろうか。けれど私たちは、そんな「喪失体験」にどう向き合うかをこれまで誰にも教えてもらってこなかった、という気がする。
「こんなに会社を休んだら迷惑だろうか」とか、「あれから何年も経つのにまだ悲しいなんて変だろうか」なんてつい考えてしまって、喪失を起点に生まれてくる自分の感情をありのままに認めることは、どうしても難しい。
ときには、喪失の苦しみを忘れていったり、そもそもなにも感じられない自分に対して、罪悪感を覚えてしまうこともあるかもしれない。
<一般社団法人リヴオン>の尾角光美(おかく・てるみ)さんは、19歳のときに母を自殺で失ったことをきっかけに「いつ、どこで、どのような形で大切な人をなくしても、その人が必要とするサポートを確実に得られる社会の実現」を目指して団体を立ち上げ、さまざまな形でグリーフサポートを広める活動をおこなってきた人だ。
私たちは、自分が抱えるグリーフにどう向き合えばいいのか。そして周囲の人たちは、グリーフを抱える人をどんなふうに支えることができるのか。そのヒントを、尾角さんに伺った。
「グリーフ」に関係のない人は誰ひとりいない
「グリーフ」という言葉自体、日本ではまだまだ馴染みの薄いものかもしれない。グリーフは一般的に「悲嘆」などと訳されることが多い。尾角さんが代表を務める団体「リヴオン」では、グリーフを「大切な人、ものなどを失うことによって生じる、その人なりの自然な反応、状態、プロセス」と定義する。
喪失体験で生まれるどんな感情も反応もおかしなものではない、と尾角さんは言う。たとえば、大切な人を失ったときに涙がずっと止まらないという人もいれば、なにも感じられなくなる人もいるし、どこか安堵感のような気持ちを覚えるという人もいるかもしれない。
日本ではこれまで、喪失体験に対して抱く感情や反応が人それぞれであることがあまり認知されず、画一的なものとして捉えられてきた側面がある。その背景には、教育やメディアの影響もありそうだと尾角さんは指摘する。
震災の際に「悲しみを乗り越えて」というフレーズがよく使われていたように、大切な人やものを失うことに対し、特定のイメージや言葉が広まって多くの人のあいだで固定化されてしまっている部分はあると思います。
海外ではグリーフという言葉の射程が比較的広く捉えられているんですが、それはグリーフを知るためのさまざまな取り組みがいままさに広まりつつあるから。
またアメリカでは、一流の葬儀屋さんはグリーフのことを学んだ上でご家族を亡くした方に声をかけるので、たとえば葬儀の一ヶ月後に「死別後は、身体の健康にも影響があると言われているため、健康診断のサービスもご用意していますがいかがですか」と提案してくれることもあります。イギリスでは、亡くなった方の棺が窓越しに見えるような車でご遺体を運ぶことも少なくない。
でも日本では近年、霊柩車は縁起が悪いからと、一般的な車で棺を運ぶことが増えましたよね。死が、日常的に見えないものとして社会から隠されてしまっている側面はあると感じます。
しかし日本は決して、古くから「死」を忌み嫌ってきた社会ではない。むしろ、月命日や四十九日など、頻繁にお墓参りをすることで死者が身近に感じられる慣習は長らく続いてきたし、現在でもそれを大切にしている家庭・地域もある。尾角さんは、そのようなグリーフを大切にするための営み「グリーフワーク」の重要性を説き続けている。
