福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【画像】アトリエでご自身の作品の前に立つ乘富秀人さん【画像】アトリエでご自身の作品の前に立つ乘富秀人さん

乘富秀人さん【画家】 働くろう者を訪ねて|齋藤陽道 vol.14

  1. トップ
  2. 働くろう者を訪ねて|齋藤陽道
  3. 乘富秀人さん【画家】

手話を大切なことばとして生きる「ろう者」はどんな仕事をしているのでしょうか。

連載「働くろう者を訪ねて」では、写真家であり、ろう者である齋藤陽道が、さまざまな人と出会いながらポートレート撮影とインタビューを重ねていきます。

最終的な目的は、働くろう者たちの肖像を1冊の本にすること。その人の存在感を伝える1枚の写真の力を信じて、「21世紀、こうして働くろう者がいた」という肖像を残していきます。(連載全体のステートメントはこちらのページから)

第14回は熊本県熊本市で画家として働く、乘富秀人(のりとみひでと)さんを訪ねました。

乘富秀人さん【画家】

【画像】アトリエでご自身の作品の前に立つ乘富秀人さん

―お名前、年齢、ご職業は?

乘富秀人、52歳。画家です。前は風景、人物画も描いていましたが今は「デフアート」だけを描いています。ろう者の誇りである手話、ろう文化、アイデンティティ、世界観などをアピールして広める目的を込めたアート作品を指します。

―出身地はどこですか。

東京。結婚後、風景画をもっと描きたいと思ったので北海道へ移り住みましたが、今は熊本に住んでいます。私たちの両親が皆、九州出身だということと、熊本ろう学校が手話を推奨していたので(※注)、ろうである息子のために熊本へ引っ越ししてきました。

※注:日本のろう学校においては、口の形で言葉を読み取り、口の形をまねることで言葉を発する「口話教育」の妨げになるとして、数十年間に渡り、ろう者の母語である日本手話の使用が禁止されてきた歴史がある。1990年代からろう者による働きかけにより、教育現場での手話導入も少しずつ推進されてきたが、地域・学校ごとに対応が異なり、現在も全てのろう学校で日本手話が導入されているわけではない。

―今まで通っていた学校はどこですか。

2歳のときにろうだということがわかり、3歳から東京都立杉並ろう学校へ入りました。小学6年生で東京都立大塚ろう学校へ転校。そして東京都立石神井ろう学校の高等部、専攻科に5年間通いました。専攻科ではデザイン科でした。

―こどものときの夢は何でしたか。

たくさんありましたね。小学生のときはF1ドライバー。スポーツ新聞記者。オリンピック選手。一番関心があったのはプロレスラー。

当時の私は病弱で、病院に半月間入院したり、通学したり、その繰り返しでした。精神的にも弱っていたんですが、テレビでやっていたプロレスに元気づけられました。筋トレをしたり、プロレス関連の雑誌もたくさん読んで、夢中になっていました。最初は雑誌の内容が読めなかったのですが、知りたいという好奇心のおかげで読解力が上がりました。

中学3年生になり、三者面談で「新日本プロレスに入りたい、高校は行かない」とはりきって伝えたら「高校や大学を卒業してから新日本プロレスに入った素晴らしい選手もたくさんいるよ」と担任に言われました。なるほど、と思って進学を決めました。今思うとうまく乗せられちゃったな。高校1年生で初代タイガーマスクが所属していたジムに入り、プロレスのトレーニングをしていました。

でもコミュニケーションの問題もあって、1年でやめました。しかし高校2年生からは野球部に入りました。中学3年間、野球をやっていたので再び入る形で。高校3年生にあがると主将に選ばれ、多くの試合の中から学ぶことがたくさんありました。手話で話す仲間がいるということは、どれだけ幸せなことか。改めてそう思いましたね。それでも、自分の人生に無駄だったということはありません。挑戦してみて、経験してみてよかったことばかりでした。今の私につながっています。

―これまでの職歴、経歴は?

画家になる前は、スポーツ店でゴルフクラブ修理を担当したり、オフィス・パッケージ・チラシなど、あらゆるデザインを手掛ける会社で働いていました。

―画家を目指したきっかけは?

義父の油絵です。妻がまだ恋人だったときに、義父の展示を見に行きました。義父の作品を観て、そこで初めて油絵の世界の魅力を知りました。また、妻がASL(アメリカ手話)と現地のろう教育を学ぶために、1年間ぐらいアメリカ留学したんです。ぴょんと飛んでいき、長年文通をしていたろうの友人に会い、ホームステイしたそうです。それに刺激され、「すごいな、私も何かをやらねば」と。でも野球・プロレス以外で好きなことは何もなくて……。

それでふと、義父の油絵を思い出して。「そういえば私も絵が好きだったな、東京都全小学生を対象した絵画コンテストで賞をもらったな」と、筆をとったんです。最初はびっくりするぐらい下手。もう本当に、下手で。ははは。でも生来の負けず嫌いな性格も手伝って、絵画教室へ1年間通い、油絵などを学びました。通って半年ぐらいで、講師から「センスがある。本格的にやってみるのでしたらフランスのパリに行かれてみてはどうでしょうか」と薦められて、アメリカ留学から戻った妻と入れ替わるように1年間、フランスにアート留学をしました。26歳でした。

―フランスでの印象深い出来事は?

