福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【画像】カラフルな遊具のなかに立つ菊永ふみさん【画像】カラフルな遊具のなかに立つ菊永ふみさん

菊永ふみさん【コンテンツクリエイター】 働くろう者を訪ねて|齋藤陽道 vol.13

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手話を第一言語とする「ろう者」はどんな仕事をしているのでしょうか。

連載「働くろう者を訪ねて」では、写真家であり、ろう者である齋藤陽道が、さまざまな人と出会いながらポートレート撮影とインタビューを重ねていきます。

最終的な目的は、働くろう者たちの肖像を1冊の本にすること。その人の存在感を伝える1枚の写真の力を信じて、「21世紀、こうして働くろう者がいた」という肖像を残していきます。(連載全体のステートメントはこちらのページから)

第13回は東京都小金井市でコンテンツクリエイターとして働く、菊永ふみさんを訪ねました。

菊永ふみさん【コンテンツクリエイター】

【画像】カラフルな遊具のなかに立つ菊永ふみさん

―お名前、年齢、ご職業は?

菊永ふみ、36歳。一般社団法人 異言語Lab. 代表理事とコンテンツクリエイターです。謎解きゲームの制作をしています。

―出身地はどこですか。

大分県で生まれました。両親が九州のひとなんです。育ったのは東京都です。

―今まで通っていた学校はどこですか。

一般の小学校へ通って、中高は筑波大学附属聴覚特別支援学校に通っていました。高等部卒業後に1年間ぶらぶらして、文教大学で教育社会学を学んだあとは、東京学芸大学の特別支援教育特別専攻科で1年間学び、聴覚障害児を対象とした福祉型障害児入所施設「金町学園」の指導員になりました。

―こどものときの夢は何でしたか。

小さいころは航空会社の客室乗務員にあこがれていました。中学生のときはろう学校の先生になりたくて、勉強を頑張っていました。

―これまでの職歴、経歴は?

今思うと、川のように流れてきたなあ。教員採用試験の面接に落ちちゃって、さあどうしようと途方に暮れていたら金町学園指導員の話をいただき、よしやろうとすぐに決めて、10年間勤務していました。

―「異言語Lab.」を立ち上げたきっかけは?

たまたまなんです。ええと、最初は金町学園の指導員として、そこで暮らすろう児童たちの寝食などの生活支援をしていました。私生活では体験型エンターテイメントの「謎解きゲーム」や「リアル脱出ゲーム」にハマっていました。

2015年の初夏、とある企業の社員たちと金町学園の児童たちの交流会があって、そのときにみんなが参加できる、手話を取り入れた謎解きゲームをつくり、一緒に遊んでみたんです。それを見た企業の方が気に入って、「うちの企業研修、社内レクリエーションに取り入れたい」と提案してくれました。

それをきっかけに、指導員をやりつつ、ゲームをつくり続けました。企業研修ではろうの大学生や社会人を招き、「異言語脱出ゲーム」を開催することも。そうして、1回のイベントで終わらず、何度もゲームをつくり、開催し、参加者やプロのファシリテーターからブラッシュアップをいただきながら積み重ねていました。そのうち他の企業からも「一緒にやりましょう。手話を取り入れた謎解きゲーム、ぜひつくってください」というはっきりとした依頼が増えていって、報酬もちゃんともらえる仕事になってきて。

しばらくは指導員とコンテンツクリエイターの、二足のわらじを履く生活をしていました。でもある日、異言語Lab.のスタッフに「このままただのゲームで終わらせるつもり?これは絶対に、社会に必要とされるものだ」と言われて。「わたし1人だけでは出来ない、みんなも一緒にやってくれるなら」と言ったらその場に居た3人のメンバーがうなずいてくれて、そこから今の異言語Lab.の本格的な活動がはじまりました。

商標登録は一応してありましたが、最初はこれを本業にしていくつもりはありませんでした。でも、「このままボーッとしていたら他の誰かに真似されるよ。あなたがやるべきだ」と仲間が説得してくれたのが効きましたね。

異言語脱出ゲームをつくり始めてから4年目で、金町学園を退職しました。今は異言語Lab.の収入だけで生活しています。ギリギリって感じなんですが依頼が途絶えないので、やっていけています。

スタッフにも恵まれているなと思っています。異言語Lab.がスタートしたばかりのときから「社会的コンテンツとしてちゃんと事業が成り立つようにホームページや広告も展開しよう」と言ってくれて。ボランティアではなくプロとしての仕事をしてくれています。人と向かい合うときはかなりのエネルギーが必要になります。これでいいのだろうか、と不安なときも、スタッフが支えてくれました。わたしは、どちらかというと器のような存在であり続け、皆のパワーを受け入れ、形にしていこうと腹をくくっています。

―どのようなところから依頼がありますか?

