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【写真】木漏れ日がさす場所に立つなぐもさん【写真】木漏れ日がさす場所に立つなぐもさん

南雲麻衣さん【アーティスト】 働くろう者を訪ねて|齋藤陽道 vol.31

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手話を大切なことばとして生きる「ろう者」はどんな仕事をしているのでしょうか。

連載「働くろう者を訪ねて」では、写真家であり、ろう者である齋藤陽道が、さまざまな人と出会いながらポートレート撮影とインタビューを重ねていきます。

最終的な目的は、働くろう者たちの肖像を1冊の本にすること。その人の存在感を伝える1枚の写真の力を信じて、「21世紀、こうして働くろう者がいた」という肖像を残していきます。(連載全体のステートメントはこちらのページから)

第31回は東京都世田谷区でアーティストとして働く、南雲麻衣(なぐも・まい)さんを訪ねました。

南雲麻衣さん【アーティスト】

【写真】木漏れ日がさす場所に立つなぐもさん

ーお名前、年齢、ご職業は?

南雲麻衣、アーティストです。サインネーム(※)は「雲」。34歳。

※サインネームとは、その人の特徴を手や体の動き、形であらわし、視覚的に伝えるもの。手や指で表現するあだ名のようなものです。たとえば名前に含まれる漢字や、外見の特徴を使って表すこともあります。(出典:Tokyo Art Research Lab「たくさんの人と出会うための方法。サインネームを考えよう!」)

―出身地はどこですか。

神奈川県逗子市です。海の近くで生まれました。

―今まで通っていた学校はどこですか。

横須賀市立ろう学校の幼稚部へ行き、小学校からは地元の学校へ通っていました。そして和光大学へ進学しました。

―こどものときの夢は何でしたか。

小学生のときに「私の夢」を書くというのがあって、それにはカフェでオーダーを取ったり、コーヒーを淹れて、持って行ったりしたいと書かれていました。今はコーヒーが大好きで、いろんなお店のコーヒーを飲み歩くのが趣味の一つです。コーヒーを淹れる様子を見るのがすごく好きなんです。

―これまでの職歴は?

和光大学を卒業した後、東京医科大学病院の聴覚・人工内耳センターに5年間勤めていました。人工内耳装着を希望される方が来院し、人工内耳を装着している私にいろんな相談をしてきます。装着したあとはどのような生活になるのか。我が子に人工内耳を装着させたいが成長したらどうなるのかなど。

手話を覚えたのは大学生になってからで、様々なろう者に会ったんですが、人工内耳に対していい印象を聞くことはありませんでした。なので、内心戸惑いながら人工内耳についての相談を受けていました。

自分自身のアイデンティティを見つめ直したいと思っていた時期でもあって……。現状を見つつ、相談者の気持ちも聞き、自分の体験や考えをのせて、真摯に答えていました。

アートが好きだったので、アート関連の仕事をしたいと心に決め、大学病院を退職してしばらくフリーでいました。

東京都港区の表参道にあるホールで踊りを発表する機会があって、踊ったんです。その場にいた職員が私のことを覚えてくれて、うちで働かないか、と誘ってくれました。その職員が今の上司です。そこは表参道の複合文化施設で、アートに関わる職場だったので嬉しかったですね。幸運でした。今年で6年目になります。

―今はどんな働き方をしていますか?

「アーティスト、ダンサーとしての活動ももっとやったほうがいい。様々なところと繋げたりすることもできるから」と会社がアーティスト活動を推奨してくれて、2年前から半々会社員、半々フリーで働いています。こんな働き方もできるんだと驚きました。収入や社会保険はありがたいことに前とあまり変わっていません。

会社の制度や提案に甘えるだけではなく、こちらからの要望もはっきりと伝える大切さを実感することもありました。最初は週休2日でしたが、アーティストとしての活動時間がとても足りなくて。大変すぎる、という気持ちを誠実に伝えてみたら週休3日にしてくれたんです。伝えてみないとわからないものですね。

以前は、会社にも行き、アーティストとして活動も兼任すると休む暇もなかったのでいつもどこかが不安定でした。心だけではなく、生活リズムやお金も。いつも疲れていましたね。

副業というものをもっと活性化させるべきだと思っています。ろう者なら尚更です。会社ではいろんな制限があり、大変なこともありますが、さまざまなスキルを磨くことができるというメリットがあります。それに加えて、副業を持てば、自分の得意なことなどを活かして、自分の可能性を深めることができます。

それを勤めている会社に提案したり、繋げていくとより一層、お互いの道を広げることができます。身近な例だと、手話通訳が必要な場面に気づいて提案したり、手話監修というものがあると紹介して会社のメリットに繋がったり、とある団体と企業を引き合わせたり。

―手話を知ったきっかけは?