お墓参りが日本では代表的ですが、亡くなった方との思い出を振り返ることや絵を描くこと、その人の好きだった歌を聴いたり歌ったりすること、ときには手紙を書いてみることなども、すべてグリーフワークのひとつです。
そういったグリーフワークの機会を届けたり、喪失に伴って生まれる課題や困難を支えたりすることを私たちは「グリーフサポート」と総称しています。これは誰にでもそれぞれのやり方でできることなんです。
「お花屋さんにはお花屋さんの、スープ屋さんにはスープ屋さんのグリーフサポートがある」と尾角さん。
たとえば花屋であれば、「亡くなった方をイメージして花束を作ってほしい」というリクエストに応えることができるし、スープ屋であれば、大切な人を亡くして食べものが喉を通らなくなっている人にスープを届けることができる(実際に尾角さんは、ご家族を亡くしたときに友人の韓国料理屋さんのスープにとても助けられたという)。
グリーフについての話って、どうしても「当事者」か「非当事者」、あるいは「遺族」か「遺族以外の人」と分けられてしまいがちです。でも、大切なものを全く失わない人はほとんどいないと思うので、私はグリーフというのはすべての人が当事者だと思っているんです。
だからこそ「グリーフサポート」はどんな人にもできるし、どんな人も手を伸ばせばそこにある社会であるように、と願って私たちは活動しています。
「他の人のほうがつらい」という苦しみから離れるために
大切な人やものを失ったとき、自分自身が感じている気持ちを素直に受け止めたり、それを人に伝えたりすることは、ときにとても難しいことだ。自分自身のグリーフを大切にするためには、どんなことができるのだろう。
ここからは、身近な家族を自死で亡くした経験を持つこここ編集部の垣花の疑問を起点に、垣花とライターの生湯葉が尾角さんに伺ったお話を、対話形式でお届けする。
垣花:身近な家族を亡くしたときに「より親しい関係にあったであろう人のほうがもっとつらい思いをしているんじゃないか」という思いが頭から離れなくなってしまうことがありました。
自分が感じている苦しさや悲しさは自分だけのものだと頭ではわかっているのに、私の場合は母や祖母を前にすると、自分がいろいろな思いのなかで揺れている姿は見せないほうがいいんじゃないかって思ってしまったり。
そういうふうに、「悲しみを比較してしまうこと」から離れるためにはどんなことができるのかを尾角さんにお聞きしたくて。
尾角:私たちが開催しているグリーフに関する講座のなかで「悲しみを比べたり、互いの感じ方をジャッジしない」って言葉をよく使うんですね。でもだんだん「いや、とはいえジャッジはしてしまうものだよなあ」というのがわかってきました。人はやっぱり、どうしてもそういった比較や判断からはなかなか逃れられないのだと思う。
だから最近は「アンカー(錨)を持とう」という表現を使うようになりました。アンカーは、船が漂っていくのを留めるために沈めるものですよね。ジャッジすることは止められないんだけど「ああ、いま自分はジャッジしているな」と気づくことができたら、そのアンカーまで戻ってくることができる。
私たちはそれを「ままに」という言葉にしていて、自分の感じ方、他者の感じ方をままに見る、というのが大切なんだと思っています。自分の気持ちや反応を「ままに」感じた上で、その根っこにあるものをまなざしていくようなことができたらいいのかなって。
垣花さんの場合は「他の人のほうがつらいんじゃないか」って比べられていたのって、ご自分ではどうしてだと思いますか?
