福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

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齋藤陽道【写真家】 働くろう者を訪ねて|齋藤陽道 vol.01

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働くろう者を訪ねて

手話を言語とする「ろう者」であるぼくは高校生のとき、どんな仕事をしたいのかまったくイメージすることができませんでした。

20歳のとき『13歳のハローワーク』という本がベストセラーになりましたが、それを読んでも「どの仕事も、ぼくには難しそうだな。どうやって働けるんだろう。全然わからない…。とりあえず、なんでもいいから、ろう学校が斡旋してくれるサラリーマンか公務員かな」と消極的な考えしかできませんでした。そこに自分の意志はありませんでした。

それが今では、様々な縁がめぐり、写真家として仕事ができています。
昔のぼくにはまるで想像もできなかった仕事に、今、就いています。

しかも、いざ社会人として働きだして周りを見てみれば、弁護士、医者、格闘家、大工、漁師、理容師、俳優、プロスポーツ選手、芸術家、パティシエ、システムエンジニア、介護士、トラック運転手……じつに多様な職業に就いているろう者がいました。また、薬剤師やバス運転手のように、法律の改正によって、新しく就けるようになった職業もありました。

こうした多様な職業に就いているろう者の存在を、かつてのぼくが知ることができたなら、どれほど仕事に対する考えを広げられただろう。そう思わずにいられません。

かつてのぼくが欲しかったものは、手話を言語として、自分の力で働くろう者の存在を知ることができる本でした。そうした情報がまとまっている本を、ぼくは知りません。
この連載は、若いろう者たちに、もとい、後世に伝えるために、働くろう者たちの肖像を1冊の本にすることが最終的な目的です。その人の存在感を伝える1枚の写真の力を信じて、「21世紀、こうして働くろう者がいた」という肖像を残していきたいのです。

第1回は、自己紹介を兼ねて、ぼく自身のインタビューをお届けします。

齋藤陽道【写真家】

しゃしんかさいとうはるみちさんのぜんしんしゃしん もりのなかにたち みぎてにかめらをもっている

−名前、年齢、職業をお願いします。

齋藤陽道、年は37歳。1983年9月3日生まれ。
仕事は写真家。文を書いたり、イラスト、漫画も描いています。でもまあ、基本的には写真の仕事をしています。

−出身地はどこですか。

生まれは東京。育ちもずっと東京。2020年12月に熊本へ越してきました。
東京の生活に飽きたというのもあるけれど、ぼくのこどもを通わせてみたい小学校が熊本にあったというのが引っ越してきた理由です。

−今まで通っていた学校はどこですか。

ぼくは幼い頃から補聴器を着けて生活していました。20歳のとき、補聴器を着けるのをやめました。中学校までは聴者の学校へ通っていたけれど、口話でのコミュニケーションが上手くいかず、自分の心に限界を感じ、高校からろう学校へ通い始めました。東京都立石神井ろう学校です。高校の3年間、専攻科の2年間、合わせて5年間は通っていました。その後は大阪の写真専門学校へ1年半。そこは中退しました。なので、最終学歴は石神井ろう学校専攻科ですね。

−小さい頃の夢は何でしたか。

全然無かった。ゼロ。ぼくはどんな仕事がやれるのか、というイメージをすることがまったくできなかった。小学校の先生から「どうして無いの?」と聞かれるのも面倒くさかったので、好きでもなかったけど、当時みんなに人気があった「プロ野球選手」や「サッカー選手」を言っておきました。
小学生の自分はろくにコミュニケーションができなかったんです。そんな自分が仕事? できないよ、将来の夢なんか持てないよ、と思っていました。

−今の仕事を選んだ理由を聞かせてください。

写真の仕事ができているのは、たまたまなんです。写真の仕事をやりたい!と思って始めたわけではなかったんです。たまたま。

高校でろう学校に入って、手話に出会い、手話に魅入られ、それを何かの形に残したいと思って、絵や文章などいろんな表現方法を試しました。そのなかでぼくに合っていたのが写真でした。

撮り続けていくうちに、もっと専門的な撮影技術を習得したいと思うようになりました。でも、それはただやってみたいなというぐらいの軽い気持ちで、「絶対に写真で仕事をやりたい」とは少しも思っていませんでした。
独学で写真撮影技法の勉強をし始めてみたら、ますます写真の世界の奥の深さを実感して。道具や知識も足りない、専門学校へ行くべきか? ということで、大阪の写真専門学校へ入ってみました。

でも、よし! 写真をやるぞ! というような強い気持ちはまったくなくて、ちょっとやってみよう、もうちょっとやってみよう、という感じで一歩一歩ずつ歩んでいましたね。気づいたら、それが仕事につながっていました。

−写真集だけではなく、エッセイ・イラストでの本も出していますね。どうやって本を出すことができたのか、その経緯が気になります。出版社への持ち込みや営業はしていましたか。

写真という基盤ができてきてから、それが文章やイラストにもつながっていきました。

主に写真集を出している「赤々舎」という出版社があります。いろんな出版社のなかで赤々舎が一番大好きなんです。よそ見をせず、一直線に、赤々舎へ写真作品の持ち込みをしました。そしたらすぐに出版が決まって、それがはじめての写真集になりました。

様々な写真の仕事をしたり、多くの人を撮っていくなかで、多様なコミュニケーション方法があるということを知りました。その気づきを形にしたいと思って、文章やエッセイ、イラストを書き始めました。まず写真があり、それからいくつかの表現方法につながり、広がっていったんです。
「写真が好き」というよりも、「コミュニケーションとは何か?」という好奇心がぼくの土台にあります。いろんな人に出会える機会がほしかった。それに写真撮影という方法、カメラというアイテムがちょうどよかったんです。映画でもなく、文章でもなく、イラストでもなく。
写真をやっているといろんなコミュニケーションができる。いろんなところへ行ける。いろんなごはんも食べられる。それが楽しいです。

−好きな食べ物はなんでしょうか。

餃子。最近自分でつくるのにハマっていて。粉を練って皮をつくるところからやります。水餃子が、一番美味しい。好きなタレは、自家製のラー油。

−5年後の自分はどうなっていると思いますか。

今は37歳だから42歳か。今、ぼくは『神話』という大きなテーマに取り組んでいます。これをどうしても大きな写真集にしたい。両手を使ってめくっていくような、大きな写真集。その写真集を5年後には出したい。いや、まだ時間が足りないかな、10年後か、と悩んでいます。

−『神話』というのはどのようなテーマですか。

「七つまでのこどもは神のうち」という謂れがあります。神に近い存在であるこどもたちをいろんな世界へ連れて行くと、その地、自然と溶け合い、遊んでくれます。ぼくはその瞬間を撮っています。スタートしたのは2015年。7年目である2022年の完成をメドにして取り組んでいます。が、どうなるかは全然わかりません。

−何をしているときが幸せですか。

こどもたちとぎゅっぎゅっ抱き合っているとき。

インタビュー動画(手話)

インタビューの様子や、日常の様子をまとめたこの映像には、音声も字幕もテロップもありません。写真だけではどうしてもわからない、その人の手話の使い方に滲みでてくることばの特徴を感じてもらうためです。
たとえ手話がわからなくても、そのリズムに目をゆだねてみてください。じわりと浸透する何かが、きっとあります。「こういうふうに話す人なんだなあ」と知ってもらった上で、写真を見てもらうと、見え方がまた変わります。

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連載:働くろう者を訪ねて|齋藤陽道