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春日晴樹さん【自由人】 働くろう者を訪ねて|齋藤陽道 vol.20

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手話を大切なことばとして生きる「ろう者」はどんな仕事をしているのでしょうか。

連載「働くろう者を訪ねて」では、写真家であり、ろう者である齋藤陽道が、さまざまな人と出会いながらポートレート撮影とインタビューを重ねていきます。

最終的な目的は、働くろう者たちの肖像を1冊の本にすること。その人の存在感を伝える1枚の写真の力を信じて、「21世紀、こうして働くろう者がいた」という肖像を残していきます。(連載全体のステートメントはこちらのページから)

第20回は北海道上川郡美瑛町で「自由人」としてさまざまな仕事や働き方をしている、春日晴樹(かすがはるき)さんを訪ねました。

春日晴樹さん【自由人】

【画像】 雪の中に膝までうまってこちらを向く春日さん

―お名前、年齢、ご職業は?

春日晴樹と申します!40歳。自由人です。いーっぱいいろんな仕事をしているんです。メインは民泊経営。あとはクワガタムシ飼育・販売。執筆、講演、専門学校講師もしています。近々お弁当屋さんも開きたいと思っています。

 

―出身地はどこですか。

東京に生まれ、20年間住んでいました。沖縄に移住して4年暮らして、富山に1年。今はここ、北海道の美瑛町に5年間住んでいます。

 

―今まで通っていた学校はどこですか。

幼いころは東京都立大塚ろう学校に通って、地元の学校に行って、高校からは東京都立石神井ろう学校(※)に。石神井ろう学校には専攻科も含めて5年間通っていました。

※東京都立石神井ろう学校は2007年3月31日に閉校し、現在は普通科・専攻科それぞれが都立の他のろう学校に統合されている。
参考:東京都教育委員会「ろう学校の中高一貫型教育校の設置(案)」(2004年7月14日)

 

―こどものときの夢は何でしたか。

プロサッカー選手! 小さいころからとてもサッカーが好きだったんです。でも20歳でその夢をあきらめて……夢も目的もなく、日本中や世界を放浪していました。いろんな人に出会っていったら、民泊をやりたいという夢ができたんです。今となっては民泊を始めてよかったと思っています。いろんな国のひとがやってくるのが嬉しい。「お・も・て・な・し」の心でみんなを出迎えています。

 

―これまでの職歴は?

最初の仕事は会社員で、総務職でした。合わなかった……というか、やはりいろんな世界を経験したい、という気持ちのほうが強かったです。

最初の会社を辞めたあとはいろんな業界を渡り歩いてみました。介護福祉士、りんご収穫、焼肉屋でキッチン担当、出版社で校正・文字入力、ダイビングインストラクター、宇宙航空研究開発機構JAXA広報部。トラック運転手もしていました。

 

―なぜ多くの職に?

障害のある子どもたちに道を作ってあげたかったというのが一番大きな理由です。「無理なんじゃないかな、できないんじゃないかな」という概念を壊し、あちこちどんどん切り開いていきたかった。

「JAXAに入るには大学を出なきゃいけない?」とよく聞かれますが、そんなことはありません。実際にわたしは大学を出ていません。最終学歴がろう学校専攻科でも、努力すればいろんな仕事に就くことができるんです。

でも資格が必要になる職もありますね。わたしは27種類の資格を持っています。一番大変だったのはね、簿記でした。はっははは。簿記は4級しか持ってないんですけど、他の資格は頑張ったらなんとか取れました。国家資格は3種類持っています。介護福祉士、潜水士、電気工事士。

民泊をやりたかったので、物件を管理・運営するのに必要そうな資格はあれやこれと取りました。太陽光発電アドバイザー、食品衛生責任者、住宅建築コーディネーターの資格も。あとはメンタルケア心理士、レクリエーションインストラクター、赤十字救急法救急員、家事セラピストなどなど。

美瑛町には美味しい野菜、肉、米がそろっているのでタコライス屋をやりたいんですよ。このあたりには沖縄料理店がなく、あったらいいなと思ったのがきっかけ。2024年開店を目指しています。

 

―個人的に気になっているのですが、クワガタムシの飼育・販売を始めたきっかけは?

小さいころからクワガタムシが大好きで大好きで! 獲っているうちにどうやって上手く育てられるんだろう、と調べまくっていたらかなり難しいということがわかり、そこからのめり込んでしまいました。いろんな種類のクワガタの飼育を重ねた後、一番人気があり、難易度も高いオオクワガタの飼育にもチャレンジしました。大きく育てるコツをつかめたのは飼育を始めてから4年目。国内の最高クラスに入るサイズに育てられたとき、その血統を譲渡してみたんです。思っていた以上の人気があり、びっくり。まあ、そんなわけで、気づいていたらクワガタムシのブリーダーになっていました。これまでの最大サイズは90.5mm。飼育歴20年でもなかなかできないサイズらしいんです。

 

―書籍『はるの空』を刊行されていますね。そのきっかけは?

あちこちで講演をしていたら、書籍化したらいいんじゃないかという声を多くいただいたのがきっかけです。試しに一章分だけ書いてみて、複数の出版社に送ってみました。4社から良い返事をいただけたので、相性が良さそうな出版社を選び、そこから書籍化へ向けて本格的に執筆開始しました。現在、2冊目に向けて執筆しています。

 

―どのような講演、講師活動をされていますか?

20歳から各地で講演をしていて、200回は超えました。主に、ろう者の世界をわかりやすく伝えています。

沖縄に4年間住んでいたときの縁で、今でも1年のうち1ヶ月間は沖縄にいて、沖縄リハビリテーション福祉学院で手話講師をやっています。他国から学びにきた生徒も多くいます。

 

―5年後の自分は、どうなっていると思いますか?

今やっていることを続けていきたいですね。過去やった仕事で一番長くて4年だったので、まずは民泊を5年以上やっていきたいなと思っています。

 

―好きなたべものは何ですか?

やっぱりラーメン! 北海道にはおいしいラーメンがいっぱいあるんですよ。東京にいたときは醤油ラーメンが一番好きだったんですが、今は味噌ラーメンが好きです。札幌でのおすすめラーメン屋は「すみれ」「らーめん てつや」「けやき」。

 

―最近幸せだと思ったことは何ですか?

実は去年、妻が妊娠中に病気になって、ほぼ8ヶ月間、妻の故郷である富山県の病院に入院していたんです。その間は長男と二人で暮らしていました。母子共に無事に北海道へ帰ってきてくれて、今は家族4人で過ごせています。その時間がとても幸せです。家族の時間っていいな、家族のためにがんばろう、と改めて思いました。

動画インタビュー(手話)

インタビューの様子や、日常の様子をまとめたこの映像には、音声も字幕もテロップもありません。写真だけではどうしてもわからない、その人の手話の使い方に滲みでてくることばの特徴を感じてもらうためです。
たとえ手話がわからなくても、そのリズムに目をゆだねてみてください。じわりと浸透する何かが、きっとあります。「こういうふうに話す人なんだなあ」と知ってもらった上で、写真を見てもらうと、見え方がまた変わります。

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