福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】画面中央に宍戸さんが立っている。メガネをかけ、単発で、紺色のウィンドブレーカーの下にボーダーのセーターをきている。腕を後ろ手で組み、正面をみている。ししどさんのうしろにはまっすぐ歩道がのびてて、道沿いには松の木が並んでいる。【写真】画面中央に宍戸さんが立っている。メガネをかけ、単発で、紺色のウィンドブレーカーの下にボーダーのセーターをきている。腕を後ろ手で組み、正面をみている。ししどさんのうしろにはまっすぐ歩道がのびてて、道沿いには松の木が並んでいる。

宍戸孝一さん【イラストレーター】 働くろう者を訪ねて|齋藤陽道 vol.48

  1. トップ
  2. 働くろう者を訪ねて|齋藤陽道
  3. 宍戸孝一さん【イラストレーター】

手話を大切なことばとして生きる「ろう者」はどんな仕事をしているのでしょうか。

連載「働くろう者を訪ねて」では、写真家であり、ろう者である齋藤陽道が、さまざまな人と出会いながらポートレート撮影とインタビューを重ねていきます。

最終的な目的は、働くろう者たちの肖像を1冊の本にすること。その人の存在感を伝える1枚の写真の力を信じて、「21世紀、こうして働くろう者がいた」という肖像を残していきます。

(連載全体のステートメントはこちらのページから)

第48回は埼玉県草加市でイラストレーターとして働く宍戸孝一(ししど・こういち)さんを訪ねました。

宍戸孝一さん【イラストレーター】

【写真】画面中央に宍戸さんが立っている。メガネをかけ、単発で、紺色のウィンドブレーカーの下にボーダーのセーターをきている。腕を後ろ手で組み、正面をみている。ししどさんのうしろにはまっすぐ歩道がのびてて、道沿いには松の木が並んでいる。

― お名前、ご職業、年齢は?

宍戸孝一、76歳です。67歳までデザインの会社に勤めていました。

 

― 出身地はどこですか。

宮城県仙台市です。

 

― 今まで通っていた学校はどこですか。

宮城県立ろう学校(※注1)に小学1年生から中学3年生まで通っていました。そして千葉県にある筑波大学附属聾学校(※注2)に行きました。学力を考慮して2年遅らせて、中学2年生からスタート。
高校3年生で卒業し、東京都のデザインスクール(旧・代々木デザイナー学院)(※注3)ビジュアル科で2年間学びました。

※注1 :2009年 宮城県立聴覚支援学校に校名を変更
※注2 :2007年 筑波大学附属聴覚特別支援学校に校名を変更
※注3:現在は閉校

 

― こどものときの夢は何でしたか。

絵を描くのが好きで、こどものときからいつもいつも描いていました。

その様子を見ていた親と中学時代の学校の先生が「美術科、デザイン科もある筑波大学附属聾学校に進学した方がいい」と考えてくれたんです。ちなみに当時の宮城県立ろう学校には木工科、理容科、塗装科などがありました。

でも我が家はそんなに裕福ではなかったので「やっぱり、費用がかかる美術科ではなく、普通科に行ってほしい」と親にお願いされて、筑波大学附属聾学校の普通科に進学しました。

担任の先生は、絵が好きな私のことを理解して応援してくれました。クラスメイトが大学進学の準備をしている中、先生は私がデザインの専門学校へ進めるよう、一緒に準備をしてくれたんです。普通科に進学したおかげで、本当に良い先生に出会えました。

高校2、3年生頃、ポスターをデザインする仕事がやりたい! と思うようになりました。

 

― 代々木デザイナー学院はどうでしたか。

実は、もっと大きくて、有名なデザイン専門学校に行ってみたかったんです。そのほうが有名で、大手のデザイン関連会社に入社できるかもと思っていたから。

でも、高校の先生に「少人数の学校のほうが絶対にいい」と言われたので、すすめられた代々木デザイナー学院に決めました。

生徒数が少なく、クラスメイトは7人ぐらいだったかな。しかもみんな、真面目じゃなかった。私は真剣に学ぼうとしていたので、先生も私をよく見てくれるようになりました。高校の先生がすすめてくれたとおりに少人数の学校に入ってよかったです。

声で授業を進めていたので内容はわからなかったのですが、授業後、先生が「一緒に帰ろう」と声をかけてくれたんです。食事しに行った先でスケッチブックを広げ、筆談で今日の授業の内容をゆっくり教えてもらえました。

今になって思うと、当時の私は一人暮らしだったので、食生活の面でも気にかけてくれたかもしれません。

 

― これまでの職歴は?

