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中島竜二さん【政治家】 働くろう者を訪ねて|齋藤陽道 vol.11

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手話を大切なことばとして生きる「ろう者」はどんな仕事をしているのでしょうか。

連載「働くろう者を訪ねて」では、写真家であり、ろう者である齋藤陽道が、さまざまな人と出会いながらポートレート撮影とインタビューを重ねていきます。

最終的な目的は、働くろう者たちの肖像を1冊の本にすること。その人の存在感を伝える1枚の写真の力を信じて、「21世紀、こうして働くろう者がいた」という肖像を残していきます。(連載全体のステートメントはこちらのページから)

第11回は愛知県豊田市で市議会議員として働く、中島竜二さんを訪ねました。

中島竜二さん【政治家】

【画像】しぎかいぎじどうにたつなかじまりゅうじさん

―お名前、年齢、ご職業は?

豊田市議会議員の中島竜二です。よろしくお願いいたします。ついこないだの七夕の日に33歳になりました。


―出身地はどこですか。

愛知県豊田市生まれで、隣のみよし市で育ちました。


―今まで通っていた学校はどこですか。

乳幼児教育相談(※注1)から高等部までずっと愛知県立岡崎ろう学校でした。愛知淑徳大学文学部教育学科へ進学し、そこで初めて聴者と一緒に机を並べて、授業を受けました。情報保障としてノートテイクとパソコンテイクをつけてもらったので(※注2)、なんとか授業の内容を把握することができ、小学校教諭一種と特別支援学校教諭一種の免許状を取得しました。

※注1:聞こえない、聞こえにくい、あるいはそのように思える0〜2歳児とその保護者を対象とした相談・支援。岡崎ろう学校には「乳幼児相談支援・あひる組」がある。

※注2:授業中の音情報(先生が話す内容、生徒による質問等)を「ノートテイカー」と呼ばれる支援者が、手書きやワープロソフト等で書き取り、伝えていく情報保障。[参考:日本聴覚障害学生口頭教育支援ネットワーク PEPNet-Japan


―これまでの職歴、経歴は?

ろう学校の先生、という道も考えていたのですが、大学卒業後は株式会社デンソーで約7年半勤務していました。

もともと政治の場へ行きたいという気持ちが強くあったので、30歳になる前に本気で政治家を目指そうと思い、2018年に名古屋市の政治塾へ入塾。2019年4月の豊田市議会議員選挙へ出馬しました。今は豊田市議会議員1期目です。

―こどものときの夢は何でしたか。

ろう学校の先生。ろうの先生なら、生徒も安心でき、気持ちを伝えやすくなるだろうと思ったからです。

―市議員になろうと思ったきっかけは?

中学生のころから政治に興味があったんです。大学時代にアメリカへ短期研修しに行ってみたら、福祉が日本と全く違いすぎて、同時に日本の遅れに気づき、ただ驚くばかりでした。たとえば、アメリカには「ADA法(障害を持つアメリカ人法 1990年成立)」というものがあります。日本の「障害者差別解消法(2013年制定)」に似ています。ADA法は30年前からあり、「障害者を差別せず平等に」という考え方が日本より浸透しています。なのでろう者に対する福祉、権利の保障もしっかりされています。それを実際に見て感銘を受けました。

日本もなんとかしなければならない、法を変えるには政治の場に立たなければならないんだ、と考え始めました。

そして、教育実習生として母校へ行ったとき、人工内耳を装用している生徒がとても増えているということに気づきました。人工内耳の良し悪しはともかく、生徒たちのコミュニケーションを見て、違和感を感じました。やはり、不自然なんです。

親と子の気持ちがずれている、と感じてしまう場面も見ました。親は手話を覚えようとしている、子は口話を頑張っている、というような家庭もありました。その親に事情を聞いてみると……。

「産まれてすぐ、聴覚に障害があると診断されて、医師から人工内耳を薦められました。障害があるということだけでもとてもショックだったので、医師の言うことを信じて、人工内耳を埋め込む手術をこどもに受けさせてしまったんです。聴者になれるわけでもないのに。今は後悔しています」(※注3)

その事態には行政にも責任があります。正しく平等な情報提供を行うことができる制度が必要だと思いました。行政を変えるには、政治の場に立たなければなりません。

※注3:人工内耳は「耳の奥の蝸牛と呼ばれる組織に手術で細い電極を埋めこみ、音を電気信号に変えて直接聴神経を刺激する装置」のこと。1990年代から普及が進んでいる。ただし、すべてのろう者に手術ができるわけではなく、手術をしたとしても得られる聴力には個人差があり、専門的な訓練が必要とされる。人工内耳をつけたからといって必ずしも音声言語が習得できるわけではない。[参考文献:『手話を生きる 少数言語が多数派日本語と出会うところで』(斉藤道雄、2016年、みすず書房)]

―日本には今、ろう者の議員が何人かいますね。

地方議会議員は私を含めると4人です。東京都議会議員の斉藤りえさん、埼玉県戸田市議会議員の佐藤太信さん、兵庫県明石市議会議員の家根谷敦子さん。国会議員はいません。

もっと当事者の議員が増えないと、行政を変えることは難しいです。当事者の気持ちを一番深く理解することができるのはやっぱり、当事者。市民の代表として、ろう者の代表として、ろう議員が政治の場へ直接要望を述べることが不可欠です。

―市議員になるまで、どのような過程がありましたか?

