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【画像】小茂根福祉園のアトリエで話し合う高田さんと大西さん【画像】小茂根福祉園のアトリエで話し合う高田さんと大西さん

コロナ禍を経て新たな表現の協働へ ―小茂根福祉園とダンサー・大西健太郎さんが過ごした6年間[後編] こここインタビュー vol.07

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「アーティストと私たち小茂根福祉園で、どんな関わりが育めるんだろう?」

戸惑いを抱きながらも、アーティストを迎え入れ、6年という時間をかけて関係を築き、ともに表現を生み出していった福祉施設があります。

場所は東京都板橋区、知的障害のある人たちが通う〈板橋区立小茂根福祉園〉。穏やかな住宅街の中に建つ同園では、就労継続支援B型事業(定員30人)や生活介護事業(定員40人)の利用者、スタッフが日々を過ごしています。この場所に、ダンサーの大西健太郎さんはアートプロジェクト「TURN」の一環で2016年から足を運び、交流を重ねてきました。

小茂根福祉園で《風くらげ》《みーらいらい》といった表現活動を生み出した大西さんは、利用者さんによる新たな「ダンス」を開発。その名も《「お」ダンス》。その活動を広げていこうとした矢先、コロナ禍に見舞われます。ソーシャルディスタンスが求められる世の中で、福祉施設で過ごす人々とアーティストはどのように交流を行ったのでしょうか。そして、6年に渡る活動の中で見出された「福祉とアート」の重なるところとは?

前編に引き続き、〈小茂根福祉園〉でのTURNの活動について、同園生活支援員・高田紀子さんとダンサー・大西健太郎さんによる対談をお届けします。

〈小茂根福祉園〉のアトリエで対談しました。

「TURN」とは

“違い”を超えた出会いで表現を生み出すアートプロジェクト。障害の有無、世代、性、国籍、住環境などの背景や習慣の違いを超えた多様な人々の出会いによる相互作用を、表現として生み出すアートプロジェクトの総称。アーティストが、福祉施設や社会的支援を必要とする人のコミュニティへ赴き、出会いと共働活動を重ねる「TURN交流プログラム」と、TURNの活動が日常的に実践される場を地域につくり出す「TURN LAND」を基本に据え、「TURNミーティング」と「TURNフェス」の開催によって広くその意義を発信している。さらに、伝えるメディアとして「TURNジャーナル」を刊行している。
主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、特定非営利活動法人Art’s Embrace、国立大学法人東京芸術大学
公式サイト:https://turn-project.com


小茂根福祉園 生活支援員・高田紀子さん:就労継続支援B型サービス所属、サービス管理責任者。小茂根福祉園表現活動推進委員。「TURN」では小茂根福祉園側の実行リーダーとして積極的に活動に参加している。
ダンサー/パフォーマンス アーティスト・大西健太郎さん:東京・谷中界隈を活動拠点とし、まちなかでのダンス・パフォーマンスシリーズ「風」を展開。こども創作教室「ぐるぐるミックス」統括ディレクター。2016年より、小茂根福祉園と交流を重ねてきた。

手の会話をしながら、[お]のかけ声で合いの手をいれていく《「お」ダンス》

――小茂根福祉園での交流を重ね、さまざまな表現活動を実施するなかで、大西さん自身には変化がありましたか?

アーティスト・大西健太郎(以下、大西) アーティストの宮田篤さん(※注)にも参加してもらって《「お」ダンス》を一緒につくったときは、やっと肩の力が抜けてきました。だんだん利用者さんの顔も見えてきて、スタッフの方とのコミュニケーションも積み重なってきて。以前だったら、日常の中に見え隠れしていた「踊りの粒」が、より色味や厚みを伴って見えてくるようになりました。

※注 宮田篤さん:2017年の「TURNフェス3」にサポーターとして参加したことがきっかけで、大西さんとともに小茂根福祉園と交流したアーティスト。もともと《微分帖》などイラストレーションとコミュニケーションを組み合わせた表現活動をしていて、小茂根福祉園でも「きらりグッと」な瞬間をスケッチに起こす活動などを展開。のちに小茂根福祉園のこもねフェスタで「きらりぐっと研究所」を企画したり、リモ―トワークショップを共同開発したり、大西さんとともに交流を重ねた。

