福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【画像】黒い髪を斜めに分け、白い半袖Tシャツをきて腰に手を当てている岡山ふみおきさん。背後には大きな樹があり、緑が茂っている。【画像】黒い髪を斜めに分け、白い半袖Tシャツをきて腰に手を当てている岡山ふみおきさん。背後には大きな樹があり、緑が茂っている。

保育料ゼロを実現し、子育てを“みん営化”する。 学童保育施設〈fork toyama〉岡山史興さん こここインタビュー vol.21

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2023年5月、日本一小さな村、富山県舟橋村に、“みん営化”を掲げた保育料ゼロの学童保育施設〈fork toyama〉がオープンした。“みん営化”とは、代表の岡山史興(ふみおき)さんが考えた造語。放課後の小学生を受け入れる学童保育を「みんなで営む」という意味だ。

通常の学童保育ならば、保育料は保護者から月々徴収する。公立学童で1万円~2万弱が相場だが、fork toyamaでは完全に無料。おやつ代のみ、保護者が支払う。敷地内にあるカフェとコワーキングスペースの利用料、企業や個人などサポーターからの会費を学童の運営費に充てる仕組みになっているのだ。

いったいなぜ、保育料ゼロの学童が生まれたのだろう? このユニークな仕組みを“みん営化”として考案し、自らのつくったfork toyamaという場で実践する、代表の岡山さんに詳しくお話をうかがった。

【画像】fork toyamaの室内。10名強の子どもたちが床に座り、中心に立つ指導員の大人を囲んでいる。
富山県産の杉が使われたぬくもりのある室内には、放課後、30人弱の子どもたちが集まる。3人の学童保育指導員が、先生として子どもたちの自主性や社会性、創造性を重んじながら見守っている。

子どもを中心に、みんなが関われる仕組みづくりを

東京から舟橋村に移住した岡山さんは、子どもが小学校1年生に上がるにあたり、安心して預けられる施設を探していた。当時、学童保育が村の直営ではなくなることがわかり、周囲に不安が広がっていた。

岡山さんは、もともと東京で自社メディアを持つPR会社を運営していた。それまで教育分野にはまったく携わったことがなかったが、子育てのために移住先を探して舟橋村に移り住んだため、どうしても納得のいくところに子どもを預けたかった。でも、見つからない。ならば、子どもたちが選びたくなるような、自由で楽しい環境を自分でつくってしまおうと思い立ち、fork toyamaを設立した。

そして、保護者には「保育料ゼロ」というメリットで、預けやすくする仕組みを考えた。いわば、自身のため、子どものために思いついたことが“みん営化”のアイデアにつながったのだ。

「住むにも預けるにも、子どもがどういった環境にいてほしいか。親が納得していないのに、そこで子どもが健やかに育つことはないだろうと思いました」

舟橋村に移住して〈fork toyama〉を立ち上げた一般社団法人fork代表理事・岡山史興さん。社会の課題をPRと編集の力で解決する、70seeds株式会社の代表取締役・編集長でもある。

移住先に舟橋村を選んだ理由

岡山さんは長崎県出身。富山県に親戚がいるわけでもなく、地縁はない。そんな岡山さんが初めて舟橋村を訪れたのは2017年。自身の経営する会社〈70seeds〉のウェブメディアの取材でのことだった。

「日本一面積が小さいのに人口が倍増している村があると知り、当時の村長に取材しにきたんです。で、話を聞いたらめちゃくちゃおもしろくて。日本一小さい村の理由は、周りの市町村と合併しなかったから。合併すると、学校の統廃合で子どもたちが遠くまで通わなきゃいけない。そういうのはよくないよね、というスタンスがすごくいいなと思って」

【画像】青い空の下、青々しい水田が拡がる風景。水田の奥に住宅や建物が並ぶ。
面積3.47平方キロメートル、人口約3000人の日本一小さな村発の新しい学童のかたち。真ん中の森のように木々が茂ったところにfork toyamaがある。越中舟橋駅前の、もともとは大学教授の家だった建物だ。

その頃の舟橋村は、小学生7人が広場を「日本一楽しい公園にしたい」と、クラウドファンディングで公園をつくることに挑戦したり、公園を使って定期的にイベントを開催したりと、村としても活発に共助の仕組みをつくっているところだった。

「(富山市の)ベッドタウン的に移り住む人が多かったので、そういう人たちが孤独にならないよう、ちゃんと地域に関われるようにと共助の仕組みを考えていましたね」と岡山さんは取材当時を振り返る。

「与えられるんじゃなくて、自分でつくるみたいな姿勢を大事にしている村だなと思いました。そこに興味を持って、移住先はここに決めました」

【画像】建物の入り口に子どもたちの靴がたくさん脱いでおかれている。

移住を決意した岡山さんは、2018年から東京と舟橋村の2拠点を往来していた。だが、妻は最初反対していたという。

「移住先を富山にしようと言ったら、僕からの提案が突然すぎて最初は『ひとりで行って』と言われてしまって(笑)。そのあと何回か連れてきて、冬にノドグロやブリを食べたら『富山いいわ~』って。結局は魚の魅力が決め手になりました」

