手話を大切なことばとして生きる「ろう者」はどんな仕事をしているのでしょうか。
連載「働くろう者を訪ねて」では、写真家であり、ろう者である齋藤陽道が、さまざまな人と出会いながらポートレート撮影とインタビューを重ねていきます。
最終的な目的は、働くろう者たちの肖像を1冊の本にすること。その人の存在感を伝える1枚の写真の力を信じて、「21世紀、こうして働くろう者がいた」という肖像を残していきます。(連載全体のステートメントはこちらのページから)
第25回は、東京都台東区でラーメン職人として「麺屋 義」を切り盛りされている、毛塚和義(けづかかずよし)さんを訪ねました。
毛塚和義さん【ラーメン職人】
―お名前、年齢、ご職業は?
毛塚和義(けづかかずよし)です。43歳。ラーメンを作っています。
―出身地はどこですか。
千葉県松戸市です。
―今まで通っていた学校はどこですか。
小さいころにちょっと筑波大学附属ろう学校(※注1)へ。幼稚部2年から中学3年までは東京都立江東ろう学校(※注2)へ。そして東京都立綾瀬ろう学校(※注3)の高等部に3年、専攻科に2年通いました。
小学生のとき、先生にすすめられて、木曜日だけ地元の小学校へ行っていました。幼稚部のときも、木曜日だけ幼稚園に行っていました。ろう者だけではなく、聴者との交流も必要。口話訓練にもなるという理由だったと思います。
※注1:筑波大学附属ろう学校:現在の筑波大学附属聴覚特別支援学校
※注2:東京都立江東ろう学校:現在の東京都立江東特別支援学校
※注3:東京都立綾瀬ろう学校:現在の東京都立葛飾ろう学校
―こどものときの夢は何でしたか。
動物園で働きたいと思っていました。動物が大好きで、小学生のときはひとりで多摩動物公園や上野動物園など、いろんな動物園へ行っていました。猿やサメに興味があり、飼っていたことがあります。
―これまでの職歴は?
高校2年生から4年間、機械科で学んだので、その経験を活かせる仕事をしたくて、群馬県にあるSUBARU(スバル)の自動車工場に就職しました。だけど、体調を崩すことが多く、群馬の土地、気候にもなじめなかったみたいで、すぐに東京へ戻ってしまいました。
そのあともいろんな仕事を転々と……。オリエンタルランド、つまりディスニーランドで2年間、チケット、売り上げ集計の仕事を担当していました。そしてパソコンの基礎、一般事務のスキルを身につけたいと思い、小平市の東京障害者職業能力開発校に1年間通いました。ですがそのスキルを活かせるような就職先が見つからず、サッポロビールに入社して、商品を卸先へ運んだり、自動販売機への補充などをしていました。3、4年間ぐらいだったかな。コカ・コーラのほうが給与が良く、それに惹かれて転職して、ドライバーをしていました。飲食店での経験はゼロです。
あちこち働きながら、2006年から2016年の10年間、ろう者だけのプロレス団体『闘聾門(とうろうもん)』の立ち上げ、運営もしていました。
プロレス団体を立ち上げてから5年目で、自分の会社や店を持ちたいという夢が生まれました。プロレス団体を運営する中で、自分から進んで勉強しないといけないことや難しい課題などが出てくるんですけど、それらに挑み、解決する、その過程で自分に自信を持つようになったんです。
―ラーメン職人になったきっかけは?