小茂根福祉園・高田紀子(以下、高田)  まず、利用者さんに参加してもらう前に、スタッフ全員に説明して試すことからはじまります。いままでの活動では他のスタッフも含めてアイデアを広げていったけど、この《「お」ダンス》のスタッフ向け説明会のときは、ちょっと緊張しました。手でダンスをしながら応答しあうことについては、事前に私から伝えたけど、それは自分だけの解釈かもしれないと。責任みたいなものを感じて。

大西 私自身は《みーらいらい》を通してたくさんの言葉を交わせるようになり、また共通の体験が増えてきたことにも手応えを感じていたので、失敗してもいいとスタッフの皆さんを信頼してやりました。自分たちで踊ってみて、困惑しているスタッフさんもいたけど、関心も芽生えてると思ったんですよ。これをあの利用者さんとやったらどうかな、と思い浮かべている顔だった。これは同じスタートラインに立てそうだという確信がありました。

(撮影:前澤秀登)言葉も交わさず、向き合う二人のダンサー。一瞬、どちらかの手先がかすかに震えた、次の瞬間。その周りで「おおぉー!」と声を上げる人たち。声が上がると、ダンサーの体勢にも熱が入る。さらに「おお!」とどよめく……。《「お」ダンス》は、言語を用いずに身体や表情を介したコミュニケーションを通して、人と人の新しい出会い方や身体のもつもう一つの「ことば」を探求する活動です。(参考:「お」ダンス project | 小茂根福祉園

――《「お」ダンス》は「手の会話」をしている踊り手の二人だけじゃなくて、周りにいる人の気持ちや心が動かされたときに「お」と声をかけるというのが面白いですね。

大西 「お」と声を出していると身体も動いてくる、あとは利用者さんの身体が繋いでくれると思っていたんです。実際、利用者さんと《「お」ダンス》をやってみると、障害特性によって筋肉の強い緊張があって、声がスッと出てこない人もいる。聴覚的には知覚できないけれど、喉の下の方で鳴っているのを感じたり、手は上がっていないけど筋肉は上がるように見えるとか。その人のなかでイメージしている動きが身体に現れていることがいっぱいあったんです。そこが面白いなと感じだして。

振り返りのミーティングで「あのとき、◎◎さん、『お』でしたよね」「こういう感じは、『お』でいいですか?」とかスタッフさんと話す時間がたくさんあって。活動をゆっくり積み重ねていけたんです。

高田 スタッフのなかには「難しい」と言う人もいましたが、利用者さんはすごいですよ。ダンスの途中で急に寝たりとかしてね。

大西 ある一つの《「お」ダンス》の場合は、“踊りが回る”んです。手を動かしている中心の二人が踊っているだけじゃなく、それを見つめている周りの人が反応し、身体が前に出たり、場全体が動き出して、息が合ってくる。一つの「お」を追いかけるように、「お」が回り出すときが気持ちいいですね。だから、周りにいる人のことも「お」ダンサーと呼んでいます。

《「お」ダンス》の経験を積んでいくうちに、身体を通じたたくさんのコミュニケーションが瞬間ごとに生まれていく。それを引き出していくことが魅力的な踊りをつくる。そんなことにだんだん気づいてきました。

それを面白がる会話もスタッフさんとの間に生まれていったんですよ。「あの利用者さんがいると声を出してくれてムードメーカーになるよね」とか「じゃあ今度踊るときの編成は、このチームにしよう」とか。そういう場づくりの前段からスタッフさんと考えられるようになったのはとても幸せなことでした。

日常の“きらりグッと”な瞬間を上演していく「こもね座」構想から、突然のコロナ禍へ

――《「お」ダンス》を重ねていって、大西さんと利用者さんとの間にも、スタッフの間にも少しずつ共通言語が生まれたんですね。そこからさらに活動を広げようとしていたと聞きました。