フランス人は議論が好きで、カフェなどでいつも盛り上がっています。それは聴者だけだと思っていたのですが、ろう者同士、手話同士での議論も盛んでした。フランス手話をもっと覚えたかったので積極的に参加しました。

そこでろう者としてのアイデンティティについて、多くの質問を投げかけられたんです。「ろう学校で手話を禁止されていたのはなぜだと思う」「日本での最初のろう学校はどこか」「その日本手話の由来は何か」などなど。これまで深く考えたことがなかったので答えにつまってしまいました。この留学は油絵、アートの世界を広げるだけではなく、自分の中にある「ろう」を見つめ直す機会となりました。

帰国後も手話言語やろう文化、ろう者としてのアイデンティティについてもっと知りたいと思いました。そのために、まずは「ろう歴史」を知ることから始めようと、あらゆるろう関連書を読みあさりました。

―「デフアート」を本格的に始めたきっかけは?

息子が生まれて、この子もろう者だと知ったときは喜びもありましたが、私のようにろう者としての葛藤や悩みを持って生きていくのか……と胸が痛くなりました。口話推奨のろう学校には行かせたくありませんでした。息子が生まれたことによって風景などからデフアートに転身し、ろう者や手話の存在をもっともっと周知して、息子や多くのろう児たちが生きやすい世界を作っていこうと心に決めました。迷いはありませんでした。

オリジナルの「デフアート」をつかむまで、しばらくは試行錯誤していました。今年で18年目になります。画家としては22年目以上ですね。

―どのように作品を販売されていますか?

全国各地で個展を開き、販売しています。個展を見たひとから注文をもらって描くこともあります。出会ったひとに名刺を渡し、自己アピールすることも欠かせません。私ひとりでいろいろやっています。

今はFacebookやホームページで積極的に作品を発表しています。おかげで購入のお問い合わせもいただいています。

―作品に紺色と白をメインで使われるのが特徴的ですよね。どんな意味があるのですか?

紺には、苦しみなどのネガティブな要素が込められています。幼少時代の、暴力を伴う厳しい口話訓練の苦しみ。聴者に囲まれた、救いようがない日々。

小学5年生のとき、自分は20歳で死ぬのだと思っていました。大人のろう者を見たことがなかったから。当時は手話禁止でしたから、ろう学校の卒業生は校内に入らせないようにして、在校生には手話を話せないようにしていたんです。そういった当時の絶望感も入っています。

でも……実は、紺には、ネガティブな要素だけじゃないんです。紺は白と混ざると青になる。それが空の色。どんな国にいても、この空はつながっている。どの国にもろう者はいる。1人じゃない、がんばろう、という気持ちを込めています。そして私たちが立っている大地と、宇宙や海との境目は青、紺色ですよね。宇宙と海中では音声が伝わらない。手話だと通じあえる。そういう意味ではろう者も聴者も皆、手話を通して対等になれる。平等になれる。

白はろう者としての誇りを象徴しています。活動的な雲、波しぶきの色でもある。特に、手の部分には白を入れています。手話は立派な言語であり、ろう者の誇り。ずっとこの2色だけで描いています。他の色は考えられません。今はね。いつか、何か、変化がやってくるかも。

―5年後の自分は、どうなっていると思いますか?

5年後になっても相変わらずデフアートを描き続けていると思います。レバノン出身の詩人、カリール・ジブランの名言に『あなたは弓であり、子どもたちはそこから未来に向かって放たれる生きた矢である』があります。この名言のようにデフアート活動を通して、未来あるろう児たちを希望の入り口へ連れて行ってあげたいです。そして、そこからは自分たちで力強く羽ばたいていけるように。そのために私はいつまでも『希望の弓』であり続けたいと思っています。

―好きなたべものは何ですか?

北海道の白味噌ラーメン。ちょっと甘くて、こどもにも人気があるんですよ。

―最近幸せだと思ったことは何ですか?

先日、息子が京都の大学に合格したんです。昔から歴史好きで、歴史学科に見事合格。嬉しいですね。夢を追いかけていく息子を見ているときが幸せ。

インタビュー動画(手話)

インタビューの様子や、日常の様子をまとめたこの映像には、音声も字幕もテロップもありません。写真だけではどうしてもわからない、その人の手話の使い方に滲みでてくることばの特徴を感じてもらうためです。
たとえ手話がわからなくても、そのリズムに目をゆだねてみてください。じわりと浸透する何かが、きっとあります。「こういうふうに話す人なんだなあ」と知ってもらった上で、写真を見てもらうと、見え方がまた変わります。

Series

連載:働くろう者を訪ねて|齋藤陽道