
嫌なら怒っていい──でも、そんな言い方もしてほしくない。目の前の「怒り」にどう向き合いますか? 平尾剛さん×野口晃菜さん こここインタビュー vol.34
強い言葉や大きな声で怒りをあらわにしている人を見て、「そんなに怒らなくても……」「優しく言ってほしい」と思ったり、「怖い」と感じたりすることがあります。
職場、公共空間、もちろん家庭でも、冷静に自分の感情を抑えるように教わってきた私たち。無造作に怒りをぶつけ、人の行動を支配しようとすることは、実際さまざまなハラスメントにもつながっていきます。
アンガーマネジメントを学び、ちゃんとロジカルな言葉で伝えることが対話を生んでいく——こう考えると、「怒り」はできるだけ避けたい感情になるかもしれません。でも、「嫌だ、苦しい、怒っている」といった感情は一切表に出さずに我慢するべき、と言われたら? 感情を押し殺すのは、相手や自分の何か大切なものを失わせてしまうことにはならないでしょうか。
「嫌なら怒っていい。でも、そんな言い方もしてほしくない」
怒りという表し方を大事にしつつ、怒りの力で他者に支配されたり、支配してしまったりするコミュニケーションをどう避けていくか。インクルージョン研究者の野口晃菜さんと、元ラグビー日本代表選手で成城大学経済学部教授の平尾剛さんに対談いただきました。
怒りという激情は必要である
平尾 今回「怒り」というテーマをもらって、いろいろなことを考えました。実は僕がやっていたラグビーでは、怒りってとても大事なんです。身体と身体がぶつかり合う競技ですから、ちょっと言葉は悪いけど「叩きのめしてやる!」みたいな闘争心を高めなきゃ戦えないんですよね。
でも、熱くなって試合中に相手を殴ってしまっては退場です。感情を高めつつも一定のラインの枠内に収める、冷静な心を作らなきゃいけなくて、僕自身も現役時代はずっと苦労してきました。怒りのコントロールの話は、その心構えができていく過程に似ているように思います。
野口 わかります。“闘争モード”が必要なときってありますよね。私も講演したり文章を書いたりする瞬間は、たぶん平尾さんのラグビーと同じでスイッチが入る感覚があります。別に目の前の人と戦うわけではないけれど、そういうモードになることで行動力や説得力につながっていく気がするんです。
平尾 激情と呼ばれてるものを感じること自体は、別にいいんですよね。生きているから。
野口 よく「感情的であること」と「ロジカルであること」は対比させられますが、私はそうじゃないと思ってるんです。理性的に感情的であることは可能だし、むしろとても大事なこと。まさにラグビーでの激情の扱い方と同じで、自分が表現したいことを伝えるための「怒りの表し方」ってすごく重要なんです。なのに、「怒り」という感情そのものが「ないほうがいいもの」と扱われたり、感情的であることが下に見られたりすることが多くて。
平尾 喜怒哀楽の中でも、怒りは特に扱いが難しいとされてますよね。
野口 子どもたちへの支援でも、感情を表に出す子たちに、周りが「怒っちゃだめだよ」と感情自体を否定するような関わりをしがちなんです。でも、怒り自体を感じることは悪いことではなく、感じたときにどうやって自分が怒りに振り回されないかや、その怒りをどう相手に伝えるかを一緒に考えることが、本当は大事なのかなと。
「怒ってはいけない」とされてきた私たち
——おふたりは、もともと感情を表したり生かしたりするのが得意だったんでしょうか?