大西 小茂根福祉園では日頃から利用者さんによる面白いコミュニケーションが多発していて、それをある種の「芸事」として切りだして「こもね座」みたいな形で発表できないかなと構想しはじめました。関わりはじめて5年ほど経った、2020年2月のことです。

もともと小茂根福祉園では、利用者さんの面白く輝く一面を「きらりグッと」として付箋に書いて貼って集めている活動があるんです。

その「きらりグッと」からえりすぐったエピソードをパフォーマンスとして園内に配置して上演し、参加者に出会ってもらう。そんな体験型演劇のようなプログラムをつくりました。

この企画が育っていったら、小茂根福祉園の外に出て、利用者さんも一緒に一座として「興行」するようなこともできるかもという将来の構想もありました。だけど、コロナ禍がやってきて、予定していた2回の公演は1回で中止になり、そのまま企画は止まってしまいました。悔しかったですね。

2020年2月、「こもね座」公演の様子。(撮影:鈴木竜一朗)

――大西さんが表現活動を生み出すというところから、小茂根福祉園の日常から作品をつくり、全員で上演する……というところで、コロナ禍に入ってしまったのですね。そのあとの時期はどう過ごしましたか?

高田 直前までは月に1回とか週に1回とか交流を行っていたので、利用者さんの中には「次のTURNいつ?」と聞いてくる方もいました。

施設では「この仕事を頑張る」などの年間目標を利用者さん一人ひとりが立てるんですけど、その中に「TURNを頑張る」というものが入ってくるようになって、それから1、2年を過ぎて「今年もTURNを目標にする」という人が増えてきた矢先でしたね。

大西 私と宮田さんは施設に行くのを休止しました。《「お」ダンス》の公演ポスターをつくっていたんだけど、もしかしたら「こんな状況下で小茂根福祉園の皆さんは嫌だと思うかもしれない」といった自問自答が続きました。そこからリモートで交流を再始動するのに約半年かかりました。

高田 私たちはオンラインを使った活動をほとんどやっていなかったから、ネットやパソコンなどの環境を整え、さらには個人情報の流出防止や対策を立てるのにも時間が必要だったんですよね。

大西 2021年にリモートでの交流活動を再始動したとき、まず取り組んだのは四コマ漫画の仕組みを応用し、オンライン上で「文通」のやり取りを通して鑑賞・体験する企画です。小茂根福祉園の利用者さんが描いて送ってくれたマンガの1・2コマ目と3・4コマ目の間に一般の参加者が自分のストーリーを入れて返信するというプログラムです。やることは変わったけど、その場を「こもね座の劇場」と呼ぼうと。

高田 緊急事態宣言の延長でできなくなったことが多く、これまで地域にひらこう、社会にひらこうと目指してきたこととが一転、閉ざされた生活になってしまった。そのなかで、オンラインでできることが見つかったのは「光」でしたね。

利用者さんは自分の顔がオンライン会議を投影したスクリーンに大映しになるので席の取り合いになって。とても楽しそうでした。

《リモート文通式劇場 こもね座『4コマバイオーム』》の様子。ひとりが最初の4コマに描き込み、その紙の間に新しい4コマを差し入れて、ひとつながりの物語をつくっていく。
《リモート文通式劇場 こもね座『4コマバイオーム』》から生まれた8コマ漫画。

15ヶ月ぶりの対面での活動はソーシャルディスタンスを逆手にとるパフォーマンス

大西 それから半年くらい《コレダ・レーダ》という装置とパフォーマンスを組み合わせた作品の相談を重ねて、2021年7月にようやく実現しました。実に15ヶ月ぶりにリアルで対面したんです。

《コレダ・レーダ》は、チューブで作った2体の球体状のドレスを二人の人が並んで身につけます。ドレスの間が複数のゴム帯で結ばれていて、互いの動きが連動します。「ソーシャルディスタンス」をとることはもちろんですが、それよりも互いの身体と身体の間にある「距離」そのものと戯れることをねらいました。