会社員時代に夢を追いかけて退職していった他の社員を見て、自分のことを見つめ直してみました。「もうすぐ30歳になるな、この節目を大事にしたい。やっぱり議員になりたい」と本気で決意しました。

選挙活動には費用がかかるので、2018年は会社勤めを続けながら、名古屋市にある自由民主党主催の政治塾へ通っていました。月1回の講座があり、手話通訳者と出席していました。現役で活動されている政治家たちの講演もあり、学びを深めることができました。

選挙費用は準備費用を含めると約300万円でした。でもすべて自己負担ではありません。公費負担となるのは選挙ポスターとビラ印刷費、選挙カーレンタル代、選挙カー運転手への報酬、燃料費、選挙はがき郵送代です。

政治資金が貯まったので選挙管理委員会事務局へ届け出をし、2019年4月の豊田市議会議員選挙へ無所属で出馬しました。どこかの党に所属してしまうと迅速な行動がしにくいからです。私が改革していきたいことを分析してみた上で判断しました。

―どのような選挙活動をされていましたか。

主な活動はたすきをかけて駅前や市内で挨拶まわり、チラシ配布、協力を頂いてポスターを掲示、市民の声を聴くことをしていました。

当時はこういう内容を、読み取り通訳者付きで演説していました。

「障害当事者として、障害者のみならずすべての市民の様々な声を代弁者として、行政及び議会に届けたいと思います。政治家とは『弱者のために存在するもの』! 障害の有無にかかわらず、すべての市民のために頑張ります!」

この選挙では出馬者は50名。当選者は45名でした。私は20番目で当選しました。得票数は4109票。無所属で、政党や自治体の推薦もない上に初出馬。これで当選するとは思わなかったので仰天しました。私に期待する市民がたくさんいる、そのことを実感することができました。とても嬉しかったです。

任期は4年間。市議会議員を続けるためには次回、2023年の選挙でまた当選しなければなりません。

豊田市のろう者は1000人ぐらいです。選挙権を持っているひとはもっと少なくなりますね。他の出馬者へ投票するひともいます。なので得票数を見るだけでも、ろう者以外の支援者がたくさんいるんだということがわかります。本当にありがたいことです。

―市議員はどんなことをしていますか?

市役所の上層階に議員控室があります。ほとんどはここへ通勤しています。

年4回の「市議会定例会」以外には決まった仕事がないんです。自分でやらなければならないことを探します。市議員以外の仕事を持っているひともいるんですよ。たとえば社長、農家、パート、会社員など。私は愛知県聴覚障害者協会(ろう協会)青年部の役員もしているので、その活動もしています。

定例会は3月、6月、9月、12月に行われます。その一ヶ月間は、市民の代表者である市議員たちが集まり、市に関わる様々なことを話し合い、議案の可決をとります。定例会へ提出する議案や一般質問について前もって調査をし、準備していくのが市議員の主な仕事です。

地域の小学校、中学校へ来賓として呼ばれたり、地域の何かの会議にも出席したりもしています。あとは駅前に立って朝の挨拶をしたり。

市民への報告として年4回、広報誌を発行しています。定例会への一般質問内容、その答弁内容、これからの方針などをわかりやすく掲載しています。ネットで「中島りゅうじ 後援会ニュース」と調べると過去の広報誌が出てきますので、よかったら見てみてください。

―他の市議員、職員たちとのコミュニケーションはどうやっていますか?

スマホ、タブレットに入っている音声アプリ「UDトーク」を活用したり、筆談をしたりしていますね。口の形がわかりやすいひともいて、読唇で大丈夫なときもあります。大切な話になりそうなときは手話通訳者さんに来てもらいます。手話通訳者さんはほぼ毎日、議会事務局にいてくれています。

―この仕事で心がけていることはありますか。

市民からの相談、要望に繋がっていくようなテーマを常に意識して見つけて、視察、聞き取り、調査研究、解決方法を探ることもしています。ろう協会青年部を通してやってくる相談もあります。

市民の話を直接聞いて、事によってはすぐに市役所の各窓口へ行って要望を伝えたり、相談、申請したりしています。

これまでの市長の会見には字幕・手話通訳者がついていませんでしたが、当事者として意見を出し、必要性が認められ、字幕がつくようになりました。

やることが多種多様にありますが、障害の有無に関わらず、すべての市民の声を代弁し、市民がより暮らしやすくなるように働きかけるのが、私の一番大きな仕事です。

―5年後の自分は、どうなっていると思いますか?

市議員になって3年目になります。やりたいこと、改革しなければならないことがまだまだたくさんあります。なので今まで以上に、市民のために活動をしていると思います。

―好きなたべものは何ですか?

寿司とざるそばが大好きです。ざるそばには天ぷら、特にえびがついていたら嬉しいですね。

―最近幸せだと思ったことは何ですか?

毎日ではありませんが朝6〜8時は駅前に立ち、挨拶をしています。「おはよう」と手話で挨拶を返してくれるひとが増えてきています。朝の通勤通学って忙しい時間でしょう。ほとんどは素通りしていきます。そんな中に近くへ寄ってきて挨拶してくれるひとがいて。しかも手話で。本当に嬉しい。市民との距離がより近くなったと実感しました。

インタビュー動画(手話)

インタビューの様子や、日常の様子をまとめたこの映像には、音声も字幕もテロップもありません。写真だけではどうしてもわからない、その人の手話の使い方に滲みでてくることばの特徴を感じてもらうためです。
たとえ手話がわからなくても、そのリズムに目をゆだねてみてください。じわりと浸透する何かが、きっとあります。「こういうふうに話す人なんだなあ」と知ってもらった上で、写真を見てもらうと、見え方がまた変わります。

[市議会 代表・一般質問の動画部分:豊田市議会公式ホームページ 令和3年9月豊田市議会定例会ページより引用]

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連載:働くろう者を訪ねて|齋藤陽道