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【写真】ぱんこうぼうにたっているひがしそのこさん【写真】ぱんこうぼうにたっているひがしそのこさん

東 園子さん【パン職人】 働くろう者を訪ねて|齋藤陽道 vol.04

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手話を第一言語とする「ろう者」はどんな仕事をしているのでしょうか。

連載「働くろう者を訪ねて」では、写真家であり、ろう者である齋藤陽道が、さまざまな人と出会いながらポートレート撮影とインタビューを重ねていきます。

最終的な目的は、働くろう者たちの肖像を1冊の本にすること。その人の存在感を伝える1枚の写真の力を信じて、「21世紀、こうして働くろう者がいた」という肖像を残していきます。(連載全体のステートメントはこちらのページから)

第4回は、熊本県でパン職人として働く、「まどパン」の東 園子さんを訪ねました。

東 園子さん【パン職人】

【写真】ぱんこうぼうにたっているひがしそのこさん

―お名前、年齢、ご職業は?

東園子です。44歳。パン屋をやっています。こねて、焼いて。販売もしています。「まどパン」を開店して今年で12年目になります。本店も含めて熊本市内に店舗が3店、雑貨屋も1店、合わせて4店あります。それぞれに店長がいて、私がすべての店舗へ毎日出向かなくても運営できるようになっています。

―パンのレシピはどのようにつくっているんですか?

私が決めて、それを各店舗に伝えています。開店当初のレシピをベースにして、お客様やスタッフからの意見も取り入れています。

小麦粉は世界で1万以上の種類があって、その中から自分の好みに合う粉を選んできました。問屋の営業さんがいろんな粉を持ってきてくれます。それを使って試作し続け、「これだ!」と いう粉を見つけ、今のレシピになりました。自分が納得できる、いいパンができるまでは11年かかりました。

―経営や広報もご自身で?

いいえ、今は姉がやってくれています。本店を建てたときや、店舗を増やすときも建設会社をやっている姉夫婦が力になってくれました。姉と私、得意分野が全く違うので、お互い得意なことをやっているというかんじですね。

―出身地はどこですか。

熊本県玉名市で生まれました。家族構成は父、母、姉、兄、私の五人家族です。私だけがろう者です。今は結婚して、夫と、子ども2人がいます。

―今まで通っていた学校はどこですか。

幼稚部は熊本ろう学校へ通っていました。母が車で1時間かけて毎日連れて行ってくれました。当時の熊本ろう学校幼稚部は指文字だけを使っていました。母、姉も指文字を覚えました。その学校では、まず指文字を覚えたほうがいい、手話はあとで覚えたらいい、という考えがあったようです。

母も父も仕事があり、姉や兄のことを見る時間も大切だと考えて、小学校からは姉、兄と一緒に地元の学校へ通いました。短期大学の家政科にも行きました。そこでは調理、栄養学、簿記の中から自分が好きなのを選べました。

実は、どこでもよかったんですよ。どこにしようかな、って。短期大学か大学に行ってみたい、という憧れが少しあって、入れたのがそこだったんです。

―学校内での情報保障はどうなっていましたか。

不便でしたね。でもそういうのは当たり前だと思っていました。当時は情報保障っていう考え方がなくて、高校までは教科書だけが頼りでした。短期大学では教科書、参考書が本当に分厚くて、あまり身が入らなかった。高校、短大のときに自分の限界を感じていました。

―どんな子ども時代でしたか。

小学生、中学生のときはケーキづくりが趣味だったんです。もう楽しくて楽しくて。図書館にはケーキ、料理の本がたくさんあるので母と一緒に毎日行って借りて、いろいろつくっていました。

高校生になると、まわりの聞こえる人たちの進路、仕事が気になってきました。みんなにはなれる仕事がいっぱいある。私にできる仕事はない。テレビを見てもろう者の仕事に関する情報があまりなく、見本になるようなひともいない。20~30年前ぐらいの話ですね。

―短期大学卒業後の経歴を教えてください。

短期大学を卒業した後は、銀行に就職しました。休日はパンをつくっていました。母は「毎日ケーキだときついけど、パンならいいよ」と食べるのを協力してくれました。パンだと必要な道具があまりないんですよね。包丁とオーブンひとつあればできる。

でも最初は失敗ばかりでした。パンの基本的な作り方は3種類しかない。「シンプルなはずなのにどうして失敗するんだろう」と面白くなり、夢中になっていきました。それ以来、時間があればいつもパンをつくっていました。

銀行勤務が4年目になったとき、「なりたい自分ってなんだろう」と考えるようになりました。銀行で働くのも楽しかったんだけど、カフェやケーキ屋に行くと「すてきなケーキをつくっているんだな」、本を開いたら「おしゃれなお店があるんだな」とわくわくした気持ちがあふれてきて、おさえきれなくて、今までの貯金を全部使ってもいい、と思い切って東京の製菓専門学校・エコール キュリネール国立へ入りました。