垣花:自分がしっかりすることで、もっとつらい思いをしているかもしれない家族をサポートしなくちゃいけない、という思いがあったのかなと思います。それに、誰かが亡くなった人の後を追ってしまったり、違った形で傷ついたりしてしまう可能性を考えて、怖かったというのもあるかもしれない……。
尾角:そうかあ、なるほど。他の人を支えたいっていうこと自体は、すごくやさしい気持ちですよね。でも、そこから「他の人のほうがつらい」と思ってしまうと、自分のつらさを差し置いてしまうことになる。「そうだよね、怖いよね」って、まず自分の感じたことを感じたままに応答する気持ちで自分に向き合えるとよいのかもしれませんね。
垣花:たしかに、そのときの自分には、自分の感じているつらさや怖さを認めることがすごく難しいことでした。いまもまだすこし悩んでいるのは、大切な人を亡くしたことで生まれてくる負の感情を、他者に伝えていいのかということです。
私の場合は幸運なことに、そういう話を友人やパートナーにすることができたんですけど、やっぱりいまだに相手を困らせてしまうんじゃないかって葛藤はある。それに、私のように安心して語れる環境のなかにいない人はどうすればいいんだろうって思ってしまいます。
尾角:そうですよね。それを聞くと、安心して誰かに語れる人がひとりでもいる世界を私は願いながら活動してきたんだなと改めて振り返ります。それが友人であれカウンセラーであれ、受けとめてくれる人がいると信じたい。
じゃあそういう人をどうやって見つけるのかというと、ひとつ手がかりになるのは「近い経験をした人」。たとえば、流産や死産を経験した方のなかにはブログやInstagramを通じて同じ経験をした人を探し、そのことをやっと語り合えるようなつながりをつくられた方もいるという話を聞きました。
流産・死産に限らず、身近な人の自殺や、HIVや不妊など公認されないグリーフ(注1)を経験している人は周囲には言いにくいということもよくあるので、近い経験をした人や「こういう人になら話せるかもしれない」という関係性を探すのはとても大事なことだと思います。
注1:公認されないグリーフとは、死別の状況や関係によって悲しみや喪失が公に認められにくいグリーフ。
尾角:それから、もしかすると「その人を亡くした原因」そのものにフォーカスしてしまうことが語りづらさを生むケースもあるかもしれないですね。
「自殺で」とか「流産で」という部分にだけ意識が行きすぎてしまうと、自分自身もよりつらくなってしまうと思うので、その人の「生」の部分を意識するとすこし語りやすくなるかもしれない。
「生前、母がこのお花が好きでね」とか。うちはとんかつ屋さんの和幸によく一緒に行っていた思い出があるんですけど、そのお店の前を通るときに親しい友人には「お母さんとよく行ったんよ」と話してみたりします。
どんな亡くなり方であっても、その人が生きていたときを死因で塗りつぶすようにはしたくなくて。生きていたときの何気ないやりとりや、思い出を語れる時間を日常の中にもてるといいなと願っています。
垣花:たしかに、大切な人と過ごした思い出は多くあったはずなのに、死因のことばかり考えていて、他の部分が見えなくなっていることもありました……。
「ただ時間を共有すること」もグリーフサポートになる
尾角:ここまでは「語れること」について話してきましたが、でも私はその上で、必ずしも言葉で語ろうとしなくてもいいということも伝えたいんです。
もちろん、誰かに聞いてほしいと感じているならその気持ちを優先させればいいんだけど「どうせ誰にも聞いてもらえない」と感じているときは、無理に語る必要はないと思っていて。
語る相手って、実在する他者じゃなくてもいいのかなとも。たとえば私はノートに自分のその時その時、感じている気持ちを書くことを習慣づけているんですけど、そこに思ったことを書きつけてただ閉じる、という日があってもいいと思う。人に語りたくないときには、自分で自分のために想いを表現する場を作ることも大切だと思います。
垣花:そうか、必ずしも語らなくてもいい……。そういえば私は、家族のことがあった直後は言葉でなにかを語るのが難しくて、パートナーが散歩に連れていってくれる時間が救いになっていたのを思い出しました。
尾角:うん、そうですよね。一緒にお茶を飲むとか、一緒に散歩するとか、ただ時間を共にすることはとても大切なことだし、誰にでもできるグリーフサポートだという気がします。
死者を大切に思えるような機会を設けることって、なかなかひとりでは難しいんです。たとえば私たちの団体では、亡くなった方に対して手紙を書いたり絵を描いてみたりといった表現のワークを大切にしているんですけど、そういうやり方を自分ひとりで知って実践するってなかなかできないことだと思う。そういった選択肢を手渡すためにこの活動をしているところはあります。