高田 オンラインで随分話し合いましたよね。

大西 新型コロナウイルスの感染症対策があって、小茂根福祉園の支援現場の忙しさも3倍、5倍になっている時期だし、そこに外から人が来て、見に来るところまでセットだと難しい。ヒリヒリした状況の感覚を共有しているいまだからこそ、「TURN」で育んできた活動をどう守っていくか一緒に考えたいと私は思っていて。

高田 施設の中だけで楽しめればいいのではなく、最終的に外部の方に見ていただくことになるので、球体を身に付けた見た目の印象や、身に纏うことによって当たったり、転んだりしないかといったリスクもクリアしなければいけませんでした。

一方で、水谷現園長からは「目に見える小さなリスクはあまり問題ではない、利用者さんにとってどういうメリットがあるのか、スタッフがやりたいと思うかが大事」という言葉もありました。

そうしてスタッフの説明会で相談してみたらすごく柔軟だったんですよね。「わからないけどやってみよう」「あの利用者さんがやったら楽しんでくれそう」とかアイデアが出て。実際に一回やってみたら「今度いつやるの?」という利用者さんもいました。

大西 《コレダ・レーダ》は、少しの間、他者の時間にオジャマする感覚なんです。普段会っている人同士でも、お互いにとって未だ知らなかった「他者」(相手)の表情、速度、息遣いに触れ、お互いにとっての「いつも通り」なことと出会いなおすための時間にしたかった。

まだ人前でのリアルなお披露目は難しくて、2021年夏の「TURNフェス6」では《コレダ・レーダ》を映像作品として披露しました。

「TURNフェス6」で発表した《コレダ・レーダ》映像作品の様子。

6年の交流を通じて振り返る、「福祉とアート」が重なるところ。

――これまでの6年間の活動を伺って、大西さんのアーティストとしての関わり方も、高田さんと小茂根福祉園の皆さんの受け止め方もどちらも柔軟で驚きました。双方が相手を信じてまずやってみようと、自然に努力されているというか。そのような関係性が築けた背景には、福祉とアートそれぞれに共通点というか、共有できるところがあったのでしょうか?

高田 最初の段階で「アートって何?」と思ったところから、いろいろ活動してきて「似ているかも」と思ってきたのは、「正解はないからどんな形でも良いよ」ということや人との関わりのなかで生まれること、その人を知るとか。大西さんは「表現」という言葉をよく使うんですけど、福祉でいえば、会話からソーシャルワークが始まって“演じる”ような瞬間も表現だし、利用者さんのリアクションも表現だなと思うようになりましたね。

大西 初めの頃は、福祉施設のスタッフの方って、支援技術の背景に「こういうときはこう」みたいないくつかの方法論をもって実行しているのかなと想像していたんです。でも、実際は何が正解かわからないことも抱えながら、むしろ簡単には答えを出さずにトライしているんだなとようやく気づきました。

もちろんスタッフの方には、それぞれの利用者さんと築いてきた関係性やケアの技術はあるけれど、相手の状態を毎回新鮮な目で見ている。利用者さんも、いろいろな人の介助を受けるから、たくさんの人に自分を預けることを日々やっている。お互いに予測しきれないことに身を置き、そのことと常に向き合い続けている人たちなんだなと感じるようになりましたね。

一方的な「理解」や「解釈」の枠に落ちていないことをじっと見つめたり、わからないことに向き合って対話するようなところに「アート」とも重なる創造的な力を感じます。そういう福祉の現場に私自身も触発されてこれまで活動してこれたのだと思います

アートがどんなもので、福祉がどんなもので、その接点を考えるというよりは、この利用者さんがどんな反応を起こすかわからない、いつの記憶が不意に思い出されるかわからないなど、たくさんのわからないことが飛び交っている中で、それでも「知りたい」とか「心が動いている」といった未知に思い馳せる力がアートかもしれないなと思います。

