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澤田利江さん【NPO法人代表】 働くろう者を訪ねて|齋藤陽道 vol.06

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手話を大切なことばとして生きる「ろう者」はどんな仕事をしているのでしょうか。

連載「働くろう者を訪ねて」では、写真家であり、ろう者である齋藤陽道が、さまざまな人と出会いながらポートレート撮影とインタビューを重ねていきます。

最終的な目的は、働くろう者たちの肖像を1冊の本にすること。その人の存在感を伝える1枚の写真の力を信じて、「21世紀、こうして働くろう者がいた」という肖像を残していきます。(連載全体のステートメントはこちらのページから)

第6回は、鹿児島県でNPO法人の代表として働く、澤田利江さんを訪ねました。

澤田利江さん【NPO法人代表】

【画像】しせつのなかにたつさわだとしえさん

―お名前、年齢、ご職業は?

澤田利江です。もうすぐ53歳になります。あっという間ですね。〈特定非営利活動法人NPOデフNetworkかごしま〉代表です。〈放課後等デイサービス デフキッズ〉の施設長、日本手話講師もしています。オンラインや対面で手話指導をしたり、国立障害者リハビリテーションセンター学院手話通訳学科の非常勤講師としても手話指導をしています。

―出身地はどこですか。

鹿児島県です。2歳のときに耳が聞こえなくなりました。

―今まで通っていた学校はどこですか。

鹿児島県立鹿児島ろう学校の幼稚部に少し通っていました。そこではインテグレーション(※注1)推奨をしていました。私も試しに一般の幼稚園へ行ってみたら、大丈夫そうだったのでそのまま、ずっと一般の学校に通っていました。

家族はみんなろう者で、日常会話は手話です。なので私はろう者の世界と聴者の世界を行ったり来たりする毎日でした。高校を卒業したあとは長崎県の短大に通っていました。

※注1インテグレーション:障害のある生徒と一般の生徒を分けず、通常学級でともに教育する「統合教育」のこと。

―これまでの職歴・経歴は?

短大を出たあとは生命保険会社に8年間勤めていました。そこでは資格をとったり、仕事や出世に意欲的な女性が多く、私にはできないと思いました。当時はバブル期で給与が良く、楽しく稼ぎ、遊ぶことができました。ただ、28歳になったとき、このままでいいのだろうかと疑問に思って退職しました。

1年間だけは自由にやりたいと決めて、まずは1ヶ月間、アメリカやヨーロッパへ行きました。帰国した後は、自費出版で詩集を作りました。詩、ポエムを書くのが好きなんです。見かけによらないでしょう? その詩集がNHKの「聴覚障害者のみなさんへ」という番組に取り上げられました。

―2004年まで放送されていた番組ですね。

そのときに出会ったインタビュアーが、日本ろう者劇団代表・米内山明宏さんと俳優・井崎哲也さんだったんです。ろう者の世界では有名人ですよね。そのとき米内山さんに「デフファミリー(※注2)なのに手話ができない?! そうか、まあ、そういうのもいいかもしれない。これからろう者の世界のことを知っていくと面白いよ。今まで聴者中心の社会で生きてきたということも力になる」と言われたんです。

当時の私は、手話の読み取りはできるんですけど手話表現があまり上手くありませんでした。親もろう者なので日常会話では簡単な手話を使っていましたが、親としては「手話より口話(※注3)を磨いてほしい、広い世界を知ってほしい」という考え方があって。私はずっと口話を頑張っていました。

米内山さんからの言葉きっかけに、手話を改めて覚えていこう、ろう者ともっと向き合おうと決めました。親は「せっかく口話を取得したのに」と残念がっていましたが私の心はぶれませんでした。

※2デフファミリー:全員がろう者であったり、聴覚障害のある家族のこと。

※3口話:話し手の口の動きや表情から内容を読み取り、口の形と音声を使って答える技術。

―それから澤田さんのろう者としての活動が本格的にはじまったんですね。

東京のろう者たちと交流するようになってから、ろう者のアイデンティティを知る機会が増えました。同時に鹿児島のろう者は視野が狭くなりがちなことに気づき、それはなぜだろう、と考え始めました。

東京には全国から人が集まり、お互いを高めあえる環境がある。一方、鹿児島では同じようなメンバーで長年過ごし、できないことや疑問に思ったことがあっても「それは当たり前だ、仕方がない、先輩と同じようにやったほうがいい」といったふうに簡単に諦めてしまう面があります。鹿児島ろう学校からは大学進学者もほとんどいません。根本的なところから違うのかと気づきました。

それならば、さまざまな業界で活躍しているろう者がいるということを鹿児島県内のろう者へ情報提供していけば、自分たちが持つ可能性に気づき「やれるかも、やってみよう、やろう」というような新しい流れが生まれるのではないか、と考えました。

―具体的にはどんな活動をされたんですか?

