唯一の答えを探しすぎていないか? 下地ローレンス吉孝さん×なみちえさんと“わかりやすさ”について考える こここインタビュー vol.16
「あなたのことを教えてもらえませんか」
だれかについて知ろうとするとき、私たちはそんなふうに問いかける。人の語る言葉にどれだけ真摯に耳を傾けていても、相手のことを“わからない”と感じる瞬間はやってくる。予想もつかなかった相手の複雑さに不意に触れると、それ以上先に踏み込むことを諦めたり、逃げ出したくなったりすることもある。
そんなとき私たちはつい、その複雑さに耐えきれず、人に“わかりやすさ”を求めてしまうことがある。けれど、相手に何かを要請する前に、すこし立ち止まりたい。“わからなさ”は相手の側に存在するのではなく、“わたしとあなた”の間にこそあるのではないか。相手の複雑さにただ戸惑うのではなく、“わたし”を起点に何かについて考え、対話をはじめることこそ必要なのではないか。
複雑でさまざまな側面を持つ“わたし”と“あなた”を尊重するためには、どうすればいいのか。そんな問いを中心に置いてはじまった、アーティストのなみちえさんと『「ハーフ」ってなんだろう?――あなたと考えたいイメージと現実』(平凡社)の著者である下地ローレンス吉孝さんによる対談。アイデンティティの流動性や社会の“カチカチさ”について話題が広がった前編に続き、後編では、マイノリティ/マジョリティという枠を必要以上に固定化することへの違和感や、“完成されたもの”を求めすぎる社会の風潮について、ふたりが言葉を重ねていく。
前編:「“わたし”と“あなた”それぞれの複雑さを大切にするには?──なみちえさん×下地ローレンス吉孝さんと共に考える」はこちら
差別や抑圧を受けている立場の人が、問題について“わかりやすく”話し続けなきゃいけないこと自体がおかしい
──前編で話題に上ったアイデンティティの流動性についてのお話には、肩の荷がすこし下りるような気持ちになりました。一方で、差別や偏見をめぐる問題について考える際には、抑圧を受けている人々の属性(人種、ジェンダー、セクシュアリティ、階級、年齢、障害、文化的背景など)を認識しないと、そこに差別や不平等が実際にある、ということが見逃されてしまうケースもあるように思うのですが、いかがですか。
下地ローレンス吉孝さん(以下、下地):たしかに、社会構造的に「ここに偏りがある」「ここに抑圧が集中している」と伝えていくことは大切ですし、研究者の欠かせない役割のひとつだと思っています。その偏りや抑圧について伝える際には、おっしゃる通り、属性を部分的に固定したほうがよいケースもあると思います。
ただ個人的には、研究をするなかで、なにかを二元論で語ったり、必要以上に人の属性を固定化して分類するというやり方は自分の肌に合わないと感じることも多いんです。社会学では、人の経験をいくつかのパターンに類型化したり、あらかじめ対象をこういうものだと“定義”した上で研究を進めていくことが多いです。でも自分はなるべくそういうことはせずに伝えていきたいっていつも意識しています。
だから、「下地さんの話は結局なにが言いたいのかよくわからない」とか「主語と述語が合ってない」と言われることもありました。けれど、あえて合わさないで話していることもあるんです。物語をこちら側で完結させるんじゃなく、あなたが考えてくださいね、と手渡したいと思って。差別や抑圧を受けている立場の人たちが、その問題について“わかりやすく”話し続けなきゃいけないこと自体がおかしいなって思っているので。
なみちえさん(以下、なみちえ):その人たちだけが話し続けなきゃいけないのがおかしい、というのは本当にそうだと思います。私にも、前に「黒人のハーフの女性が受けている差別について聞かせてください」というインタビューの依頼がきたことがあるんですけど。