そりゃラーメンが大好きだから。
でも最初は、やるなら居酒屋かなと思って、妻と一緒に3ヶ月間、焼き鳥屋で研修を受けました。鶏肉の下ごしらえや串打ちなど、肉の扱いをいろいろ教わりました。居酒屋の運営に関する実習にも参加しました。ですが、やはり自分には向いていないなと気づきました。実は私、お酒が飲めないんです。だからか、居酒屋でのサービスや接客の勘があまり良くなくて。上司にも「居酒屋にはむいていないね」と言われました。
諦めて、ドライバーを続けながら、「どうすればいいんだろう……」と思った矢先にテレビでラーメン学校があると知りました。ドライバー仲間たちに話してみたら、その中のひとりの弟さんがラーメン学校で学び、ラーメン屋を開店していたんです。同時期に2カ所からラーメン学校の情報を得た……、これはきっと何かの巡り合わせだ!と思って、すぐにラーメン学校に問い合わせてみました。
最初はただ、ラーメンのことをもっと知りたい、家でお客さんにふるまってみたい、という気持ちだったんです。
メールで問い合わせてみたら、入学を断られました。ろう者だから、という理由でした。後日、手話通訳者と同行して学校へ行きました。学校関係者に入学希望動機や自分のこれまでのことなど、ろうでもいろんなことが出来るんだということを直接伝えたら、入学許可がおりました。
「様々な講師がやってくるし、時間も限られているから筆談、筆記はできない」と言われました。それでも構わない、と即答して、「そのかわり、動画撮影をしたいんですが……」と言ってみましたがさすがにダメでした。でも写真撮影の許可はもらえました。
―ラーメン学校はどんなところですか?
千葉県八千代市にあります。ラーメン学校は、普通の学校のように年単位ではなく、二週間だけみっちり学ぶんです。行列ができる有名なラーメン屋の店主など、いろんなラーメン職人がやってきて実技などの、授業をしてくれます。多種多様なスープの取り方も学べました。最後の三日間はラーメンを自作します。
私のときは同期が4人いました。それぞれラーメンを作り、200人のお客様に食べてもらい、投票してもらいました。結果は私が優勝でした。それがきっかけでラーメン屋をやろうと決めたんです。
―ラーメン学校での授業はどうでしたか?
板書がまったく無かったんです。だからもうとにかく、たくさん写真を撮りまくりました。見まくりました。わからないところはメモして、授業の後、先生に筆談で質問していました。30分ぐらいだったかな。あとは同期のみんなにお願いして、ノートを借りて、コンビニでコピーを取りました。本当は書き写したかったんですが、すごい量だったので……。交換として撮った写真をあげました。
できることはやりましたが、授業の内容は50〜60%しか理解できていなかったと思います。残りは自分の力とセンス。努力してラーメンを作りました。
―ご自身のお店「麺屋 義(よし)」を立ち上げたときのことを教えてください。
この場所を見つけ、借り始めてからも4ヶ月間はラーメンの研究や運営の勉強、接客のタイミングなどを模索し続けていました。
最初は自分が大好きな濃厚魚介つけ麺をメインメニューにしようと思っていたんですが、体調を崩し、倒れちゃったんです。救急車に運ばれちゃいました。
まあ、いろいろあって行き詰まり、ラーメン学校の先生に相談してみたら「まずは体調を整えること。シンプルなラーメンからスタートしてみてはどうか」というアドバイスをいただきました。
「ここらへんはとんこつ系のラーメン屋が多い。あっさり、さっぱりとしたラーメンはどうか。君にはラーメン学校での最終課題で、優勝を取ったあのシンプルなラーメンがあるじゃないか」とも言われて、なるほど!と。
今のメインメニューである塩ラーメン、醤油ラーメンがそれなんです。思っていた以上に人気があり、リピーターも来てくれています。
つけ麺を出したいけど、つけだれを作るのに体力が必要なので、私にはできないんです。煮込んでいるときは、ずっとかき混ぜなきゃいけない。少しでも離れると底が焦げる。ヘラでずっとかき混ぜて、底をすくいとって、混ぜなきゃいけない。
期間限定でつけ麺を出すことはあるんですが、メインメニューにはできないですね。
―2016年に開業。今年で開業7年目になりますね。続けてこられたポイントは?
