福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】キッチンカーの前に立つ吉田茂樹さん。オレンジ色のニットキャップにメガネ、長髪、ヒゲ、茶色いエプロンをつけている。【写真】キッチンカーの前に立つ吉田茂樹さん。オレンジ色のニットキャップにメガネ、長髪、ヒゲ、茶色いエプロンをつけている。

吉田茂樹さん【移動型飲食店経営】 働くろう者を訪ねて|齋藤陽道 vol.15

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手話を大切なことばとして生きる「ろう者」はどんな仕事をしているのでしょうか。

連載「働くろう者を訪ねて」では、写真家であり、ろう者である齋藤陽道が、さまざまな人と出会いながらポートレート撮影とインタビューを重ねていきます。

最終的な目的は、働くろう者たちの肖像を1冊の本にすること。その人の存在感を伝える1枚の写真の力を信じて、「21世紀、こうして働くろう者がいた」という肖像を残していきます。(連載全体のステートメントはこちらのページから)

第15回は福岡県福岡市博多区で飲食店経営者として働く、吉田茂樹(よしだしげき)さんを訪ねました。

吉田茂樹さん【移動型飲食店経営】

【写真】キッチンカーの前に立つ吉田茂樹さん。オレンジ色のニットキャップにメガネ、長髪、ヒゲ、茶色いエプロンをつけている。

―お名前、年齢、ご職業は?

ぼくの名前は吉田茂樹です。今年で36歳。職業は飲食経営。今はキッチンカーであちこち出店しています。こだわりを持ったコーヒーとハンバーガーがメインメニューです。

―出身地はどこですか。

 大分県中津市。唐揚げが有名なところです。福沢諭吉の生家もあり、今も福沢記念館として残っています。

―今まで通っていた学校はどこですか。

幼少時は、北九州市にある難聴幼児通園施設へ。手話は禁止されていて、言葉、発音訓練が厳しかったです。手を後ろで縛られて発音訓練をしていました。叩かれたこともありました。つらかったけど、そのおかげでコミュニケーションできるぐらいの発音ができるようになりました。でも両親もろう者なので、家での日常会話は手話です。

小学1〜5年生は大分県立ろう学校へ。クラスメイトが6人しかいなく、物足りなさを感じていました。普通の学校では1クラス30人もいて、部活も盛んで、そこに憧れていたので小学6年生のときに転校しました。

でも思っていた以上に厳しかったです。変なものをみるような目で見られる。皆と同じように授業を聞くことができない。一対一の個人授業を受けたりして補っていたんですが、クラスではうまく馴染めなかった。いじめられたり。それでも頑張って中学2年生まで普通の学校に通いました。でも聞こえないという壁がずっとあって、いじめも続いてて、もう限界だなと思い、中学3年生でろう学校へ戻りました。手話で自由におしゃべりできて、やっと息をすることができた。

普通の学校とろう学校の違いを実感し、コミュニケーションがスムーズにできるろう学校のほうが好きだなと思いました。そのまま高校3年生までろう学校に通いました。

―こどものときの夢は何でしたか。

仮面ライダー! 小学1年生まで本気でなりたいと思っていたんです。人を助けるヒーローに憧れていました。大きくなってからもその気持ちは残っていて、何か、人を助ける仕事をしたいと思っていました。

―これまでの職歴、経歴は?

ろう学校高等部を卒業した後は、飲食業に関わりがある専門学校へ行きたかったんですが、すべて断られました。「授業料を支払っている学生には十分な知識、情報を提供しなければならない。当校にはろう者に対する情報保障が整っていない」というのが理由でした。

両親に「安定した給料をもらえる会社に入ってほしい」と言われました。両親を安心させたいので、やむなく飲食業への夢を一度諦めました。諦めたというよりも、隠した……。

それから8年間、トヨタ自動車株式会社 品質管理部品質課に勤めました。父が体を壊したのを機に退職し、実家に戻りました。ぼくは一人っ子なので、自分が近くにいなきゃと思って。実家近くにはすぐに入れるような就職先がなかったので、社会福祉協議会に入りました。父の介護をしながら勉強をして「社会福祉主事」という資格を取りました。