TURNが終わっても一緒に表現をしていきたい。「こもね座」が目指すもの

――ともに表現活動に取り組むことで、お互いを知るだけでなく、双方が自身の活動についても発見がある豊かな時間を過ごされたんですね。6年間の交流を経て、さらにやってみたいことはありますか? 今後の活動としてはどんなことを予定されているのでしょうか。

高田 小茂根福祉園としては、これまでの大西さんとの関係を大事にして、今後どうするかと考えていきたいと思っています。大西さんが関わってくださることで、利用者さんの普段は見えない姿が表れたり、経験が増えていったり、スタッフの視野も広がってきていて、生まれるものがすごく多いと感じているんです。

スタッフも利用者さんも大西さんの人柄に共感しているんじゃないでしょうか。率直に物事を言ってくださったり、我々のリズムや温度に合わせて待ってくださったり。「このままちょっと離れるのは」「まだやりたいよね」という気持ちがみんなにあると思います。

大西 嬉しいですね。このまま活動を続けていくなら、たとえばオンラインでもライブの要素を入れてみたいなと思っています。利用者さんもイベントを仕掛ける現場の当事者になってもらいたい。

これからも「こもね座」メンバーと外の人との接点をたくさんつくりたいです。利用者さんの掛け合っている様子、そのコミュニケーションを拾おうとするスタッフの方の振る舞いに魅力があると思うから。僕もこもね座の一員となって出演するのが夢ですね。

小茂根福祉園との交流は、私自身の表現にも影響がありました。たとえば、パフォーマンスするときはこれまで「正面」を意識していたんですが、小茂根福祉園では、自分の想定していない角度からもたくさんのコミュニケーションが起こるし、向き合う人の身体性によって、伝えようとしていることをキャッチする深さや要点が違って、正面性が変わってくる。そういう経験から、より身体を塊で見せようと、ある意味で図々しくなれたというか。脈絡、前後、順序というのは、自分の範囲での問題であることが大概だと思います。それよりも、相手の前に差し出した身体が自分の意識よりも先に堂々と語リ出すことこそ、ダンスの醍醐味だということに改めて気づかされました。

また、高田さんが活動を通じて「やっぱり自分は利用者さんのこと、好きなんですよね」と言うことがあって。高田さん自身が表現を通じて、一緒に過ごしてきた利用者さんのことを「いいなあ」とあらためて思われたのも素敵だなと。小茂根福祉園のスタッフさんは、皆さん明るくて元気ですよね。

高田 スタッフのモチベーションが高いのは「TURN」や大西さんのおかげもありますよ。利用者さんの日々の生活だけでなく、スタッフの生活においても「TURN」による変化が生まれたんです。色々な人と出会えて。

この先「こもね座」をちゃんと育てていって、いつかはそれでチケット代を稼げるようになったらなおいいなと思っています。

大西 「こもね座」の興行化ですね! みんなで興行して、その場、その土地の色を取り込みながら、行った先々の人たちと一緒にパフォーマンスをつくっていけたら面白いですよね。やりましょう。


6年間の協働を経て、その次へ

「アートってよくわからない」「福祉の現場ってよくわからない」。

互いに「わからない」ところから関係づくりをはじめた、小茂根福祉園と大西健太郎さん。ときに躊躇したり迷ったりしつつも、「やってみる」を大事にしてきた両者は、表現活動をともにすることでその距離を縮めてきました。その結果、想像を上回る利用者さんの反応を手応えとして、福祉の現場を柔らかくし、表現の在り方を更新することに挑戦できたのかもしれません。

6年をかけて築いた関係は、「『こもね座』という一座になって興行していく」という夢を育み、次の一歩へと進もうとしています。

異なる立場にいると感じていた人同士が出会い、共働し、お互いのことを知りながら視点を交換していく。気づけば、自分自身にも変化が表れ、そこから新たな表現や関係性を生み出していく。

今回ご紹介したのは、2015年からはじまったアートプロジェクト「TURN」のほんの一端です。小茂根福祉園と大西さんのようにそれぞれに“違い”があっても、人と人の出会い方が変わっても、ともに生み出す「表現」は姿を変えて生まれ続けていくのではないでしょうか。


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連載:こここインタビュー