大学生のときにNPO法人しゅわえもんという団体を知り、手話で劇をやると聞いて興味を持って観に行ったのがきっかけです。何回か通っているうちにいろんなろう者と知り合いました。聴者の演出家から誘われ、私の特性を活かして何か表現することはできるかということを探ってみたりもしてました。

―アーティストとしての活動を聞かせてください。

創る。企画をする。演じる。踊る。美術館から依頼をいただいてワークショップもしています。最近は東京都現代美術館で開催された「翻訳できない わたしの言葉」展に誘われ、映像作品を出展しました。このあいだは役者としてテレビのドラマに出ました。

私の踊りを見た方々からは「手話が面白い。手話そのものではなく、手話からフワっと出されるメッセージがすてき」「手話から直接意味を読み取れないときがあるけど、全身から語られる空間のストーリーに引き込まれる」と。その感想がまた面白くって! 嬉しいですね。

ダンス……身体と身体が向かい合うだけで、対話になります。それも「ことば」なんです。

―テレビドラマに重要な役で出演されていましたね。どのような経緯で?

テレビドラマ「デフ・ヴォイス」出演のオーディションがあると聞いて、申し込みました。当日、台本を読みながら、演技をしました……。他の応募者はみんな、台本を暗記して演じていました……。しまった! これは落ちたなと思ったのですが、ありがたいことに受かりました。

他にもいろいろオーディションを受けたりしています。受かることもあれば落ちることもあります。前は「失敗」を恐れていたんですが、今はそうでもないです。「失敗」は次のことを考える機会になるから。

―今、考えていることは?

アートで今までに無い価値をつくる、ということを考え続けています。

価値を作るには、まずは人が必要です。人と向き合い、クリエイティブの意識を強く持って、かけあわせる。日本だけではなく、世界にも届くようなムーブメントを生み出したい。それが仕事になるんです。

活動のために必要な芸術文化関係の助成金も自分で書類を用意して申し込まないといけません。でも行動すれば、表現の可能性は広がります。

日本では以前よりろう者が生み出すアートに対する認知や理解度が高まっています。その波にうまく乗り、発信して、やり取りをして、申し込みをして、国から予算や助成金をいただき、私たちは表現の場を増やしていく。この巡りを続けていけば、活動をしていくことができます。

今はダンスをするよりも、企画する側をもっとやりたい。何かと何かを繋げるコーディネートを積極的にやりたいんです。今、舞台芸術を研究する団体にも関わっていて、そこでは見えない人、聞こえない人、聞こえる人、いろんな人が一緒に活動しています。

―いつも心がけていることは?

役者は、出番を待っているときが大切です。身体やスキルを磨いたり、準備をすることができるからです。面白そうなワークショップに参加することも大事。急な要望や呼び出しにも応えることができるようにしています。どんな舞台でも「南雲がいてくれてよかったよ」ということを言ってくれたらうれしいですね。

以前は人の目をすごく気にしていましたが、自分は自分。無理はしない。今の自分をそのままを受け止める。手話が上手いか下手かを、他人と比べない。周りと同じであろうとしない。自分に合っているかどうかが大切だと思っています。

―5年後の自分は、どうなっていると思いますか?

今みたいに笑っていると思います。これからも、どんな場面でも、自分が好きな自分でありたい。

―好きなたべものは何ですか?

イチジク! 見つけたら、アッ! ってなります。

―最近幸せだと思ったことは何ですか。

ヨガをして、自分だけの時間を過ごしているときが幸せ。

最近まで住んでいたシェアハウス「しゅわハウス」で知り合った人は、手話が堪能では無いのですが、知っている手話を独自のセンスで組み合わせて、話をしているんです。言葉を紡ぎ出しているんです。それが見ていて楽しくって! そのとき幸せだなと思いました。

動画インタビュー(手話)

インタビューの様子や、日常の様子をまとめたこの映像には、音声も字幕もテロップもありません。写真だけではどうしてもわからない、その人の手話の使い方に滲みでてくることばの特徴を感じてもらうためです。たとえ手話がわからなくても、そのリズムに目をゆだねてみてください。じわりと浸透する何かが、きっとあります。「こういうふうに話す人なんだなあ」と知ってもらった上で、写真を見てもらうと、見え方がまた変わります。

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連載:働くろう者を訪ねて|齋藤陽道