垣花:グリーフに関して「喪失志向(失った人のことを想い、嘆き悲しむこと)と回復志向(なんらかの方法で悲しみから離れようとすること)のあいだで揺らぎがあるのは自然なことで、その両方を大切にするといい」という考え方(注2)を知ったことが、自分にとって大きな救いになったのを感じています。
……ただ一方で、いま尾角さんとお話をしていて、回復に向かっているときの自分が許せないという気持ちがあることに気づきました。もうすこしで大切な人の死から2年になるんですが、仕事に没頭しているときや、友人や家族といるときはその人を失ったつらさを忘れているときがある。それってなんだか勝手だよな、と思ってしまう自分がいます。
注2:オランダの心理学者StoroebeとSchutらが提唱した「喪失と回復の二重過程理論」
尾角:すごく誠実ですね。「喪失と回復の二重過程」というモデルの中に、喪失志向の状態として「回復の否定」というのがあります。大切な人を亡くしてから、日常を送ることに罪悪感を感じたり、身勝手な自分だと思ったりするのもまた、自然なことで。でも、それを感じているとしんどいですよね。
グリーフの中にある希望の種を育てる
尾角:「喪失/回復」とは別の視点からになりますが、私たちは「グリーフから生まれるもの」「グリーフから希望を」ということを大事にしています。
その喪失のなかにどんな種があるのか。「グリーフを希望へ」ではないのがポイントです。グリーフ自体を認め、そこにある種をないものにしないこと。喪失から生まれた種を大切に育てていくと、急にひょこっと芽を出してくれることがある。
私の場合はこういうふうに垣花さんに今、出会っていることや、「こここ」を通して伝える機会をもらえたことが、まさに母がくれたグリーフの種から生まれたものだと思っています。それが「希望」のようなものだったりするのです。
生湯葉:いま、横でおふたりのお話をお聞きしていてすこし感じたんですが、グリーフやグリーフサポートに関して知識を持っていることが、かえって「自分は強くなきゃ」というプレッシャーになってしまうこともあるかもしれないですよね。
尾角:そうですね。グリーフに限らず、たとえば医療従事者の方は「プロだから感情を出しちゃいけない」と自分の気持ちを置き去りにしてしまうことがあるというのをよく聞きます。でも、どんな職業であってもどんな知識を持っていても、つらいものはつらいって感じていいんだっていうのがたぶん、私が伝えたい「ままに」なんだと思います。
……私も、母を失ったことをきっかけにグリーフについて学び続け発信をし続けてきたんですけど、そこから10年近く経って兄を亡くしたときは「まったくこんなの役に立たないじゃないか」って感じて、一瞬ぜんぶやめようとしたこともあります。
知識があれば痛みや悲しみを感じないわけではないってそのときは本当に思いました。でも、時間が経っていくにつれ、やっぱりグリーフについて知っているからこそ救われることはたくさんあるな、学んできてよかったなと感じています。
周囲ができるのは、「見えるところに手を伸ばしておく」こと
生湯葉:グリーフを抱えている人とただ「同じ時間を過ごす」ことも大切、というお話もさっき出ましたが、周囲はグリーフを感じている人をどのようにサポートできるのか、という点ももうすこし詳しくお聞きしたいです。
特に悩むのが、どこまでなら自分が引き受けられるのかということ。苦しんでいて専門家の手助けが必要そうな人に、そう提案してよいものかどうかで悩むことが多いです。
尾角:それはどうしても悩むところですよね。一般的には、グリーフによって日常生活が送れないほどの状況が半年や1年続いている場合は「複雑性悲嘆」の可能性があり、専門家の助けが必要だと言われているので、そこはひとつのラインとして覚えておいたほうがいいと思います。
やっぱりつらいことって簡単に誰にでも話せるわけじゃないから、苦しんでいる当人は、最初はどうしても「この人にしか頼れない」とひとりの人に依存的になってしまうこともあると思うんです。
だからこそ、サポートをする人は「自分以外にも、この人が必要とする人や場所につながれるように」という意識を持っておくのは大切。それに時には「私にはここまではできるけど、ここからは難しい」と自分の限界を伝えることも大切だと思います。そうでないと、共倒れしてしまうので。
生湯葉:なるほど、たしかに……。どうしてもそれを伝えるのが苦手かもしれません。伝え方のポイントってありますか?