1972年、代々木デザイナー学院の先生の紹介で株式会社アド・クリエーターに入社しました。ここで勤め上げ、2017年、67歳で定年退職しました。

先生と株式会社アド・クリエーターの社長は芸術大学の同期で、友人なんです。社長はろう者と会うのは私が初めてで、不安そうにしていました。でも先生がこれまでの私の作品を全部見せて、積極的にアピールをしてくれました。そのおかげで社長に認められました。

「まずは3ヶ月間の試用期間で勤務をお願いしたい。給与はいくらがいいか」と聞かれたので、必要最低限の生活費はいくらだったかなと計算してみて、その額を伝えました。この額が初給与になりました。
3ヶ月後、無事に正式採用となりました。もちろん給与もアップ。ほっとしました。

50、60年前はろう者のことを知っている人がとても少なかった。社長と社員が私の住んでいるところにわざわざ来てくれて、ドアチャイムを押したら光るランプなどを見て、「ろう者の暮らし方ってこんな感じなんだ」と言っていました。

 

― どんな仕事をしていましたか?

入社して、ポスターをデザインできる! と思いきや、そうではありませんでした。商品のパッケージなどのデザインの仕事が多かったです。がっかりしたのですが、パッケージデザインのほうが依頼が多く、報酬も多かったのでびっくりしましたね。

社員は7〜9人いました。依頼の内容をみて、これはあの人が得意だから合作をお願いしてみよう。これは自分1人でやろう、と臨機応変に対応していました。

昔はパソコンがなかったので、すべて手で描いていました。いろんな技法や素材、活版印刷も活用していました。

ロゴもイラストも、いくつかの図案を描いて、依頼者に選んでもらっていました。

パソコンが導入されてからはがんばって操作方法を覚えて、アナログとデジタルの良さを合わせながら、デザインをしていました。

私のデザインを気に入り、続けて指名してくださる取引先が多かったです。2、3回目は広告代理店を通してではなく、私に直接依頼を持ってきてくれる会社もありました。

 

― 長年愛されている商品のパッケージが多いですね。

そうですね。これまでのデザインはすべてファイリングしています。たくさん持ってきたので見てみて。

カルピス、江崎グリコのドリンク、プリン、ヨーグルト、食品、牛乳、いろいろなタバコ、落語の絵本、尾瀬のホテル、温泉、スキー場のパンフレット、片品国民体育大会のロゴ、東洋水産のカップめん、情報誌『いくお〜る』表紙などなど。

特に、江崎グリコの幼児のみものシリーズのパッケージに、こどものイラストがずっと採用されています。自分でも不思議だなと思っています。

コンビニにもある「カフェオーレ」「プッチンプリン」「赤りんご青りんご100%」などのパッケージデザインは少し変わりましたが、私が描いたロゴがまだ使われています。

 

― 特に印象に残っていることは?

なるほどなあと思ったのが、江崎グリコの製品で、こどものイラストが採用され続けられている理由。

メインのこどものイラストはそのままで、周りのアイテムや背景を変えるだけ。その理由を担当者に聞いてみたら、購入者の心理を考えた上でのパッケージデザインになっているんだって。

購入者はほとんど、忙しい主婦です。買い物の時間は10〜15分。スーパーマーケットなどで定番の商品だけを買う、ということをイメージしてみてください。じっくり商品をみる時間がないときは、パッケージデザインをチラっと確認してパパッと手に取る。

もしパッケージデザインを変えたとしたら「いつも買う商品がないな」と思われてしまい、他の商品を選んでしまう可能性が高いそうです。

 

― デザインのアイデアはどうやって?

