手話を大切なことばとして生きる「ろう者」はどんな仕事をしているのでしょうか。
連載「働くろう者を訪ねて」では、写真家であり、ろう者である齋藤陽道が、さまざまな人と出会いながらポートレート撮影とインタビューを重ねていきます。
最終的な目的は、働くろう者たちの肖像を1冊の本にすること。その人の存在感を伝える1枚の写真の力を信じて、「21世紀、こうして働くろう者がいた」という肖像を残していきます。
(連載全体のステートメントはこちらのページから)
第37回は大阪府大阪市で盲ろう者通訳・介助者として働く、原田由利子(はらだ・ゆりこ)さんを訪ねました。
原田由利子さん【盲ろう者通訳・介助者】

ーお名前、ご職業は?
原田由利子と申します。盲ろう者通訳・介助者です。手話講師としての活動もしています。手話教室「ダンドリオン」で盲ろう者に触手話を教える授業も受け持っています。
―出身地はどこですか。
もちろんここ、大阪です! 大阪府大阪市平野区の自宅で生まれました。
―今まで通っていた学校はどこですか。
3歳のとき事故で聞こえなくなりました。親の教育方針で口話教育(※注1)で有名な大阪府立生野聾学校(※注2)に通っていました。手話は禁じられていましたね。手話は20歳で覚え始めました。
他のろう学校との交流で手話を少しだけ知り、少し手を動かしてみたら親や先生に「みっともない、ものまねはやめろ」と叱られてしまいました。
※注1:「口話」は、口の形を読み取ったり、聞こえてくる音や表情、話の流れから相手の話していることを察知して話をする方法のこと。口話教育は口話でのコミュニケーションを教える教育のこと。(参照:日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク「まず知ってほしい基礎知識 2.コミュニケーション」サイトはこちら )
※注2:現在の大阪府立生野聴覚支援学校
―こどものときの夢は何でしたか。
本で知ったナイチンゲールに憧れて、看護婦。今は看護師って言うんですよね。あとはスチュワーデス。旅行が好きで、いろんな人をアテンドする仕事をしてみたかったんです。
でも周りからは「ろうには無理だ」とはっきり言われていたので諦めました。
―これまでの職歴は?
ろう学校を卒業した女性たちはほとんど被服関連の職に就いていました。男性は印刷、機械などを取り扱う会社へ。でも私は裁縫が苦手。本をたくさん読んでいたので、書く、読む、という事務系の仕事がしたいと思っていました。
私が卒業する年に松下電器(現・パナソニック)からの就職募集があったんです。応募して、念願の事務系の仕事に就くことができました。その職場では私が初めてのろう者でした。
私は口の形を読み取るのが得意なんです。なので、職場でのコミュニケーションに不自由したことはありませんでした。
読唇が得意なのは、両親がよく映画館に連れて行ってくれたおかげかも。昔は一回入館すれば何度も観れました。任侠ものや『男はつらいよ』などを1日に何度も観ました。日本語字幕はなかったので、一生懸命口の形を見ていました。1回目の鑑賞ではほとんどわからないまま。2回目、3回目で何を言っているのかがわかるようになったんです。
結婚を申し込んでくれた方は生野聾学校の先輩で、自営業で看板職人。朝昼晩の食事が必要なんです。「妻には仕事をせず、家にいて欲しい」と言われたので、もったいないと思いつつ退職しました。1年半という短い間の勤務でした。
―盲ろう者通訳・介助者になったきっかけは?