ある日、介護施設でおばあちゃんに、筆談で「あなた、本当にここで働いていいの?」と言われました。ギョッとなっちゃって。職員としてダメ出しをされた! クビにされる?! と硬直してしまいました。そしたら「あなたはいろいろできるんだから、ここに居てはいけない。もっと好きに、自由に、やってみて」と言われて……、本当に、うれしかった。

おばあちゃんからの言葉がきっかけで、再び飲食関連の専門学校へアタックしはじめました。

ですが10年前と変わらず、どこも同じような理由で断られました。4校目でもう後が無いと感じて、思い切って、熱く伝えました。

「今、外国からやってきた生徒もいますね。彼らもコミュニケーションの壁があるにも関わらず、生徒として学んでいる。ぼくと変わらないのでは?」と。

そしたら学校側から初めての反応があって、「当校には日本語が堪能ではない外国人留学生も在籍しています。確かにそのとおりですね」とぼくの入学を認めてくれました。

クラスメイトは全員18歳で、ぼくだけ28歳。若々しい彼らがまぶしかったです。彼らはぼくの世代よりもとても柔軟で、ろう者であるぼくのことをすんなり受け入れてくれて、いろいろとサポートしてくれました。授業中ではノートの内容をどんどん見せてくれたり、わからないところがあれば代わりにサッと質問してくれました。おかげで2年間みっちり学べました。

ぼくが通っていたのは、福岡キャナリー製菓調理専門学校のカフェ総合カフェオーナーコース2年制です(※注)。

※注 現在は学校名・コース名が変わり、福岡キャリナリー農業・食テクノロジー専門学校 カフェ総合マネジメントコース3年制となっている

カフェ経営術だけではなく、ケーキからパン、コーヒー、和洋中すべてを学べました。コーヒーの基本でもあるエスプレッソの本場、イタリアへ2週間ほど留学できるカリキュラムもあり、ぼくも行きました。エスプレッソの技術だけでなく、お客様と接するバリスタについても学びました。

イタリアへ行ってわかったことは、日本はコーヒーに対する姿勢がまだまだだということ。それでもなお成長が著しく、今ではいろんな大会で賞を取る日本人が増えてきているということ。それに刺激され、ぼくももっと頑張りたいと思ったんです。

―キッチンカーを始めたきっかけは?

いきなり店舗を持つのはリスクがある、と思って。特に集客の面で。

もともとキッチンカーで全国各地を回りたいという夢もあったんです。キッチンカーからスタートすれば、いろんな人にぼくのことを知ってもらえます。福岡市でお店を開くのが最終的な目標です。

キッチンカー歴は4年になります。マルシェやイベントへ出店したり、企業系イベントに呼ばれることもあります。

最初は聴者のスタッフにレジ・接客を任せて、ぼくは調理担当をしていました。ある日、スタッフから「初心を思い出して! ろうである自分のことも知ってもらいたいんでしょう」と背中を押されました。それからはぼくがレジに立ち、注文を受けています。

注文を受けるのに時間が少しかかるので、回転率は下がりましたが、工夫をし続けて、少しずつ回転率が上がってきました。

簡単な自己紹介も兼ねた挨拶パネルを設置。大きなメニュー表。呼び出しベル「ワンタッチコール」も活用しています。声で呼びかける必要もなく、レジ前が混雑しない利点もあります。

―ハンバーガーとコーヒーをメインメニューにした理由は?