スープの知識を持つことです。もしこのスープがダメだったら他のタイプのスープを作ってみる。ラーメン屋には豊富な知識と、臨機応変に対処できる能力が必要です。そうすればお店が潰れることはない、と先生からの教えでもあります。そして、ラーメンが大好きだという気持ち。
プロレス団体を運営していたときは、儲け目的でやっていなくて、赤字カツカツで、でもプロレス好きが集まって、大阪などへの遠征もやって、いろんな壁を乗り越えて、興行を10年間続けることができた。そこで養われた精神力、根性、経験がラーメン屋をやる上で活かされています。
あとは、やはり日々勉強。ラーメンの味もそうですが、毎日お客様の反応を見て、接客の改善をし続けています。『麺固め』などの札を作って、券販売機のところに置きました。その札のおかげで厨房での仕事がスムーズにできるようになりました。
以前は夜だけ開店していました。昼も開店するようになってからは客足が減ってきて……夜だけの方がよかったのかな、と悩んだりすることもあります。でもやってみなきゃわからない。試行錯誤ばかりしています。
メニューもね。最初は塩、醤油だけでしたがアンケートで他のスープも欲しい、種類を増やして欲しいという声をいただきまして。いろいろ挑戦した方が自分の腕も落ちないよな、という気持ちもあって、今はあらゆるジャンルのスープを提供しています。今は限定で牡蠣ラーメンがあります。
―よく見るといろんなデザインのどんぶりがありますね。
どんぶりのかたちにも工夫があります。ほら、よくあるようなかたちだったり、斜めがかっていたり、色に変化があったり。見るだけで塩、醤油、焼きあご、油そば、限定ラーメンだということがわかります。この工夫で、言葉にしなくても他のスタッフに伝わります。
厨房が忙しくて、お客様が帰るタイミングで「ありがとうございました」と挨拶できないときがあるんです。そのことを考えて、どんぶりの底に「ありがとう」が書かれたものを特注しました。
―どんなスタッフがいますか。
ろう者も、聴者もいます。4月からは知的障害があるスタッフも入ってきます。ハローワークなどで募集しています。
妻もスタッフをしてくれています。妻の存在がとても大きいですね。妻がいてくれたからこそ、このラーメン屋をやってこれました。1人だったらできませんでした。
―ろう者がやっているラーメン屋は他にもありますか?
以前、『麺屋 義』2号店をやらせてほしい、というろう者は何人か来ました。ですがここへ研修に入ると、挫折してしまうんです。きつい、無理だ、とギブアップしまって……。まあ、ラーメン屋は自分の時間をあまり持てないんですよ。私? お客様においしいラーメンを食べてもらえるためなら!
イタリアから支店の申し出もありましたが、新型コロナウイルスが流行してしまい、延期となりました。イタリアならではのラーメン、イタリア人が好むようなラーメンも作ってみたかったですね。
―5年後の自分は、どうなっていると思いますか?
さて、私がいるかどうかもわからないですね。実は体調が良くないときが増えてきて……。もちろん体調管理はしているのですが、血圧がどうしても高いんですよ。ラーメン屋は50代で亡くなる方が多いんです。以前は不思議に思っていましたが、実際に自分がやってみて、なんとなく納得しました。これまではお店の運営、お金のことを優先してきましたが、今は自分の身体を優先的に考えたいですね。だから、今後のことは見えない。今を大切にしていきたいです。5年後ね……うーん。
あっ、2025年に東京でデフリンピックが開催されますね。そのときに外国人が多くやってくるでしょう。いろんな国のひとにラーメンを食べてもらいたいです。
―好きなたべものは何ですか?
貝類。だからここのメニューに牡蠣ラーメンを入れているんです。ステーキ、お寿司が大好きです。嫌いなものはありません。
―最近幸せだと思ったことは何ですか?
二つあります。ええと、母がですね、昔は手話を否定していたんです。このラーメン屋を開くことも反対していました。母とはよくケンカをしていました。試食会では「あら、おいしいね。でもお店は無理。やめなさい。あきらめなさい」と言われて。でも反対を押し切って開店しました。
そんな母でも、ときどきラーメン屋を手伝ってくれました。開店したばかりのころはとても助けられました
ある日、親子でいらしてくれたお客様がいて、こどもがろう者。その親子は手話で会話をしていました。その様子を見た母は目を丸くして、「今は手話を使うのね。そうかあ……。私も覚えなきゃだね」と言ったんです。びっくりして、嬉しくて、感激しました。
デフファミリー育ちの妻は主に手話で会話するので、その妻とも手話で話したい、という気持ちも以前からあったようです。
ラーメンを通して手話を覚えてくれたお客様も何人かいて、お客様から「おいしい」と手話で言われたとき、「ああ、嬉しいな……」と幸せになります。
動画インタビュー(手話)
Information
「麺屋 義」の最新情報
毛塚和義さんが営む「麺屋 義」の最新情報は、下記のウェブサイト・SNSからご覧ください。
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