尾角:あなたとの関係をこれからもずっと続けたいからこそ、自分自身を大切にするのも必要なんだってきちんと言うことかなと思います。私もあなたも大切にしたいからこその選択なんだ、ということ。
それを聞いて、一時的に「私は大事にされていないんだ」って思う人もなかにはいるかもしれないけど、関係を続けたいなら熱心に伝え続けるしかないですよね。私はあなたを大事に想っているって。
生湯葉:大切に思っているからこそ自分の時間をとる、本当にそのとおりですね。苦しんでいる人が目の前にいると、つい「なんでもするよ」と言ってしまうけれど、長期的な関係性のことを考えないのはむしろ無責任だなっていま思いました。
尾角:大切なのは「その人がどうするのか」という主導権はあくまで相手にある、ということ。それを決める力はその人自身が持っていると信じることです。いまそれを決める力が弱くなっていて、本人もそのことで困っているのだとしたら、現実的に重要度が高いところからサポートしてみる。
食事や睡眠は最たるものなので、たとえばごはんが食べられなくなったりまったく眠れなくなっているようであれば「レトルトのごはん送ろうか」とか「睡眠薬だけでも処方してもらいに病院に行ってみる?」って聞いてもいいかもしれないし。衣食住に関してできなくなっていることがあると本人も困っている可能性は高いので、そこから一緒に考えていくのはいいかもしれないですね。
なにもかもを支えるという必要はないけれど、「気にかけている」ことを伝えるのは大事です。なぜかというと「気にかけてるからね」っていうのを伝えておかないと、頼っていいか本当に人はわからないものだから。だから、相手を支えたいと思ったら「手を出しておくよ、掴んでいいんだからね」ということは伝えておく。
手を伸ばせば届くところ、見えるところに、選択肢を置いておく、というのがポイントかなと思います。
生湯葉:選択肢を置いておく……。最近悩んでいるのが、新型コロナウイルス感染症の流行で簡単に人と会えなくなったことで「ごはん行こうよ」と言えなくなったことです。
なんらかのグリーフを感じている友人やしんどそうな人に対して、ひとつの選択肢の提示として「ごはん行こうよ」って言うことがいままではあったと思うんです。でもいま、その代わりに「いつでも電話してね」とか言うんですけど、なぜかそのほうが会うよりもハードル高い気がしていて……(笑)。
尾角:わかります! 電話は、ハードルが急に高くなりますよね(笑)。会って話すことと電話やZoomで話すことって、共有しているものの多さがまったく違うんですよね。
同じ場にいると、会話がないときでも景色を見たりお茶を飲んだり、「ただいる」ってことがしやすい。触れられる距離に相手がいる、同じ場を共有しているという安心感は、たしかに今、大きく失われているものなんでしょうね。
それをどうやって補完するかというアイデアのひとつとして、海外のニュースから学んだのが、コロナ下のアメリカで、おばあちゃんを亡くされた方が、オンライン葬儀をされた話です。
おばあちゃんが好きだったウイスキーをみんなで飲んで、偲ぶ時間をもったと。いま五感を共有することがしにくくなっているけど、そういうふうにオンラインでできる部分もあるんだなって。
あとは、ずっと話し続けるのはなかなか大変だと思うので、Zoomとか電話をつなぐだけつないでお互い好きなことをする時間にするとか。そのくらいゆるやかに「つながり」を捉えるのがいいのかなって思います。
垣花:私は前に、参加している人は誰でも好きなことを自由につぶやけるようなLINEグループを作ったことがあるんですけど、自分がしんどいときは結構それに救われました。反応したかったらするし、したくないときはしないくらいゆるいグループで。
尾角:ああ、それはすごくいいですね。つらいことを誰でも言える場があると、ケアを「する」「される」という一方通行の関係を超えられるので。コミュニティって、そういう意義も担っているものですよね。
グリーフサポートが当たり前にある社会のためには
