福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】施設の中で立つおおばやしみかさんの写真。半袖のデニムシャツの下に長い黒色のTシャツ、黒いパンツをきている。髪の毛は肩までかっかっていて手を前で揃えて正面を見てたっている。背景には、ホームを利用する高齢者の人たちが座っている。【写真】施設の中で立つおおばやしみかさんの写真。半袖のデニムシャツの下に長い黒色のTシャツ、黒いパンツをきている。髪の毛は肩までかっかっていて手を前で揃えて正面を見てたっている。背景には、ホームを利用する高齢者の人たちが座っている。

大林美樹さん【介護福祉士】 働くろう者を訪ねて|齋藤陽道 vol.45

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手話を大切なことばとして生きる「ろう者」はどんな仕事をしているのでしょうか。

連載「働くろう者を訪ねて」では、写真家であり、ろう者である齋藤陽道が、さまざまな人と出会いながらポートレート撮影とインタビューを重ねていきます。

最終的な目的は、働くろう者たちの肖像を1冊の本にすること。その人の存在感を伝える1枚の写真の力を信じて、「21世紀、こうして働くろう者がいた」という肖像を残していきます。

(連載全体のステートメントはこちらのページから)

第45回は広島県呉(くれ)市で介護福祉士として働く大林美樹(おおばやし・みき)さんを訪ねました。

大林美樹さん【介護福祉士】

【写真】施設の中で立つおおばやしみかさんの写真。半袖のデニムシャツの下に長い黒色のTシャツ、黒いパンツをきている。髪の毛は肩までかっかっていて手を前で揃えて正面を見てたっている。背景には、ホームを利用する高齢者の人たちが座っている。

― お名前、年齢、ご職業は?

大林美樹です。49歳。介護福祉士として、この聴覚障害者専用養護老人ホーム「あすらや荘」で働いています。

 

― 出身地はどこですか。

広島県広島市で生まれて、三次(みよし)市で育ちました。

 

― 今まで通っていた学校はどこですか。

地元の保育園と広島県立広島ろう学校(※注)の幼稚部に通っていて、小学3年生のときに地域の小学校へ転校しました。高校生になってから広島ろう学校にUターン。

高等部卒業後、広島県安芸郡海田町にある広島福祉専門学校の介護福祉科で2年間学びました。座学や実習をみっちり受けて、介護福祉士の資格を取りました。

※注:2007年 広島県立広島南特別支援学校に校名を変更

 

― こどものときの夢は何でしたか。

小さいころは、警察官に憧れていました。『太陽にほえろ!』というドラマを見たのがきっかけ。ケーキ屋さんもいいなと思っていました。

中学生のときはろう学校の先輩方の進路をみて、私も事務の仕事をするのかな、それでもいいかもとざっくりとイメージしていました。

高校2年生のときに「看護師になりたい!」と思うようになりました。実は中学生のとき、交通事故に遭ったんです。1ヶ月ぐらいの入院生活で、看護師とのコミュニケーションに苦労しまして……。それに、姉が看護師なんです。かっこいいんですよ。

 

― これまでの職歴は?

介護福祉士の国家試験に受かり、広島福祉専門学校を卒業してすぐに、聴覚障害者専用養護老人ホーム「あすらや荘」へ入職しました。

6年間働き、結婚や出産を機に退職しましたが、障害者地域生活支援センターを立ち上げた知り合いに「うちで働いてほしい」と誘われました。こどもが小さくても働けるような環境だったので入職しました。

そこで働いていたのは7年ぐらいだったかな。障害者地域生活支援センターで勤めつつも、あすらや荘のことが忘れられず……。ろうのおじいさんたち、おばあさんたちに会いたいという気持ちでいっぱいでした。みんな元気かな、またみんなと手話でおしゃべりしたいな……。

たまたま会ったあすらや荘の職員に「戻ってきたらどう?」と声をかけられたのがきっかけで、戻ってきました。それから15年間ぐらい勤めています。介護福祉まっしぐらですね。

 

― 介護福祉士になろうと思ったきっかけは?