平尾 僕は全然、得意じゃなかったです(笑)。ぶつけてはみるものの、「言っても伝わらない」と思うとすぐ遮断して立ち去るようなタイプでした。31歳までいたスポーツの世界では、上から言われたことを飲み込むのが当たり前。指導に疑問や違和感があって瞬発的に怒りが沸いても、「試合で結果出せばええんやろ」と内側で溜飲を下げているような期間が長かったですね。
自分の感情としっかり向き合えるようになったのは、引退間近になってからです。脳震盪の後遺症が続く原因を知りたくて本を読んでいるうちに、現役時代に抱えていた、いろんな疑問の答えが見つかる感覚がありました。「自分の中の違和感やすぐにわからない部分も、こうやって時間をかければ腑に落ちていくかもしれない」と思えたことで、研究者の道に進んだんです。
野口 闘争心の話も、すごく俯瞰して分析されているなと思いました。
平尾 振り返るうちに「ああ、僕はそういうことをしていたのかもしれない」と、言葉を見つけられたような手応えがあったんですよ。昔はもう全然。怒りを抑え込んではいたけれど、扱えているという感覚はありませんでした。
野口 私は正直、昔も今も感情を上手に扱えている自信はないですね(笑)。実は小さい頃から“瞬間湯沸かし器”のような子どもで、すぐ怒ってパニックになって泣くという感じ。衝動性が強い傾向は今もあると自覚していて、考える前に言いたくなることがあります。実際に言っちゃうときもあります。
だから、支援の現場で衝動性が強い子たちが「やっちゃだめだよ」と言われてもやっちゃうのも、よくわかるんですよ。いつのまにか感情が爆発してしまう。怒りにコントロールされてしまう。その場合のスタンダードな支援としては、感情が爆発しそうになるタイミングやきっかけを一緒に分析して予防すること。要は、怒りに自分を持っていかれないようにすることが大事なんですね。
平尾 言葉を見つけたり俯瞰的に分析したりすることが、怒りという感情のコントロールに近づくと僕も思います。ただ一方で、怒りの表出が許されない状況も不健全じゃないですか。大学の授業で教えていると、怒りを表すことに対するブレーキの大きさを学生たちから感じるんです。
野口 ああ、わかります。私も非常勤で、教員を目指す学生に生徒指導の科目を教えているんですけど、似たような印象を持っています。
平尾 授業へのフィードバックシートなども、ロジカルに書こうという気持ちが強い。僕が繰り返し「自由に書いてほしい」と言い続けて初めて、やっと「これに対して私は納得がいかないと思っている」みたいな怒りが出るんですよね。これは本人の資質というよりも、今までの学校教育を経て、よっぽど感情や意見を出すことに慎重になっているんだろうと感じます。
野口 自分の発言で相手を傷つけちゃダメだ、という意識がすごく強いですよね。私が生徒指導の授業で一番最初に扱うのが、子どもの権利条約にある「意見表明権」なんです。学生たち自身が学校や家庭の中で、気持ちを聞かれずに抑圧されてきた経験を解きほぐしながら、「あなたの中にある、どんな意見も大事なんだよ」と伝えます。
そうすると、徐々に「学校でこれがあってムカついた」「親にそれ言われてすごい嫌だった」みたいな、過去への怒りが出てくるし、触発されてさらに別の学生からも意見が出てくる。同じ怒りを表す子もいれば、「自分はそんなふうに感じたこともなかった」と驚く子もいます。
利害関係のない、裏アカでもない関係性を見つける
——怒りを避けたがる背景に、「人の怒り」に触れて傷ついた経験もある気がします。それが感情の抑圧につながっていることはないでしょうか?
平尾 学生同士が授業のフィードバックを通して、ようやくお互いの感情に気づくことが多いのは、普段はそういう話をしていないってことですよね。僕が学生の頃は、部活なんかで「さっきの先生の話どう思う!?」とか「俺は絶対キックで行ったほうがええと思うねんけど」と仲間としゃべって喧嘩になった覚えもあるけど、そういう突っ込んだ話ができていないんじゃないかなと。それは怒りへの恐怖というより、もっと手前の「熱さ」みたいなものをぶつける怖さや恥ずかしさのような気もします。