“黒人のハーフの女の子の差別体験”を聞き出し、切り抜いて放送しようという行為自体が差別を思い出させて当時のように傷つき、傷を増幅させてしまう場合が常にある。それはすごく健康に良くないなとは思っています。(私はこれをセカンド差別と心の中で呼んでいる)。
自分たちはあくまでマイノリティの気持ちを聞く側であるってスタンスで、自分という存在を無視して仕事ができるって、正直に言ってそのインタビュアーは「幸せな立場」だなって思いました。
「インタビューの態度含めて差別的だと感じてしまうのが私個人として正直に思うことですが、仕方のないことだと思います」と指摘したら結局そのインタビューの話自体なくなっちゃったんですけど、『Bye-Bye King』って曲ではそのときのことも含めて歌詞を作りました。
下地:前に、インタビューを受けながらインタビューの構造批判をしているなみちえさんの記事も読んだことがあります。人の話を聞くことを生業にしている研究者として、あれはめちゃめちゃ身につまされましたね。“他者のための「わかりやすく」は私のためには機能してないって思うことが多すぎる”とおっしゃっていて。
自分は研究においては立場的にちょっとずるい部分もあると思っているんです。「ハーフ」研究者としては、母親が当事者でもあり、自分はクォーターとしてのスタンスでインタビューができてしまうので、だからこそやれてしまう部分があったり、自分の立場性をうまく使えちゃうところもあって、それがすごく嫌な時もある。自分にお話ししてくれる人にとってそれが不本意なかたちにならないようにとか、資本主義的な文脈で語りが使われないようにとか、そもそも“使う/使われる”ってなんなのかとか……そういうことをすごく考えて、反省しながら日々やっているところがあります。
なみちえ:悩みますよね。私はやっぱり、マイノリティ性が不自然な切りとり方で発信されたり、ブランディングの一環でマイノリティが消費されていくのはよくないことだと思います。
そうさせないためには、思想は常に時代やシチュエーションとともに流動していくものだということを、メディアに何かを主張しようとしている人自身がきちんと認識しておいてほしいですよね。なにより、マイノリティ/マジョリティっていう二項対立だけじゃなく、「自分のことをマジョリティだと思ってるあなたも、100パーセントそうではありませんよね?逆も然り」ってスタンスで人に向き合うことが大切だと思います。
マイノリティ性って、誰も知らない小さなできごとを自分だけが知っているみたいな、心の内側にある最小単位の感覚みたいなものにも近いと思ってて。ここはマジョリティだけどこの部分はマイノリティ、というように、誰のなかにもグラデーションがありますよね。
私が「アフリカ系の女性」としてインタビューに出るときって、「でも、私は日本人的、男性的な思考回路を持って生活している部分も大いにありますよ」って話をしても、やはりその発言自体はなみちえのマイノリティ部分を露呈するためにはとても扱いづらい内容になってしまいます。たとえば『Can’t Stop Lovin’U』の影響にはラッツ&スターも少し含まれているだとか。私は複雑性を好みますが同時にその複雑性に内包された単純性も好きなのです。
下地:うん、本当にその通りですよね。
なみちえ:私にとってはやっぱり、自分の人種ってそのときの気分や使っている言語、場所によってもなんとなく変わってくるんですよ。だから、常に自ら“マイノリティ”でいようとすることもないんだ、実際にそうじゃないときもあるんだし、って思いはじめてきたところです。
「完成されたもの」にこだわらなくていい
下地:マイノリティ/マジョリティという二項対立は、自分にもあまりフィットしない感覚があります。「マイノリティグループ」という呼び方もあるくらい、学問の上ではわりとメジャーな言葉なんですが、どちらかの属性に一方的に決めつけられるような扱いをすると、心が閉じちゃう感じがするんですよね。さっきも話題に出たとおり、自分は研究者として差別や抑圧について伝えていく立場でもあるので、その言葉をどう扱うかにはいつも本当に悩みます。
