福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】介護用ベッドのそばに立ち、こちらを眺めるいわだてさん。紫のポロシャツを着て、メガネとスタッフ証をかけている。【写真】介護用ベッドのそばに立ち、こちらを眺めるいわだてさん。紫のポロシャツを着て、メガネとスタッフ証をかけている。

岩舘めぐみさん【生活支援員】 働くろう者を訪ねて|齋藤陽道 vol.35

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手話を大切なことばとして生きる「ろう者」はどんな仕事をしているのでしょうか。

連載「働くろう者を訪ねて」では、写真家であり、ろう者である齋藤陽道が、さまざまな人と出会いながらポートレート撮影とインタビューを重ねていきます。

最終的な目的は、働くろう者たちの肖像を1冊の本にすること。その人の存在感を伝える1枚の写真の力を信じて、「21世紀、こうして働くろう者がいた」という肖像を残していきます。

(連載全体のステートメントはこちらのページから)

第35回は沖縄県豊見城市で生活支援員として働く、岩舘めぐみ(いわだて・めぐみ)さんを訪ねました。

岩舘めぐみさん【生活支援員】

【写真】介護用ベッドのそばに立ち、こちらを眺めるいわだてさん。紫のポロシャツを着て、メガネとスタッフ証をかけている。

ーお名前、ご職業、年齢は?

岩舘めぐみです。障害者福祉施設で生活支援員として、おもに利用者さんの生活をサポートしています。食事、トイレ、着替え、入浴など。車での送迎もしています。39歳です。

―出身地はどこですか。

神奈川県です。

―今まで通っていた学校はどこですか。

ずっと地元の学校に。幼稚部のころはたまに横須賀市立ろう学校へ行って、発音訓練などを受けていました。地元の小学校へ通っていたときは葉山小学校にある「ことばの教室」にも行き、発音や国語の訓練をしていました。

介護に関する知識を学びたくて、いろんな大学に問い合わせたのですが、聞こえないからという理由で断られました。そんな中でやっと受け付けてくれたのが田園調布学園大学。社会福祉学科介護福祉専攻に進学しました。

大学では私が初めてのろう者入学生だったんです。入学前に情報保障の面で少々揉めていたんですが、熱心に交渉し続けて、無事に入学し、学ぶことができました。入学することに対して、いろんな条件をつけられました。授業を受けるときに必要なノートテイカーや手話通訳者は自分で探し、福祉実習先も自分で探すという条件でした。

手話サークルと、ノートテイクのサークルがあったので、挨拶しにいったら、「困ったことがあったら相談してね」と手話で話しかけられました。でも当時の私は、手話を知らなかったんです。これではいけないと気づき、大学に入るまでの2ヶ月間、地元の手話サークルに通いまくって、大学で手話サークルに入り、いろんなろう者と交流して手話を覚えていきました。

―こどものときの夢は何でしたか。

一番の夢はシャチが好き過ぎて海洋生物学者関連。その次にイルカの調教師。

イルカ、シャチがとっても大好きなんです。でもイルカとコミュニケーションを取るためには笛で高音や低音を出す技術が必要で……聞こえないので諦めました。保育士、パティシエにも憧れていましたね。でも学校の先生に相談したら「ろう者でその職は前例がないだろう。一般の専門学校では情報保障がない。だから諦めた方がいい」と言われました。今やっている仕事は4番目の夢なんです。

―これまでの職歴は?

大学を卒業してからすぐに施設で働き始めました。そこは重症心身障害(※)のある人のため者の施設でした。10年間働き、父の介護のために退職しました。

父が亡くなった後、沖縄へ移住して、宮古島にある保護犬・保護猫シェルターでボランティアをしていました。

そのあとはあっちこっち……ホテルでベッドメイキング&ビュッフェの裏方、小規模多機能型居宅介護の事業所で介護職、レンタカー屋。そして今、ここで働いています。介護職歴は合わせて14年になりますね。沖縄には学生のころからもう何度も来ていて、大好きなところです。

※重度の知的障害と重度の身体障害が重複していること

―この職についたきっかけは?

ろうで、ダウン症の幼なじみがいるんです。母親とコミュニケーションがうまく行っていないらしくて、いつもイライラしていました。私は言葉だけではなく、表情や仕草でその人の伝えたいことがわかったので、その人の母親に伝えました。そしたらうまく話が進んで……。そのときにろうの自分だからこそできるコミュニケーションがある、と気づいたんです。

24時間テレビでいろんな人がいる、いろんな障害があると知って、ますます人と人をつなげることをやりたいという気持ちが強くなりました。それが福祉の道に入ったきっかけです。

―この仕事で心がけていることや工夫していることは?

今はスマホの音声文字変換アプリをとても活用しています。朝礼などで、マスクしたままでも皆の話を知ることができます。利用者さんの個性が一人ひとり違うので、ゼロから一人ひとり向き合っていくことを心がけています。

沖縄ならではの言葉があるので、その面に戸惑うことはあります。「あちびー」ってわかりますか?「おかゆ」なんです。こんなふうに言葉の壁を感じることはあります。

でも、いい面もあるんですよ。その場でよく使われている方言、たとえば「だからさー」。それを自分も言ってみると、利用者さんたちもリラックスして向き合ってくれます。

表情もとても大事ですね。表情をより豊かにして、話しかけ、頷く。目を同じ高さで合わせる。

現場では慣れたスタッフでもどうすればいいのかわからない事態がしばしば起こります。利用者さんの求めていることがわからないときは、わかったふりをしないで、丁寧に対話を重ねます。

気持ちが落ち込んだときも休まない。挨拶をしっかりやる。これらを大事にしています。

―この仕事を続ける上でのコツは?

仕事を家に持ち込まないようにしています。オン、オフの切り替えをきっちりと。休みの日は大好きな海で夏は思いっきり泳いで、寒い日は海を眺めて……とゆっくりと過ごしています。

あとは、グチには付き合わないようにしています。聞くだけでもしんどくなりますし。

― 5年後の自分は、どうなっていると思いますか?

サービス管理責任者という資格を取りたいですね。働ける場が増えます。

社会福祉士という資格も気になっていましたが、社会福祉士を取得すると比較的、事務仕事が増え、利用者さんとの時間が減ってしまうと聞きました。私は利用者さんと直接関わっていきたい。現場で働き続けたいんです。

私が知らないだけなのかもなのですが、ろう者向けの救命講習ってなかなかないじゃないですか?来年、自分が住んでいる地域でろう者向けの救命講習を開催したいと思い、準備をしています。

これが実現出来たら、次は介護講習を、と考えています。私よりもっと技術を持っている介護福祉士を招いて、ろう者を対象とした介護講習会、または研修を企画したいです。ろう者が親を介護するときのやり方や、知識、福祉に関する情報を共有することが大事だと思っています。

―好きなたべものは何ですか?

餃子が大好きです。私の餃子はとても美味しいらしくて、友人たちからも人気があります。挽肉、豚バラ、豚トロを混ぜて作ります。豚バラの脂でジューシーさを、豚トロでコリコリ感を。キャベツも入れたり、野菜が高いときは島豆腐とか。隠し味にジーマミー豆腐を入れています。

―最近幸せだと思ったことは何ですか?

海に入って、遠くの水平線を見つめているとき。

動画インタビュー(手話)


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連載:働くろう者を訪ねて|齋藤陽道