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【画像】 オフィスの中で経っ立っている富島さん【画像】 オフィスの中で経っ立っている富島さん

富島薦さん【工務店経営】 働くろう者を訪ねて|齋藤陽道 vol.21

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手話を大切なことばとして生きる「ろう者」はどんな仕事をしているのでしょうか。

連載「働くろう者を訪ねて」では、写真家であり、ろう者である齋藤陽道が、さまざまな人と出会いながらポートレート撮影とインタビューを重ねていきます。

最終的な目的は、働くろう者たちの肖像を1冊の本にすること。その人の存在感を伝える1枚の写真の力を信じて、「21世紀、こうして働くろう者がいた」という肖像を残していきます。(連載全体のステートメントはこちらのページから)

第21回は京都府京都市で工務店を経営している富島 薦(とみしまこもお)さんを訪ねました。

富島薦さん【工務店経営】

【画像】 オフィスの中で経っ立っている富島さん

ーお名前、年齢、ご職業は?

私の名前は富島薦、43歳です。工務店を経営しています。家を建てる、直す、解体する、というのが主な仕事です。

 

―出身地はどこですか。

青森県弘前市で生まれました。弘前市には城があるので、「城」という手話で「弘前」を表します。

 

―今まで通っていた学校はどこですか。

幼いころから小1まで青森県立青森ろう学校へ通い、地元の小学校、中学校に通いました。中学3年生のときにまた青森ろう学校に通い始めました。高校は青森山田高等学校に入りました。改めて思い返すと私ってあっちこっち通っていたんですね。

 

―こどものときの夢は何でしたか。

何もなかったです。親からは「青森市営バスの運転手、警察官、銀行員、公務員になりなさい」ということは言われていましたが、現実味がありませんでしたね。親もろうなんです。だからか、公務員などの安定したイメージがある職業をすすめてきました。でもピンとこなかったですね。

好きなこともよくわからなかったんですよ。スキーや柔道をやってみたいなと思ったことはあっても、お金がないという理由とかで反対されて、ますます自分の好きなことが見つからなくて。反対されて、諦める。その経験が大人になっても響いています。

でも、親も一生懸命だったと思うんです。息子が間違った道へ行かないように、と。まあ、すれ違ってしまっていたんですね。難しい。

 

ーこれまでの職歴は?

初めての仕事は、バイトでラーメン屋の出前担当でした。その次はトヨタ自動車系列会社で工場内の運搬作業。そこを退社したあとは大阪障害者職業能力開発校へ通いました。そして兵庫県神戸市で営業職。主な営業先は美容室で、カラー材やハサミを取り扱っていました。その次は大阪のリフォーム会社で働いていました。その次はトラック運転手。そして今に至ります。

高校を出たあと、どの道がいいのか、どのように生きていけばいいのか、それがまったく見えてこなくて、いろんな職を転々としていました。

 

ー今の会社を立ち上げたきっかけは?

トラックの運転手をやめたときが29歳だったんです。その年齢になると一般企業に就職活動をしても、積極的に雇ってくれるところが少ない。

30歳前の私には何の実績もない。資格も持っていない。

それでも生きていかねばならないという現実を感じて、私がやったことは……まず、勝手に、思い切って、「なんでもやります!」と名乗ったんです。何でも屋になるのかな。専門性がない何でも屋。小さなことも承ります!とまわりにアピールしてみたのが当社の始まりです。運ぶ、直すなど、細かくて小さな依頼も受けたり。そのときもまだ自分の道というものを見出せていなかったんですけど、動き続けました。やってみて、やってみて、だんだん自分のやりたい仕事が見えてきて、それがこの工務店です。今年で15年目になります。

 

ー特に資格がなくても、工務店経営はできるのでしょうか。

はい、できるんです。工務店としての軌道に乗り始めたのは今から10年ぐらい前で、建設業許可は3年前に取得できました。建築業許可は建築業に関する資格を持っているか、実績が8年以上あれば取得することができるんです。資格がない時は本当に小さな仕事をコツコツと、たくさんこなしていました。

最初は私1人だけで、そして妻も社員として加わり、今はもう1人社員がいます。彼は9年間勤めてくれています。

 

ーどのような仕事をされていますか?

当社・ゆうぐん企業株式会社は、お客様から依頼をいただき、その内容に合わせて他の会社に協力を求めます。解体のひと、電気工事のひと、水道のひとなど、信頼できる会社をリストにまとめています。設計も別の会社に協力してもらっています。

私の場合ですが、私自身が何かの資格を取っても、プロの域に達することができないという予感がするんです。ペーパードライバーのような感じになりそう。

私が得意とするのは、ひととひとを繋げること。仕事と仕事を繋げること。ひとの力を借りることです。

 

ー開業15年目だということですが、継続してこれたコツはありますか。

浮き沈みはありましたが、無理のない範囲で運営してきたのがよかったのかもしれません。私1人のときは月10万円か20万円ぐらいの売り上げがあればとりあえず食べていくことができる、という具体的なイメージを持っていました。

 

―5年後の自分は、どうなっていると思いますか?

48歳の私。50歳前になっていますね。どうなっているんだろう。はっきりしていることは、この会社を潰さないでいるということですね。それが一番の目標で、義務だと思っています。あとは、社員が3人増えているといいな。建築関連の技術は特に持っていなくてもいい。この会社で意欲的に働いてくれる仲間を増やしたいです。

 

―好きなたべものは何ですか?

ビール。うん。アサヒスーパードライがいちばん好きです。毎晩飲んでいます。

 

―最近幸せだと思ったことは何ですか?

「本当にいつもありがとうございます」「今日も無事、元気に起きれてよかった」「妻と一緒にごはんを食べれて幸せだな」「1日の最後にビールを飲めて幸せ」
こんなふうにいつも、毎日に幸せを感じています。これからもこの幸せを感じられる男でありたいです。小さな幸せの積み重ねがとても大切です。

気持ちが落ち込んだときは、10年後の自分が隣にいるというイメージをして、「大丈夫、乗り越えられる」と言ってもらっています。

感謝の言葉は日常を過ごしていると忘れがちなので、紙に書いて、職場のあちこちに貼っています。

動画インタビュー(手話)

インタビューの様子や、日常の様子をまとめたこの映像には、音声も字幕もテロップもありません。写真だけではどうしてもわからない、その人の手話の使い方に滲みでてくることばの特徴を感じてもらうためです。
たとえ手話がわからなくても、そのリズムに目をゆだねてみてください。じわりと浸透する何かが、きっとあります。「こういうふうに話す人なんだなあ」と知ってもらった上で、写真を見てもらうと、見え方がまた変わります。

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連載:働くろう者を訪ねて|齋藤陽道