なみちえ:私もまさに悩んでる途中です。いつもめちゃめちゃ悩みながらインタビューを受けてます(笑)。私の本業って0から1をつくることだと思ってるんですけど、インタビューって1を100に広げていくようなものだから、あくまでも自分の作品を補強するものとして考えなくちゃとは捉えてて。ラップもインタビューも言語形態のひとつだけど、それぞれまったく違うものだから、そこでまた別の二項対立を横断しているって感覚があるんですよね。
常にひとつの強い思想を持って仮想敵と闘う、というスタンスを実際のところ私はとってないんです。でも、私のことを見ている人たちから、「なみちえさんには常にマイノリティの味方であってほしい」っていうブランディングをされそうになることがある。
そうじゃなくて、「あくまでもあなたはあなたの見たいようになみちえを見ているに過ぎないから、私もアウトプットしたいようにアウトプットするのです。すれ違うまで交わりましょう」ってことです。一緒に責任を負ってくれる人の前でインタビューを受けていくのがいちばんいいのかなと最近は思います。
みんなで強い意志を持ってひとつの敵を倒そう、というよりも、常にみんなで流動しながら、多角的な視点で「こうしたらちょっとよくなるかも」って考え続けようよ、というか。完成されたものを求めるんじゃなく、なにかを固定しつつそれをまた解体していくということを、たくさんの人と一緒にやり続けなくちゃいけないと思っています。
下地:さっきの話にあった、「黒人のハーフの女性の差別体験を聞かせてください」というインタビューもある意味、完成されたものを求めていたんでしょうね。話を聞いてみたら、それが思ったように“完成”されていなかったから出さないって選択をしちゃったという。どうせなら、インタビューの企画側の人がそのギャップに戸惑っている姿も含めて出してほしかったですよね。
いまってなににつけても完成されたものや確立されたハウツーが求められがちだけれど、結局どこまで行っても完成なんてしないんだよな、って感覚の人が増えていくと、いろんな立場の人を巻き込んだ議論が続いていくんじゃないかと思います。
固定化された答えを求める以外の解決のしかたを模索していくことが大事なんだろうなと。……いま、結論として「自分も迷ってます」みたいな感想が出てきたのは不完全な感じもするけれど、でも実際、そこからはじめるしかないと思っています。
なみちえ:そうですよね。考えや立場はあした変わるかもしれないってことを、もっとみんなが認識したほうがいい。メディアは、誰かが問題発言をしたりするたびにそれを切り抜いていつまでもリピートし続けるけど、あれもすごくグロテスクだと思います。そこだけに注目し続けていると、その人が変化していく機会を社会の側が疎外してしまうことにもなりかねないなと。
下地:人は変化していくものだという前提がもうすこし広まれば、たぶんコミュニケーションのかたちも変わっていきますよね。差別について伝えていく上では、人の属性を固定化して考えないといけない部分もあるとさっき言ったけれど、やっぱりそれが疎外するものについてももっと着目したほうがいいかもしれない。
……いや、でもどちらか一方ではなくて、両軸で考えていくべきだといま話していて思いました。不利益を被っている立場の人たちが曖昧化されることはあってはいけない。同時に、属性を固定化しすぎずに、いろんな立場の人たちが出てきて喋ることも大切にしなきゃいけない。完成している社会や国なんて存在しないんだからというスタンスで、議論やコミュニケーションができる場をもうすこし社会のなかに増やしていきたいですね。
自分自身のことについてはなぜ考えないのだろう?