野口 今の話を聞いて思い出したのが、とある施設に訪問したときに、ひとりの10代の子が「裏アカ(匿名のSNSアカウント)が使えないのが一番ツラい」と教えてくれたことです。その施設にいる間はSNSが使えないから、どれだけムカつくことがあっても、裏アカで本音を言えない……と。これまで裏アカ以外に、本音を言って受け止められた経験がなかった、ということなのかなと思います。
平尾 目の前のコミュニケーションと本音が全然違うという。
野口 そうなんですよ。周りの人と話し合いで物事を解決する機会がなかったり、伝えてみても意見を否定されたりした経験が、積み重なっているんだと思います。そもそも自分の気持ちを、大人たちから聞かれてきていないんですよね。誰もちゃんと聞いてくれないのに、「困ったら相談してね」と言われてきた子が多いように思います。
平尾 切なくなってきます……。でも考えてみたら、これは今の子どもだけの問題じゃないですよね。
野口 大人だって裏アカでしか子育てや上司の愚痴や不満を言えないこともありますよね。匿名でしか怒りを表明できない社会になっちゃってるように思います。声を聞かれてこなかった、自分の気持ちが大事にされてこなかったのは大人も同じで、中でも怒りという感情に対しては、特に否定が強かったということなんだと思います。そこをどう取り戻していくか。怒りであったとしても、本音を伝えても大丈夫と思える関係性をどうつくっていくか。
平尾 身近で話ができそうな人を見つけられるといいですよね。「嫌だった」「傷ついた」みたいな怒りを自分の心の中に閉じ込めておくのはつらいし、とはいえ大きな場で声を上げて言うのも勇気がいる。行きつけの店の大将に愚痴こぼすとか、ちょっと心理的に距離がある相手に対してでもいいと思うんです。
野口 利害関係のない相手だけど裏アカよりは近い存在、みたいな。友達や家族のように、関係性が近いからこそ言いづらいこともありますよね。
傷つけ合うのを前提に、感情をぶつけてみる
平尾 上司部下や親子など、非対称な関係にあると、やっぱり声って聞かれづらいんです。ただ一方で、「誰かをコントロールしたい」という欲求は、もともと人に備わっているとも思うんですよ。
スポーツの現場だと、指導者から選手に対してはもちろん、チームメイト同士でも、相手を自分の思い通りに動かそうとする側面はある。僕自身も現役時代、後輩の実力を測りながら、どうすればレギュラーを取れるかと考えて立ち回ることだってありました。
野口 組織の中でも同じようなことがありますよね。上司が部下を、はもちろん、同僚同士でも。親や教員だけでなく、組織や学校そのものが、誰かを管理しコントロールする前提で作られている部分もあります。
——聞きながら、子どものきょうだい喧嘩を思い出しました。ああいう日々のぶつかり合いにも「相手を思い通りにしたい」気持ちが表れているような気がします。
野口 そうやって「自分の思い通りにしたい、でもそれが難しいこともある」「自分と相手は違う存在だ」と成長の過程で学ぶんだと思います。一方で、大人になっても人を思い通りにしたい欲求が強く出てしまうことはあって、特に親としては、子どもについ思い通りに動いてほしくなることもありますよね。
誰かが誰かをコントロールする社会は、私が実現したい社会とは逆なんです。でもそんな私自身、より多様な意見が尊重される社会を作りたいと思っていたはずが、いつのまにか相手を自分の思い通りにしようとしていることもあります。親子関係でも、仕事関係でも大切にしていることは、まずは「そういう欲求を持っている自分がいる」と受け入れるところからですかね。完璧にその欲求を捨てるのは難しいことを自覚する。その上で最大限、害を減らす。
平尾 そういう自分に自覚的になれたのは、いつ頃なんですか?
野口 フェミニズムの考え方に出会って、子育てを始めて……本当に最近なんです。以前、もっと男性社会でマッチョな働き方をしていた頃は、自分に相手を支配しやすい気質があることや、「支援」と言いながらしていることが支配と紙一重だということに気づいてませんでした。
ただ、親や教員である以上、支配の構造からは逃れられないんですね。だから、せめて“害を最小限にする”というのが今の私のスタンス。私に振り回されない人とチームを組んで、自分のコントロールだけが場に効かないような環境にしています。
——一方的な支配にならないしくみづくりをしていく?