大きなところだとNHK、吉本興業での京都国際映画祭や沖縄国際映画祭、国立国語研究所など。最近はコロナでイベントの中止や延期が相次いでいますが、北海道から沖縄まで、いろんな地域や組織から依頼が来ています。企業研修としての依頼もあります。コミュニケーションスキル、ダイバーシティをテーマにしたレクリエーションとして、ですね。

気がついたら「一緒につくりましょう」と言ってくれる人がどんどんやってきて、ひとつつくり終えたと思ったら次の依頼がやってくる感じです。

―企業研修ではどのような効果がありますか?

依頼を受けた企業の場合、普段は音声日本語で仕事上のコミュニケーションをしています。そこに異言語をつかう人が現れて、「さあどうする?」と問われるわけです。たとえばいきなりろう者と出会って、どうやって伝えることができるのか、相手の意志を読み取ることができるのか。同じ企業内でも「異言語だからやっぱりわからないよね。伝わらないよね」と諦めてしまうチームもあれば、「なにか方法はあるはず、絶対に」とがむしゃらにアプローチを試みるチームもありました。他者との意思疎通、交流、協力。その経験は、新しいプロジェクトに挑戦するときなどに活かされます。

―異言語Lab.のスタッフはどのようなことをしていますか?

ゲームの謎制作、ゲームナビゲーター、表現者、ポスターなどのグラフィックデザイン、音響、映像。みんなそれぞれ、得意なことを持っています。今、スタッフはろう者、難聴者、聴者合わせて33人います。

―どこから異言語脱出ゲームのアイデアが出てきますか?

見るものすべてから。今日の取材場所、「阿蘇ファームランド 元気の森」もすてきな場所ですね。創作意欲を掻き立てられます。たとえば、あそこにある遊具をつかう謎解きやゲームはこうかな、あの柱はひとつひとつに言語をつけて、ストーリーをつくるといいかな……など。こういうところに座っているだけで、あれやこれやいろんなビジョンがポンポン出てきます。ここに企画持ち込んでみたいなあ。

手話と絡ませた異言語脱出ゲームを作るときは、手話はもちろん、手話以外の伝える方法、表現方法を深く探り、考え、工夫していきます。「伝えたい」が大きな柱です。その気持ちがあれば、コミュニケーションの幅は無限に広がっていきます。

―5年後の自分は、どうなっていると思いますか?

なにをしているんだろう。んん、ふふ。いやあ、まだわからないです。思い描いていることはあるんですが、具体的に、言葉にすることがまだできない。今は、目の前のことに集中して、ひとつひとつ丁寧につくり、みんなと向かい合っていきたい。

……ちょっと、先のことは、そうですね……異言語脱出ゲームを世界へ持っていきたいです。いろんな国で、国の垣根を超えて。ぜったいに面白い。たとえば、この「赤、青、黄」は日本手話なんですけど、ルールを決めておいて、日本手話でもその国の手話でもない表現方法で共有して、一緒にゲームをしてみたい。

―好きなたべものは何ですか?

酢! 酢を使った料理が好きですね。酸辣湯、だーいすき。普通のラーメンに酢をかけても美味しいですよね。ちゃんぽんを食べて、最後に酢をかけまわして、飲みます。カニを食べるときに添える三杯酢、ありますよね。三杯酢のほうが好きかも。

―最近幸せだと思ったことは何ですか?

スタッフがどんどん意欲的に、自発的に謎やゲームを制作している様子をみていると幸せな気分になります。クリエイターとして育ち始めている、と嬉しくなります。あとは、イベントの後に呑む一杯が最高!

インタビュー動画(手話)

インタビューの様子や、日常の様子をまとめたこの映像には、音声も字幕もテロップもありません。写真だけではどうしてもわからない、その人の手話の使い方に滲みでてくることばの特徴を感じてもらうためです。
たとえ手話がわからなくても、そのリズムに目をゆだねてみてください。じわりと浸透する何かが、きっとあります。「こういうふうに話す人なんだなあ」と知ってもらった上で、写真を見てもらうと、見え方がまた変わります。

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連載:働くろう者を訪ねて|齋藤陽道