移住先に検討したほかの地域でもおいしい魚は食べられたが、岡山夫妻にとっては「ブリ、カニ、ノドグロ、と一発一発がホームランみたいな」富山が良かったらしい。2020年からは、家族全員で舟橋村に移住。岡山さんは現在はすっかり村に根づき、以前ほど2拠点を頻繁に往来してはいない。現在、上の子どもは小学2年生だ。

思い立ったらすぐに取り組む、岡山さんの根っこ

社会課題を見つけ出し、解決へのコミュニケーションの手法を導き出すことを得意としてきた岡山さん。ウェブメディアの運営も、その延長線上で行ってきた。常に自分に問いをたて、答えを探る。そんなスタンスで物事に向き合うようになったのはいつからなのだろうか。

「一番大きいのは家庭環境だと思うんですけど、父親がむちゃくちゃ厳しかったんですよ。抑圧されているなかで、自分で(人生を)コントロールできないもどかしさがありました。だから、自分で何かを決めていくということへの欲求がすごく高いんです。高校を卒業して家を出られたときは、これからは自分で将来をつくれるなって。でも、そんなに深くは考えてなかったですね」

岡山さんは、課題を見つけるとパソコンに思ったことをすべて書き出している。画面を見せてもらうと、「こういうことができたら」というアイデアがいくつも。それに付随して、解決策もリストになっていた。

長崎にいた高校時代は、被爆者の声を伝える平和活動に取り組んでいたという。

「既存の部活動にあまり興味が持てずにいた頃、先輩が高校生平和大使をやっているのを知って、やってみたいなと思ったんです。大使に選ばれると国連に派遣されるのですが、行くだけではダメだ、ということで自主的に継続的な活動をつくろうと『高校生1万人署名活動』の立ち上げに参加しました」

その後、岡山さんは高校生平和大使に選ばれ、国連でローマ法王にも謁見した。

「もともとあるものにそんなに満足しないタイプなんですよね。自分でつくるほうが絶対おもしろい」

マクロな平和から、ミクロな平和にコミットする

平和という大きなテーマにまっすぐ向き合って活動した高校時代。筑波大学時代には、周囲の平和に対する感覚が長崎とは違うことに気づいた。関心を持ってもらうためにデザインやITの力が必要なのではと模索し、自身が参加するバンドの音楽イベントでも平和を訴えてきた。さらには、伝える力をつけるために、卒業後はPR会社に就職した。

会社では、鋳物ホーロー鍋のブランドのPRを担当し、各メディアに営業に回った。また、東日本大震災後にはPRだけではなく、東北の沿岸地域に毎週通い、ITの面から事業者をサポートするなど、さまざまな仕事に携わった。

「そういうことを経て、漠然とした“平和”というものに興味を持つことがすごく難しいことだと実感できるようになって。それよりも町工場の職人さんが笑顔で働くためにはこの商品が売れないといけないとか、全部津波に流されてしまった事業者さんが笑顔になるためにはビジネスを再興させないといけないということに気づきました。それが満たされることが、まずその人たちにとっての“平和”だよねと」

ここでは、室内で携帯ゲームをしている子はいない。取材時、子どもたちは服が汚れるのも構わずに庭で元気に水遊び。

それから、「マクロな平和じゃなくてミクロな平和をつくることにコミットしよう」と会社を辞め、自身の会社を立ち上げた。

地域を回るなかで農業の重要性に気づき、農業のプロジェクトを開始。さらに子育てにいい環境を選んでいくなかで、課題に直面した。それが、学童保育のこと。「いまやっていることは、もとをたどれば全部“平和”というテーマから出発してますね」と岡山さんは振り返る。

「おもしろいのは、大きなテーマからだんだん個人的なところに進んでいって、自分の子どものために学童保育施設をつくったら、この1年で50件くらい、いろいろなところから視察に来てくださっているんです。超個人的なことで始めたものが、いろいろな人の参考になっている。ここからまたマクロに広がっていくんだなと。

この流れが、“平和を再発見する旅”みたいになっているのかもしれないと、先日、講演に呼ばれた長崎で話しながら自分で気づいたところでした」

【画像】女の子と指導員が向かい合って話している様子。ふたりとも笑顔だ。

協力してもらえるだけの関係性を築くことの大切さ

現在、fork toyamaを支える会員数は、約60人。うち、子どもを預けている親が半数。あとは村の内外にいる一般の人で、そのなかには岡山さんの知り合いのほか、趣旨に賛同して会員になってくれた人もいるという。会員資格を継続するための仕組みは、クラウドファンディングサイト〈READY FOR〉を使っている。

「そういうのよくわからないからと言って、毎月ここまで現金を持ってきてくれる方もいます。高齢の方が多いですね。あんた、がんばられ! みたいな感じで(笑)」

企業会員には、岡山さんがPRやプランニングを手伝う“共助”の仕組みをとっている。

これまでは、誰かのために自分の力を使うほうが得意だったという岡山さん。どちらかといえば自分の力を高めることに注力し、人に協力を仰ぐのは得意ではなかったそう。けれども、富山に移住してからは、自分ひとりではできることに限りがあることに気づいた。いかに協力してもらうか、それをできるだけの関係性を相手と築いていくことの大切さを学んでいるという。