高校2年生のとき、看護師になりたいと公言したのですが、みんなから無理無理と言われまくってしまい、諦めたんです。「聞こえないから聴診器とか使えないでしょ」とかも言われました。

気を落としていたら、ろう学校の先生からあすらや荘のことを教えてもらい、介護福祉士という仕事のこともそのときに初めて知りました。

あすらや荘で1週間の泊まり込みの実習をやってみて、ますます介護福祉士の資格を取りたい!と思うようになりました。

それと、看護師になりたいと考えはじめたころに、学校行事の「平和学習」でろうの被爆者の講演を見る機会があったんです。ろうの高齢者と出会ったのもこれが初めて。その手話での講演がとても印象に残っていて、もっと手話での話を聞きたい、見たいと強く思いました。

後日、何度か会いに行きました。快く迎えてくださり、可愛がっていただきました。「介護福祉士になりたいんです」と伝えたらとても喜んでくれました。

その方は数年前にお亡くなりになられました。その方は今でもどこかで、介護福祉士になってここで働いている私を見てくれている。生前のように応援してくれていると思っています。だから私はここで楽しく働き、頑張ることができています。

広島県内では私が、初のろう介護福祉士だそうです。

 

― 広島福祉専門学校での学びはどうでしたか?

ろうの入学者は前例がないので、専門学校の先生方は戸惑っていました。私も参考にできるものがないので、どうなるんだろうと心細かったです。

「手話通訳者を派遣してもらうことはできない」と学校側に言われましたが、介護福祉士になりたかったので腹を決めて、入学しました。

クラスには当時はやっていたドラマの影響で、手話に興味を持っている生徒が何人かいたんです。クラスメイトのサポートや、先生の気配りのおかげで授業について行くことができました。「わからないことはあるか」「ポイントはここ」「後で聞きに来て」と、こまめに言ってくれる先生もいました。

ろう学校勤務経験のある先生もいて、手話で教えてもらいました。運が良かったんですね。手話ができるようになったクラスメイトもいました。

授業や実習は本当に、とても厳しかったです。卒業すると同時に、介護福祉士の資格を取得できるというコースだったので、より一層厳しかったんでしょうね。

いろんな老人ホームや障害者施設へ実習しに行きました。私が行くと、どこでも「何しにきたんだろう、大丈夫なのか」と心配されましたね。うっふふふ。

 

― あすらや荘のことを教えてください。

全国初の聴覚障害者専用養護老人ホームです。あすらや荘は私が生まれた昭和51年7月に開設されました。なんだかご縁を感じています。

和歌山県、大阪府、四国のほうなどからの入所者さんもいます。

ここへ入所される方の背景は様々です。

聞こえるお子さんが聞こえない親とのコミュニケーションができず、一緒に暮らせなくなってここへ、というケースもあります。一般の老人ホームに入所できたが聴者に囲まれて、「手話でのコミュニケーションがないのでつらい」という気持ちに気づいた家族の方がここを探し当て、遠方からやってきた方もいます。

ここは手話でコミュニケーションができるので、ろう者にとってはリラックスできる場になっています。でも24時間一緒に暮らすとやっぱり、時々ケンカなどもおこったりしますね。それも楽しいなと思いつつ、「まあまあ」と仲裁しに行ったりしています。

聴覚障害者専用養護老人ホームはここを含めて全国で8か所(※注)あります。もっと増えてくれたら嬉しいですね。

※注 2026年時点 広島県呉市「あすらや荘」、北海道上川郡「やすらぎ荘」、京都府綾部市「いこいの村・梅の木寮」、福岡県福岡市「田尻苑」、大阪府羽曳野市「あすくの里」、兵庫県洲本市「淡路ふくろうの里」、埼玉県入間郡「ななふく苑」、高知県高岡郡「静幸苑」
(参考:全日本ろうあ連盟 ウェブサイト|「全国高齢聴覚障害者福祉施設協議会」はろう高齢者のための老人ホーム等を紹介するリーフレット「手話で生きる」を作成しました

 

― あすらや荘に勤めているろう者は?