散歩していたら生野聾学校の別の先輩とばったり会い、久々の再会を喜んでいたら、いきなりそばにいた男性の両手に触れて、指を絡ませたり、重ねたりし始めたので「ええっ!? ここでラブシーン?!」とびっくり。でもそのあと先輩が改めて紹介をしてくれて、その男性が盲ろう者だということを知りました。お互いの手話に直接触れながら会話をしていたんです。それが盲ろう者と「触手話」との出会いでした。
ドキドキしながら「触手話」で会話をしてみたら、すんなり通じたので驚きました。新しい世界を知った瞬間でした。
「盲ろう者通訳・介助者」の資格をとったのは35年前です。今は講師の活動もしていて、多くの介助者などに講演をしています。
―盲ろう者のことを教えてください。
本にも載っている有名な方といえば、ヘレン・ケラーです。
おおまかに分けるとタイプが二つあります。ろう者として生まれ育ち、途中で目が見えなくなったタイプと、盲者として生まれ育ち、途中で聞こえなくなったタイプです。私は「ろう基準」「盲基準」と言い表しています。
個人差はありますが「ろう基準」は手話に触れて会話する「触手話」、目の近くで手話をする「弱視手話」でのコミュニケーションができる方が多いです。
昔は世間の目を気にして、生涯家に閉じ込めていた家庭が多かったそうです。そのように扱われたろう者もいます。または「とてもおとなしい子だからしゃべらないんだ」と障害を隠されたまま育った人もいます。
「盲ろう者にも人権がある」という人権運動がいつしか始まり、盲ろう者が集まる場ができて、それらを支援する人々も増えてきました。私は「でもまだまだ人が足りない。あなたにも手伝って欲しい」と先輩に声をかけられたのがきっかけで、この世界に入りました。
結婚して家庭を持っている盲ろう者もいます。盲ろう者同士での結婚もあります。盲ろう者とろう者の結婚も多くあります。ほとんどが通訳・介助がきっかけですね。
私には娘がいて、娘も盲ろう者通訳・介助者をしています。私の仕事を見たのがきっかけだそうです。重ねた指をタップする「指点字」が得意。利用者さんと恋に落ち、結婚しました。夫は勘当する勢いで大反対していましたが、孫が生まれてきてからは全て受け入れ、孫を溺愛していました。
―盲ろう者通訳・介助者はどんな仕事をしていますか?
利用者さんと外出して、周りのことをたくさん細やかに伝えています。食事に行ったときはメニューをそのまま伝えます。品数が多い場合は本人の好き嫌い、アレルギーの有無を確認してから、いくつか選んで伝えています。
スーパーでの買い物にも付き添い、一緒に品定めをしています。鮮度や傷の有無をしっかりと見て、責任を持って選んでいます。服を買うときもそうです。適当ではいけません。利用者さんの好みの色、手触り、素材、デザインをしっかり聞いて、選び、提案しています。
普段の買い物の3〜4倍は大変かもしれません。ですが、同じ人間としていろんなものを知り、楽しんで欲しいと思いながらやっています。
老齢の利用者さんのご自宅で、おしゃべりしまくるという依頼もあります。世間話、外の様子、季節、ニュースなどなど。
―通訳で、得意な分野はありますか?
盲ろう者通訳・介助者にはいろんな人がいて、それぞれの得意分野に合わせて仕事を振り分けられているのが多いです。美容関連、スポーツ、美術鑑賞など。
私は映画の通訳がとっても得意です。
一般的な通訳では「男、女、一緒に、歩いている、雨、降っている、男が言った、また会おう、女、うん、わかった、2人が去っていく」と。
私の場合は「ざぁぁぁ、とととっとととっ、男女が寄り添ってゆっくり歩いている、身体の右側が雨で濡れてしまった、女の身体が縮む、男が、寒いのかい、と女の身を寄せる、2人はくっついて、男、うん、今日は帰ろうか、また会えるよ、女、いや! 別れたくない!」と伝えています。
全身で演じ、手話もメリハリをつけてテンポよく、大袈裟なぐらいに大きく表現! 映画の内容、雰囲気をそのまま、映像的に通訳しています。
キスシーンのときは「今、キス」ではなく、利用者さんの手を取り、背中に手を当て、全身を使って「情熱的に相手を抱きしめて、口を重ねる」と通訳しています。利用者さんも具体的にストーリーをイメージすることができ、ただの情報ではなく、エンターテイメントとして映画を楽しむことができるんです。こういうふうに通訳しているのは私だけかもしれません。
最近は口コミで映画通訳の依頼がすごく増えてきました。映画の上映時間はほとんど2時間ぐらいですよね。基本的には1時間につき、2名の通訳者が必要なんですが、私は1人でやっています。もし通訳者が2人だと、手話のクセが異なるのでストーリーが途中でわからなくなるんです。なので私1人で、ぶっとおしで通訳しています。
映画も、映画の通訳も大好きなのでやれるんです。名作であり、有名な映画「十戒」の約4時間をやりきったこともあります。
―仕事で大事にしていることは?
「桃太郎」「浦島太郎」といった日本昔ばなしを知らない盲ろう者が意外と多いのには驚きました。それを知ってから、全身でストーリーを伝えよう! 伝えたい! いろんな世界を楽しんで欲しいという気持ちが強くなりました。見えないし聞こえないからしかたがない、と諦めてしまうひとが多いんです。でも私は諦めません。
盲ろう者通訳・介助者はろう者も聴者もいます。人気なのはろう者のほうです。手話での会話力が豊かだからです。皆がそうではないのですが、ほとんどの聴者の介助者は簡潔に通訳しがちなんです。盲ろう者は情報に飢えています。手話でたくさん、世界のことを伝えることを大事にしています。
―大変だったことは?