野口 そう、全く傷つけないとか、全く相手に影響を及ぼさないのは無理なんですよね。でも、だからといって「傷つけてもいい」と正当化すべきということでもなくて。人と生きている以上、どうしてもすれ違ったり、相手に負荷をかけてしまったりすることはある。だからこそ、できるだけ害を減らす工夫と、やってしまった後に修復する努力を大事にしたいです。
平尾 でも、それが今はなかなか許容されないですよね。相手を傷つけないように、自分も傷つかないようにって……。
野口 だから、匿名でしか本音が言えなくなっちゃう。
平尾 ぶつかり合わないと、切磋琢磨できないですから。そういう意味では、スポーツの現場こそ変えていかなきゃとは思ってます。強力なひとりの独裁的な指導者が子どもをコントロールするのではなく、子どもたちに「どんなプレーしたいの?」「次は誰が試合に出ようか」と聞いていけるといい。今はそうしたコミュニケーションが不十分で、内に閉じこもって怒りを抑え込ませる場になってしまっています。
子どものスポーツについて世界的に見ると、例えば試合の出場時間を全員均等にする、とルール化している国が出てきているんですよ。それは試合の結果ではなく、みんなが自分の感情と向き合ったり、人と対話したりできる機会を大事にしたいから。日本もそういうしくみを取り入れて、スポーツの意義を変えていく必要があります。
——本来スポーツって、楽しさの中で感情をぶつけあえる場ですよね。
平尾 そうです。「なんでパスせえへんねん!」「いや、俺はパスじゃないと思ってん」みたいな衝突からコミュニケーションって始まるわけですよ。そこに独裁的な指導者が「パスせえ!」と口を挟むのではなく、練習を止めて「みんなどう思う?」みたいなことが始まったら、僕は集団競技が文化的な営みになると思っています。
「時間の幅」で怒りを捉え直してみる
——怒りという感情を持っているのは当たり前で、それをぶつけ合っていい。そこまで理解した上でもなお、「そんな怒り方してほしくない」と感じてしまうことはあると思います。そこも慣れるしかないんでしょうか?
野口 大事なのは、そういうことがあった後に修復できる関係性があることなんだと私は思っています。言葉じゃなくてもいいけど、「自分の気持ちを相手に伝えることで、お互いに良い関係性ができるんだな」って徐々に学んでいくというか。
特に家族なんて、ずっと怒らない関係は無理じゃないですか。そこを目指すんじゃなくて、怒ってもその怒りに持っていかれずに、相手と良い関係性を維持するための伝え方を知ったり、怒りに持っていかれたとしても修復できる経験を積み重ねたりしていく、ぐらいの感じがいいんじゃないかな……と。平尾さん、どうですか?
平尾 僕ら夫婦もやっぱり娘に怒っちゃうことがあって。特に妻は強く言っちゃうことも多いんですけど、時間を置いて謝ったり話したりしているんですね。そうしたら最近、娘もそれをわかっているからか、怒られている間はシュンとしてるんだけども、たまに僕の方を見てニコッとするんですよ(笑)。その時は親が怒っていても、翌朝また普通に話せるってことまで、ちゃんとわかっているんだろうなと思います。
野口 いい関係ですね。
平尾 怒りをぶつけてしまったとしても修復できるというのは、「時間の幅を取る」ってことですよね。瞬間的に怒りを爆発させて、受け取って傷ついて……じゃなくて、長い目で見て落としどころを見つけようとすること。そういう人が減っているんじゃないでしょうか。
それは大きな社会課題に対して声を上げることも一緒で、瞬発的な怒りだけでは保ちません。すぐには変わらないことを批判したり、異議を唱え続けたりするには“持続力”がいるんです。行動力につながる瞬間的な怒りと、継続していくための持久走のような怒り、2本立ての視点を持てるといいのかなと。大変だけど「怒りを考える」ってそういうことやと思います。
野口 すごく納得です。私は陸上部で短距離をやっていたのもあり、やっぱりそういう瞬発的な動きは得意なんですよ(笑)。最近はピラティスをやっているんですけど、力を抜くのがすごく難しい。そういう力の抜きどころや入れどころを自分でコントロールする、持続的な力の使い方は、私もまだ足りないと思うし、おそらく社会全体でも学ぶ機会が少ないんだろうと思います。
——今回「怒り」をテーマにするにあたって、事前に野口さんには「トーンポリシング」という視点を解説いただきました。今の時間のお話とつながっている気がします。