ろうの職員は私を含めて2人です。もっとろう者に来てほしいです。募集しています!

介護の仕事は本当に、やりがいがある仕事。楽しいですよ。その様子をもっと若い人に見てほしいです。介護の仕事が合っている人はもっといるはず。

ここでは手話ができないと、いざというときに困ることがあります。なので聞こえる職員たちは自分で手話を勉強したり、手話サークルへ通っています。

 

― 仕事の内容を教えてください。

主に皆さんの日常的な生活をサポートしています。食事、トイレ、入浴など。ここは施設なので浴室、食堂もあります。

 

― この仕事で心がけていることはありますか。

会話を大事にしています。昔は障害者に対する差別がとても濃くありました。戦争を経験した方もいます。ここでは自分の気持ちを手話で語り合えるので、辛いことも共有しあうことができるんです。

私も皆さんから様々な話を聞くことができ、とても勉強になっています。なるほどと思ったことや話の内容、手話をノートに記録しています。今はスマホも活用しています。

興味深いなと思ったのが「明日」の手話。

一般的な「明日」は頭の横で人差し指を立てて、前に向けて軽く1回振ります。人差し指を後ろの方に向けて振るパターンもあります。人差し指を立ててから、グーにしてこめかみに当て、寝るような仕草をするパターンも。人差し指をこめかみに当てながら、その方向へ顔を傾ける、ってのもあります。

年代、地域などによって手話が異なるんですね。

私は一人ひとり、その方が使う手話を使って、会話をするようにしています。

 

― 5年後の自分は、どうなっていると思いますか?

これまでは3人の子育てをしながら仕事も頑張り続けていました。今年、末っ子の娘が高校を卒業しました。今は県外の大学に通っています。

今年。うん、本当に今年になってやっと、自分の時間を持てるようになったんです。何をしようかな。5年後って、何ができるんだろう。ゆっくり探してみたいです。介護の仕事はずっと続けていきたいですね。

スポーツ観戦が大好き。野球、バスケ。デフリンピック2025のバスケの試合も観にいきました。意外だとよく言われるのですが、私、プロレスを観るのも大好きなんです。父の影響でプロレスにハマりました。子育てしていた間はなかなか滑りにいけなかったのですが、スノボもまた始めたいな。

この仕事はシフト制なので、平日の休みがほとんど。友人たちと日にちを合わせながらグルメ巡りやバイクで島巡りなど色々なところへ行ったりしていて、平日の休みならではの醍醐味があります。

 

― 好きなたべものは何ですか?

お好み焼きが大好きです。やっぱり広島県民なので。

一般的な広島のお好み焼きは、鉄板に生地を薄く引き、その上にキャベツ、もやし、豚バラ肉の順に乗せて、ひっくり返します。それを横に置いといて、ソバ(焼きそば麺)を焼き、その上にさっきのを乗せます。またそれを横に置いといて、卵を薄く引いて焼き、さっきのを乗せて、できあがり。

 

― 最近幸せだと思ったことは何ですか?

自分一人で3人を育ててきて、3人とも私の手を離れていった今、気持ちも時間も余裕ができた今、新しい幸せを噛みしめています。今までよくやったなと自分を労わってあげたい。

動画インタビュー(手話)

インタビューの様子や、日常の様子をまとめたこの映像には、音声も字幕もテロップもありません。写真だけではどうしてもわからない、その人の手話の使い方に滲みでてくることばの特徴を感じてもらうためです。たとえ手話がわからなくても、そのリズムに目をゆだねてみてください。じわりと浸透する何かが、きっとあります。「こういうふうに話す人なんだなあ」と知ってもらった上で、写真を見てもらうと、見え方がまた変わります。

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連載:働くろう者を訪ねて|齋藤陽道