資格取得してからの初めての勤務で困ってしまったことがありました。トイレへの付き添いです。利用者さんは男性。その方に付き添って、男性用トイレに入っていいのか迷いました。どうしよう、どうしよう、とオロオロしちゃって。結局、他のひとがいなくなるまで待ちました。
それからは、車椅子も入れるバリアフリートイレを積極的に利用するようにしました。でも広すぎるとやっかいですね。一般的な個室の広さだと難なく用を済ませられるのですが、広すぎると何がどこにあるのかを把握しにくい。ボタンも複数あるので、誤って緊急ボタンを押されてしまうことがあります。
今は「介助者として付き添っております」というような堂々とした態度で付き添っています。個室まで案内し、ボタンなどの各部位の説明をして、個室の外で待っています。
―同じ分野で働く人や新人に向けて、伝えたいメッセージはありますか?
厚かましくなってください! 盲ろう者に対して遠慮しないでください。どんどんたくさん話しかけて欲しいです。
先日、ちょっとした事件がありました。とある大きな祭りのトイレスペースで、女性の盲ろう者が1人でふらふらしていました。何かを探しているように手を振り回していました。周囲の人々は遠巻きにしていました。彼女に手を貸す人はいませんでした。とりあえず急いで彼女に話しかけ、トイレまで誘導しました。本当にギリギリだったみたいで……。ホッとした彼女に話を聞くと、介助者は男性だから来てくれなかったとのこと。カッと頭に血が上りましたね。一緒にトイレの外に出たら、若い男性の介助者がそっと近づいてきました。思いっきり叱りました。
「1人で歩かせるとは何事だ。事故がおこったらどうするのか。資格取得のときに学んだはず。トイレでは男女問わず、仕事として付き添うべき」とまあ……こんなことがありました。世間体というか、社会のルール、周囲からの目よりも、盲ろう者本人の尊厳や安心を優先して欲しいものです。
―5年後の自分は、どうなっていると思いますか?
どうなっているかな。白髪が増えて今よりおばちゃんになってると思うけど、今と変わらずこの仕事をしていると思います。最近は趣味が増えて、読書、映画鑑賞、写真を撮ることが多くなりました。
実は3年前に、40年間連れ添った夫が亡くなったんです。ものすごく落ち込み、泣き続けました。死ぬことも考えました。突発的に車で山形県の海へ行き、ここで死のうと海の方へ足を進めたら、誰かに背中をポンポンと叩かれたんです。振り向いたら誰もいませんでした。夫がいつもやっていたような感じだったので、夫が止めに来たんだと思いました。
海へ入るのをやめて、すぐに大阪へ帰りました。
まだまだやることがあるということに気づき、また生きることを始めました。今は写真を撮るのが楽しいんです。メカには弱いんですが、友人に教えてもらいながら続けられています。
私もいずれ年をとるので、仲間をもっと増やし、育てていきたいです。
―好きなたべものは何ですか?
大阪人ですのでお好み焼き、たこ焼きは絶対ですね。あとはラーメン。全国各地のラーメンを食べ歩いているんです。通訳の仕事のついでにね。その町で出会ったひとたちにおすすめのラーメン屋を教えてもらい、びゅんと食べに行っています。
―最近幸せだと思ったことは何ですか?
そりゃあもう! 齋藤陽道さんと会えたことですよ! もう死んでもいいぐらい嬉しい。齋藤陽道さんの写真を見たとき、ガーンと叩かれたようなショックを受けました。カルチャーショック。ほんまにびっくりしちゃって、声が出なくて。今まで私は何をやっていたんだろう、と思ってしまうぐらいに。それからは彼の書籍や写真集を全部買い揃えて、横浜での講演会にも行きました。東京での個展にもいきました。ほんまに行ってよかった! 展示されていた作品全てを家に持って帰りたいと強く思うほど。あのとき死ななくてよかった。背中を叩いて止めてくれた夫に感謝です。
手話通訳の神様だと思っている方がいるんです。田中キヨさん! 田中キヨさんに「あなたみたいな映画手話通訳者は他にいない! すばらしい! もっと自信を持って続けて欲しい!」と言われたときは全身が震えましたね。もう一生、この仕事をやっていこうと決心しました。
うん。今、生きているということがただ幸せです。いろんな出会いもあって、通訳の仕事もやりがいがある。友達もいる。写真も楽しい。
動画インタビュー(手話)
「働くろう者を訪ねて」の写真作品データを無償公開中
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この記事の連載Series
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vol. 332025.01.14チアキさん【居酒屋店長】
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