平尾 まさにそうではないですか? 怒っている人に対して「その言い方がおかしい!」と瞬発的な反応をしてしまうというか……。
野口 もちろん、怒りをぶつけられて傷ついたり、怖いと感じたりするのも自然なことです。ただその時に「言い方が悪い」で思考停止するのではなく、「なぜここまで怒っているのだろう」と一歩立ち止まって考えてみることが大事なんだと思います。 トーンポリシングの話ともつながりますが、学校でも職場でも家庭でも、立場の強い人が怒ることは許容される一方で、立場の弱い人の怒りは「感情的だ」「冷静になれ」と言われやすい。 だからこそ、特に非対称な関係性の中で怒りに出会ったときには、「なぜこの人は怒っているんだろうか」と考えることが大事だと思っています。
その人が置かれている状況や非対称な社会の構造、怒りを表明せざるを得なかった背景を知っていれば、 怒りに触れたときに「そう言わざるを得なかったのかも」と受け止められるかもしれない。 それと同時に、自分自身が構造の中で抑圧されていることに気づくことも、相手の抑圧に目を向けることにつながります。
平尾 やっぱり勉強しようってことですね。自分の経験則の中で判断しちゃう人が多いですけど、まずそこから離れなきゃいけないのかなと思います。みんな学ぶ必要がある。
野口 気づけることは大事だと思う一方で、そこから声を上げるまでには、まさに「時間の幅」が必要だなと思います。SNSなどでは特に瞬時に意見を言うことを求められますし、声を上げない人は悪だという風潮すらあります。私自身はどちらかと言うと声を上げることができる特権を持っていると思いますが、声を出せない、出さない人に「あなたももっと怒って!」とは言わないスタンスでいたいなと思うんです。
平尾 「声なき声に対する想像力」ですよね。僕も社会問題に怒ったり署名を集めたりしているので、声を上げている側の人間です。例えば神宮外苑再開発の問題で、秩父宮ラグビー場の取り壊しに反対していると、「なんでラグビー界の人間は何も言わへんねん」って気持ちはやっぱり湧いてくるんですよ。けど、いろんな立場の人間がいるなかで、表立って言えない人がいるのもわかるわけです。
野口 まさに。声の上げ方で言えば、私はよく「ずらす」とか「揺らす」って言葉を使うんです。相手の考え方をひっくり返すことを試みるというより、今の「当たり前」や「普通」の軸を少しでもいいからずらす。社会に対しても同じで、正面から「社会を『正しく』変える!」というアプローチじゃなくて、今の当たり前や「こうあるべき」をちょっとだけ揺するような気持ちで活動していますね。ただこれも、私の立場だからできるやり方ではあるため、全ての人がすべきとは思っていません。
平尾 斬新な世界観じゃなくて、「角度をちょっと変えるだけで、こう見えるんじゃない?」みたいなね。それって、聞き手が気づいてくれるであろうという信頼があるからこそ可能になりますよね。
怒っている人も、怒りを受け取る自分も守る方法
——野口さんは、自分の衝動性の強さを「ダメなものだから」と感情を抑えたり消そうとしたりしたことはないですか?
野口 消そうとしたけど、消えないです(笑)。それに、やっぱりこの衝動性の強さや感情の振り幅が仕事に生きている部分もあるんですよ。社会に対する怒りが、先ほどの言葉で言うと持続するから。ただ、その強い怒りに自分も周りも振り回されないようにする環境設計をしたりしていますが。
私が感じている怒りは、誰か個人への怒りというより、声が聞かれないしくみや、特定の人に不利益が集中する構造への怒りなんです 。その怒りを誰かを攻撃するためではなく、社会を少しずつずらしたり揺らしたりする力に変えたい。社会に対する違和感や怒りがなかったら、今の仕事はしていなかったと思います。
平尾 怒りって多分ね、刀みたいなものだと思うんです。自分が生きていくための原動力として、みんなが持っていていいし、いざというときしっかり抜いて振れることも重要です。怒りを捨てるというのは、この大事な武器を捨てることにもなってしまうわけですよね。
けど、剥き出しの刀は敵を作ります。これみよがしに瞬間的な感情で暴れ回っていたら、みんな怖くて近づけないですよね。だから、それをちゃんと納めておく鞘も作りましょうと。それが野口さんがおっしゃる構造を知る努力だったり、異なる他者とチームを組むことだったり、居酒屋の大将にちょっと話してみる時間だったりするのかなと思います。
——もし剥き出しの刀に向き合わないといけないときは、どうやって自分と相手を守ればいいと思いますか?