某チェーンバーガー店のCMでは美味しくてボリュームがあるハンバーガーが出てくるのに、実際はクオリティが低くてがっかり。「僕だったらこうしたい」と思ったのがきっかけです。クオリティを重視して、味も常に追求しています。厳選したバンズと、自家製のパティ。「当たり前よりも、良い品を提供したい」というこだわりを持っています。

高校1年生のときはまだコーヒーにいい印象を持っていなくて、苦くて、大人の飲み物だと思っていました。たまたま入った個人経営の喫茶店でメロンソーダを飲んでいたらコーヒー豆の焙煎の香りがしてきて、それがもうたまらなくてたまらなくて。なんだ、この良い香り、不思議だな、と思って注文しました。

焙煎したてのハンドドリップ。その一杯でコーヒーへの扉が開きました。ぼくが知っているコーヒーじゃない、そこらへんの缶コーヒーとは比べ物にならない。香り、甘味、苦味、酸味、すべてのバランスを得たコーヒーだ……と感動しながら味わいました。

その10年後に、世界に注目されているスペシャルティーコーヒーと出会い、ますますコーヒーの魅力を引き出していきたいと思うようになりました。

さらにそこの喫茶店は食事も美味しくて!印象的だったのはナポリタンとミートソーススパゲッティ。母が作るスパゲッティとは全く違う、なぜ?何を入れている?積極的に聞いてみたら「スパイスをあれこれ入れている。煮込み時間などにもこだわりがある」と教えてくれました。

改めて店内や店主を見てみると、バーのような雰囲気があり、あちこちにこだわりがあり、ため息が出るぐらいかっこよくて。

この経験がきっかけで、美味しい料理とコーヒーがあるかっこいい喫茶店を持ちたいと思うようになりました。

―5年後の自分は、どうなっていると思いますか?

「挑戦者」であり続けたい。いろんな場で、いろいろ、挑戦していきたい。例えばイラストレーターとして活動したい。ろう者が音楽業界で活躍できるようにしたい。ろう者が一般企業に入社したあとのフォローができる会社を作りたい。

確率では1000人に1人はろう者が生まれているそうです。1000人のうちの1人だと聞くと、「1000人に助けられながら生きていく」というイメージになりがちですね。そうではなく「1人が1000人を支えていける」というイメージになっていけるような場を作りたい。

すごい才能を持っているのに、それを発揮できていないろう者ってたくさんいるんです。彼らが活躍できる、またはフォローすることができる会社がほしい。挑戦と成長、ワクワクがつまっている会社をつくりたいです。

みんなに伝えたいことがあります。

興味を持ったら遠慮なくどんどん、その分野で活躍している人にやり方、知識、技術、経営方法などを聞いてみてほしいです。ぼくのところにも来てください。ぼくが知っていることをすべて伝えることはできます。

自分が本当にやりたいことをやりましょう。夢を持ち続けましょう。勇気をもちましょう。それが一歩です。大丈夫です。みんなに聞きましょう。みんながサポートしてくれます。

ぼくは今、コーヒー豆の焙煎に挑戦しています。焙煎は音で判断することが大切とされていますが、絶対に他の方法はあります。諦めず、勉強したり実践し続けています。いつかぼくが焙煎したコーヒーを飲んでくださいね。

―好きなたべものは何ですか?

和食が大好きです。日本の郷土料理や、お惣菜、漬物を食べていると自分は日本人だなあと実感します。飲み物ではやっぱりコーヒー。スペシャルティコーヒーが大好きです。フルーティーな香りが魅力的。

―最近幸せだと思ったことは何ですか?

お客様の笑顔。わざわざお店へ戻ってきて「美味しかった」と伝えてくれて、そのときに見れた笑顔に幸せを感じます。

動画インタビュー(手話)

インタビューの様子や、日常の様子をまとめたこの映像には、音声も字幕もテロップもありません。写真だけではどうしてもわからない、その人の手話の使い方に滲みでてくることばの特徴を感じてもらうためです。
たとえ手話がわからなくても、そのリズムに目をゆだねてみてください。じわりと浸透する何かが、きっとあります。「こういうふうに話す人なんだなあ」と知ってもらった上で、写真を見てもらうと、見え方がまた変わります。

Series

連載:働くろう者を訪ねて|齋藤陽道