製菓専門学校で1年間学んだ後は、先生から薦められた新横浜にあるホテルのレストランで働きました。先生からは「まずは皿洗いから始まる、そこで信用をもらえたら次へ行ける。頑張って」と言われました。

皿洗いって、本当に一番難しい仕事なんです。大きく豪華で、高価なお皿やグラスばかりだったので、洗うのに神経を使いました。1枚も割らずに完璧に洗っていくということで職場での信用を得ることが出来ます。

1年間続いた皿洗いの次は洗濯、野菜を運ぶなどをしていました。私は一番下っ端だったのでいろいろと大変で、きつかったです。

2年間レストランで働きました。26歳のとき、「このままこの仕事を続けていくとどうなる。40歳、50歳、60歳になってもできる仕事とは何か」という疑問が出てきました。レストランではチームワークが必要。作業分担して仕上げるのが当たり前。調理も盛り付けも、声で合図をして他の人がソースをかけたりとか。お客様は一度に2組ぐらい。そういうレストランなんだけど、私には合わなかった。悩んで悩んで、悩み続けたら、自分の理想が見えてきたんです。お客様がたくさんきてくれるようなお店を持ちたい、と。

姉に相談したら「熊本に帰っておいで。サポートするよ」と言われ、悩んだけれど熊本に帰りました。

―なぜパン屋を?

姉に「パン屋でもいいんじゃない?」と言われたとき、パアッとビジョンが浮かんだんです。自分で焼いたパンがお店にたくさん並んでいる。お客様もたくさん来てくれている。

―5年後の自分は、どうなっていると思いますか?

前は考えてみたりしていたんですけど、結局いろいろと変化して、思ってもみないこともあったので。ともかく今が大事です。新型コロナウイルスのことだって、みんな予想できなかった。コロナ禍になって、外出自粛で来てくださるお客様も減ってきてしまって、売上も下がってしまいました。でもとにかく、今は美味しいパンを作り続ける。それが一番大事です。作り続けていたら、お客様も戻ってきます。

5年後は状況が変わってくるでしょう。自分も変わり、それに合わせていこうと思っています。

―好きなたべものは何ですか?

……ない。ハマったものはない。好き嫌いなくなんでも食べます。うーん、パンは毎日食べているから、パンが好き! というわけでもない。別枠です。

でも身体には気を使っています。毎日決まっているパターンがあって、朝4時起き、バナナをパクっと、水を大量に飲んで、職場へ向かいます。一番大好きなコーヒーを飲みながらパンの仕込みをします。

昼ごはんはもやしだけ。もやし。大容量パックのがあるでしょ、それを袋のままレンジで温めるだけ。オリーブオイルをかけて食べます。毎日毎日変化なく、それだけです。

夜はもちろん普通のごはん。子どもと一緒に食べるのでいろいろと考えて用意しています。

―最近幸せだと思ったことは何ですか?

子ども、かな。うちでは、子どもたちが赤ちゃんの頃から保育園へ預けっぱなしで、私はパン屋に一生懸命でした。土曜日曜も仕事。子どもたちは不安に思っていたかもしれません。私は辛かったです。休日はお店を休んで、子どもたちと一緒にいたいという理想もあって、この12年間はずっとその葛藤で大変でした。くたくたのまま帰宅して、すぐ横になって休んでしまうんです。家では寝てばかりですね。子どもたちの勉強を見ることも出来ず、初めて自転車に乗れた瞬間も見られませんでした。部活で大会があっても、応援には行けませんでした。でもその覚悟を持ってパン屋を開いて、やってきました。

子どもたちは今、中学1年と中学3年です。その子達がこないだ、母の日に手紙を書いてくれたんです。初めてのことだったのでびっくりしました。緊張しながら手紙を開いてみると、「お母さんとお父さんのようにお仕事を頑張っている大人になりたいです。ぼくたちも頑張るので、身体だけは気をつけてください」と書いてあって。

自分がやっていることは間違っているのか、と悩むこともあったんですが、子どもたちはちゃんと見てくれていたんだと胸がふぁーっといっぱいになりました。

インタビュー動画(手話)

インタビューの様子や、日常の様子をまとめたこの映像には、音声も字幕もテロップもありません。写真だけではどうしてもわからない、その人の手話の使い方に滲みでてくることばの特徴を感じてもらうためです。
たとえ手話がわからなくても、そのリズムに目をゆだねてみてください。じわりと浸透する何かが、きっとあります。「こういうふうに話す人なんだなあ」と知ってもらった上で、写真を見てもらうと、見え方がまた変わります。

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連載:働くろう者を訪ねて|齋藤陽道