下地:ふだん、僕は自分がインタビューをするときには、相手に関する情報をいろいろ調べて、そこからお話ししたいことを考えていくんですね。でも今回、なみちえさんがされていたインタビューの構造批判について考えているうちに、人のことを知ろうとするのと同じくらい、自分自身のバックグラウンドについて考えないのはどうしてだろう? と、ちょっとしたアンバランスさを感じるようになりました。
たとえば、自分は祖父がイタリア系の移民なんですが、アメリカで暮らすイタリア系の人たちが当時置かれていた立場について、ちゃんと知ろうとしたことってなかったなと思って。なみちえさんとお話しするにあたっては、ドゥー・ワップのルーツについて考えていくなかで、アメリカにおけるアフリカ系の人々の立場や歴史についても調べたはずなのに。
なみちえ:イタリア系なんですね! 知らなかったです。
下地:そうなんです。なみちえさんのバックグラウンドについてのお話を聞きながら自分の背景についても考えられたのは、不思議だけれどうれしい体験でした。
なみちえ:私もさいきん、父方と母方それぞれの文化的・歴史的なバックグラウンドを掘り下げてみようと思いはじめて、いろいろ調べてたところなんです。それぞれのルーツとか価値観の違いを知ろうとすることで、自分の考え方や許容範囲も広がっていくし、なんだか先祖みんなが味方になってくれそうな感じもしてくる(笑)。先祖探し、めちゃめちゃおすすめです。
下地:それは大事ですよね。自分のバックグラウンドについて調べて考えるということをしていくと、「日本は単一民族から成る社会だ」という結論にたどり着きにくくなるんじゃないかと思います。
「日本人とは何者か教えてください」と僕に聞いてくる人ってけっこう多いんですよ。それはたぶん、クォーターという、“ザ・日本人”ではない人の視点から自分たちが何者かを教えてほしいということなんだと思うけれど、いや、むしろこっちも日本人だし、自分のことをザ・日本人だと感じている人こそそれについて考えてみてくださいよ、っていつも思っていて。
なみちえ:本当にそうですね。
下地:自分の祖父や祖母のバックグラウンドひとつとってもそうだし、それぞれの宗教や使っていた言葉、家の構造、正月の過ごし方に至るまでたぶんばらばらですよね。だから、マイノリティについて知ろうとする一方で、自分の立場や歴史についてはなにも考えない、というスタンスを受け手がとり続けている状況をもうすこし変えていきたいなと思うんです。
なみちえ:うん、やっぱり固定と流動のバランスが大切ですよね。「こういう立場やこういう価値観の人がいます」ということを定義して周知する流れはいますこしずつ社会のなかに生まれつつある。だけど、それをどうやって社会に溶け込ませたり生活に落とし込んだりするかについての議論はまだまだ足りてないということに、きょう下地さんと話していて気づかされました。
下地:そういうことを丁寧にやり続けていくと、コミュニケーションのなかでの相手の見方も変わっていくんじゃないかという気がしています。「この人はどっちなんだろう?」という先入観でガチガチになるんじゃなく、人の流動性に対してももうすこし落ち着いて受け止められるんじゃないかなって。
それに、いまなみちえさんがおっしゃった「どうやって社会に溶け込ませたり生活に落とし込んだりするか」という発想は、社会のシステムやルールのような構造部分も変えていける可能性を持っているなと感じました。今回のお話、自分では気づかなかったことや納得することも多くて、すごくおもしろかったです。
なみちえ:こういう話、ライブ形式で定期的にする機会をつくったりしてもいいかもしれないですね。やっぱり書き言葉と話し言葉で表現形態が違うだけで、受けとり方もまた変わってくると思うので。もちろん対談として文章になるのもいいんだけど、ライブ形式でもいいし、イラストとかで図式的に表現してみるのもいいかもしれないし、いろいろ多角的に展開していけるようなことを今回話せたんじゃないかなって感じてます。
──対談をお聞きしていて、なみちえさんと下地さんの往復書簡を読んでみたいとも感じました。
なみちえ:やりたいですね! こんど、19年ぶりにガーナに足を運ぶ予定があるんです。そこから下地さんに手紙を書いてみたい。私はいまのところ最近のガーナについては全然なにもわかってないんだけど(笑)、お互いに自分のルーツとかアイデンティティがあるところにちょっと行ってみました、というのを起点にしてみるのもおもしろいかもしれないですね。
下地:いいですね。なみちえさんとの往復書簡、自分もぜひやってみたいです。
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「言語形態を破壊していく事、皮膚の内側をみせていく事が1番個人性が高くなるのでは?と思って実験的に発信中」Onlyfansリンクはこちら
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- ライター:生湯葉シホ
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1992年生まれ、東京在住。フリーランスのライター/エッセイストとして、おもにWebで文章を書いています。Twitter:@chiffon_06
この記事の連載Series
連載:こここインタビュー
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