毎日、ふとしたときに思いつくんです。たとえば、野球を見ていたらぜんぜん関係ないイメージ、アイデアが浮かぶこともあるんですよ。で、すぐにラフを描く。

商品の素材や特徴をよく見るようにしています。『ドロリッチ』のロゴは、液体がどろっと、ぱちゃんぽちゃん、とした動きをイメージしました。

取引先に提出するパッケージデザインの案は4〜6つぐらい。違うタイプのデザイン案を考えて、見てもらいます。ほとんど「これだろうな」と思ったデザイン案が採用されます。

でも、意外なデザイン案が採用されることもありました。江崎グリコからの依頼で、こどもが遊んでいる様子をいろいろ楽しく描いて、「うん、かわいい! 最後に一応、描いとこうか」と正面を向いているだけの絵を描いたんです。そしたら正面の絵がメインイラストとして採用されました。驚いちゃった。でも長年使用されている様子を見て、納得しました。イラストのこどもと目が合ったら、つい手に取っちゃうんだよね。

 

― こだわったデザインはありますか?

たくさんあるけど、江崎グリコが販売している『高原特選牛乳』かな。8つの高原で、各地で搾乳された生乳だけを使用しているというのが特徴。なのでパッケージデザインも8種類作りました。

那須、蔵王、霧島、阿蘇、ひるがの、信州、芸北、石見。各牧場の写真を見ながら描きました。そうそう、阿蘇高原のパッケージには阿蘇山も描かれています。

『カフェオーレ』は大変でした。三角錐の形で、しましまの模様がパッケージの継ぎ目でつながるようにしなければならない。パソコンでちまちまと、丁寧に調整して仕上げました。

 

― イラストレーターをやってきて、どうでしたか。

すごく忙しい時期もありましたが、苦しい、やめたいと思ったことはありませんでした。給与がなくても、喜んで描き続けたい。私の天職ですよ。ただひたすら、描くのが楽しい。幼いころからの憧れが実現できて最高です。

2015年、アド・クリエーター創立50周年記念展が開かれました。図録もあります。私のデザインがたくさん載っています。

定年退職したあとも、たくさん描いています。ファイル持ってきたので見てみて。写真? と思うような絵が多いね。昔からリアルなイラストを描くのも大好きなんだけど、勤務していたときは描く時間がなくて。時間ができた今、鉛筆、色鉛筆で自由にいろいろ描いています。

もらってうれしかったお土産、映画俳優、航空機、ビール缶、富士山、時計、草花、グラス。孫とこいのぼりを組み合わせて、ほら、かわいい。

 

― 5年後の自分は、どうなっていると思いますか?

考えたこともなかったけど、ずっと一生、描き続けているでしょう。旅行が好きなので、もっとあちこちへ行ったり、友人と会ったりしたいですね。

 

― 好きなたべものは何ですか?

本当は肉が好きなんですが、最近は健康のために魚、刺身を食べることが多くなったかな。海鮮丼も好きです。

 

― 最近幸せだと思ったことは何ですか?

正月に娘家族がタヒチからやってきたんです。娘たちに会えて幸せでした。一緒においしいごはんを食べて幸せ。おしゃべりできて幸せ。やりたいことをやれて、生きていることそのものが幸せです。

動画インタビュー(手話)

インタビューの様子や、日常の様子をまとめたこの映像には、音声も字幕もテロップもありません。写真だけではどうしてもわからない、その人の手話の使い方に滲みでてくることばの特徴を感じてもらうためです。たとえ手話がわからなくても、そのリズムに目をゆだねてみてください。じわりと浸透する何かが、きっとあります。「こういうふうに話す人なんだなあ」と知ってもらった上で、写真を見てもらうと、見え方がまた変わります。

Series

連載:働くろう者を訪ねて|齋藤陽道