平尾 瞬発的な怒りに、こちらも瞬発的な怒りで対応しちゃうと、炎上しかない。構造や背景を想像しながら「この人はなぜ怒ってるんだろう」と考えてみることが大事かなと。単純に「あ、怒ってるな」って状況を俯瞰して言葉にしてみるだけでも、自分の感情と距離が置けたりするんじゃないでしょうか。やっぱり「時間の幅」を取って受け止めることが、守り方だという気がします。
——SNSが炎上につながりやすいのは、その幅が取りづらいからかもしれませんね。身体性がない分、スマホの画面越しに怒りを直接感じてしまうのかも。
平尾 確かに。SNSだと、たまにくる誹謗中傷についカチンと来ますね。「怒ってるな」って落ち着いて言えない、ひとつの要因かもしれないですね。
野口 ちなみに、私はその俯瞰を「戦略的幽体離脱」と言ってます。社会構造や相手の背景を想像したとしても、やっぱり怒りをぶつけられるってしんどいですから。必ず陰性感情は持ってしまいます。そういう時は戦略的に幽体離脱して、「相手が怒っている」「それを受けて、私も嫌な気持ちになってるな」と、いったん遠くから眺めるわけです。
その陰性感情って、閉じ込めないで信頼できる人に愚痴ってもいいんです。教員を目指す学生たちにも「保護者から怒りを表明されて嫌な気持ちを持ったら、その場では戦略的幽体離脱をして、あとから信頼できる仲間にグチってもいいんだよ。ただSNSはお勧めしない。匿名でも特定できちゃうから」と言ってます。マイナスな気持ちを処理してから、実際にどうするかはちゃんとチームで考えればいいよと。そうすると、学生は「あ、そういう感情を我慢しなくていいんだ」と安心します。
平尾 自分を少し離れたところに置くんですよね。それも長い時間軸で考えているからこそできることだと思います。
野口 観察モードにいったん入るんです。そうすることでその場の感情に振り回されないようにする。時間を置くと、相手の「怒り」の背景に、例えば仕事と子育ての両立の難しさだったり、孤立だったりが見えてくることもあります。その人個人の問題じゃないことが、実は多いんですよね。
——信頼があるからこそ、お互いに感情をぶつけ合えるということでもありますよね。
平尾 それこそ親と子どもなんて、ずっと同じ屋根の下で生活してるんですからぶつかるのは当たり前ですよね。もちろん喧嘩をなくす努力も大事ですが、一方的に我慢し続けるとおかしくなってしまうし。時には嫌な思いをさせてしまうかもしれないけれど、それでも娘のことは一番に考えているよ、と伝えるしかないのかな。
野口 私も、どう子どもへの害を減らすかを日々意識してます。自分の性質や癖を正直に伝えたり。イライラしたらいったんその場を離れてみたり、忙しいとイライラしちゃうから、仕事を調整したり。怒りに振り回されなくて良い環境をつくりながら、それでも怒りに持っていかれてしまうときは、正直に本人に伝えて、謝って、修復することを試みます。
子どももただ怒りを私にぶつけるのではなく、「◯◯は嫌だったんだ」と伝えてくれたり、私に怒りをぶつけた後に「仲直りしよう」と声をかけたりしてくれることもあります。そして私は、このイライラがそもそも私自身の問題だけではなく、一人で子育てをせざるを得ない状況や社会構造ともつながっているのかもしれない、と考えてみる。そんな毎日です。
Profile
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野口晃菜
博士(障害科学)/一般社団法人UNIVA理事
小学校6年生の時にアメリカへ渡り、障害児教育に関心を持つ。高校卒業後に日本へ帰国、筑波大学にて多様な子どもが共に学ぶインクルーシブ教育について研究。小学校講師、障害のある方の教育と就労支援に取り組む企業の執行役員を経て、現在一般社団法人UNIVA理事として、学校、教育委員会、企業などと共にインクルージョンの実現を目指す。中央教育審議会教育課程企画特別部会、特別支援教育ワーキンググループ、特定分野に特異な才能のある児童生徒に係る特別の教育課程ワーキンググループ、外国人児童生徒等の教育の充実に関する有識者会議委員など。共著に「障害のある10代のための困りごと解決ハンドブック」(現代書館)、「差別のない社会をつくるインクルーシブ教育」(学事出版)などがある。
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- ライター:ウィルソン麻菜
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「物の向こう側」を伝えるライター。製造業や野菜販売の仕事を経て「背景を伝えることで、作る人も使う人も幸せな世の中になる」と信じて、作り手のインタビュー記事や発信サポートをおこなっている。個人向けのインタビューサービス「このひより」の共同代表。現在は、二児の英語子育てに奮闘中。
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