生湯葉:グリーフはさまざまなかたちで現れることがあるということ、そして、それをサポートしたいと感じたら「選択肢を置いておく」意識が大切だということ、お聞きできてよかったです。
グリーフサポートは誰にでもできるものだというお話もありましたが、グリーフサポートがもっと当たり前に受けられる社会になってほしいですよね。そのためにはなにが必要かというヒントを最後にお伺いしたいです。
尾角:グリーフサポートがインフラになってほしいと願っていて、できる限りのことはすべてやりたいと思っています。
教育もメディアでの発信もそうですし、政策に関しても提言できる部分はしているんですが、どれが最短ルートなんだろうというのは私自身すごく悩んで、いまも模索しているところです。
でもやっぱり、昔から変わらず、いちばん手応えがあるのは教育じゃないかと思っていて、幼いときに体験する身近な喪失……たとえば家で飼っていた金魚や犬が亡くなってしまうことは、多くの人が経験されていると思います。
そういったことについて家や学校、社会のなかできちんと考える機会を提供していくのが大切だと思う。死を経験したときに自分たちはどんな時間を持ちたいかということを大人がきちんと考えていないと、子どもたちには伝えていけないので。誰しもがグリーフについて考えられる、関われるようなプラットフォーム作りもしていきたいと思っています。
垣花:考えてみると、尾角さんも言われたように、喪失体験ってなんらかの形で誰しもするものですよね。それなのに、どうしてこれまでグリーフについて学ぶ機会がこれほどなかったんだろうと感じます。
尾角:そうなんですよね。たとえば、ある小学校の先生はこれまで、転校をしてきた生徒に「早く新しいお友達を作ろうね」って声かけをしてたそうなんです。でも、グリーフについて学んだことで、まず「これまで仲の良かったお友達と別れて寂しかったよね」って声をかけられるようになったって聞いて、まさにそれがグリーフサポートだなって。転校や引っ越しも、子どもにとっては大きなグリーフになりうるんですよ。だから、そう言ってくれる先生が増えたらどれほどいいだろうと思います。
生湯葉:尾角さんが著書のなかで書かれていましたが、転校や引っ越し、それに失恋や離婚などもグリーフになりうるんですよね。死に関しては悲しむのが当然という風潮が社会にある一方で、それ以外のグリーフに対する認識は、まだあんまり足りていないんじゃないかと感じます。
尾角:数多ある喪失をまなざす視点を持てたらいいですよね。喪失というのは誰しも経験することだし、それを大切に扱えるようになることで、私たちはもっと生きやすくなるんだろうと思う。そういう社会づくりに貢献していきたいと改めて思います。
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尾角光美(おかく・てるみ)
一般社団法人リヴオン 代表理事
19歳で母を亡くす。あしなが育英会で病気、災害、自殺、テロ等による遺児たちのケアに携わる。2006年自殺対策基本法制定以後、全国の自治体、学校などから講演、研修の講師として呼ばれ、自殺予防やグリーフケアに関して伝え広める。2009年「グリーフケアが当たり前にある社会」の実現を目指してリヴオンを立ち上げ、活動を続けてきた。日本財団国際フェローシップのフェロー5期生として英国に留学、2018年ヨーク大学大学院国際比較社会政策修士号取得。現在はバース大学大学院博士課程にてヤングアダルトの死別経験と社会経済的影響について研究を行っている。単著『なくしたものとつながる生き方』(サンマーク出版)共著『自殺をケアするということ』(ミネルヴァ書房)。
- ライター:生湯葉シホ
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1992年生まれ、東京在住。フリーランスのライター/エッセイストとして、おもにWebで文章を書いています。Twitter:@chiffon_06
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