ろう者の職業を写真に残すということ
きっかけは、ぼくが通っていた東京都立石神井ろう学校にいた教師のことばでした。
「将来、どんな仕事をやりたいかというイメージがない子が多い。漠然と、公務員や、自動車工場、銀行や旅行会社等の特例子会社でパソコンを使う仕事ぐらいしかできる仕事はないと思って思考停止している。
でもそれは、いろんな仕事に就くろう者がいることをしっかり伝えてこなかったろう学校の責任でもある。学校の先生も、聞こえない人の幅広い将来像はほとんど知らない。
仕事をしているいろんな人と実際に会って話を聞けたらいいんだけど、それにも限界がある。メディアも取り上げてはくれないし。
そうすると聞こえない子ども達は、自分達の将来やりたいことを夢見ることも語ることもできないまま、周りの言いなりにしかなれない」という悩みでした。
実際、手話を言語とする「ろう者」であるぼく自身も、高校生のとき、どんな仕事をしたいのかまったくイメージすることができませんでした。
20歳のとき『13歳のハローワーク』という本がベストセラーになりましたが、それを読んでも「どの仕事も、ぼくには難しそうだな。どうやって働けるんだろう。全然わからない…。とりあえず、なんでもいいから、ろう学校が斡旋してくれるサラリーマンか公務員かな」と消極的な考えしかできませんでした。そこに自分の意志はありませんでした。
それが今では、様々な縁がめぐり、写真家として仕事ができています。
昔のぼくにはまるで想像もできなかった仕事に、今、就いています。
しかも、いざ社会人として働きだして周りを見てみれば、弁護士、医者、格闘家、大工、漁師、理容師、俳優、プロスポーツ選手、芸術家、パティシェ、システムエンジニア、介護士、トラック運転手……じつに多様な職業に就いているろう者がいました。
また薬剤師やバス運転手のように、法律の改正によって、新しく就けるようになった職業もありました。
こうした多様な職業に就いているろう者の存在を、かつてのぼくが知ることができたなら、どれほど仕事に対するイメージが広がっただろう。
たとえ、今はその仕事ができなくとも、情熱をもって訴えていけば法律を変えることもできるのだという希望を知ることができたなら、どれほど仕事へのイメージを広げていくことができただろう。
そう思わずにいられません。
ただ、ぼくはこの連載で「ろう者はこういう仕事もできるんだよ」と、仕事の様子を何枚も撮影するようなドキュメンタリーをしたいわけではありません。
あくまでも「人間」が中心です。
その人の存在感を伝える1枚の写真の力を信じて、「21世紀、こうして働くろう者がいた」という肖像を残していきたいのです。
かつてのぼくが欲しかったものは、手話を言語として、自分の力で働くろう者の存在を知ることができる本でした。そうした情報がまとまっている本を、ぼくは知りません。
若いろう者たちに、もとい、後世に伝えるために、働くろう者たちの肖像を1冊の本にすることが最終的な目的です。
掲載する「こここ」はウェブメディアなので、新しい試みとして短い映像もつけています。
インタビューの様子や、日常の様子をまとめたこの映像には、音声も字幕もテロップもありません。写真だけではどうしてもわからない、その人の手話の使い方に滲みでてくることばの特徴を感じてもらうためです。
たとえ手話がわからなくても、そのリズムに目をゆだねてみてください。じわりと浸透する何かが、きっとあります。「こういう表情で話す人なんだなあ」と知ってもらった上で、写真を見てもらうと、見え方がまた変わります。
被写体を探すにあたって「ろう者の定義は何? 難聴者だとダメなの?」という質問を受けました。
聴力の強弱は、関係ありません。手話で話すのが上手いかどうかも、関係ありません。
「手話を自分の大切な言語としている方」が、ぼくの考えるろう者の定義です。
合わせて、20世紀の今や失われゆく職業に就いていた高齢のろう者にもぜひとも出ていただきたく思っています。
又聞きのあやふやな話で申し訳ないのですが、八百屋、海女さん、墓石職人、氷売り、神主、わらあみ職人、といった仕事をされていた方もいたと聞いています。
珍しい職業に就いていたろう者をご存知の方、ぜひともご紹介ください。
齋藤陽道 連絡先:info@saitoharumichi.com
長く、長く、生涯をかけて続けていかなくてはならないテーマです。
みなさま、末永く、どうぞよろしくお願いします。
(写真家・齋藤陽道)