【画像】nokiとローマ字であらわされたロゴが屋根の下に掲げられている
fork toyamaに併設された〈noki fork cafe〉。

会員を集めるだけでなく、スタッフサイドも協力関係が大事だ。保育費ゼロの一端を担う〈noki fork cafe〉の店主は、富山のインスタグラマー「えみこむ」さんが務める。それによりSNSユーザーへの認知も高まり、カフェを目指して来るお客さんも増えたそう。

【画像】お店のカウンターの中にいるえみこむさん。緑のキャップと緑のエプロンを身に着け、セミロングヘアスタイルでこちらをみて微笑んでいる。
店名は、“軒先”から。軒先でおしゃべりをするように、店主のえみこむさんと話す人も多い。営業時間は、火曜17:00~21:00、木・金・土曜11:000~17:00(2023年11月現在)。

学童保育の運営は、富山市のNPO法人〈ハレア〉が行う。ハレアは、若手起業家の福原渉太さんが「子どもの自主性を伸ばし、親に選択肢を与える」ことを目標に設立したNPOで、元保育士や小学校教諭が所属する。

ちなみに、えみこむさんは福原さんの紹介でfork toyamaを訪れ、この場を気に入ってカフェを始めたのだそう。

建物は、岡山さんのイメージに合わせて、富山を拠点にする建築事務所〈STUDIO SHUWARI〉が設計を手がけているが、まだ建物全体のリノベーションは終わっておらず、必要に応じて資金を集めて行うことにしている。自主性を重んじる岡山さんと向かう方向を同じくする人たちがチームとなり、fork toyamaの幹となっている。

【画像】トレーの上にホットサンドとコーヒーが並んでいる。
焼くときの様子が合掌造りに見えることから名づけられたという「ガッショーサンド」。ドリンクセットで1400円。

子どもや親の、選択肢を増やす学童保育を目指して

現在、無認可の学童保育として運営しているfork toyama。なぜなら、認可をとって補助を受けると、できないことがあるから。

【画像】元気よく木登りしている二人の子ども
fork toyamaを取り囲む林には、杉、椿、柿、梅など。最近、子どもたちが栗を見つけたので、栗の木があることが判明した。それにしても、つい登りたくなる枝っぷり!

「例えばいまだと親御さんが育休中の家庭は、認可の学童保育所だと預けられないんですよ。就労証明書が要るので。共働きじゃない家庭もそう。でも子育てにはそんなの関係ないですよね。だったらそういうルールに縛られずに預けられるほうがいいから、うちでは全部受け入れています」

もちろん、子どもひとり当たりに必要な指導員の人数、床面積の広さをクリアするなど、認可並みの基準は満たしている。そのうえでプラスアルファのことをやれるようにと、認可をとらないやり方をあえて選んでいるのだ。

「ただ、先日役場から認可を出したいと申し出てくださったんですよね。実はここを始めるのにかなりの額を借金しちゃったんで、出してもらえるならありがたいなと思いつつ、柔軟性を維持するにはどうしたらいいかと考えているところです」と苦笑い。

そしてふと、こうつけ加えた。

「でも、お金って稼いで返せばいいじゃないですか。何年かかるかわからないですけど(笑)」

【画像】ダンボール製のかぶりものを被った子どもが左側に一人たっている。右側にはダンボールの箱から顔をだす二人の子ども。
女の子たちは室内の段ボールハウスでかくれんぼ。この大きなカブリモノは何だ!?

「子育て中の親にも、子どもたちにも、もっと選択肢があっていいんじゃないか」

岡山さんは、この場所での学童保育のあり方をきちんとかたちにしていくことを当面の目標にしている。

「せっかく各地から視察に来られているので、日本全国の学童が必要なところや子どもたちに、いい選択肢を提供できるようになりたいと思っています。親が働く選択肢を奪われてしまわないように。子どもが原因で働くことが制限されるというのは、大人にとっても子どもにとっても良くない。

そういうことを“みん営”という仕組みで解消していきたい。子どものためというのもあるんですけど、同じくらい親のためでもあるんです。学童ってそういうものだと思っています」

【画像】木陰がさす森の中、子どもたちが思い思いに遊んでいる。
【画像】泥だんごを差し出す子どもの手

子育てを地域で行っていたのはいつの話? というくらい、世代交代が進むともに地域社会の子どもへの向き合い方も変化している。いつの間にか、子育て世帯の負担と孤立を生み出す社会に向かっていることは確かだ。

子どもはいずれ社会を担う一員になる。特に、少子化が進み、超高齢社会を迎えたいま、さまざまな年代や状況にある人々が共に助け合う、新たな仕組みが必要なのではないか。岡山さん考案した、みんなで営む“みん営化”学童はその解決の緒になるかもしれない。


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連載:こここインタビュー