当時のNHK教育テレビに出演したあと、4年間ライターをしていました。たまたま地元のフリーペーパーでライターを募集していたのを見つけたんです。面接で「障害者に関する情報提供が必要だ、書かせてほしい。私はろう者。だからこその視点がある。障害者関連を調べるのは得意」という志望動機と自己アピールをしっかりと伝えたら採用され、いろんな施設や活躍されている方を取材することができました。そのときのご縁が今も続いています。今の活動の元にもなっています。あの4年間は貴重なものでした。

フリーペーパー誌には月2本書き、それとは別にろう者の幼馴染たちと協力して、自費出版でろう者向けの情報機関誌を発行していました。当時(1998年頃)はインターネットがまだ普及してなかったので、情報機関誌は好評でした。年6回発行で、会費は3,000円。インターネットが普及しはじめたタイミングで止めました。

機関誌を止めた理由はもう一つあります。ろう学校の子どもたちの教育ことが気になって、なにかできないかと考え、塾をはじめました。私は短大で体育教諭免許を取得しているのですが、ろう学校小学部の教育実習先で、口語教育主義の先生が手話について言い争っているのを見たり、授業でも基本的に「出来ないことはだめ」としたりする方針に違和感を抱いて。ろう学校の先生にはなりませんでした。

でも、塾ならひとりひとりの個性に合わせ、彼ら彼女らのいいところを伸ばしていく手助けができる。すぐにろう児を対象とした塾を立ちあげました。今の〈放課後等デイサービス デフキッズ〉の始まりです。

聴覚障害のほかにも障害のある、ろう重複児も歓迎しました。「塾に行き始めたら明るくなった」「顔つきが変わってきた、勉強に対する姿勢も良くなってきた」と好評価もいただけて、少しずつ生徒が増えてきました。子どもたちがろうの先生と手話で勉強をするということは素晴らしい効果があります。おしゃべりするということも大事。授業時間50分のうち30分はおしゃべりというときもあります。たくさん手話でおしゃべりしたあとはすっきりして、勉強にも集中できるというメリットがあります。塾では、さまざまなところで活躍されているろう者をゲストに呼んで、講演やワークショップを開催したり、手話講習会も開いています。

―〈特定非営利活動法人NPOデフNetworkかごしま〉を立ち上げたきっかけは?

塾を続けていくとまた新しい課題が出てきました。重複障害をもつろう児の就職先です。手話でコミュニケーションできる環境なら働けるのにと悩んでいたところ、知的障害福祉に関わる法人の代表と話す機会があって、「君が立ち上げたら良いんじゃないか」と言われました。ハッとなりましたね。どうやって? 私個人では難しいのでは? と聞いてみたら「当社会福祉法人は当事者の親たちが手を取り合って立ち上げたもの。やり方や助成金などについては鹿児島市に相談すればいい。志があるのなら必ず協力者は現れる」とアドバイスいただいて。目からウロコでした。障害児学童保育に対する補助金という制度があるのは知っていましたが、聴覚障害児にも当てはまるとは思わなかったんです。

そうして2005年に〈特定非営利活動法人NPOデフNetworkかごしま〉を立ち上げることができました。今年で16年目になります。今は3つの事業を展開しています。どれもろう者、ろう重複者が利用しています。

就労継続支援B型事業〈ぶどうの木〉ではミシン縫製、手芸品制作、販売をしています。放課後等デイサービス〈デフキッズ〉では学校や家庭の他、第三の場所としてろう児が自分らしく学べる場を展開しています。就労継続支援B型事業〈薩摩わっふる〉ではベルギースタイルのワッフル生産、販売をしています。

ろう児たちにとって〈デフキッズ〉はとても大切な場所だと思っています。当NPO法人に関わる人のなかには、さまざまなタイプの成人ろう者がいます。それをろう児が見て、自分の可能性を感じ取り、成長していけるような環境をもっと意識してつくっていきたいです。スタッフにもそのことを意識しておくように、常に呼びかけたり共有しています。

―5年後の自分は、どうなっていると思いますか?

まずは2年後までにろう者だけのグループホームを作りたい。早急に必要とされる利用者さんがいるんです。あとは、自分は……楽しく生きていたらいいなあ。

鹿児島県民にもっともっとろう者、手話のことを知ってもらいたいです。〈デフキッズ〉の活動を地域の人達にも見てもらって、ろう者や手話の存在を周知させていく。〈薩摩わっふる〉でオープンな店作りを心がけて、ろう者、ろう重複者の就労様子を公開していく。ろう者が接客することによって、ろう者はああやってコミュニケーションするんだ、とお客様に体感してもらう。

今のところ、16年前と比べての認知度は、まだ20%ぐらいかな。手話言語条例ができましたが、ろう者と手話の存在はまだまだ社会に知られていません。そのために私はもっと戦っていかなければならない。戦い、って物騒かもだけど、前のめりな姿勢でやっていかねばなりません。

―好きなたべものは何ですか?

広島風お好み焼き! 前は関西風が好きでしたが、最近は小麦粉たっぷり使われているのが重たくなって……。フランス料理も好きです。特に魚料理。

―最近幸せだと思ったことは何ですか?

ろう児や利用者さんが笑っているところを見たとき。スタッフの生き生きとした姿も、やっぱり嬉しいです。うちへ来るまでは聴者だけの社会で、受け身な姿勢の人が多くて。

ここはなんでも自分たちで決めていく。自分たちで仕事を見つける。つくる。主体性が高くなっていくスタッフを見て、子どもたちも成長する。その成長を見て、スタッフもますます成長していくんです。その様子を見られたときが幸せ。

インタビュー動画(手話)

インタビューの様子や、日常の様子をまとめたこの映像には、音声も字幕もテロップもありません。写真だけではどうしてもわからない、その人の手話の使い方に滲みでてくることばの特徴を感じてもらうためです。
たとえ手話がわからなくても、そのリズムに目をゆだねてみてください。じわりと浸透する何かが、きっとあります。「こういうふうに話す人なんだなあ」と知ってもらった上で、写真を見てもらうと、見え方がまた変わります。

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連載:働くろう者を訪ねて|齋藤陽道